理想

 また、ガフミの方角を見ている。

 横顔からは焦りは感じられない。むしろ、雨降りを案じるかのように物憂げで、微かに躊躇いを覚えているような表情だった。どこか恐れているようにも見える。

 その理由をまだ知らない。

 実際のところの今日の空は、リアと出会った日の翌朝を思い出させる、雲一つない快晴である。

 思えば、日が昇れば霧散する一夜の夢であったはずが、案外、長く続いている。予定していたよりも大変な旅になったが、その分、忘れがたい記憶も増えた。

 別離への恐怖も、薄れるどころか、より濃くなった。

 改めて目の前にある背を見た。丸太に腰かけて、今は、駆け回る魔物の子供たちを見守っている。

 先程から何度か呼びかけているが、振り向きもしなければ、返事もしない。


「リア」


 もう一度呼びかける。

 カラノが何の話をしに来たのか、検討はついているだろう。頑なに対話の姿勢を取らないのは、つまり、話すことはないとでも言いたいのか。

 カラノの方には聞くべきことがある。

 だが、岩戸のような背を見ていると、上手く言葉が出て来なくなった。そもそも、呼びかけて無視されるまで、拒絶されるとも思っていなかった。

 白々しい笑みで、軽くかわされるものと思っていた。

 にゃあ、と声がする。

 顔を上げると、魔物の子供が一人、不思議そうにリアとカラノを見比べていた。さっきからずっと、地面に敷いた布切れの上で、日向ぼっこをしていた子だ。さらに鳴き声を聞いて、周辺で駆け回っていた子らが、わらわらとリアとカラノの周りに群がり出した。

 頑として何も言わなかった背から、思わず、といったような笑い声が上がった。

 最初に話しかけた子が、リアに顎の下を撫でられて、心地良さげに上を向き目を瞑る。ぐるるぐるると喉元を鳴らす。集まって来た他の子供も、各々自分勝手に、体をこすりつけたり、鳴き声を上げる。

 村に来てから十日が経った。人間の感覚で言えば、長いようで短い期間。だが、娯楽の少ない村で、汲めども尽きぬ泉のように詩物語を歌っていたお陰もあってか、大人も子供も、村に来た顛末など忘れてしまったかのように、リアに夢中になっている。こうして、仕事の間に子供を預ける程に信頼するものもいた。

 そのおこぼれで、カラノへの警戒心を和らげるものも、少し増えた。

 子にねだられて、頭を撫でる。柔らかな肉と、小さな頭蓋骨の危うさが、手のひらに伝わって来た。

 性来語ではない、動物の鳴き声めいた言語で、何か話しかけられる。答えあぐねて、素直に「分からない」と言うと、その子はたどたどしく「ばか」と笑った。

 言葉のことか、リアのことか知らないが何にせよ、馬鹿には違いない。


「はあ! ああもう、分かったってば!」


 不意に、子供たちの山の中から、声が上がった。


「カラノさんと話す。無視しない。本当。本当に! だから心配しなくていい。向こうで遊んでいらっしゃい」


 膝に上ろうとした子を押しやって、リアが言う。


「本当に?」


 そう問いかけた。

 小声の返事があった。

 話す気があるならと、近くの子らに退いてもらい、後ろ向きに倒れかけていた背中を支えてやる。


「話が終わったら、遊びに行くから。先に、リアが気に入りそうな物、探しておいてもらってもいいか」


 子供たちがあらかたいなくなったところで、リアの横にしゃがみ込んだ。

 丸太に両膝を置いて、視線は子供たちに向ける。勢いのまま来てから、応えを得るまでに間があったせいで、リアの顔を見るのが、少し怖くなっていた。


「……子供が好きだとは、知らなかった」


 結局、いきなり本題に行くよりは、と内心で言い訳して、自ら話を逸らしてしまう。

 ぽつりと、独り言を呟くような答えが返って来た。


「嫌い、子供は」

「え」

「嫌い」


 リアにとって、嫌悪は致命的な弱点に成り得るものだ。だから、弱点を増やさないように、リアは全てへ愛情を向けようとする。逆に言えば、嫌悪を認めることには、一方ならない意味がある。不自由が嫌いだと知った時にはまだ知らなかったが、今は分かる。

