道行

「そこな方、お一人?」


 壇上から、声をかけられた。


「皆さん眠ってしまいましたし、もしよろしければ私と二人で、宴から抜け出してしまいませんか」


 夜だというのに、その姿はあまりにも眩しい。声には、まどろみのような心地よさが滲んでいる。

 その誘いが、白々しい、気持ちのこもらないものだと知らなければ、夢心地だったはずだ。


「眠らせたのはアンタだろう。誰か体調を崩して、肺炎にでもなったらどうする」


 純粋そうな雰囲気を取り去って、リアは蠱惑的な笑みでカラノを見た。


「最後の思い出が私の詩なら、悪くもないのではないかしら」


 呆れた言い分を無視して、舞台に上がり、周囲を見渡す。全ての魔物が、気持ち良さそうな寝顔を晒している。宴会の終わりに使われた、リアの魔術による影響だ。

 村の天気予報が得意な魔物たちによれば、明日の昼まで、雨が降ることはないらしい。風はあるが、行灯のおかげでそう寒さも感じない。何より、これだけの人数を起こしていくのには骨が折れる。起こさなくてもいいかと諦めた。


「それで、何で一人なの? サクラさんとご一緒だったのでは?」


 魔物について案じるのを止めて、リアに顔を向けた。


「聞いてはいないのか」

「さすがに悪いかと思って、あなた方の席は、意識しなければ会話の聞こえない位置に用意したから」

「いや、直接ではなく。親衛隊とかから、報告は受けていないのか」

「そっち。歌っている間にそんな余計なことはしません」


 今の言い様だと、サクラとカラノの間にあったことは、何も知らないらしい。思わず戸惑う。何を知られても構わないとは思っていたが、知られていないとなると、嘘をつくかどうか決めなければならない。そのことに、今気がついた。

 頭で判断する前に、口から言葉が滑り出た。


「サクラは酔い潰れたから、家まで送った」

「そう」


 ほとんど関心がなさそうな返事だが、代わりに、表情や一挙手一投足を見られている気配がある。


「詩は、少しくらい聞いて頂けた?」

「……二曲目の序盤くらいまでは、聞いていたと思うが」

「あぁ、十分も聞いてくれたのですか。充分過ぎるくらい」


 リアに釣られて、サクラのいる集会所の方角を見る。リアと向き合う前には踏ん切りをつけておきたかったが、さすがにまだ、未練と呼ぶのが最も近い感傷が胸に残っている。

 哀願が耳によみがえる。

 目を戻すと、いつの間にか、面白がるような視線が自分に向けられていた。


「始まったばかりの恋がすぐ隣にあるから、全く聞いてもらえなくても、仕方ないと思ってた」

「からかうな」

「ふふ。本心でもあるのだけれど」


 そして独り言のように、リアは言う。


「とりあえず、私が最後に出来ることとしては、これで良かったのかな」


 この村で、リアとサクラとカラノは、集会所の二階で寝起きしていた。部屋こそ違えど、当然、三人で顔を合わせる機会は多かった。

 その割に、カラノには、リアがサクラをどう思っているのかが、いまだによく分からない。カラノが見ている範囲では、軽い嫌味とからかうような言動を向けることが多かったが、その裏にまだ、思うところがあるような気配を感じていた。

