旅路

 屋敷の中から歌声が聞こえ始める。

 今夜催されるのは、近隣の有力者との結びつきを強めることを目的とした宴である。主催である地主の館に集められた人々は、今頃は広間にて、リアの声を背景に、歓談や舞踏を楽しんでいることだろう。

 そのきらびやかな景色を想像して、カラノは細くため息をついた。

 対して、カラノが現在いるのは、屋敷の裏にひっそりと佇む小屋の前である。

 足元には、先程まで小屋の番人をしていた、三つ目の魔物が倒れている。

 カラノは草むらの中に隠していた提燈で魔物の体を照らして、その懐から鍵束を探し出した。

 鍵で小屋の扉を開けると、微かに異臭が漂った。

 内部は一見、普通の物置に見えるように、偽装されていた。カラノも何も知らなければ見過ごしていただろう。よく観察すると、物の配置に不自然さがあった。置かれていた物を退かしていくと、床に、他とは異なる材質で出来た部分が現れる。

 これが地下室への扉だろう。

 取っ手を引っ張り、扉を引き上げると、臭いがむわりと質量を持って迫って来た。

 植物をすり潰した臭い、水の腐った臭い、生き物の腐った臭い。全て混ぜ合わせて、その上に血をぶちまけたような臭いがする。


「何でこんなことしてるんだ、俺は……」


 嘆きは地下への階段に吸い込まれた。仕方ないと諦めて、狭い階段を下りていくと、奥から声が聞こえて来た。喋っているような雰囲気はあるが、その意味までは分からない。性来語ではないのだろう。

 提燈の灯りの中に、檻が見えた。

 檻の中には十数人の裸の小鬼が、怯えるように頭を抱えて座っていた。

 出入りの庭師に聞いていた通りだ。

 小鬼たちに向けて問いかける。


「お前らの中に、性来語を話せる奴か、俺の意思を読み取れる奴はいるか」


 小鬼の多くは意思疎通の魔術を使えない。魔物商から買い取ったのだとすれば、性来語を覚える機会もなかったはずだ。あまり期待していなかったが、少し待っていると、うちの一人が手を挙げた。

 提燈を掲げてよく見ると、それの頭には角が見当たらなかった。小鬼ではないようだが、似たような矮躯である。ドワーフかも知れない。


「誰、お前。違う、いつも、人間」


 複雑な会話は難しそうだが、言葉を選べば意思疎通は可能そうに思えた。


「主人から命を受けて、お前らを助けに来た。ここから出してやる」


 喜びよりも疑念が勝つようだった。その気持ちはカラノも同じだが、淡々と告げる。


「ただし、条件がある。屋敷に入り、中にいる人々を脅かせて、注意を引き付けてほしい。傷つけてはならない。脅かすだけだ。騒ぎを起こしたら、何もせず、すぐに屋敷から出ろ。その後は……好きにしていい」


 矮人は周囲の小鬼たちと何か話す。


「分かった。開けろ」


 小鬼たちの、夜鳴き鳥めいた笑い声が、空気にさざ波を立てる。

 見張りから奪った鍵で、檻を開けた。重たそうな足取りで、ぞろぞろと一列になって檻から出て行く小鬼を、じっと観察する。それぞれ怪我はしているが、歩けない程の者はないようだ。最後に出て来たのは先程話した矮人だった。小鬼の後に続こうとするのを押し止めた。


「お前は最後だ。俺の後ろにつけ」


 矮人の前に立って、立ち止まり振り返ろうとする小鬼たちの背を押す。矮人がカラノ越しに何か言うと、小鬼たちの動揺は収まった。

 矮人も小鬼も、武器のない状態であれば、どれだけいてもさしたる脅威にはならない。背後を取らせることも、一匹や二匹であれば問題にはならない。双剣の力を使っているうちに、見えない相手の気配を悟る力は、人並み以上についていた。それよりも、こうした魔物たちに対して警戒するべきは、その小狡さだ。カラノが出る前に扉を閉めて、地下室に閉じ込める、というようなことを、カラノは警戒していた。