 ある意味では、好意よりも重い。

 そして、たとえ呪いについて知らなかったとしても、気がついていただろう。どう見ても、子供が嫌いだとは思えない。声にも一言では収まり切らない屈折があった。

 自然と心臓が早鐘を打つ。


「それは」


 一瞬で、考えが巡った。聞きたいこと、聞くべきこと、聞けることの中から、一つを選んだ。


「それは、俺が聞いてもいい言葉なのか」

「どうして?」

「……大切な、言葉だろう」


 言葉を濁しながら、現ガフミ王がリアの子だという話は関係あるのだろうかと、思いを巡らせる。迂闊なことを話題にしてしまったという後悔と、迂闊でも、良い機会かも知れないという期待がせめぎ合う。

 問いかけは既にした。待つしかなかった。


「……」


 無視ではない、息の詰まる沈黙の後、丸太の上に投げ出していた手を握られた。

 手の甲側だ。握り返すことは出来ない。

 横顔を見た。

 今日、初めて目が合う。


「構わない。大したことではないから」


 手に本心を感じる。

 不思議なくらいに胸が痛い。

 一羽で空を渡る鳥のように、全てを置き去りにする、爽やかな諦めがあった。


「嫌いって言っても、そう、言うなれば、靴の中に入った小石みたいなもの。どうでもいいくせに鬱陶しくて、詩にもならない。その程度の話」


 調子を取り戻したかのように、声軽やかになってリアは言う。


「勘違いされるのも嫌で言ったけど、大切という程、大切でもないから。お気になさらず。そんなことより、何の用?」


 何の葛藤も見られない。カラノに対する気遣いや、話を深掘りされないための誤魔化しではない。本心からそう言っているようにしか見えなかった。

 だが、信じられなかった。

 いつか、カラノは夢想したことがある。悲しみや怒りなどの感情、災いを引き寄せる魂、何もかも捨て去ることが、もし出来たなら、誰かを傷つけることも、傷つけられることもなく、苦しみなど感じなくても済むだろう。

 今のリアから感じるのは、その夢想と同じものだった。明らかに大切にしている感情を、今この一瞬で捨て去った。

 それも自由とは言える。

 今だってリアの佇まいは美しい。何にも乱されない孤高は、少し嫉妬する程に、心を惹きつける。何も変わらない、いつも通りのリアだ。

 だが、何かが、決定的に間違っていた。

 そしてその間違いは、妙に癇に障った。

 優しく離されかけた手を、咄嗟に引き止めた。人間より高い体温に直接触れらていたせいで、手はじわじわと火傷しかかっていたが、それも些細に思えるくらいの激情が、のたうち回っている。


「逃げるな」


 半ば直感的に言った一言だったが、さっと頬が朱に染まった。眉間に皺が寄り、目が逸らされる。予期せず、思った以上に深く刺してしまったらしいことを察したが、この際、刺し貫くしかなかった。

 そもそもが、まさしく「逃げるな」と言いに来たのだ。

 丸太に乗り上がり、手を引いて引き寄せ、胸ぐらをつかんだ。


「──これから、殺し合いをしようって話をするのに、いつ殺されてもいいみたいな顔をするな」


 蒼穹のように底のない瞳に、自分が映っている。

 あの夜。支配された魔物たちを助けようとしたサクラを庇い、カラノはリアに盾突いた。停戦協定の期限は、お互いの傷が治るまで。

 カラノは今日、傷が治ったこと──すなわち、あの夜の続きをするという宣言。

 そして、今朝魔物から聞いた話について、リアに詰問をしに来た。その答え如何によっては、リアとは、徹底的にやり合わなければならないと、覚悟を決めて。

 覚悟を決めたと言っても、まだ恐れがあって、結局は子供たちに背を押してもらわなければ一歩を踏み出せないような体たらく。本当は、リアを責めることは出来ないとも思うものの、今は感情が勝っている。

