黒白

 夜闇の色を身にまとい、肖像画に残された白髪も美貌も隠すことなく、リアは宿まで迎えに来た車に乗り込んだ。

 車は当然、サクラの村で借りたような荷車の流用ではなく、城と同じ白を基調とした上品な見た目の、人専用のものだった。動力である獣人も、きちんと躾けられていた。揺れは少なく快適で、カラノは少し感動した。

 向かいに座るリアは、穏やかに、どこか懐かしむように、窓から景色を眺めている。

 何度か歩き、襲われた道も、何事もなく通り過ぎた。

 車の振動が止まる。

 外から扉が開いた。一応は従者として、先にカラノが出て、リアの手を引く。旅の中、儀礼に厳しい人々の家への招待もあったため、カラノもまたその手の場で浮かない程度に礼儀は躾けられている。

 案内人に従って、貝殻城に足を踏み入れた。

 外壁と同じく、内部も大部分が白く塗られていた。あくまで白が主役というように、色による装飾は抑えられている。代わりに、精巧な彫りによる陰影が、豪奢さを物語る。

 そこにあって、黒衣のリアは、不吉そのもののようだった。

 あからさまに表に出しはしなくとも、城の中にいる衛兵や侍従たちの目は、明らかにその存在を疎んでいた。手紙によって取り付けた約束による、紛れもなく正式な訪問ではあるが、誰もが、早く去れと内心で願っているようだった。

 彼の人らにとっては、黒ではなく、白こそが、忌まわしきものとして映っているのだろう。

 かつて、城の人々を皆殺しにした、白髪の麗人の再来。

 その名が変わっていても、身分を偽っていても、かつての災厄と同一人物だと、城中に暗黙の了解が伝わっているらしい。

 リアは何も気にしていなさそうに、歩いていく。


「一つ、お尋ねしたいことがあるのですが、お聞きしてよろしいでしょうか」

「ええ。何なりとお尋ねくださいませ」


 そう言えば、とカラノは改めて、先を行く案内人を見る。車から下りてからずっと先導している、年老いた案内人からは、不思議と敵意を感じない。時折後ろを振り返っては、むしろ優しい、陽だまりのような温もりのある目をリアに向けている。


「道は、こちらで間違ってはいないのですね?」

「はい。こちらへお連れするようにと、陛下に仰せつかっております」

「そうですか。失礼いたしました」


 かつて、リアも通ることがあったのだろう廊下。ぼんやりとリアの在りし日の姿を想像しながら、カラノは横聞きした会話の意味を考えるともなく考える。

 今のリアは、アリステラの遺言を伝える使者として、城を訪ねている。だが、そんなものはただの名目に過ぎない。リアはレウであり、それは公然の秘密となっている。そして、レウは一級のお尋ねものだ。

 城に到着した後、囚われることも、リアは想定していた。

 だが、本当にぎりぎりのところまでは何もしないと、リアは言った。相手方がリアの体に触れる、その寸前までは、罠の疑いがあっても逃げずに立ち向かうつもりらしい。カラノは早めに見切りをつけて逃げていいと言われたが、当然、リアが逃げると決めるまでは共にいると決めている。

 もし、この廊下が破滅に通じていても、リアが逃げないから逃げない。

 案内人は城の上へ、奥へと進んでいく。さすがのカラノにも、謁見の間があるような場ではないと分かるようになった。白以外の色が使われるようになり、空間からは潔癖さよりも、人間の生活に向く落ち着きが漂うようになっていた。ただ、どこか寒々しさも感じる。行き交う人がぐんと減ったのが原因だろう。

 ふと、リアが立ち止まった。

 視線の先には扉があった。

 何も言わず、引き続き、案内人の後を追う。

 そして、またしばらく歩くと、叩き金のついた、他より少し大きな扉が現れた。


「陛下の命により、人払いは済んでおります。お話をうかがうのは、私と陛下のみにございます」


 リアは何も言わない。呆然と、という雰囲気で、扉を見つめている。

 案内人が金輪で鋲を叩き、中にいる人物に、客の来訪を知らせる。

 扉が開かれた。


 暗い、と反射的に思う。

 調度品を格式高い赤や茶で揃えた、落ち着いた部屋だ。当然、庶民の家とは比べ物にならないような手間と金がかかってはいるのだろうが、豪奢と言うよりは上品の範疇に留まる造りだった。暗いという印象は、眩い白い壁を見続けていたせいだろう。あえて悪い言い方をすれば、特筆するところのない部屋、とも言える。