 用心が功を奏してか、元々小鬼たちに悪意がなかったのか分からないが、カラノは無事に小屋の外に出た。

 まだリアの歌声が聞こえた。

 歌詞は不明瞭だが、雰囲気は酒場でよく歌っているものに近い。聞いている方も上を向いて鼻歌を歌いたくなるような、浮かれ調子の音楽だ。意味の分からない仕事をさせられ辟易としているカラノですら、心が浮き立つ。

 どれだけリアのことを知っても、リアの歌声の美しさには、敵わないだろうと感じる。魔術を使わない素の歌声も、雨上がりの空のように澄んでいる。

 その声を遮るように、耳障りな声が上がった。

 わらわらと、影が荒波のように盛り上がった。闇の中の小鬼たちが一斉に飛びかかって来た。

 落胆が胸を占める。

 避けて、一人の首を双剣で刈った。たったそれだけで、小鬼たちは襲いかかって来たのと同じ勢いで、わらわらと逃げようとし始める。醜い姿だ。最初に声を上げた矮人だけはわなわなと震えて何か言っていたが、襲いかかって来る様子はない。

 このまま逃しても構わなかったが、一応追いかけて、先頭にいた小鬼を殺した。それで他の小鬼たちは動きを止めた。

 今夜、何度目かも分からないため息をつき、告げる。


「勘違いするな。さっきの条件は、何も持たないお前らに、感謝を示すための方法をくれてやっただけだ。助けられた相手に恩義も持てないくらい愚かで、俺にも勝てないくらいに弱ければ、殺せ、と言われている」


 もう少し言葉を噛み砕いた方がいいかと思ったが、大人しく言うことを聞きそうだったので、言い直すのは止めた。

 生き残りの小鬼たちを連れて、屋敷の正門へ向かう。当然、道中で警らに見咎められたが皆倒して、屋敷内に踏み込んだ。ずっと暗い場所にいたせいで、屋敷の明かりは目に痛かった。

 通りかかった下働きが、悲鳴を上げて逃げていった。

 宴の会場は入ってすぐにある大広間だ。開け放しになった扉から中の様子が少し見える。皆が一方を注視していて、不穏な気配には全く気づかない。その視線の先にはリアがいるのだろうと思いながら、カラノは大広間に向けて小鬼たちをけしかけた。

 カラノの仕事はここまで。

 屋敷に集められた人々に顔を見られる前にと、さっさと背を向けた。

 詩をかき消す悲鳴と、逃げ惑う足音が屋敷を揺らした。

 あとは外でリアを待つ手筈になっている。だが、リアがいつ、どこから出て来るかは、事の成り行き次第だった。昼間あたりをつけた場所を、提燈はつけずに巡回する。

 途中、警らが、慌てて屋敷の中に応援へ行くのに出くわした。隠れていると、その後闇の中に、転げるように逃げていく、複数の小さな人影が見えた。


「……何で、こんなことを、するんだ」


 遠目に見送りながら、リアを思う。

 しばらくして、また屋敷の周囲を歩いていると、二階の窓辺に人影が見えた。部屋の明かりが逆光になっていて顔はよく見えなかったが、窓枠に足をかけるのを見て、リアだと確信した。声をかけて窓の下へ向かう。リアはひらりと身を投げた。