 自分を棚上げしてでも、何もかもどうでもよさそうな目をするリアを、詰りたかった。

 胸ぐらをつかむ手を緩めながらも、向き合う。


「アンタに昔何があったのか、それを今のアンタがどう思っているのか、俺はほとんど知らない。だが、大したことないとかその程度とか、どうでもいいとか、そんな扱いをしていいことではないだろう。それは、アンタの根本のはずだ。どうして」


 自然と、声に力がこもる。


「アンタの言う自由は、自分自身を捨てることではないはずだ」


 生きることへの執着、てらいのない自己愛を、隣でずっと見ていた。自分に関わる大切なものを、本心からどうでもよいものとして扱えることを、自由と呼ぶような人ではなかった。

 そう、いつの間にか信じていた。

 自分に向けられる好きという言葉も微笑みも信じていなかったが、リアの美しさだけは信じていた。

 困ったような笑みが、容易く幻想を破壊する。


「自由は自由。何にも囚われない、というだけの話。大切だろうがそうでなかろうが、分け隔てなく、重たくなったら捨てます」

「リア!」

「例えば、死を望んだことが、私にもある」


 蜘蛛足のような手に絡め取られ、リアの胸に押し付けられた。柔らかな乳房の中に、心臓の鼓動を感じる。

 言葉の調子は、まるで心音に合わせて、カラノを落ち着かせようとするかのようだ。


「心音が忌々しくて眠れない夜。鳥の囀りも聞こえない朝。いつも、結局のところ、一番邪魔なのは自分だった。だから私は「レウ」を捨てた」


 喉が詰まる。


「自分自身なんて、とうの昔に捨ててしまった」


 腹の底から込み上げてきたのは、酷い裏切りだという、黒々とした怒りだった。

 ただ、意外と思わない冷めた目もあった。

 リアの輝かしさを信じていた。反面、リアがただ強く、自由の御旗を振り回すだけの人ではないことも、本当は知っている。心の底にはいつも、諦めや怒り、悲しみが朝靄のように立ち込めていて、どれだけ大切なことでも、時には捨てるしかないという諦念があることを肌身で感じていた。

 だが、それでもなお、裏切られたという思いは消えない。現実に諦めるしかないことがあっても、リアには否定してほしかった。夢のような美しさを見せ続けてほしかった。

 このままリアの胸をえぐって、心臓を止めてしまいたい。

 恐れて遠ざけていた大渦が、まるで自分の中にあるようだ。


「さあ。そんなことより、本題の話をしよう。と言っても、今のと大体同じ答えになるかな。カラノさんも重たくなってしまったから」


 つい、と胸に引き寄せられていた手が、押し返される。

 本題について、やはりリアは察していた。咄嗟に怒鳴ってしまいそうなくらいに怒りで胸がつかえている。息を長く吐き、怒りを逃がす。


「本当に、一人で行くつもりなのか」

「港までは送ってもらおうと思ってる。道に迷って、時間を無駄にしたくはないし」


 リアの口から聞いて、改めて血の気が引く。

 村から北へずっと行き、山を下りた先に、港がある。トウジ山を避けてガフミを目指す行程を取る時に使われる港である。

 出立前に、リアが拒絶した行程であり、通る予定はないはずだった。

 しかし、今朝カラノに話しかけて来た魔物は、村からその港までの道を教えてくれと、リアに頼まれたのだと言った。特に口止めもされず、当たり前にカラノも知っているものだと思って、細々としたことの確認をしようとしたにも関わらず、カラノが何も知らなかったので、魔物は驚いていた。

