襲撃

 後から考えれば、森で不明な人物らに囲まれたことも、罠の一貫だったのだと分かる。

 結局どちらが寝台を使うかで悶着し、昼間と同じ手で譲られて、渋々眠りに着いた夜。まだ日が上るには早い時間、ふとカラノは目覚めた。

 起きた瞬間、胸騒ぎがした。

 体を起こし、隣を見て、すぐに胸騒ぎの理由に気がつく。人の気配がなかった。寝床に触れるとまだ温かい。恐らく、布団を抜け出て一分も経っていない。


「リア」


 夜の散歩に出かけているだけなら良い。

 双剣を持って、警戒しながら部屋を出ると、ぼうと居間に、小さな明かりが灯っていた。

 二人を家に迎い入れた村長が立っている。カラノには目も向けず、居間と続きになっている、玄関に体を向けている。まるで幽霊のように、意思を感じない。手に持った燭台の火だけが揺れている。

 何もして来ないようなので置いておき、気配を探る。

 外から何か話し声がした。


「申し訳ない」


 耳をすまそうとした瞬間、村長が喋った。


「金が必要だった。断れる力はなかった。何より、恐ろしかった」


 村長からは情報は引き出せそうにない。ただ、昼間の危惧が現実になったことを察する。

 そうだとしても、何故リアは一人で外に出たのか。

 外に感じる気配は、一人二人のものではなかった。カラノ自身も双剣も、多人数相手の戦闘はあまり得意ではない。

 双剣にかけられた、剣を持つ者同士では相手の姿が見えなくなる呪いではなく、呪いをかけられる原因となった災いの力を使えば、相手を混乱させられるかも知れない。だが、逆に窮地に陥る可能性もある。

 せめて隙を突くために、扉からでなく、別の方法で家を出たかったが、窓の建付けが悪かったのを思い出した。一応家中見回ってみたが、案の定、どの窓も歪んでいた。確実に音が出る。屋根裏や床下から外に出る方法は探す余裕がない。

 目を瞑り、暗闇に目を慣らす。

 玄関の扉を押し開いた。

 まず見えたのは、白髪の流れる後ろ姿だった。

 その向こうに、明かりを持った人物が立っている。人間の男性らしい見た目だ。見覚えはない。恐らく、この村の人物でもない。腰に剣を差していて、背筋が優美に伸びている。

 背後の闇には、率いられるように十人程、巨体の影があった。


「やぁ、目覚めてしまったのか。せっかく二人きりで話せるよう、手配したというのに。無駄骨になってしまったな。やはり睡眠薬を盛らせた方が良かったか」


 快活とした喋り方だが、いやにねばつく。


「リア」


 状況の説明を、という意図が、通じなかった訳ではないだろう。だがリアは答えなかった。


「……アリステラさん。カラノさんは、私が説得しておくから、一度家に戻らせてくれないかしら。どの道、荷物を取りに戻らなければならないし」

「おお、レウ様。出来得る限り、貴方のご要望は何でもお聞きしたいところではあるのですが。そればっかりは、不許可、でございます」


 アリステラという名らしい人物が口にした「レウ」には、聞き覚えがあった。育った街の領主マカリオスの執事が言っていた、カラノが知らない、リアの名だ。

 アリステラは、貴人にするように、深く礼をした。


「都合が良かったので、今までは見逃しておいてやりましたが。今夜顔を見せたら、殺すと決めておりました。お前ら、やれ。くれぐれも言っておくが、レウ様には傷一つつけるな」

「――カラノさん、逃げて!」


 闇が揺れ、アリステラの姿は隠れた。風に乗って獣の臭いが届く。


「……単純で助かる」


 分からないことだらけではあるが、今やるべきことは明確だ。リア以外、全員殺す。

 リアを引っ張り退かしながら剣を投げ、一番近くにいた獣人の顔に当てた。すぐ剣の柄に結んだ麻縄を引き、剣を手元に戻す。

 頭上に、振り上げられた腕の気配を感じる。

 咄嗟にリアごと、地面に伏せた。重量のあるものが、空気を横薙ぎにする。風切り音。立て続けに、逃げたカラノを捕まえようとする手が近づいて来るのを感じて、双剣で切り裂く。人間よりも厚い皮膚だが、この双剣の前には紙に等しい。地面に指が落ちる音がした。