 両手を広げて、その体を受け止める。人間よりも体重が軽いから出来る芸当だ。

 だが、文句はある。


「飛び降りるのを止めろ。一階から出られる道を探せ。肝が冷える」


 言いながら地面に下ろそうとしたが、その前に耳を引っ張られた。


「心配してくれる気持ちは否定しないけれど、大丈夫だから。受け止めるのは止めて」

「受け止めないと、足をひねるだろう」

「あの時は、思っていたよりも足場が悪かっただけ。人間の尺度で考えないで。あんなのは珍しい方です」

「珍しくても、有り得るんだろう。最悪でも俺が下敷きになるだけ、こちらの方が良い」

「あと、こういう露出の多い服を着ていると、肌にそっちの服の布地が擦れて、痛い」

「……それは。良い方法を考えておく」


 屋敷の人々に気づかれる前に場を離れた。

 絢爛豪華な屋敷に背を向けて、目指すは薄っぺらい布団しかない安宿だ。


「何か盗んだのか」

「一応探してはみたけれど、面白い物がなかったから、今夜はなし」


 手燭を持たない方の腕に、手を絡められた。強風でよろける程の体の軽さと、加えて鳥目であるが故だと気がついたので、最近は一々気にしなくなった。

 宴で歌われていた詩が、ふと聞こえる。隣で囁くようにリアが歌っている。

 カラノにはまだ言いたいことがあった。

 だが、宴での詩をあまり聞けなかった分、リアの声を聞きたくもあった。しばらく耳を傾けてから、改めて口を開く。


「こちらは、小鬼を二人、殺してしまった。襲って来た奴と、逃げ出そうとした奴」

「あぁ、そう。檻から出した後でしょう?」


 肯定を返すとリアは、心底どうでも良さそうに言った。


「それなら仕方がない。生きるのに必要な賢さも強さも、足りなかったというだけ」


 どうでも良さそうどころか、むしろ、鬱陶しがっている雰囲気すらあった。

 薄々察してはいたが、リアはやはり、小鬼の生死には興味がないらしい。


「……いいのか、本当に」


 恐る恐る、問いかけた。


「何が?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 聞き返されたことで、微かな勇気は潰えた。

 リアはまた歌い出す。今度は鼻歌だ。

 それを聞きながら、カラノは自分の内心に沈んでいく。

 喉の奥に、問いかけがわだかまっている。

 何故、と聞きたい。

 宴が始まる前、リアは確かに今夜の目的を「小鬼の救出」だと言っていた。それ以外の、宴で詩を歌うことや、騒ぎを起こしている間に盗みを働くことは、ついでだと断じていた。そして、他人から感謝されることを喜ぶような人物でもないのは、これまでの旅で悟っている。小鬼たちからの感謝も、その目的には成り得ない。

 本当に、ただ小鬼たちを救出するためだけに、今夜のリアは動いていた。それにも関わらず、生死には興味がない。

 人間とは習性から異なる魔物が、人間には全く理解の出来ない価値観を持っていることは、往々にしてある。その違いに関しては、稀に混乱もあるが、リアは比較的人間に近しい価値観を持っているため、あまり大きな問題にはならない。

 ただ、一応聞いておきたい。生死が重要でないのなら、何故、小鬼を助けようと思ったのかを。

 たったそれだけのことを、聞くだけだ。

 それにも関わらず、不思議と口を開くことが出来ない。

 正確に言えば、わだかまっているのは、その問いかけ自体ではなかった。その内容ではなく、何故と尋ねること自体に、妙な躊躇い――恐怖心がある。


「……良い曲だ」


 問いかけを諦めて、呟いた。

 実のところ、この手のことは既に何度かあった。

 最初は、今までの習慣が原因ではないかと考えていた。育ての親であるサラサを例外として、カラノはずっと、極力他者との距離を取るようにしていた。強い思い入れを持つ他者が増える程に、涙を流すような機会が増えてしまうからだ。ある種の事故によってリアも例外になってしまいはしたが、まだその習慣は残っている。