 知った時の衝撃と失望がまざまざとよみがえって来て、歯を噛み締めた。

 つまり、リアはカラノを置いて、一人で旅を再開する準備を進めていたのだ。しかもカラノに黙って。


「あぁ、重くなったとは言ったけど、カラノさんの力不足ってことではない。何と言うか、私の感覚の問題だから。カラノさんには非はない。アリステラのことも関係ない」


 妙に気遣うような言い方が神経を逆撫でした。


「置いて行かれるのはいい。俺は護衛として致命的な失態を冒した。覚悟はあった」

「関係ないって」

「俺が……戸惑ったのは。アンタが黙ってそれを決めたことだ。それに前、アリステラと会った時も、似たようなことをしようとしていたよな。あれは、あれも」


 きちんとした話は聞いていないが、後から会話を思い返して、おおよそ察した。リアは護衛を、カラノからアリステラに乗り換えようとしていた。


「アリステラの時は、カラノさんに黙っていることが条件だった。今回は、単に言う必要性を感じなかったから。この村ならしばらくの間は生活出来るでしょう。私の都合だから、もちろん手切れ金は弾むし」


 穏やかなまま変わらないリアの表情が癇に障る。


「では、怪我が治ったら、という話は。停戦協定は」

「あぁ……。殺し合いとか言うからもしかして、とは思っていたけれど、カラノさん、その話、気にしてくれていたのか」

「アンタが言い出したことだろうが」


 ずっと考えていた。リアの目的、リアと本当に戦うのか、戦った後のことを、考えていた。

 だが、黙って出て行くことから察してはいたが、やはり、リアはその約定も一方的に反故にすることにしたらしい。


「それに関しては、喜んでもらえると思っていたんだけど。カラノさん、私とやり合うことに納得していないし、この村も守りたいんでしょう。……本気で力試しが出来ることを、私も楽しみにはしていたけれど、旅より優先する程のことでもないから。いいか、と思って」


 この期に及んで、リアの笑みは嘘をついていた。慈愛、諦め、庇護欲。リアが何と言い訳しようと、実際に今向けられているのは、親のような愛だ。

 リアの言う通り、カラノは迷っていた。

 だが、勝手に何かを配慮されて、先回りで問いを取り払われることは、少しも嬉しくないどころか、屈辱だ。


「……リア」


 ここまで来ると、かえって、心静かだった。

 リアの両手をつかんだ。そのまま体を寄せていく。無言でリアは仰け反るが、危うく後ろ向きに倒れそうになった辺りで、眉を寄せた。


「ちょっと。子供が見てるところで、何を」

「それ、本気で言ってくれよ」


 丸太の上に押し倒し、反って避けようとする首に口づけた。


「……こうして、頼むしかないところ、なんだろうが」


 襲撃によって怪我をして、心配させて、離別を決断させてしまう程に弱く、その上に弱さを補うような魅力にも欠けている。押し倒しても、全く危機感を持たれない。気を遣って嘘をつかれ続ける程度に信頼もない。

 リアの心を動かすような力が、カラノにはない。

 きっと、恋も、憧れも、少しも伝わってはいなかった。


「カラノさん?」


 話しかけた時点で覚悟は決まっていたが、今、理由が出来た。


「今のアンタとは、別れられない」


 何一つ欠けたところのない顔をして手を振って、振り返ることもなく歩いていく。今のリアとの別れを思うと、そんな情景がありありと目に浮かび、胸が黒く塗り潰される。

 醜いと自覚はあっても、他の選択肢はもう選べない。

 心に痛みを与えたい。

 捨てられない傷になりたい。


「どうしても俺を置いて行きたいのなら、俺を殺して行け。勝手に行くのなら、ガフミどころか、その先まで追いかけ続けてやる」


 空から引きずり下ろしてでも。

 体を起こし、喉をつかむ。魔術の使用を止めることも、命を奪うことも出来る。魔物の子供に非難するような声をぶつけられたが、無視した。

 リアは恐れを見せず、眉を寄せて、微笑み、言った。


「三日後、宴が終わったら、私は行くから」


 その声すら美しくて、少し泣きそうになる。

 応える前に、喉をつかむ腕に、子供がしがみついて来た。子供を振り払うのは容易ではあったが、今ここでリアを殺すつもりもない。ざわつく心を落ち着かせ、子に従って喉を離して、リアを起こした。