 だが、リアを庇いながらは、さすがに厳しい。


「リア、家の中に」

「待って。私を盾にすれば」

「馬鹿言え」


 リアを扉の方へ押し出す。

 十人程度いるはずだが、目の前にいるのは四人だった。うち、一人は小柄で、カラノよりも背が低い。

 その小柄な一人が声を上げた。


「ゴン、ギウ、シャグ、逃げ道を封じろ。タロウは家の裏。ツリエはアリステラにつけ。ベジは隙を見てレウを捕えろ」


 凛とした高音だった。

 戸惑っている暇はない。この雰囲気では、この小柄な人物が司令塔だ。距離を取られている上に間には獣人がいて、近づきにくくはあるが、この人物の首を取れれば、他の獣人たちの動揺を誘えるかも知れない。


「アリステラ! 止めないので、あれ、ば……ア、ぐ」


 家の中から、酷く咳き込む声が聞こえた。

 今すぐにでも駆け寄りたかったが、振り下ろされる石斧を避け、腕に双剣を突き刺しえぐり、横合いから迫る足を捌くので、体が空かない。

 獣人の懐に入り、腿に剣を突き出す。


「糞、こいつ!」


 崩れた体を足場に、顎の下から脳天に、もう一つの剣を突き通した。

 一つ、巨体が倒れる。

 あ、と微かに、甲高い悲鳴が聞こえた。

 血と獣の臭いで、頭がふらつく。

 黒黒とした殺意の凝りがまとわりついて来る。

 背後から石斧で殴り殺そうとして来る獣人の姿が、まるで背中に目でもついているかのように、ありありと見えた。振り向き様に首をかき切った。

 二つ目。


「しぶとい奴だ」


 闇から声がした。月の光が、腰から抜き取られる、銀の刃を光らせる。

 剣を抜く手を見て気がついた。


「左利き……」


 銀が閃き、目前に迫った。

 金属の音がする。正面から受け止めてしまった。背中ががら空きだ。しかも膂力は負けている。

 仕方なく、腕を下げた。剣筋を左に逸らす。肩口に剣がめり込んだ。

 リアがまた心配する、と思った。

 痛みに耐えながら距離を取る。


「本当に、しぶとい。大丈夫だよ、カラノくん。これからは私がレウ様をお守りする。ガフミまで無事に送り届ける。その先の幸せまで保証しよう。だから君は心置きなく死ぬといい」

「死、か」


 何故だか笑ってしまう。


「死んでも、まあ、いいんだが」


 言いながら双剣を構えていた。自分でも分からないところに気持ちがあった。

 だが、その時家の方から、慌てたような声が聞こえた。


「レウ! どうしたんだ。何が起こっている。息をしろ!」


 ぞくりと皮膚が粟立った。

 アリステラのことを一瞬忘れ、剣から目を逸らした。いっそ斬られてもいいと背を向ける。幸い追撃はなかった。

 開けっ放しになった家の扉に駆け込む。部屋の隅にいる村長が持つ燭台が、ぼんやりと部屋を照らしている。小柄な人物の仏桑花のような赤髪と、うずくまるリアが、見える。


「レウ、大丈夫か。何か持病があるのか?」


 赤髪の人物の問いかけに答える余裕はないようだった。リアは喉に詰まった異物を取ろうとするかのように、口に手を入れている。目から涙が落ちている。元々白い顔が、見る間に青ざめていく。

 死んでいく。


「リア」


 呆然と呟くと、空色の目がカラノを見た。


「――あ、カ、ラノ」


 一瞬和らいだ視線は、すぐカラノの左肩に移されて、ふっと感情を失った。そしてまた表情が歪み、口から首にかかった手に力がこもる。空気を求めるように口が動く。

 過呼吸にも見えるが、呪いだと直感する。

 悪意を持っている相手に、魔術をかけることが出来なくなる呪い。今までに見たことがあるのは、咳き込みや、眉を寄せるくらいのものだったが、それがさらに悪化すれば、この有り様に成り得るだろう。