 だが最近は、それも少し違うようだと気づきつつあった。

 街中に入って、鼻歌が終わった。ぐいと腕を引かれた。


「カラノさん、今の曲どうだった?」


 空色の瞳が輝いている。詩に関してはリアは真面目だ。心から好きらしいのが伝わって来る。


「良かったと思う。……温かい感じがする」

「お、なるほど。その温かさってどんな感じかしら。人肌の温もりとか、熱燗とか」

「その二つだったら、人肌。陽だまりとか、布団とか。優しいような雰囲気を……俺は、感じた」

「カラノさんに聞いているのだから、カラノさんが感じたことでいいのです。けれど」


 こういう他愛のない会話は、ただ心地がいい。リアから向けられる親しみは嬉しい。距離を取る癖が原因であるならば、こうはならないはずだ。


「カラノさん、私の伝えたいことを結構きちんと汲み取ってくれるから、好きだな」


 しかし、不意に恐怖を覚えることがある。

 取り返しのつかない方へ、じりじりと近づいていくような心地がする。


「アンタの表現が良かったんだろう。俺は、何も」


 褒め言葉ではなく、半ば本気で、そうあってくれと願いながら言った。

 何も分かってなどいない。

 微笑むリアに強く言いたかった。だが、抗弁する理由を聞かれたら、きっと上手く答えられない。何故と問いかけられないこと、理解されていると思われること、何かしらの共通点があるような感覚は確かにあるが、まだ形にならない。

 まず、その自分自身の恐怖心を理解してからにしようと、その夜は結局、何も聞けずに床についた。


 事の始まりは、道中助けた魔物から、魔物狩りの人間の噂を聞いたことだった。

 魔物が狩りの対象になることは、珍しいことではない。だが、その人間が厄介なのは、街に住む、持ち主のいる魔物すらも密かに拐わせて、狩りの獲物にするところだった。

 当人にとっては無論非道の行い。人々にとっても、財産の簒奪である。しかし、この地域はその人物が代々受け継いで来た土地で、多くの人間はその場所を借りている立場のため、下手なことは言えない。本来ならば、そういった横暴にはガフミ王が処罰を下すのだが、今ガフミは跡継ぎ問題などのせいで政情が不安定で、地方の細かな争いには手が回らないらしい。地主の行いは野放しになっていた。

 特に人型の魔物がお気に入りで、商人から大量に買い付け、いつでも家の敷地で狩りが出来るように、家で飼っているらしい。見た目の良い魔物は狩りの獲物とされる以外にも、何をされるか分からないから、近づかない方がいい。

 忠告を聞いたリアは「酷い話。助けに行きましょう」と言った。

 そして簡単な下準備を終え、あの通りになった。

 一晩寝ても、どことなくもやもやとした気分は変わらなかった。

 ひとまず別室のリアに声をかけ、食事を取るため共に一階に降りる。すると、安宿には何やら不穏な雰囲気が漂っていた。リアが近くにいた人に尋ねると、その人は声を潜めて答えた。


「死体だってよ」

「人間ですか?」

「いや、魔物だ。街の奴らは見たことねぇ顔らしいが……どうも、剣傷がついてるらしい」


 ここにいる皆が考えていることは分かった。悪名高い地主の仕業を疑っているのだろう。

 しかし、それは有り得ない。リアと顔を見合わせる。昨晩二人が帰って来た時には、死体などなかった。死体が現れたのは二人の帰宿よりも後だということになるが、昨晩は、地主が魔物狩りを楽しむ時間はなかったはずだ。

 気になって、カラノは人垣を割って死体を覗き込んだ。

 地面に使い物にならない麻袋のような、小さな人型があった。昨晩会ったのと同一人物かまでは分からないが、矮人である。左肩から右脇にかけてつけられた大きな傷が致命傷だろう。

 食事を取り終えて部屋に戻ってから、一応、見たものをリアに報告する。


「昨日の奴かな」


 あまり深く考えずに、ぼんやりと付け加えた。

 すると、ずっと練り歯磨きを噛んでいたリアが、鼻声で何か言った。あからさまにどうでも良さそうな態度にやや呆れながら聞き返すと、リアは面倒臭そうに言い直した。


「昨日の奴、だとは思う。昨日の帰り道、財産目当てかしらないけれど、私たちを追いかけて来ていた矮人が一人いた」

「え」

「カラノさんが気づけなくても仕方がない。かなり距離を置いていたから。それに、結局何もして来なかった。まあいいかと思って放って置いたら、今朝はいなくなっていて、代わりに死体が一つ。私たちが寝ている間に、親切な誰かが処理したのでしょう」


 何もして来なかったのは、寝ている間に盗みを働くつもりだったからではないかと、顔をしかめる。カラノはリアの分も含めて、荷物を改めて確認したが、何も変化はないようだった。