 だが、それが貝殻城の主の部屋である事実を踏まえて、改めて見ると、その凡庸さが反転する。

 好奇心を覚えて、待ちかねて、カラノは扉の前で木のように立ち尽くすリアの背を、軽く叩いた。思い出したようにリアは歩みを進める。

 続けて中に入ったカラノは、壁や窓枠まで、白を締め出すように、全て徹底的に色を変えられていることに気づいて、うすら寒さを覚えた。

 そっと、部屋に立つ人を見る。


「ザクセン――」


 背後で扉が閉められる中、畏れるようなリアの呟きが、空気に染みていった。

 その人は深く礼をした。


「お待ちしておりました、御二方。このような場所まで、ご足労いただき、ありがとうございます」


 リアの息子、リアの弟という印象が強かったから、知らず知らずのうちに、若い姿を想像していた。だが、考えてみれば、リアが城にいたのは随分と前のことだ。そこに立つ人が、先程の案内人と大差ない老人であることに、一瞬違和感を覚えたが、それはすぐに消え去った。

 底知れない青の眼差しと、苦労を忍ばせる皺が、カラノの中の想像を上書きする。

 体を起こしたガフミ王は、ゆっくりと、一言一言区切るように言った。


「先に、一つ、お伝えしなければならぬことがございます。――私は耳が聞こえません。口を、ゆっくりと動かしていただくか、あるいは筆談にて、お話しいただけると、幸いにございます」


 驚愕と同時に、カラノの脳裏にリアから聞いた詩がよみがえる。

 王によって、檻の中に連れて来られた王子。

 監視か、厄介払いか、戯れか。

 リアの魔術は、声を媒介にしているだけで、いくらか弱まりはすれど耳の聞こえないものにも通じる。例外はあるが、耳を塞いだものを操った場面を見たことがある。それは逆に言えば、魔術を使うことで、耳が聞こえないものにも、ある程度意思を伝えることが出来るということだ。

 檻の中で、リアが生まれて初めて知った、穏やかな日々。

 それは、相手にとってはどういう日々だったのだろうと、カラノは初めて考えた。

 詩の登場人物だった、かつての王子は、自分の向かいにある長椅子を手で指し示す。


「どうぞ、お二人共、おかけください」


 二脚の長椅子の間にある卓の上には、何も書かれていない紙の束と硬筆があった。白い紙などいくらでも手に入るのに、その紙はやや茶色ががっていた。

 黒衣は滑るように、示された椅子へ向かう。右側を空けられたので、カラノもそこに腰かけた。

 案内人がお茶を置いて、部屋の隅に下がる。

 ガフミ王が腰を下ろすと、リアは何か急ぐように、口を開いた。


「お久しぶりです、フィーリ様」


 使者のふりは辞めたらしい。ガフミ王は可笑しそうに目を細める。その顔で、見た目よりももう少し若いことに、カラノは気がつく。目の下にある濃いくまや疲れた雰囲気が、実際以上にその人を老いさせていた。


「お久しぶりです。……先程、父の名を、呼びましたね。似ていますか?」

「相変わらず目聡い。ええ、そっくり。よみがえったのかと思いました。……場所もあって。内装が様変わりしていても、体が覚えているようです」

「すみません。気分を害してしまうかも知れないとも、思ったのですが。謁見の間は、城のものに、話を聞かれてしまう恐れがあり、他に、相応しい場所も、思いつきませんでした」