「リア、魔術を」


 魔術を使うのを止めれば、呪いも止まる。だが、止められるのならとっくに止めているだろうと気がついて、言葉を切った。魔物にとっての魔術は、本来、食事や呼吸に近い行為だと聞く。魔術を使っていない状態の方が、リアにとっては大変なのかも知れない。そもそも、言葉もきちんと聞こえているのか分からない。

 自分の意志で止められないのならば、別の方法で防ぐしかない。

 そばに膝をつく。

 口に突っ込まれている手を引き剥がしながら、目を覗き込む。


「リア、リア。好きと言え。愛してると思え」

「レウ様から離れろ下郎!」


 両手でリアの耳を塞ぐ。

 一瞬でも、悪意を忘れさせればいい。

 カラノがしても、無意味である可能性もありはした。

 だが、もしかしたら、カラノのために怒ってくれたのかも知れないと、今だけ最大限に自惚れて、口づけた。舌を絡める。いつかと逆だと少し思った。

 そして、息が還った。


「――カラノさん」


 同時に破壊の音がする。振り返ると、家の扉だったはずの木の破片が、獣人の手から落ちていた。


「ベジ、待って。レウの様子がおかしい。今連れて行くのは危険かも知れない」

「え、でも……アリステラが」

「いいから捕えろ、獣人。レウ様をお迎え出来なければ、報酬はなしだ」


 獣人はアリステラと赤髪を見比べ右往左往したものの、アリステラに軽く蹴られて、家に入って来た。窮屈そうにしながら、手を伸ばして来る。すぐ様双剣を持つが、逃れるには遅かった。蝿を払うように退けられた。ぶつけた箇所から左肩に痺れが走る。


「う、はな、せ。あぁ!」

「ご容赦ください。あと二匹、来い。拠点に戻る。他は其奴を殺してから戻れ」


 当然、リアを追いかけるため立ち上がる。だが、ぬっと横から出て来た巨体に遮られた。二人殺し、三人がアリステラについて行ったとすれば、獣人はあと四人。司令塔の赤髪もこの場に残っている。