「親切な誰か?」


 情けなさに膝を折りながら、確認するべきことを確認する。


「私に好かれなかったカラノさん、みたいな」

「最悪の例えをするな」

「要は私のことを好きな人。中でもたまにいる、追いかけ方が熱心過ぎる人だと思う。今回の人は、結構、隠れるのが上手くて、私もまだ見たことはないのだけれど。そのうちに自分から出て来るだろうから、今はあまり気にしなくていい」


 既にこの手の揉め事には何度か遭遇していて、カラノも慣れて来てはいるが、リアは慣れ過ぎているように思う。どうするべきか迷って閉口している間に、リアは練り歯磨きを吐き捨てて、荷物を拾い上げた。


「カラノさん? ……さっきの例え、そんなに嫌だった?」

「いや、それは。否定も出来ないから」


 単に自分の力不足に落ち込んでいただけだと言う前に、リアは距離を詰めて来た。

 何でもないことのように、口づけをされた。

 初めてではない。時にからかうように、時に誤魔化すように、既に何度もされている。最初こそ浮かれていたが、考えてみると良い意味でないことの方が多く、また他にも多少の理由があって、腕をつかまれるのと同様に、これにもやや慣れつつあった。


「カラノさんは、特別だから。最近は特に、ちゃんと、何と言うか……」

「どうも。だが、本当にそれが理由ではないから、気にするな」


 軽くリアの体を押し退けた。


「……そう。では、行きましょう」


 外套を被り、先んじてリアは部屋を出て行った。

 宿を出ると、宿の前にあった人だかりは消えていた。どうやら死体も片付けられたようだった。代わりに、恐らくは地元の自警団であろう連中が周囲を検分している。結局、その犯人は不明だが、何にせよ、関わり合いになるつもりはない。

 軽く頭を下げて、リアの後を追う。

 リアは微かに鼻歌を歌いながら、新しい曲を考え始める。ただひたすらに歩くしかない道中は、一つのことを考え続けるにはちょうど良い時間である。カラノは、昨晩の出来事を思い返す。

 魔物を助けようという言葉。一見、その行動と相反するように思える、生死への頓着のなさ。そして、それに疑問を抱いても、観察して考え続けるだけで、リア本人に直接聞くことが出来ない自分自身。恐怖心。

 昨晩は理解してからと思ったが、恐怖は、ねじ伏せることも出来る。まずは聞いてみることも重要かも知れないと思い、問いかけの形について考える。単純に、例えば昨晩の出来事について、一つ一つ疑問に思ったことを「何故」と問いかけるれば、それで良いのか。もっと大きな、例えばリアが悪魔と呼ばれるようになった経緯などから聞くべきなのか。そう考えることこそが逃避であることに薄々気づいていたが、中々抜け出せなかった。


「面倒事の足音がする」


 あまり行かないところで、不意にリアがため息をついた。

 反射的に頭を切り替え、耳をすませば背後から、駆け足で誰かが近づいて来る足音が聞こえた。


「そこの二人、止まれ!」


 人を威圧するのに慣れた声だった。


「逃げるか?」

「……まだ街が近過ぎる。お話だけでも聞いてみましょう」


 振り返ると、壮年と言うには雰囲気の若い、人間の男性らしい人物が向かって来ていた。見覚えがある。宿屋の前で現場を検分していた自警団の中にあった顔だ。その人物は追いつくとすぐに、厳しい表情で口を開いた。


「少々、話を聞かせてもらおう」

「構いません。昨晩のお話でしょう?」


 カラノは一歩下がり、代わりにリアが前に出た。


「ルース様とお呼びして良いかしら。昨晩はご挨拶叶いませんでしたが、またお目見えする機会に恵まれて幸運です」


 どうやら昨晩の宴の中にいた人物らしい。


「なっ……何故知っている。お前の前で名乗った覚えはないぞ」

「あぁ、申し訳ございません。弓なりの眉の逞しさに感興そそられ、せめて名だけでも覚えて行こうと、思わず近くの者にお聞きしてしまいました。卑賤の者のすることと、どうか許してくださいな」