「構いません、檻の中でもなければ。それに、私があなたと同じ立場でも、ここを選んだでしょう」


 いつも通りの、気軽な調子に聞こえる。だが、膝の上に置かれた手は震えていた。

 震えを振り払うように、リアは無遠慮にカラノの懐に手を入れて、封筒を取り出した。自分で大雑把に封を破り、王に手渡す。


「さて。そんな話は、どうでもよくて。お忙しいでしょうから、手っ取り早く、済ませましょう。ここに本当の用件が書いてあります。今、お読みください」

「……レウ様は、お変わりありませんね」


 封筒の中には、一枚の書類。書類に目を落としたガフミ王は、素早く上から下へ視線を動かす。

 カラノは中身を見ていないが、以前言っていた、リアは政治には一切関与しない旨が書かれているのだろう。

 しばらく、微かな紙の音しかしない。

 カラノはぼんやりと、この後のことを考える。カラノはただの護衛であって、王に用事はない。見届けて終わりだ。だが、一言くらいは何か言っておいた方が良いような気もしていた。

 若干の嫉妬があったため、憎まれ口を叩くことも頭の片隅にはあったが、本人を目の前にして、その気は失せた。

 考えている間に、ガフミ王は書類から顔を上げた。


「私の力が足りぬばかりに、ご迷惑をおかけしたようですね。恥ずかしながら、領内のことであれ、手の届かぬ範囲も多く、私では責任を負いかねるところもございますが、レウ様の被った面倒を思うと、胸が痛みます。言葉ばかりにはなってしまいますが、心より陳謝いたします。……そして、レウ様からのお申し出に、深く感謝いたします」


 目的は達成出来たのだろうかと、リアを横目にうかがう。晴れやかとは言いにくい顔をしている。


「……言うまでもないこととは存じますが、念のために、一部要点をかい摘んで、口頭でも申し上げておきます」


 その顔のままで口が開かれた。


「宣言いたします。私はあらゆる立場において、この国の政に直接の関与はいたしません。レウ、またはリアと名乗るなど、私と誤認されるような言動をして、政への関与を試みるものや、御意志を惑わすものが市井に現れた場合には、一切の問答なしに私の偽物と断じ、切り捨てて構いません」


 聞きながら、おや、とカラノは思う。確か船では、ガフミ王と協定を結ぶと言っていたはずだが、今リアは宣言と言った。現実問題として協定は難しいと思い直したのかも知れないが、宣言となると、重要な要素が異なるように思う。

 周囲への抑止にはなるだろうが、王への拘束にはなりはしない。むしろ、これでは、リア自身が縛られる。

 書類が卓に置かれる。

 青い瞳が瞼の下に隠された。


「……レウ様。少し、無駄話をしても、いいですか」


 窓から雨降る外を眺める、子供のような言い方だった。リアは素っ気なく先を促した。


「……近頃、レウ様といた時間を、よく夢に見ます。実際にあったかどうかも定かではないような、他愛のない一日の夢です。内容は見る度に変わります。ですが、最後だけは、決まっています。必ず、レウ様が城を去った日で、夢は終わります」


 誰のものかも分からない、唾を飲む音が聞こえる静けさだ。


「ただ、最後も、現実と全く同じではありません。私は子供ではなく……倒れていくのは、現在の私が、疎ましいと感じているものたちです」

「……つまらない夢」

「はい。夢の中の私すら、同じことを思います。レウ様に、何とつまらぬことを、させているのだろうと。……結局、夢の中でも、止めること能わず。今も昔も、己の無力さを呪うばかりでございますが」


