ガフミ

海上

「真昼も暗き海の底、砂を枕に横たわれば、泡沫にもならぬ貝共のお喋りが聞こえて参ります。これよりお耳に入れますのは、貝共の間に伝わる海鳥の復讐譚。その海鳥は、親の悪業還って、生まれつき翼を奪われておりました」


 その海鳥が生まれた海は、かつては海の魔物たちにとって、楽園のような場所だった。乱獲されて数を減らした人魚が静かに暮らし、遥か遠海に棲む海翁までもが、体を休めるため訪れていたという。

 だが、海のそばにあった集落に、ある日ふらっと現れた若者が、その海を変えた。

 若者はその集落を拠点にして、楽園にいた海魔たちを、襲い始めたのである。それは大虐殺というに相応しい、凄惨な行いだった。

 だが、人間たちにとっては、喜ばしいことだった。身近な海から魔物がいなくなれば、さらに暮らしやすくなる。さらに、船を渡らせることが出来るようになれば、交易が出来る。

 若者の元には、その行いを応援する人間からの支援が集まり始めた。瞬く間に、ガフミは豊かになっていった。

 そして、若者が壮年になる頃、遂に海は征服され、交易の道は成ったのである。

 若者は英雄となり、ガフミ王と呼ばれるようになった。

 そのガフミ王が、海鳥の父だった。

 母は海に棲んでいたセイレーン。大虐殺の最中、ガフミ王に犯されたのだった。

 長じるに連れ、周囲の態度や少ない友人たちからその事実を知っていった海鳥は、ガフミ王に対して憎悪を持つようになった。そしてガフミに壁を貝殻で塗られた城が建つ頃、母が死んだ。


「海鳥は、決意しました。亡き母のため、友のため、何より己のために親殺しを果たさんと。人間の振る舞いを身につけ、悪口雑言を封じて詩を磨き、醜い翼を隠し、あの純白に輝く貝殻城へ向かったのでございます」


 ガフミ王の生誕祭の日だった。海鳥は、ガフミ王の前に出る予定だった詩人に成り代わり、祝いの席に忍び込んだ。

 そして、歌った。


「──見事、見事! 憎き王の賞賛が、嵐よりも激しい拍手の音が、海鳥の心を震わせます。海鳥は美しき声によって、王に見初められました。十三番目の末席とは言え妻となってしまえば、復讐は成し得たも同然。あとはその喉笛に嘴突き立てるのみ。一散に王の懐に飛び込む海鳥! ……しかし、与えられたのは鉄の檻。嘴には錠。海鳥の企みは、王に見透かされておりました。愚かにも海鳥は、復讐をするどころか、最大の武器である声を奪われてしまったのです。はてさて、これから一体、どうなることやら……。つづく」

「え、終わり?」


 思わず隣に聞き返した。リアは海から目を背けるように、手すりに背を預けて、空を仰いでいる。考え込むような唸り声の後、ちらと目が向いた。


「ここからは、かなり脚色しないと詩にならない。実際のことを言えば、どうすることも出来なかったから、しばらく檻──本当は監視付きの部屋だったけど──でぼんやりしていたら、何かある日監視が油断していたから脱出して、王様含め城中の人間ぶっ殺した。そのせいで呪われて、逃げていたら、サラサが会いに来た。それからは今の通り、詩を友に旅鴉」


 聞きながら俯くと、透明な海の中に、大海蛇の背が見えた。厳しく躾けなければ暴れてすぐに壊れるが、安価なのでよく使われる。そういう印象の魔物だったが、この蛇たちは大人しく船を牽いている。体にも、傷はほとんどついていない。サクラに紹介されたこの船の船頭は、人間のふりをした魔物だ。大海蛇と良い関係を築いているのだろう。

 だが、傷のない体を見ていると、悲しくなる。傷ついた魔物が、現在にも過去にも、数え切れない程にいることを、より強く意識させられる。


「と、カラノさんが知りたがっていたのは、そんなところだったかしら」

「ガフミに向かっている目的は?」

「あぁ、忘れていた。どうせ大した話ではないのだけど。かつてのガフミは王の威容が隅々まで行き届き、民草は平和に暮らしておりました。ですが王が死に、息子の一人が王を継いでからは、少しずつ、国には陰りが差していきました、と。とりわけ最近は政情が危ういらしくて、私のところにまで人が現れるようになった」


 サクラも言っていた。今のガフミでは、王の跡継ぎ問題を巡って、王は血筋で決めるべきという保守派と、実力で決めるべきという進歩派が、争っている。中には、急進派と呼ばれる過激な集団も存在している。実際カラノも、どこに属しているのかは不明だが、それらしい集団に襲われたことがあった。