 一から十まで嘘だろう。悪巧みをしている場に自警団らしい人物がいたために、警戒して会話などに聞き耳を立てていたくらいの理由のはずだ。そう思っていても、本当らしく聞こえる声が恐ろしい。ルースの眉間に寄った皺が、若干解れた。


「そっ、そうか。いや、名前ぐらい構わないが。それより昨晩の話だ。宴の途中、あの騒ぎがあって、具合を悪くしたと聞いていたのだが。……昨晩はあの宿に投宿していたのか?」

「おかしいとお思いなのですね。何故屋敷でなく、こんな場所にいるのか、と」


 リアが会話を先取りする度に、ルースの顔には少し面白くなさそうな表情が浮かぶ。


「そうだ。他の客人はほとんどが、屋敷に泊まった。流れの楽師であっても、あれだけの芸であれば、お館様は宿泊を勧めただろう。具合を悪くしたのであれば、なおさらだ。何故、あんな場所に?」

「確かにお館様は宿泊を勧めてくださいました。ですが、私の方からお館様に無理を言って、宴の後に屋敷を出してもらったのです。私、考えるだけで鳥肌が立つくらいに、魔物の中でも小鬼が一等嫌いで。具合を悪くしたのも実はそのためでして。騒ぎがあって部屋に逃げた後、警備の方々が追い払ってくれたとは聞きましたが、また来るかも知れないと想像してしまって、とてもあの屋敷にいるのに耐えられず。皆様には失礼をいたしました」


 明らかにルースはその言葉を信じてはいなかったが、それをはっきりとは言わなかった。


「なるほど……。そちらは?」


 目を向けられたが、軽く頭を下げるに留めた。基本的に対外的な対応をするのは、名目上では雇い主となるリアと決まっている。


「私の護衛です。昨晩は、屋敷の中の、お館様に用意して頂いた部屋に控えさせていました。華やかな場に置くのは無粋かと。騒ぎの後は、私と共におりました」

「つまり、昨日騒ぎが起きた、その場にはいなかったんだな」

「ええ」

「お前は昨晩の騒ぎについて、何か知っていることはあるか」

「俺は何も。大広間からは遠い部屋を充てがわれていたから、騒ぎに気づくのは遅かった。察知した時には既に終わっていた」


 こう答えるしかない。

 突発的な計画だったため、そこまで入念な策は練っていない。先程のリアの話も、地主に照合をかければ一瞬で真実が明るみになる。本当ならば、自警団に探りを入れられる前に街を出る予定だった。魔物の死体さえなければ、上手くいっていただろう。


「ちなみに、あの死体に関しては?」

「あちらに関しては、全く覚えがございません。昨晩、私たちがあの宿に着いた頃には、ありませんでしたから。暗く、足元を見れていなかったという可能性はございますが」


 これは本当だ。だが、もし昨晩の騒ぎの犯人だと断定されれば、問答無用で殺しの犯人もリアとカラノにされるだろう。そう考えている気配をルースから感じる。小さく、さらに腐敗の進んでいる街の自警団は、正確さよりも、手っ取り早く手柄を上げることを重視することがある。カラノが育った街の自警団もそうだった。また、旅人は罪を被らせるのにちょうどいい。