 笑みが浮かんでいる。幾重にも重ねられて来た、時間の重みを感じる。


「だからこそ。せめて、今より先はと、思うのです」


 深々とその人は頭を下げた。


「私も、この場で宣言いたします。ガフミ王は、常に、何を差し置いても、最大限にレウ様の御意志を尊重いたします」


 先に言ってしまえば、記録には残さないまでも、その言葉を、ガフミ王は生涯に渡って守った。


「レウ様のお好きな詩を、歌ってください」


 唇を噛む仕草が、目の端にうつる。

 少しして、固く目が閉じられる。ガフミ王の姿を視界から消している。

 長くそうしていた。

 だが、それでもリアは、言葉を飲み込むことが出来なかったようだった。


「──本当に、ザクセンに、よく似ている」


 言った後、自分を責めるように膝に拳を打ち付けて、立ち上がる。案内人が扉を開けるのを待たずに、自分の手で開いて出て行く。


「伝えたいことは伝えたから」

「……リア!」


 呆然としていたカラノは、扉が閉じる音で我に返った。

 立ち上がり追いかけかけて、このまま去っていいものかと瞬間考える。

 目の前にはガフミ王が俯いている。

 以前なら、踏み込みたくないと引いていた。今も、部外者が踏み込んでいいのかという迷いがある。正しい行動を知りたい。ただ、衝動が指し示す道は一つだった。


「とりあえず連れ戻して来るから! 待ってろ!」


 困惑した表情を見て、耳が聞こえないことを思い出す。リアと普通に話していたから忘れていた。改めて伝えるべきなのだろうが、今は、その時間も惜しい。


「爺さん。今の、王様に言っておいてくれ。すぐ戻る」

「かしこまりました」


 部屋から飛び出して、リアの姿を探す。土地勘がない上に、尋ねる相手がいない。地面まではかなりの高さがあったが、一応窓の外も見ながら、城をさ迷う。

 そう時間は経っていないのに、中々見つからなかった。いよいよ外に逃げた可能性を本格的に視野に入れながらも、何かあてはないかと考えた時、来る途中に、リアが立ち止まった部屋があったことを思い出した。外を探すのは、あの部屋を見てからでも遅くはない。

 向かうと、その部屋だけ、扉が開いていた。

 その中にある寝台に、黒衣は肩を落として座っていた。

 檻と言うには洒落ている。カラノは部屋を見回して思う。王の部屋と比べれば小さくはあるが、もし宿屋であれば、一泊分の金額で市井の家族が三ヶ月は暮らせそうだ。

 窓に鉄格子、寝台に錠が結び付けられてさえいなければ、良い部屋と言えただろう。


「……カラノさん」


 目が合った瞬間に、リアの目には光が戻った。


「もっと良い結末にするから、もう少しだけ待って」


 そう言えるのであれば、カラノから言うことはない。ほっとして扉の枠に寄りかかった。


「はは。楽しみにしている」


 良い結末をという願いは、今となってはそう強くはない。ガフミ王と会って、殺さずに、話をした。それで少なくともカラノの思う最低は通過している。

 カラノがこの場にいるのは、良い結末をせがむためではない。カラノ個人がもっと良い結末があると感じ、なおかつ詩を聞き流すのを最近止めたので、一応、自分が良いと思う形にするために、合いの手を入れただけだ。

 リア自身が良しとするのであれば、このまま逃げる結末も有りだとは思う。野次を飛ばす程の駄作ではない。

 つまり、リアはそこまで頑張らなくて良い。

 そう思ったが、言わなかった。恐らく言わない方が優しく、そして今はリアに優しくしてもいい気分だ。

 カラノは息をついて、それからふと自分の言動を思い出す。


「あぁ、でも。連れ戻す、と王様に言ってしまったんだが。戻る?」


 戻っても戻らなくても、カラノとしてはどちらでも構わないが、戻らない場合、現実的には困った事態になるかも知れない。リアは首を傾げた。


「……戻ることは、ないかも」

「そうか。良い人そうに見えたけど、王様相手に約束破ったら、やっぱり処刑とかされんのかな」

「さあ、どうかしら。聞いてみたら?」


 悪い予感を覚えて振り向いた。

 順番待ちをするように、案内人と、ガフミ王が立っている。考えてみれば、待てと言われて待ついわれはない。


「えぇ、と。リア……じゃない。レウ、いたので、どうぞ」


 口を大きく動かすことを心がけつつ言いながら、じりじりと体を引いて、部屋の外に出た。案内人が複雑に手を動かして何か示すと、ガフミ王は部屋に入らず、カラノの目を見た。


「しません」


 目を細めてそれだけ言って、部屋の中に入っていく。

 案内人は入っていかなかったため、カラノも入り直すことなく、部屋の外から様子をうかがう。

 ガフミ王とカラノが見合っている間に、リアは寝台から立ち上がっていた。

 リアは笑って見せた。突然部屋を飛び出したことに対する、恥も罪悪感も罰の悪さも感じさせない。厚顔無恥、と言ってしまえばそれまでだが、手の震えを抑えてのその態度は、痛々しくも眩しく映る。


「わざわざ御身自らお出ていただいて、恐縮でございます。冷静になってみれば、私のような下賎のものが、見張りもなく城内を歩くなど、看過されるはずもなし。無闇に事を荒立てるのは本意ではありませんから、戻るつもりではありましたが」