 双剣を支えに立ち上がる。


「……すぐ行くから」


 声が聞こえたかは分からない。返事はなかった。

 家の外で四人の獣人が、行く手を阻んでいる。一々、一人一人を殺している暇はない。

 呆然としている赤髪の足に剣で傷をつけ、首根っこをつかんだ。引っ張って、盾にしながら家の外に出る。


「あ、サクラ! おい、サクラを放せ!」

「あぁ、ほら。受け取れ」


 赤髪を獣人たちの前に投げた。

 駆け寄ろうとした獣人に、片剣を刺す。もう一方の剣も、別の獣人に刺した。

 呪いと同時に、その呪いの原因となった災いの力が発動する。


「あ? あが、ぐ、がああぁぁっ!」

「てめぇ! 殺す!」


 剣を刺された獣人同士が、お互いを殴り始めた。お互いの姿が見えないため、手探りに腕を振り回し、触れたものを端から壊さんとする。


「おいどうした、魔術? 何かしたのか、人間!」

「サクラが踏まれる! 何やってるんだ!」

「憎い憎い憎い憎い憎い死ね」

「私のことは気にするな! ともかく二人を。これ以上、誰も死なさないで」


 場は混乱の極みだ。

 昔、腕は良いが仲の悪い、双子の鍛冶屋がいた。二人は別々に暮らしていたが、ある日誰かが腕比べをさせようと、二人には内緒で、二人に全く同じ注文をした。

 それで出来たのがあの短剣だ。二つの剣は、示し合わせてもいないのに、全く同じ輝きを放っていた。

 後から事実を知った二人は、甲乙つけるため、それぞれが自分の作った剣を持って殺し合った。どちらが勝ったのかは言い伝えられていない。

 戦いの後、剣は別々に伝わっていき、何度も持ち主を変えた。しかし、その度に所有者を引き合わせ、殺し合わせた。まるで双子の魂が剣に乗り移ったかのように。

 ある時、二つの剣は、それぞれが、隣り合った国の王の手に渡った。二人の王は憎み合い、国同士の争いが起き、共に滅んだ。その後、呪いを受けた剣をサラサが回収した。

 相手を殺そうと暴れ狂う獣人を抑えるのに精一杯で、最早誰もカラノを気にしていない。双剣を失うのは惜しかったが、リアを追いかけようとする。


「待て、護衛」


 誰も気にしていないと思ったが、一人いた。


「二人を元に戻してくれ。何でもするから……」


 つかまれた腕を振り払うと、小柄な人影はその場に崩れ落ちた。だが、追い縋るように手がのびて来る。


「頼む」


 また振り払おうとしたが、手が動かなかった。

 罪悪感という程ではない。ただ少し、子供の宝物を捨てかけた時のような決まり悪さがある。

 決まり悪さを打ち消すように、頭の冷静な部分で、計算が働いた。このままリアを追いかけたところで、取り戻せる公算は弱い。戦力差があり、アリステラたちの姿も既に消えて見当たらない。

 どれだけこの人物が有用かは不明だが、「何でもする」は破格の条件だ。

 舌打ちし、手をすくい上げた。


「アンタ自身と引き換えだ。情報も命も俺に寄越せ」

「くっ……分かった。くれてやる。好きにしろ!」


 実際のところは、双剣の災いを破るのに、特別な方法などない。直接剣を触らないようにするか、二つの剣を同時に奪うか、憎悪に耐えるかだ。赤髪は早まった。自分を対価にする程のことではない。カラノはもう、殺したくて仕方がないような憎悪には慣れているから、抑えつけるのに然程の労はない。一つずつ剣を奪った。

 暴れていた獣人も、抑え込んでいた獣人も、皆疲れ果てている。そこに赤髪がよろけながら立ち、告げた。


「皆、聞け。私は虜囚となった」

「偉そうな捕虜だな……」


 呆れながら、赤髪の首に双剣を突きつけた。


「サクラ!」

「こいつに価値があるのか知らないが……もし殺されたくないのであれば、俺をリアのいる場所まで案内しろ。こいつは、リアと交換で返してやる」

「こいつの言うことに構うな」


 凛とした声が場を震わせた。


「私を殺せ」


 迷いのない口調に、思わず言葉を失った。

 見た目には若い人間の女性に見えたが、見た目にそぐわない胆力がある。

 だが、言葉通りにされる訳にはいかない。


「黙ってろアンタ」


 側頭部を殴りつけて、麻縄を一纏めにして口に突っ込んだ。少しは大人しくするだろう。

 幸い、脅しは獣人たちに効いた。殺意が薄れる。あっさりと赤髪が身を投げ出したことなどから、どことなく察していたが、どうやら赤髪と獣人たちの間には情がある。


「俺は、この場で全員殺しても構わない。獣人の足跡くらい追える。今、お前らの選択を待ってるのは、面倒を減らすのと……そうだな。強いて言えば、こいつの侠気に免じて、か。だから、お前らが構わないと言うのなら、さっさと殺す。どうする? あと一秒で決めろ」

「止めろ!」

「じゃあ早く行け。俺は距離を取って追う。もしアリステラたちに追いついたら、俺たちは死んだと言え」


 交渉は済んだ。獣人たちはお互いに肩を貸し、のろのろと歩き始めた。

 カラノは家にあった縄で赤髪の腕を縛り、荷物を回収して、獣人たちの姿が闇に消えかかるまで待った。

 行く先は、どうやらトウジ山方面だ。


「とりあえずアンタ、名前はサクラでいいのか」


 先に歩かせながら問いかけるが、赤髪は沈黙を保つ。仕方ないと返事は諦めて、放り投げるように言った。


「俺はカラノだ。短い間になるだろうが、精々仲良くしよう」

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