逃走

 宴会は予定されていたよりも、大きな規模で執り行われるらしい。

 平素は犬猿の仲で、家も離されているという人が、今は口喧嘩をしながらも共に灯火台を組んでいる。狩りをしている。料理をしている。

 その風景は、宴会の準備には違いなかったが、カラノの目には、それだけではないように見えた。一部の人から、どこか他とは違う真剣さを感じ取っていた。

 その理由は、前日の夜に明かされた。

 ともあれ、あっという間にその日は来る。


「カラノ! まだ寝てんのかよ。早く下りて来いよ!」


 階段を駆け上がる子供たちの足音と、腹を圧迫される衝撃で目が覚めた。腹の上に乗った子供を下ろし、部屋から全員を追い払って服を着替える。少し迷ってから、双剣も身に着けた。

 一階の集会所では、多くの人々があちこちに散らばって、食事を取っている。見慣れない光景だが、ある意味ではいつもの光景と変わらないとも言える。違いは、長机がなく、配膳する人がいないだけだ。


「カラノ、俺が狩った肉食って!」

「山菜汁作った!」

「ご飯!」


 それぞれ、外で配っているのだろう。ただ、昨日までの準備の様子からして、恐らく、食事を受け取るには、集会所から離れた広場まで行く必要がある。朝食は必要だが、その前に、いくつか確認しておかなければならないことがあった。

 貢ぎ物のように、甘味などの皿で囲まれているリアを見つけた。


「おはよう。それは一人で食うのか?」

「……夜までには食べ終わるでしょう」


 挨拶もそこそこに、最も聞くべきことを尋ねる。


「サクラは?」

「もうとっくに行った」

「例の、お参りか」


 リアは皮肉っぽく笑った。面白く思っていないことは明白だった。そしてそれは、カラノも同じだ。

 ただ、止めればさらにサクラを困らせると分かっていたから、しなかった。


「昼過ぎまで帰って来れないそうだから、それまでゆっくりしていたら」

「保管所の方まで行って来るかな」

「仕込み?」

「そうかも知れない。教えてくれてありがとう。また後で」

「良い一日を」


 頬をくすぐるように風が吹いていた。

 ひとまず食事を取ろうと、喧騒の聞こえる方へ赴く。


 川のせせらぎとの距離で、自分たちの位置を測りながら、山を上っていく。足元に転がる石は徐々に大きくなり、岩と呼ぶような大きさになる。木々もまた太さを増し、大気の肌触りがどことなく変化する。

 この大気の変化は、魔物たちによれば、大気中の魔力量の濃度の違いらしい。この場所には、魔力器官を持たない人間すら圧倒する魔力が存在している。


「サクラ。どこか痛いところはないか? 喉は渇いていないか?」


 ふと、前を行く魔物が、心配そうに振り返った。


「私は大丈夫だが、少し休憩しよう。この調子なら、遅れることはないはずだ」


 魔物の腕から下ろされて、サクラは久しぶりに地面を降り立った。

 礼服の裾が引っかからないよう、足元に突き出した枝から距離を取る。見よう見まねで作られた服とは言え、人の切実な思いは間違いなく込められている。

 再び、魔物の腕に腰かけて、山を上り始める。

 休憩を挟みながら行き、自分の影が足の下に隠れ始めた頃。

 それ一つが森のような威容を持つ、大木が現れる。

 太陽は中天に差しかかっている。大木の梢の隙間から陽射しが落ちて、地面はまだらに照らされていた。

 深く、息を吸う。

 地面に降りて、裾を払いながら大木の根本へ近づいていく。ここまで案内や物持ちをして来た魔物たちの足取りは、大木に近づく程に重くなっていた。


「サクラ。おれたちはもう、ここまででいいか」

「うん。大丈夫」


 水の入った桶や、野菜を持って一人、大木に近づく。

 背中に魔物たちの視線、周囲から自然の圧力を感じながら、儀礼を始める。

 儀礼と言っても、服と同じで、街にいる人間たちの見よう見まねだ。水で浄め物を供える。これは意味のある行為なのかという疑問を、この時だけは打ち消して、神を必要とする魔物たちのために、祈りを捧げる。