 やはり、何か思い入れがあったのかと考えているうちに、リアはふと唇の片方の端を吊り上げて、悪どく笑った。


「んー、でもまあやっぱり、最後にお会いしたかったかも」


 面倒臭い予感がする。案の定、続く言葉はろくでもなかった。


「「お前なんかにカラノは渡さないからな!」みたいな……それか、「ここに残ってサクラと添い遂げることにした」みたいな展開が来るかなと、大分楽しみにしていたから」


 一つため息をつき、首を傾ぐ。


「前者はともかく、後者は考えなくもなかった」

「それならば何故そうしない」


 陥穽に落ちるように、声から抑揚が失せた。


「カラノさんが片付いてしまえば、楽だったのに」


 一瞬前と変わらない笑顔のままで、冷え冷えとした気配を漂わせる。

 だが、カラノ自身も意外なことに、あまり心動かされることはなかった。恐ろしさも、何もない。変わらない調子でリアと向き合い、何の気なく問いかける。


「理由を、知りたいのか?」


 冷たい目が考え込むように横に逸れた。

 魔物たちのいびきや、木々の葉がこすれる音しか聞こえない。遠くの潮騒すら聞こえそうな程に静かだ。

 唇が軽く結ばれる。


「いえ、別に」


 そう硬い声で言ったが、すぐ、リアは表情を緩めた。


「なんて言っても今更か。言葉の綾でしたが……どうも、迂闊なことを言いました」


 うかがうように目が上がる。カラノと目が合うと、また余裕そうに笑った。


「ただ、カラノさんもちょっとやらし過ぎる。どうしてそう、よりにもよってそれを聞き返すのかしら。カラノさんは本当に、私の弱いところを突くのがお上手」

「言い方」


 そこまで言われるような、的を射たことを聞いたつもりはない。それどころか尋ねたこと自体、強く意識してのことではない。何となく聞こうと思っただけだ。

 遡って考えてみてようやく、その時感じていた違和感に思い至る。

 そしてまた、自然と言葉が口をついて出る。


「俺が、アンタを好きになるような馬鹿で、いまだに好きで、無理やりにでもついて行きたいから。理由は、そう思ってくれていい」

「もういい」


 静かな夜に、リアのその声は、やけに響いた。

 眉間に皺を寄せてしばらく黙り込んだ後、リアは再度口を開く。


「カラノさんが死にたがりでも、本当は私を殺した後でサクラさんと一緒になるつもりでも、引っ込みがつかなくなっただけでも、仰る通りの理由であったとしても。私は、朝にはここを出て、ガフミに行く。邪魔な荷を捨てて」


 邪魔な荷扱いをされたことより、一瞬見せた、遠く先を見るような目に、心が痛んだ。


「と。何を言われてもどうせ、私の心は変わらないので。心配は無用です」

「……了解」

「己の自由を成すことだけを考えなさい」


 うなずいた。

 本当は、何をしたら自由と思えるのか分からない。

 何故と言われて聞き返した理由も、リアへの違和感だけでなく、自分自身、本気で聞かれていたら、困っていたからかも知れなかった。何を理由だとしても、自分で腑に落ちない。先の理由もけして嘘ではないが、仮にリアに勝って思い通りに出来たところで、きっと自分は自由だと思うことはないだろう。

 リアの好きな箇所を言葉に出来ないことと同じように、望む未来像は曖昧だ。

 だが、動機はある。

 一つの命のような、カラノが最も恐れる怪物のような、理で分かれない衝動が、胸の内で息をしている。

 その衝動に従えば、打算もない自分の本音が、曲がりなりにも目に映る形になるような気がする。その衝動のせいで、本音に気づいた時には望んだ未来が潰えていることもあるだろうが、今は正直気にしていられない。

 あるいは、これこそが自由なのかも知れないと、ふと思う。


「それなら、さっさとやろう、リア」

「品のない誘い。そういうの大好き」


 鳥目のリアのため、いつもならば手を差し出すところだが、今はしない。リアも文句を言うことはなく、カラノとすれ違って、やや危うい足取りながらも舞台を下りていく。

 誰かの手燭を借りて、そのあとをついて歩く。


「けれど、救われたよ。その理由なら、心置きなくカラノさんを愛せそうだ。ありがとう」


 前触れなく、背がぶっきらぼうに言った。

 それもあったと、その言葉で思い出した。リアは悪意を持って魔術を使うことが出来ない呪いにかけられている。例えば、愛しているから殺すのだ、という思い込みをしなければ、魔術では殺せない。

 言われて思い到るくらいだから、当然、意識して言った訳ではない。

 だが、意識の外では感じていたのだろうとも思う。


「礼を言うくらいなら、一つ頼みを聞いてくれないか」

「あ?」


 どこか、それを空恐ろしくも思いながら、笑って言った。


「俺にとどめを刺す時は、アンタのその手でやってくれ。魔術も使っていいから」


 返事は軽い調子だった。

 そこから保管所までの道は、他愛のない話をしながら歩いた。

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