 もっとも、騒ぎの犯人としても、魔物殺しの犯人としても、捕まる気はない。足止めもいいところだ。


「なるほど。昨晩、従者の方は騒ぎの場におらず、その後は二人とも、この宿屋にいた。そういうことでいいか」


 一言一言、噛んで含めるような言い方だ。

 カラノは後ろ手に、双剣の柄に手をかけた。逃がせと言われたら逃がせるように、追い払えと言われればそう出来るように。

 頭巾は真正面を向いたままだ。カラノからは、その表情は見えない。

 ルースの喉仏が微かに上下した。


「ルース様。もしや、私共に何か、ご相談ごとがおありですか?」


 唐突に、一見優しくも思える声音が、場の空気を変えた。


「何を……」

「捕まえるつもりであれば、お一人で来ることはないように思いましたので。何か訳があるのかと」


 言われてみると、宿屋の前には他にも数人の自警団がいたにも関わらず、ルースは一人だ。周囲にも、陰からのぞくような気配は感じない。

 沈黙の後、ルースの眉間には深い皺が刻まれた。


「……手を貸してもらいたいことがある。追及しない代わりに、協力しろ」


「知っているかも知れないが、昨晩の宴の主催であったお館様には、悪癖がある」


 街に戻り、食事処の個室に二人を案内すると、注文もそこそこにルースはそう切り出した。

 大枠は噂通りだったが、当事者から聞く実態は、さらに醜悪で残酷だった。道具どころか、赤子の玩具扱いと言う方が相応しい。どうやら地主は、魔物狩りの愛好者というだけでなく、過度な嗜虐趣味の持ち主でもあったらしい。

 ただ、ルースはあまり、魔物の扱いには興味はないようだ。


「自警団の団長は――私の伯父なのだが――折に触れて賄賂を受け取っているようで、お館様の悪癖にむしろ協力する始末。だが、せっかく仕事を仕込んだ魔物を連れ去られると、住民の生活に関わる。私としては、止めさせたい。だが……」

「皆まで言わずとも」


 リアはいやに優しげに微笑んだ。


「それで、根無し草の私共に、内密に対処を頼みたいと」


 同じ街に住む人物の行動を咎めようとすると、まず事を起こした後のその相手との関係性が、大きな懸念となる。その相手が、街において影響力のある人物であればなおさらだ。自分の仕事や生活が崩壊する可能性がある。その点、地縁の関係ない旅人に実働を任せれば、最悪罪を被せて放逐することで、表面上はそれまで通りの関係性を保つことが出来る。


「そうだ。頼まれてくれるな」

「まあ、そう逸らず。具体的には何をさせたいのか、案はおありですか?」


 リアを見るルースの目に、迷いが混じった。カラノが気がつくくらいだから、リアも当然気がついた。


「多少の頼み事を聞くのは構いませんが、方法まで考えるとなると、私では上手くいくかどうか。私はこの地の者ではありませんから、知らずいけないことをして、かえってルース様を困らせてしまうかも知れません」

「……剣を握れなくするため、指を切ることは考えた」


 小馬鹿にしたような笑い声が、微かに、だが確かに、聞こえた。


「その程度であれば、お引き受けいたします。日時は如何しましょうか」

「待て。今、笑ったな」

「はい。道ならぬ者を捕まえてまで頼むことにしては、いささか控えめな企みでしたので」


 絶句と、頬の紅潮をカラノは見る。リアに手を出そうものなら、リアが何と言おうとさっさと店を出ようと思っていたが、ルースはそうはしなかった。


「ですが、きっとそれが正しいのでしょう。他でもないルース様のご判断なのですから」


 個室には沈黙が降りる。物言いたげな目と、涼やかな目がぶつかる。

 ただ指を切るだけでは、地主の暴虐は止まらないだろう。加虐心を満たす方法は、他にいくらでも存在する。だが、この様子では、ルースは指を切るだけのことですら、躊躇っているらしい。

 指を切る以外の方法をルースは求めている。そしてその方法は、目の前に存在している。


「お前の声は、ただの声ではないだろう。お前から言って聞かせるようなことは、出来るのか」


 普通の人間であるルースにしてみれば、魔物に人間を襲わせることなど、大罪であるのだろう。不服そうな言い方だった。リアはそれに、軽やかに答える。


「可能不可能は問わず、ただ一言、やれと、仰ってください」


 やり取りを聞きながら、カラノは考えるともなしに考える。ある意味では昨晩からの思考の続きだ。

 リアの狙いは、と。

 まるで下手であるかのように振る舞っているが、この人物には、囁くだけで、他者を思うままにする力がある。頼みを断るのも、助けるのも、依頼にかこつけて金品を巻き上げるのも、容易であるはずだ。