「そうですね。それに、私もまだお話したいことがありました」

「へえ。恨み言ですか?」

「はい。時間を取っていただけますか」

「ええ」

「レウ様は父を殺しませんでしたね」


 カラノのいる位置は、ガフミ王の斜め後ろだ。ガフミ王の表情はよく見えない。


「父の亡骸は、他と様子が違っていました。解剖した結果、病が見つかりました。状況から見て、死因は魔術による自殺ではなく、その病と考えられるそうです。……弁解は不要です。その報が、私に失望をもたらしたことに、変わりありません」


 疲れたようなため息が聞こえる。


「殺されるいわれのない人を大勢殺しながら、殺すべき人を殺さなかった。そのせいで皆が不幸になりました。レウ様御自身も、後悔しているようにお見受けします。人間の血が混じっていようと、レウ様の本質は魔物です。あなたの行いは、これからも、きっと全てが過ちとなるでしょう」


 曲がった背中に、萎びた声。息苦しい。託宣のような言葉だったが、部屋には、錆びついた生活感が漂っている。

 そこに、流星のように声が降った。


「恨み言らしい鬱陶しさですが。あいにくと、己は魔物か人間か、なんて話はとうの昔に解決しています。申し遅れましたが、私はレウではなくリア。混ざりものから、悪魔と呼ばれるようになりました」


 自分自身の言葉に鼓舞されたかのように、背筋が凛とのびていく。


「悪魔。過ちを、正義にし得るもの、ですね」


 ガフミ王の声も、生き生きとしているように思えた。


「あの虐殺と慈悲を、正しかったと言いますか」

「いいえ。けれど、こうは言いましょう。――正しさはそれぞれが決めるものです。魔物だから過つ、人間だから正しい、などということはけして有り得ない。例えば、最も強大な悪魔が、神教であるように。賢明なフィーリ様であれば、お気づきのこととは思いますが」

「……これが、悪魔の誘惑ですか」

「誘惑などしておりません。今のを誘惑と思うのであれば、その原因はやはり、フィーリ様自身の内側にあるものと存じます」


 ちら、とほんの一瞬、部屋の中から、カラノに視線が向けられた。その気の緩みを叩くように、ガフミ王の応えが部屋に響いた。


「私も、ただのフィーリから、魔物を憎んで発展を遂げた、ガフミの王になりました。父と民衆を代表して、レウ様を否定いたします」


 先の恨み言よりも、ガフミ王になったという言葉の方が、リアに効いているように見えた。


「正しさは在ります。神が人間には正、魔物には過という運命を付しました。どれだけの人々を謀ろうと、その欺瞞は、結末で暴かれます。きっと、レウ様自身が、誰よりも神の御意志をその身に感じていらっしゃることと思います」


 神の意志。呪い。ガフミ王は知らないはずだが、的確に傷を踏んで来る。

 だが、反発は感じなかった。船から貝殻城を見た時に感じた感傷と似た思いを、その背中に覚える。

 二人は間合いを計るように黙り込んだ。


「王ね。私をこの城に迎えて、囚えもしないくせに」

「レウ様こそ、悪魔の割に人間らしい御顔をなさる」


 打って変わって醜いやり取りをした後、リアはふ、と笑みを溢した。


「お聞きいただき、ありがとうございます」


 背中しか見えないが、ガフミ王も笑っているのだろう。


「気は済んだ?」

「恨み骨髄に徹しておりますから、気が済むことはありませんが、これ以上引き止める気もありません」

「そう。……恨み言を言うのが下手だこと。言えるだけ、誰かさんよりは素敵だけれど」

「用事が済んだのであれば、どうぞお帰りください」


 半身を引いて、ガフミ王はリアに道を空ける。横顔が見えた。少し沈んだような顔、だがカラノは冷静には見れない。

 奥にいるリアが、笑いながら両手を持ち上げている。

 すぐ、ガフミ王は横合いから伸びて来る手に気がついて、微かに目を開いた。

 避けようとしたのか単によろけたのか定かではないが、たたらを踏みながらも、リアを抱き留める。


「時に、フィーリ様」

「……何でしょう。伝えたいことは伝えた、と聞いたように思ったのですが」

「ええ、全て伝えてあります。ただ、最近私、そこにいる人に色々と怒られまして――まあ、ぶん殴って大方私の思い通りにはしたのですが――一つだけ。嫌い、と、あの日申しました」