 神は人間からの祈りしか聞き入れない。

 正直なところ、サクラ自身は、そんな狭量なものなど、こちらから願い下げだと思っている。また魔物の中にも、様々な考えで、神を奉じないものはいる。

 だが、少なからず存在する、どうしても祈ることを止められない人々のために、この村でただ一人の人間であるサクラは、神を奉じている。

 手を合わせ、目を瞑っていると、瞼が明るくなった。

 目を開けて見れば、頭上から光が降り注いでいる。

 ある日の正午にのみ、まだらであるはずの木漏れ日が木の根元に集まって、大きな円が出来る。

 背後から慄くような気配を感じる。

 神を心から肯定することはない。

 ただ、この瞬間ばかりはサクラも、神からの視線を意識せずにはいられない。


 一日、落ち着かない様子で仕事をしていた魔物たちは、空が朱色に染まると早々に仕事を切り上げて、酒を飲み始めた。

 中には既に酔い潰れているものもいる。朝からはしゃいでいた子供たちも、いくらか疲れたか、集会所の隅などで丸まっている。

 村のあちこちに置かれた灯篭に、火が灯る。

 村中に木鐘の音が響く。

 音を辿って広場に行くと、今日のために組まれた舞台を、魔物たちが取り囲んでいた。あまり見かけたことのない魔物たちは、恐らく生活の時間や住環境が異なるものだろう。

 舞台の上には、いつの間にか帰って来ていたらしい、サクラの姿があった。普段あまり着ないような白っぽい服を着て、片手には杯を持っている。

 カラノは舞台の近くには寄らず、遠くから様子を見守る。まだ人が集まるのを待っている段階のようだ。

 ふと思い出してリアの姿を探すと、広場を囲む家屋の屋根に、腰かけているのが見えた。周囲に親衛隊を従えている。とうに慣れたと思っていたにも関わらず、支えを得るようにリアの手が他人の腕にかけられているのを見ると、嫉妬がふつふつと湧き上がった。

 思わず舌打ちして、目を逸らす。

 顔見知りに花茶をもらい、飲みながらぼんやりと人々を眺めていると、再び木鐘が鳴らされた。

 自然と視線がサクラに集まる。


「皆、既に宵を楽しんでいることとは思うが、改めて村長であるサクラから、宴会の開始を知らせると共に、簡単に挨拶をさせていただく」


 拍手を始めたのはリアだった。釣られるように、魔物たちも拍手をする。サクラはリアを見上げて、無言で目をそらした。


「まずは感謝を。今日があるのは、一人一人が、誰かと共に過ごすことを選んでくれているおかげだ。ありがとう。この後には、有志や客人による演目も控えている。宴を楽しむのに不足はない。皆、自分だけでなく、他の誰にとっても、今日はかけがえのない日だということを心に留めて、存分に楽しんでほしい。それでは、不肖の身ながら、乾杯の音頭を取らせていただく」


 夜空に向けて、杯や料理の器が上がる。サクラの目は、遠くを見つめていた。


「良き日に、乾杯」


 魔物たちの雄叫びが灯火を揺らした。あとは騒ぐだけだ。喧騒の背後では、サクラと入れ替えに、最初の演目を行う踊り子や楽師が舞台に上がる。専業ではない村人たちだ。酷い緊張が伝わって来る。

 弦の震える音を聞きながら、人波をかき分けて、サクラに近づいた。

 ほんの少し、取り巻きとの会話が途切れた隙をついて、横合いから肩を叩いた。カラノに全く気がついていなかったようで、目が見開かれる。


「この後は?」


 え、あぁ、と戸惑いの声が漏れる。記憶を探るように目が左右に揺れた。目元に微かに色がつけられている。


「着替えた後……挨拶回りがある」

「どれくらいかかる」

「終わったら、声をかけるよ」


 強い意志のこもった声が、かえって、時間がかかることを予感させた。

 取り巻きに声をかけられて、サクラは慌ただしく行こうとする。

 その腕をつかんで引いた。


「行こう」


 人混みが今だけは味方になってくれる。追いかける人も文句も何もかもが、喧騒に飲み込まれて、ないまぜになる。元の場所に戻ろうと、腕にはしばらく逆方向への力がこもっていたが、舞台の周囲の人混みから抜け出る頃には、むしろ自ら寄り添うように歩くようになっていた。腕をつかんでいた手を離し、隣り合って歩く。

 後先を考えていなかったため、そぞろ歩きになる。霧を眺めるように思考していると、サクラが言った。


「着替えはしたい。大切な服なんだ。それに、目立つ」


 今日のサクラは、ところどころに紫色の装飾が入った、波飛沫のように白い服を着ている。布が多く使われていて、歩く度に豊かに揺れる。

 聖職者の着る服に似ている。


「確かに、夜歩きには向かない服だ」


 集会所に足を向ける。広場から離れるに連れて、人の数は少なくなっていく。だが、物陰や灯籠のそばからは、静かに過ごしたい人々が、ひっそりと会話や食事を楽しんでいる気配が漂って来ていた。広場の方から、程よく、音楽も聞こえる。