 子に対して何か言うリアの声を聞きながら、手を見る。ほのかに赤くなり、陽射しで熱くなった鉄の棒を握り続けていた時のようにひりつく。

 そこに、先程とは別の子が、くわえていた小鳥を落とした。


「あ……あそぼう」


 まだ満足には扱えない性来語を手繰って言う。子供とは言え、話の雰囲気が分からなかったとは思えない。魔物であり、なおかつ山賊の村の子は、人間の子供とは感覚が違うのかとも一瞬考える。そうではないだろうと、すぐに否定した。

 怯えながらも、勇気を出して話しかけてくれたことは明白だった。


「……」


 誘いに乗るのも、断るのも間違っているように思えて、咄嗟に答えられず、また手に目を落とした。小鳥は弱々しく羽を動かしている。指には血がついていた。

 胸に冷たい風が吹く。いつもは何とも思わない光景に、今は心が引っかかる。


「いやだ?」


 ゆっくりと首を振る。


「嬉しい。ありがとう。……遊ぶか」


 隣でリアが立ち上がった。


「はいはい、あっちに行けばいい? 待って」


 子に手を引かれて、背は離れていく。

 何となくその背をぼんやりと見詰めてしまった。遊ぶと答えはしたものの、まだ怒りの余韻が残っていて、追いかけるように歩くことに躊躇いがあった。

 そうしている内、小鳥を渡して来た子がカラノの背後に向けて、声を上げた。


「サクラも来る?」


 はっとして振り返った。

 離れていても、赤は鮮やかに見えた。

 困ったような顔で立ち尽くしている。一体どこから見ていたのかと、気が気でなくなる。

 そこにリアが何故か戻って来た。


「サクラさん、いたの。気づかなかった」


 カラノの手の中にあった小鳥が、ひょいとつままれ、リアの口に放り込まれた。

 断末魔は微かで、骨と羽が混じり合ってすり潰されるような音の方が、大きいくらいだった。

 呆然と笑みを見上げた。


「来る気があるのなら、二人とも、さっさとおいでなさい。子供の遊び相手、私一人では体が持たないんだから」


「ついさっき、来たばかりだ。拙いことを言ってしまったかも知れないから、時間がある時に見に行ってくれと、お前と話した奴に頼まれて。ついさっきついさっき」

「ついさっき来た奴の顔色には見えないが」


 毬を持った子が、期待のこもった目で見つめて来る。

 毬を受け取って投げてやると、子は尻尾を振って毬を追いかけた。ついでに周囲にいた子らもわっと集まって、そのまま近くにいた子らで毬を転がし、奪い合い始めた。

 まさに芋を洗うような有り様を眺めながら、首を傾げて、言葉を選ぶ。


「うわぁ、すごい! ずいぶんと大きな鳥を狩ったものだな。お土産にしましょうか」


 リアの声がよく通る。その顔には、満面の笑みがある。


「サクラにも話すべきことがあるから、どこまで聞いていたかを知りたいだけだ」


 余計なことを付け足すのを止めて、単純に伝えた。少し間を置いて、答えが返って来た。


「お前らを見つけたのは、アリステラのことが話に出た辺りだ。でも、まあ、何を揉めていたかは、おおよそ知っている、と思う。リア、出て行くつもりなんだろう。……一人で」

「大体、そんなところだ。他にも理由はあるが……」

「……」


 カラノに対するリアの態度や、黙って出て行こうとしたこと、自分が言い出した約定をあっさりと破ること。今は説明しようにも、感情が高ぶってしまう。


「話し合いや、お前もリアと一緒に行くのでは、済まないのか?」

「無理だ」


 一瞬、リアと目が合った。


「そう……そうか」


 残念そうな相槌に、申し訳なさを感じた。覆す気は全くなかったが、「たぶん」と付け足してしまう。


「だから、もしかしたらまた迷惑をかけるかも知れない。出来る限り他所でやるようにはするが、リアの声が届く範囲はかなり広いし、俺では制御は出来ないから。それを先に謝っておきたかった」

