鼓動

 それぞれ、積み荷を下ろす船員と、積み荷に紛れて船から下りた。人目を避けながら、水かきのある手と握手を交わして船頭と別れ、ついに当初の最終目的地だったガフミの街に踏み入る。

 気持ちの上では、ようやく、という達成感があったが、まだ一段落とはいかない。一息つくことが出来たのは、多くの追っ手に見つからないよう、姿を隠しながら移動して、無事に船頭に紹介された宿屋に辿り着き、記帳して部屋に入ってからだった。

 とりわけ、リアにとっては神経をすり減らす道のりだったようで、珍しく部屋に入って早々に寝台に倒れ込み動かなくなる。これからの具体的な予定について聞きたかったが、起こすのも憚られて、その日は早めの就寝となった。

 翌朝、やっと聞くことが出来た。


「今日の予定は?」


 リアは攻撃でもされたように唸った。


「うるさいし眩しい。窓かけ閉めて」

「いつまで寝るつもりだ」


 窓かけは閉じず、窓自体も開けて、風を入れる。振り返ると、リアは寝返りを打って窓に背を向けながら、布団を頭の上まで引き上げていた。


「今日一日、寝て過ごすつもりか?」


 布団を引き剥がそうと、手を伸ばす。

 だが、触れる寸前、微妙な躊躇いを覚えて、静かに手を引っ込めた。

 手を見下ろしていると、くぐもった声が、先の問いかけに答えた。


「王と会う」

「いきなりは無理だろう。忍び込むのか?」

「大変そう」

「大変だ、間違いなく。城の警備もそうだが、まず、街中に見えない敵が多過ぎる。今の状況では城まで行くことも難しい。アンタの魔術を使えば簡単かも知れないが……使いたくないだろう」


 布団から顔が出た。顔を覗き込むと、眉が寄った。

 寝返りの後、冷めた目に見上げられる。


「後が面倒だから、ね。大規模なことはしない」

「で、真面目に、どうするつもりだ」

「正攻法で。王と会う約束を取り付けて、王に、迎えを寄越してもらう。面倒だけれど、正当な方法が一番禍根が残らない」


 方法について疑問はいくつもあるが、想定していたよりも無茶ではない。

 言いながら、やっと布団からリアが出て来た。起き上がり、ほとんどカラノには目を向けずに、無造作に服を脱ぎ始める。

 そっと目を逸らしつつ距離を取り、体は室内に向けたままで、肩越しに窓から街路を見下ろした。

 同じ部屋に泊まったのは、一度や二度ではない。布団を剥がすくらい普通にしていた。だが、今になって若干、距離の取り方に迷いが生じているらしい。よく考えてみると、久しぶりの状況だ。サクラの村にいる間は別室で寝起きしていた上、お互いに、二人きりになることを避けてもいた。さらにその間に、色々な前提が変化している。

 距離を置きたい訳ではない。むしろ、線引きを止めると決めたばかりだ。自分から距離を縮めていくべきかも知れない。ただ一応、着替えている姿は見ない。


「まず、王に手紙を送る。ただ、名前をレウにして送っても、王まで届かない可能性が高い。だから、この件には関係のない、けれど王まで手紙が届く人の名前を借りて、中身にフィーリ……現ガフミ王にしか分からない符牒を混ぜる。という訳で、差出人の名前を借りに行きます」


 邪なことを考えている間にも、リアは淡々と説明してくれている。


「誰に?」

「アリステラ。覚えている?」

「あぁ……もちろん覚えてはいるが。あいつの名前で?」


 並々ならぬ執着でリアを追い、サクラたちを使ってカラノを排そうとして来た、左利きの人。そう言えば身分のありそうな振る舞いではあったが、実際のことについてカラノは何も知らない。


「あいつ、そんなすごい奴だったのか」

「たぶん。遺品の中に紋章のついた釦があった。私の記憶が正しければ、先代王の近衛兵の中に、同じ紋章の方がいた。子孫があんな有り様では、家もどうなってるか分かったものではないけれど」

「あんな有り様と言ってやるな」

「ふふん。先に家の確認をしに行く必要はあるかな。どうせ、単にアリステラの名前を騙るだけだと、家に照会された時にばれるし。……偶然、アリステラから遺言を預かった。広く知れ渡ると危険な話なので、王に直接伝えたい。だから使者として、名前を貸してほしい。この体で行く。どう?」

「家の人間に信用させられるか?」


 着替え終わったリアが立ち上がり、近づいて来るのが、視界に入る。


「釦の他にも、いくつか遺品はもらって来たから、証拠としては充分だと思う。一応、舐められないように、身なりは整えてから行きましょうか。……目はともかく、髪の色も、染めておいた方がいいかしら」