 その空気に憚って、少し息を潜める。


「遅くなったが、お疲れ様。戻って来たのはいつ?」

「一応、日が落ちる前には戻っていたが、片付けやらあったから。……その、待たせたようで、悪かった」

「好きな相手を待つ時間は悪くない。待つ理由が他の輩だというのは気に食わなかったから、拐わせてもらったが」

「すっ──」


 距離を取られた。


「何なんだ! リアの仕込みか!」

「何が」

「す、好きとか、そういう世辞は、言わなくていい。別に、私は、そんなつもりは……」


 見る間に耳まで赤くなる。隠すように手で顔を覆ってしまったせいで、か細い声は、さらにくぐもる。


「嫌だった?」


 空けられた距離をそのままに問いかける。サクラは顔の前で手を重ねた。


「……嫌、では。でも、恋人のようなことを、させたかった訳じゃない」


 嫌ではないということに、まず胸を撫で下ろす。少し距離を縮めて、顔を覗き込んだ。


「日頃、言い回しや接し方を、教育されてはいるが。サクラを好きだと言うのも、大切にするのも、俺が、俺の気持ちですることだ」


 ゆっくりになった歩みが、少し速まる。しばらくして集会所が見えて来た辺りで、サクラはつぶやくように言った。


「お前らは、そうだったな」


 笑い混じりではあった。一応、許されたと思ってもよさそうだ。

 集会所は、階段を上っていく足音が響く程に、静まり返っていた。サクラが二階の自室に行っている間に、寝ている子らを起こしてやったり、倉庫にある薄手の毛布をかけたりと、世話を焼く。

 こんなことをするのも今夜で最後だと、不意に気が付いた。

 宴会が終わったら、リアと殺し合う。その先の景色はあえて思い描かないようにしていたが、すぐに村を出て行けるよう、あるいは誰かが片付ける時に面倒がないように、荷物は既にまとめてある。関わりがあった人々にも、遠回しに別れを告げた。

 リアとの殺し合いの結果がどうなったとしても、カラノには、旅に出て行きたがっているリアを、無理やりに一箇所に縛り付けることは出来ない。

 それはリアの美しさを損なう最悪の行為だ。

 だから、本当は、ほとんど今夜の結果は決まっている。

 自然、消し切れない不安が、根拠のない先を想像しようとした。咄嗟に振り払って、目の前にいる魔物の頭を撫でた。

 それから少しして、また足音が響く。

 目を向けて、まず夕日のように鮮やかな橙色が飛び込んで来る。全体からすれば小さな意匠ではあるが、手がかけられているのだろう。亜麻色の地と、橙を引き立てるように縫い込まれた緑の糸も、村の暮らしぶりを思うと、ずいぶんと上等だ。

 華やかな服に、思い詰めたような表情だけが似合わない。

 下手なことを言えば、自室に踵を返して戻ってしまいそうに見えて、一瞬言葉に詰まった。


「疲れているなら、まだ、ここでしばらく休んでもいい」


 辛うじて言うと、サクラの顔には苦笑が浮かんだ。


「私のことはそう気にしなくていい。今日はほとんど担がれて運ばれていたから、疲れはない」


 無理に言っているようにも見えない。「じゃあ行くか」と促して、共に外へ向かう。


「この服、奪って来たものなんだ。私と同じ年頃の、普通の、人間の子から」


 サクラがそう言ったのは、玄関と外との境界を超える直前だった。

 お互いに示し合わせることはなかったが、広場を目的地にしながらも、足取りを緩めて、遠回りの道を選んだ。村にある店はほとんどが広場に出張して商売をしているため、明かりは灯籠以外にはほとんどない。

 昼間に少し歩いた時には感慨もあったが、光の落ちた家を見ていると、他人のような素っ気なさを感じた。


「初めて着た。そもそも、こういう服を着る機会自体、ないからな。似合うか?」

「かわいいと思う。雰囲気が、いつもより柔らかく見える。あぁそれと、さっきの服も、夜歩きには向かなくても、髪と目の色が映えて良かった」

「……そこまで言うなら、お世辞でもいいから、似合うと言ってくれよ。似合うか、って聞いてるんだから」


 意図して避けていた言葉を、真正面から突かれた。似合うと言えば、服の見た目だけでなく、それ以外の要素まで、肯定したことになるような気がしていた。礼服はサクラの宗教者としての役割、今着ている服は、過去の略奪を背負っている。