「カラノさん、勝手に謝らないで。いつもは面倒だからしないだけ。カラノさんにだけ届くようにきちんと調整するから」


 手にまとわりつく羽を払って、リアが言う。子らに鳥の羽をむしり続けるように軽く指示すると、立ち上がって、近づいて来た。隣から、微妙に緊張している気配が伝わって来る。


「けれど、一応念のため。私からもお願いしたいことが一つ。宴会の後に、保管所の辺りを使わせてもらいたい」

「それは、つまり、こいつと喧嘩をするために、ということか」

「喧嘩。はは、喧嘩か。そうですね、平たく言えば。もちろん物など壊すようなことはしない。盗みも。森の中や港の近くで襲われると、別の面倒が出て来そうというだけで。あ、あと、もしカラノさんが死んでしまったら、死体の処理も頼める?」

「骨を拾うとは言ったが……」

「おい、リア。俺が死ぬとは限らないだろうが」


 ため息が聞こえて、見ると、悲しそうな横顔があった。


「場所は貸す」


 ともすると、リアに置いて行かれかけたと知った時よりも胸が痛い。心なしか、責めるように赤い目が、カラノを一瞥する。


「死体の処理は、知らん。ただ、邪魔な場所にあったら、片付けざるを得ないだろう」

「ありがとう、サクラさん」

「礼はいい。場所代はもらう」

「もちろん。私に差し上げられるものであれば」


 子がリアを呼んだ。軽く手を振って応えた後で、リアはサクラに向き直る。

 あまり見せない、温かな笑みを浮かべた。


「サクラさんには感謝している。何か頼み事があったら、私に出来ることなら、見返りなしでも引き受ける。覚えておいて」


 また急かすように名前を呼ばれて、リアはサクラの返事を聞く前に踵を返した。

 苦虫を噛み潰したような顔のサクラと二人残される。

 その場にしゃがみこんで、子と毬を投げ渡ししていると、ぽつりと声が降って来た。


「リアもお前も、皆、自分勝手だな」


 強く、遠くへ毬を投げた。文句を言いながら拾いに行く子の背を見ながら、サクラに応えた。


「その分、俺も出来る限り、サクラの我がままを聞きたいと思っている」


 お詫びや償いというだけでなく、これからもきっと、魔物たちの期待と非難を背負い込みながら、たった一人の人間として村で生きていくサクラに、出来るだけのことをしたいという願いがある。

 そこに関しては、リアも恐らく同じ思いだろう。

 子が毬を持ち戻って来るまで、サクラは何も言わなかった。

 先程よりも遠くに立って手を振る子に向けて、立ち上がって毬を投げようとすると、横から毬を取り上げられた。毬は放物線を描いて、ちょうど良く子の胸の辺りに届く。


「そろそろ戻る。時間があったら、心配していた奴に、お前からも声をかけてやってくれ」

「あぁ……分かった」

「リア!」

「聞こえている。お忙しいところ来てくれてありがとう。お疲れ様。いってらっしゃい」

「それもそうだが、そうじゃない」


 サクラの声はいつになく明るかった。


「その日、宴会が終わるまででいいから、私にカラノといる時間をくれないか」


 投げ返された毬を受け取り損ねて、地面に落とした。転がっていく毬を追いかけて拾う間に、リアのにやけた笑みが頭に浮かぶような声が聞こえる。


「それは、私に決定権のあることではありません。どうぞ、お好きに」

「どうも」


 毬を持ったまま立てずにいると、肩を叩かれた。


「これくらいなら、「出来る限り」のうちだよな?」

「もちろん、喜んで」


 早く毬を寄越せという子の文句をしばし無視して、凛とした背を見送った。


「他人を愛なきなどと呼んで追いかける暇があるなら、ああいう方を愛すべきと名付けて見守る方が、余程幸せになれるでしょうに」


 リアの独り言めいた言葉に、内心でだけうなずいた。

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