 思っていたよりすぐそばまで寄って来た。少し動くだけで体が触れそうだ。目を向けると、手が伸びて来て、背中に回された。肩口に顎が乗る。


「何か、既に、いるし」


 耳元で舌打ちが響いた。


「何人いる?」

「三人。道にいる。二人、まだ気づかれてないと思って話している。私の聴覚のこと知らない辺り、にわかだけれど……どこでばれたのかしら」

「直接聞こう。髪染めるかはその後で決めればいい。それより、謁見用の服の仕立ても、今のうちに頼んでおいた方が良くないか。アンタの服は……時間がかかるから」

「お、どっちも良い考え」


 やたらと細かい注文のせいで仕立てに時間がかかり、その服を待つために出発が予定より遅れた経験が、何度かある。


「今日の予定決まり。尋問、仕立て屋、アリステラの家」

「了解」


 今日中にアリステラの家まで行くのは無理だろうとは思いつつ、うなずいた。

 ついでに首に口づけると、腕の中で体が強張った。顔を隠すように、肩口に額を強く押し付けられる。


「……何?」


 そしてぼそりと問いかけられた。


「私に何かお求め?」

「今は特に。単なる触れ合い」

「触れ合い」

「アンタもよくやるだろう」

「私は、やるけれど。カラノさんは……」


 至近距離で視線が交わった。迷った瞬間、先にリアに肩を押されて、距離を取られた。


「後で。先に下りていて。私まだ、準備があるから」


 背を向けられる。難しさを感じながら階段を下りた。

 宿の前の通りには、大きな店や施設はない。小さな店がいくつかと、集合住宅や他の宿屋があるばかりだ。人通りはあるが、けして多い訳ではない。

 宿を出た途端、気配を感じた。一人は魚人、カラノに向かって歩いて来るところだった。左を向けば、建物の前に浮浪者の装いをした小鬼が寝転んでいた。

 近づいて来る魚人を無視して、浮浪者の顔面を蹴った。浮浪者の手から落ちた何かが金属音を響かせる。


「お前何しやがる! まだ何もやってねえだろうが!」


 魚人が言う。片剣を投げて足に刺し、暴れられる前に足の裏も刺して、動きづらくした。

 浮浪者の方も足の裏を刺しておく。

 もう一人は向かいの建物の陰から出て来た。リザードマンだ。


「おい突っかかるな! 逃げろ。何かやばそうだ、そいつ」

「逃がすな」


 二階から声が降って来た。

 思考に外から力が加わる。足が地面を蹴る。いつもより、少し遠くまで手が届くような気がした。リザードマンの服の後ろ襟をつかみ引き倒す。地面とぶつかった体からは人間とはまた違う音がした。全体が硬い皮膚に覆われていたため、剣の柄で目を潰した。


「カラノさん」


 立ち上がりながら窓を見上げると、ひらと手を振られた。ふと虚無的な笑みが浮かび、振られていた手が、手首からかくんと折れる。人差し指は地面を指していた。

 意図を察して、右腕を伸ばす。

 窓枠を軽く蹴り、リアの体が宙に浮いた。

 落ちながら姿勢は整えられ、足の裏は的確にカラノの右腕を捉えた。少し腕を引いて衝撃を和らげる。猫に飛び乗られたような重さだ。そして続け様に腕を蹴られた。

 白髪がなびいていた。

 静かな着地の後、リアの体は反転して、カラノの方へ向いた。間もなく手をいっぱいに広げて、思い切り抱き締められた。

 妙に楽しそうなのは伝わって来るが、今は受け止められない。


「……刃物を、持っているから」

「ええ。ちょうど良かった」

「何で?」


 抱き締め返すことの出来ないままで立ち尽くす。慌ただしく逃げようとするリザードマン、魚人と浮浪者の姿は目に入ってはいたが、カラノの耳にはリアの声と、お互いの心臓の音しか聞こえない。

 可笑しそうな、抑えた笑い声が耳朶をくすぐる。


「カラノさんが――珍しいことをしたせいだと、思うのだけど。何だかとてもどきどきしていて。今、抱き締め返されたら、食べて……とろけてしまいそうで。けれど今日はもう予定がある。だから、ちょうど良かった」


 硬直するカラノをよそに、リアは名残惜しそうに体を離して、一声で魔物三人組の動きを止める。上機嫌なようで、魔術を用いても、息苦しそうにする様子はない。


「さて。今日を始めましょう、カラノさん」


 頭巾を被りながら、軽い足取りで歩いていく。無骨な外套に包まれた背を、少し遅れて追いかけた。

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