「もう関わる気はないとは言うけれど、いくらでも湧いて来るし、それに勝手に私の名前だけを使われる可能性もある。だったらいっそのこと、こちらから出向いて、正式に現王と協定を結んだ方が良いかなと。リアは政治には関わりません、関わったとしても全て無効になる、みたいな。現王としても、遊び半分で全てひっくり返せる道化者なんか、扱いづらくて仕方がないでしょうし、悪い話ではないはず。それが目的」


 リアがここにいる経緯としては、腑に落ちる話だった。もしカラノが何も知らなければ、これ以上突っ込んで聞こうとは思わなかっただろう。

 どうしても、顔を上げる気にならない。

 大海蛇の背を見たまま問いかけた。


「子供は?」


 問いかけた瞬間に、聞くべきではなかったと後悔した。同時に、聞かずには終われなかったとも、強く思った。

 初代ガフミ王とリアの子供。これからリアが話をつけにいく、現在のガフミ王。そして何らかの理由で、レウの鏖殺から逃れた人物。

 魔物によって子供に対する態度は異なる。一切関心を持たない種族もいる。だが、リアは確実に、人間と同等かそれ以上に子供に対して情を持つ方だ。覚えていないはずはない。

 だが、今の話からは、子供の存在など、少しも感じることは出来なかった。

 詩には不要だったから、省いただけの可能性もある。逆の可能性もある。聞かずにいれば、不在の意味を考え続けてしまう。

 リアの体が、ふと近づいた。


「余計なことばかり言う口」


 頬に手を添えられて、強引に顔をリアの方へ向けさせられた。手すりに寄りかかっていたせいでリアとの身長差はほぼなく、唇を押し付けられた。手に巻かれた包帯の手触りが邪魔だった。


「……悪いとは、思っていたんだが。これはご褒美では?」

「その愚かさに免じて許してあげる」


 笑いながら身を翻し、空色の瞳は、ずっと目を背けていた海を見る。

 日が一瞬陰る。海鳥が一羽、カラノの頭上を過ぎて、陸に向けて飛んで行った。


「それは……一体、どういうつもりだったのでしょう。監視か、厄介払いか、戯れか。ある日王は、海鳥の檻の中に、小さな人間を一人連れて来ました。海鳥が来る前にお亡くなりになっていた十二番目の妻の子、後ろ盾をなくした憐れな王子、そして海鳥にとっては、腹違いの弟──。王によって、継母にされた海鳥は……」


 声が震えて、途切れる。吐息のような笑みを漏らし、リアは再び口を開く。


「檻の中で、生まれて初めて、穏やかな日々を知ったのです」


 一瞬、隣にいるはずのリアが、遠くなったような錯覚を抱いた。


「……こういう日々も悪くはない、そう思った日もありました。しかし、けして忘れることは出来ませんでした。空の青さと、詩を歌っている時の喜びを。よく晴れた朝、海鳥は、ただでさえ醜い翼が、使われなくなったせいで腐り落ちようとしていることに気がつき、とうとう耐えられなくなりました。王に共寝を命じられた時、海鳥は決死の覚悟で監視の隙をついて逃げ出し、何も知らない人々が戸惑う中、城の中で思い切り羽を広げて……詩を」


 そう言えば、リアの詩を最も望んでいるのはリア自身だったと、カラノは喧嘩の夜に告げた自分の言葉を振り返る。


「恐怖と憎悪は、海鳥の底に眠っていた異形の力を引き出しました。その時の海鳥は、思うまま好きに、人々を殺すことが出来ました。それは海鳥にとって素晴らしい時間でした。人間も魔物も区別なく詩に従い死ぬ様を見て、体を流れる血は歓喜しておりました」