 そして実際のところ、サクラは今、そういう話をしている。似合うとは、おいそれとは言い難い。


「言い辛くしたのはそっちだ」

「はは。うん、ごめん。どうしても伝えておきたいことがあって。似合うって言わせてからだと、もっと、騙し討ちのようになりそうだったし……」


 しん、と静かになった。


「お前らと会わなかったら、この服を着ることはなかった」


 声には皮肉っぽさも混じっていたが、穏やかな笑みを浮かべているようにカラノには見えた。


「さっきも言った通り、この服は略奪品だ。いつもなら、すぐに売ってしまうんだが、どうしても……着てみたく、なって。売らずに残していた。だが、着れたことはなかった。機会もなかったし、生きるためではなく、私の楽しみなんかのために着ていいとは思えなくてな」


 山賊としては有り得ない精神性だが、サクラならばありそうな話だった。それでいて、もし村の魔物が同じことを言ったら、当然のように良しと言うのだろう。

 カラノは眉を寄せたが、サクラの声は逆に少し明るくなった。


「だけど、リアと来たら、歌う楽しみのためなら、殺しかけた相手とも殺されかけた相手とも仲良くする。いい加減にしろと思わないでもないが、根っからの無神経でもなく、あえてそう振る舞っていることも、何となく分かって来て……私もああなれたら、と、まあ少しだが、思うようになった。それと」


 言い淀む気配を感じて、横顔をうかがう。目は合わない。


「これから、すごく悪い話をする。悪いって分かってるから、何も言わないでくれ」

「ん」

「お前は忘れているかも知れないが。前、かわいそうに、とお前に言われた時」

「言――ったかそんなこと」

「黙ってろ」


 判決を待つような気持ちで口を閉じる。受け取り様によっては侮辱だ。思うだけならばともかく、本人を前にして言えば、殴られても仕方がない。

 息を吸う音が聞こえた。


「私は、そう言われて。……かわいそうなら、少しくらい良い思いをしていいんじゃないかと、思った」


 口を挟む間もなく、立て続けにサクラは言う。


「麻薬のような考えだな。かわいそうなら許される、なんて、錯覚だ。それなのに、妙に縋りたくなる。分かってる。同じことをするにしても、せめて罪悪感は持つべきだ。曲がりなりにも人間であるなら。そして、罪悪感があっても許されないのが、私たちのしていることだ。分かってる、本当に。だから、それはあくまで、きっかけに過ぎない、が」

「サクラ」

「その錯覚のおかげで、私、今、楽しいんだ」


 弾けるような声だった。


「着てみたかった服を着て、褒めてもらえて、仕事を放り出して、お前と……いれて。初めては言い過ぎかも知れないが、それくらい久々に、誰かのためとか、生きるために仕方なく、じゃなくて、自分のために行動出来ている感じがする」

「……そうか」

「うん。明日からはまた、いつも通りやっていくけどな。お前らのような生き方は私には難しい。ただ……きっと今のままでも、前よりは苦しくない。ありがとう。って言われても、内容がこんなことじゃ、始末に困るかも知れないが、ありがとう。絶対に言おうと思ってた」


 灯籠の光に、蛾が吸い寄せられていくのを見ていた。


「言えて良かった」


 地面に揺らめく影を見た。耐え切れずに、ため息をついた。

 つまり、それは堕落だ。サクラに対してカラノが出来たのは、堕落を教え、苦しみを薄く引き伸ばすことだけだった。


「そんなことに礼を言うな」

「やっぱりそうだよな。じゃあ、あれだ」


 本当は、サクラが知るべきは、暗闇の中で生き延びる術ではない。他人から奪わずとも好きな服を着れて、過剰な期待と役割を背負わなくても済む生き方。堕落せずに、高潔を目指せる環境、光の当たる場所へ向かう方法。

 だが、ここには誰一人として、それを教えられる人はいない。


「――心配しなくても大丈夫」


 今、カラノに笑いかけるその気持ちを、無下にすることも出来ない。

 サクラの目を見る。灯籠の光の揺らめきが常に、その色を少しずつ変化させる。


「サクラなら、どんな服を着てもきっと似合う」


 不思議そうなまばたきが一つ。その後、微笑みが浮かんだ。


「よし。言いたかったことは言ったし、聞きたかった言葉は聞けた」


 朗らかで前向きな、ある意味ではサクラらしくない声だ。故意にサクラが明るくいようとしていることが感じ取れる。


「私は、あとは楽しむだけだ」


 吹っ切れた言葉を聞いて、焦燥感が込み上げた。言外に、次はカラノの番だと、言われたような気がした。

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