出立

 城から出たリアは、送迎の車に乗らずに、宿とは別の方角へ向かった。黒衣も、カラノが着させられた服も、街では酷く目立ったが、構う素振りはない。黙々と歩いていく。尋常ならない様子に警戒したのか、襲撃者はなかった。

 目的地はないようだった。だが、ガフミは海に囲まれた街だ。

 港から離れた一角。海を臨む、小さな憩いの場に迷い込む。

 服が汚れるのも厭わずに、リアは海を見ながら芝生に腰を下ろした。黒衣の裾が広がった。


「んー……」


 足を抱え込んで、膝の上に額を乗せて、小さくなっていく。むずかる子供のような声が、黒衣の海の中心にある、小さい塊の中から聞こえる。

 周囲では、リアの容姿に釣られた人々が、そわそわと興味深そうに見ている。一応、カラノの存在を気にして、近寄っては来ない。

 観衆を一瞥してから、カラノは黒衣をよけて、隣にあぐらをかいて座った。


「ガフミを発つのはいつだった?」

「……もう話した。明後日」


 つっけんどんながら、湿った声が返って来た。


「あぁ、そうだった。ど忘れした。すまない」

「面白がっている?」

「いや……逆。野次。早く次を歌え」

「まだ余韻だから。味わいなさい」


 強気な素振りを見せてはいるが、もう少し強く小突いたら泣かせることが出来そうだった。

 そわそわと胸の内が波立つ。

 さすがに悪いと思って、しばらくは抑えて海を眺めていた。まだ日は高い。宝石のような海だ。船が一艘浮かんでいる。思ってみるが、白々しい。落ち着くことなど出来やしない。隣から漂う悲しみの気配が、鼓動を早める。

 今は、そっとして置く方が愛なのだろう。だが、カラノはリアをそれ程愛してはいない。


「リア」


 欲を抑え切れずに名前を呼んだ。膝の上で頭が横向きに倒された。髪をよけて顔をうかがうと、赤らんだ目が不服そうに細められた。


「かわいい……」

「何を見て言っている。変態。また土下座させられたいのかしら」


 脅し文句を無視して、頭を撫でた。

 結局のところ、ここにあるのは、愛と言うよりは恋だ。相手よりも自分が優先される。周囲にいる観衆が向けている感情と大差ない。サクラに恋仲だと言われて、素直にうなずけなかった時から、進歩がない。

 だが、これが愛であったなら、どこかで手を離していた。そしてリアは、自由に、孤独になっていただろう。


「……自分勝手な人」


 やはり共にいない方が良かったと、いつかそう思われるかも知れない。逆に、カラノの方が後悔するかも知れない。所詮は身勝手な恋だ。加えて、二人とも、世界を滅ぼす可能性については、神からのお墨付きである。取り返しのつかないことになる可能性は高い。

 それでも、今のカラノは、胸にある衝動に従い進むべきだと信じている。


「好きにしろ、とアンタが言ったから」


 手の下で微かに体が震えた。笑っている。


「だから、褒め言葉。そういうカラノさんが大好き」


 手に、手が重ねられた。


「これからも、手の届く距離で、お互い好きに生きていきましょう」


 日差しが遮られる。

 見上げれば、輝く白髪、空色の瞳。直前まで小さくなって落ち込んでいたことを感じさせない、鮮やかな笑み。

 立ち上がり、間近にその美しさを捉える。

 この美しさに出会うまで、生きていて良かったと、心から思う。


「次は、アンタが死ぬまでの旅か」


 軽やかな笑い声が空に抜けていった。


「この後は、出立に向けて準備?」

「その前に。皆さん、お待ちかねのようですから」


 リアは集まった人々を振り返る。皆、待っている訳ではないだろうが水は差さない。それに少なくとも、ここに一人は、いつも望んでいるものがいる。


「詩を歌いましょう」


 ガフミの片隅から、街全体に、詩が響き渡る。


 そうして、リアとカラノの旅は始まった。


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