 横顔に暗い微笑みが滲む。昼日中ではあるが妖しさが漂う。そんな場合ではないと思いながらも、美しさに見惚れた。

 恍惚としたため息の後、微笑みは陰る。


「ただ……ただ、一人だけ、殺せないものもおりましたが。さしたる問題ではありません。城は大きな墓地と成り果てました。わた、海鳥は満足して、城を出ました」


 悲しみよりも、困惑が強いようだった。手すりの上に置かれていた握り拳が、思い出したように広げられて、手すりを握り直した。

 大海蛇の動きに合わせて鳴る、船の音が耳についた。


「私、何をしに行くのかしら」


 消え入りそうな声でも、どれだけ周囲がうるさくても、リアの声ははっきりと耳に届く。

 話すよう求めた罪悪感を感じながらも、もし、一人で行かせていたら、どうなっていたのだろうという心配が先に立つ。ガフミの街中で、ふと立ち尽くす姿が目に浮かぶ。

 カラノがいても、何も知らなければ、いざという時動けないかも知れない。

 聞いて良かったと思いながら、今どうすべきかを考えた。


「一度、船内に戻るか。何か食べよう」

「待って」

「うん」


 軽く魔術による縛りを感じたが、逆らう気はない。気持ち程度に身を寄せた。

 視線はふらふらと落ちていった。


「カラノさん……」


 大海蛇が怯えたように騒ぐ。リアは胸に手を当てた。

 再び顔を上げた時、その目には強い意志が浮かんでいた。


「もし、私がガフミ王を殺しそうになったら、私を止めて」


 妙に生々しく、白目が照る。

 崖際まで追い込まれたような心地になりながら、同時に、リアもまた崖際に追い詰められているように見えた。


「これは命令でもお願いでもない。ここまでが、カラノさんが聞きたがった、私の詩。──ご清聴、ありがとうございました」


 睫毛が蝶の羽のように、ゆっくりと閉じ開く。

 ガフミ王を殺したくないらしい。

 不自由が大嫌いなくせに、いざという時の拘束をカラノに頼む程に。

 カラノを相手にした時には、かなり迷っていたくせに。

 既に、一度ならず考えて来たことだろうから、仕方がない。しかも、実子ではなかったが、実子のような愛しさを感じているのだろう、血の繋がった相手だ。

 だが、下手をすれば、無関心を装われた時よりも、むかついている。


「面白くねえ……」


 肩を抱き寄せつつ、頭に軽く頭突きをした。髪からは毎晩つけている果実油の匂いが漂う。

 以前は酷く恐れていた方向へ、心があっさりと舵を切る。既にぼろぼろ、幽霊船のようなものだ。大渦に飲まれたところで問題はない。


「面白くないから、リア。その落ちは変えた方がいい」

「……あ?」

「もし何も思いつかないのなら、用事が終わった後に、王様も街もアンタも俺も全部海に流して、こうして海には平和が戻ったのでした。めでたしめでたし、で終止符打っておく、俺が」

「ふざけてる?」

「本気」


 元々、街や人間、世界なんてものは大して好きでもない。死ぬべきだと考えていたのは、世界の方が、自分という個よりは大切だと思っていたから。それだけでしかない。

 だから、世界よりも大切な人がいる今は、その人が苦しむのであれば、世界の方が変わるべきだと思う。当然そうなる。


「本気だから、ガフミを出るまでに、良い結末を考えておいてくれ。出来れば明るい結末をよろしく」


 そろそろ話題を変えるかと、思ってしまうくらい長い間の後、ぞんざいに振り払われた。


「重い!」

「もう一回喧嘩するか?」

「しません」


 目には微かに、笑みが滲んでいた。


「大団円を歌えばいいのでしょう」


 食事を取り終えて外に出ると、船の左側に街並みが見えた。

 人目につかないよう、リアは船内にこもっている。一人、ぼんやりと眺めた。

 木綿のような壁が幾重にも重なる中に、屋根の赤瓦が不規則に色を差している。そこへさらに、港や海際にいる人々の様々な服の色が、賑わいを加えていた。育った街とは比べ物にならない程に栄えているのが、遠目にも分かった。

 その街並みの中に、一際大きな、純白の外壁が見える。陽の光を受けて輝き、もう一つの太陽のように街を照らしていた。その壮麗さは、これこそ王の住む場所だと伝えて来る。

 貝殻城。

 美しい建物だった。

 流すことに躊躇いを覚えた。

 街にいる人々の生活のために止めようとは思わないが、城の美しさを損なうことには、罪悪感が湧いた。

 少し、立っているのに疲れて、甲板に座る。

 人間は好きではなかったが、どうなってもいいと思う程に、無関心でもなかったはずだった。美しさより、命の方が大切だと判断出来る人間のはずだった。悪い人になりたくはなかった。

 今も、人々に対して思うところはあるが、殺さなければ済まないような恨みや怒りは感じていないつもりだ。

 だが、人々のために、という善意も湧きはしない。一人一人に接すれば、サクラのような人や守りたいものに出会い、大切に思えるようになるのだろうが、その一つに出会うまでにかかる時間を思うと、投げやりな気分になる。

 聖人や英雄になれる器であったなら、あてがなくとも、優しくあり続けられたのかも知れない。

 出来なかったから、カラノは単なる悪党だ。

 もうそれでいいと思うようになってしまった。

 空に向かって伸びをする。

 色々なことが一段落したら、リアに楽器でも教えてもらおうかと思いながら、船の到着を待っていた。

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