 カラノは少し驚きながらリアの顔を見る。子供は嫌いと言ったリアに、カラノは怒った。感情自体ではなく態度に対してだ。本音では心底大切にしている硝子細工を、わざと地面に叩きつけて、これはこれで綺麗だと言い放つような横暴だった。


「……言われました」

「あれは嘘ではありませんが、誠実でもありませんでした。本音の奥深くまで探らず、表層をなぞるだけで誤魔化した。詩人の端くれとしては、許されざる軟弱さでした。フィーリ様を惑わせもしたでしょう。ですから改めて、同じ思いを、言葉を変えて」


 きっと在りし日にこの部屋で見せていたものと同じ、寂しげだが穏やかな笑みが浮かんでいた。


「フィーリ様、愛しています」


 正しくないと分かっていても、拒むことの出来ない温もりがある。


「……大丈夫です。伝わっていましたから」


 気恥ずかしそうに目を伏せた人と、愛おしむような眼差しをした人の間で、別れの言葉が交わされる。リアは手を解くと、ふいと黒衣を翻して、ガフミ王を追い越した。


「カラノさん」


 切り替え早く、部屋を出てすぐ、ついて来い、という調子で名前を呼ばれた。案内人はリアの動きに合わせて、既に廊下の少し先に立っている。

 自分のするべきことは分かっている。当然、大人しく付き従うべきだ。

 だが、カラノはその場に立ったまま、軽く手を上げた。


「すぐ追いつくから、先行っててくれないか?」

「は?」

「すぐ。ちょっと。ほんの少し」


 深々とため息をついて、リアは部屋へ呼びかけた。


「フィーリ様、よろしいですか。従者から、何かお話したいことがあるようで。悪い人ではあるけれど、見境のないことはしないから」

「構いません」

「通訳が必要か。使用人はお返しします。カラノさん、待っているから」


 案内人が戻って来た。カラノ自身はそれ程多く話すつもりはなかったが、一対一では拙いかと思い直し、案内人を先に部屋に通す。

 扉は開いたままだったが、一応、手の甲で扉を叩いて、カラノも部屋に入った。


「失礼」


 本当に、ほんの些細な用だ。


「これ、渡しておく……おきます」


 襟の内側に隠していたものを引っ張り出して、ガフミ王に手渡した。

 元々カラノの方では、それ程の思い入れはない。旅の途中で壊すよりも、大切に出来る人が持つべきだと、そう思った。

 目を落としてそれが何かを認めた瞬間に、ガフミ王の肩は強張った。


「これを、どこで」


 最早、世間一般に流通してはいないだろうから、驚かれることは予想の範疇だったが、その驚きの程度が予想外だった。

 見かけには、単なる古ぼけた首飾り。だが鎖の先についた飾りを開くと、中には目を奪われる、精緻な肖像画が入っている。

 レウの肖像画の入った首飾りだ。


「アリス……いや、拾った」


 勘が働いて、咄嗟にうやむやに誤魔化した。どうせ持っていた人間は死んでいるのだから、どういう手段で首飾りを手に入れていようと、現世では罪を与えようがない。迷惑を被るのは、家長が失踪したことで既に大打撃を受けている遺族だけだ。

 案内人を介して、カラノの言葉がガフミ王に伝わる。

 用事は終わった。これ以上、話すことはない。

 そのはずだったが、案内人の手の動きによって、自分が伝えた言葉の少なさを目の当たりにして、気が変わった。


「その絵が描かれた時の状況は知らないが、俺には、リアにその顔をさせられるのは、あなたしかいないように思える。昔も、今も。羨ましい限りだ」


 やはり野暮だったかと少し後悔したが、満足感もあった。静かな瞳を見返した。


「では、お暇させていただく。陰ながら、リアと見ている」


 軽く頭を下げて、背を向けた。

 もう二度と、この城に来ることはないだろう。

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