 ルースをうかがう。若い目には、火が宿っている。その火を煽り立てるような笑い声が個室に響く。


「ルース様のお望みならば、如何様なことでも、ご覧に入れてみせましょう」

「……何を企んでいる」

「裏などございません。せっかく見込んでいただけたのなら、ルース様のお気持ちに、精一杯お応えしたいという一心です。それに私、生き方こそ道から外れておりますが、義侠心は人並みにありまして。己の罪を雪ぐだけでなく、人間様の助けになるとあっては、まさしく望外の機会。……と、いうような言い様も、怪しく聞こえてしまうのでしょうが」


 リア自身も言う通り、見かけには、何か企んでいるようにしか見えない。だが、全くの嘘と断じることも出来ない。例えば昨晩のような、リアに得がほとんどないような行いに理由を見出そうとすると、どうしても信念というような言葉が思い浮かぶ。気まぐれも多分に含まれてはいるのだろうが、それだけとも思えない。義侠心や、人間の助けのためではないだろうが、リアなりに動機はあるはずだ。

 リアの横顔を盗み見る。人間を魅了するために構成された美しさがある。

 何故、と内心で問いかける。

 どれだけ考えても、結局のところそれは推測でしかない。リアの口からその動機を聞きたい。

 渦潮を見る時の気持ちに近いと、ふと思った。

 中心がどうなっているのか気になる。いっそ自分の身を渦の中に投げ込んでしまおうかと考える程、その中を覗き込みたいと強く願っている。だが、その欲望に身を任せて、少しでも近づけば終わりだ。いくら帰りたいと願っても、引きずり込まれるしかなくなる。渦に落ちれば、波に揉まれ、最後には木っ端微塵になる。

 何故と尋ねて、それで終わりではない。恐れているのは、その先だ。

 リアから目をそらした。


「いかがいたしますか。私からは、これ以上のことは申せません。詩人として、さらに言葉を飾り立てることは出来ますが、それでは本心から遠ざかってしまう。今の言葉が思いの全てです。これでもし信用出来なければ、仕方がありません。お役に立てないのは残念ですが、昨晩の件に関しては、別の形で贖いましょう」

「……いや、分かった。毒を食らわば皿までだ。方法はお前に一任する。だが、手綱はこちらが握っていることを忘れるな。何か怪しい素振りをしたら、即刻捕らえる」

「ええ、構いません。それでは、まずはもっとお話ししましょう。お館様について、街について、ルース様のお考えについて。よりルース様の要望に添えるように、私に教えてください」


 まだ話は続きそうだ。それも長く続きそうだった。

 折よく、料理が運ばれて来た。

 畏まった場ならばカラノも出来る限り相応の振る舞いをするが、今はその必要性を感じない。どうせ流れの楽師につく傭兵程度と、ルースもカラノの行儀作法には期待していないだろう。さっさと料理に手をつけた。

 リアは軽く笑い、ルースは少し顔をしかめただけで、止めなかった。二人とも店員が帰ると、すぐ話に戻った。最早、カラノにはその話を聞く気はない。

 日頃、糧食ばかり食べていることを差し引いても、料理は美味しかった。親指程に分厚い肉に酸味の強いたれをかけ、付け合わせに匂いのある葉を加えてある。葉と肉を一緒に頬張ると、葉が肉の野性味を程良く包み込み、旨味だけが肉汁と一緒に溢れ出して来る。白米につけるとなおのこと美味い。

 旅に出て驚いたことの一つが、食事の違いだった。育った街ではあまり肉は食べられず、魚ばかりだった。内陸では逆だ。食卓に滅多に魚が出ない。たまに魚が出ても、加工されているか、不味いかのどちらか。代わりに肉料理は多彩である。

 ただ、この美味しさは、文化の違いだけではないだろう。佇まいでも薄々察していたが、上等な食事処らしい。他の料理も美味しい。野菜の汁物はまろやかな味わいで、温かさが腹に沁みた。


「はい。ふふ、お任せください」


 ルースが席を立った。

 カラノがのんびり食事をしている内に、いつの間にか二人の会話は終わっていた。

 卓上には手つかずの皿が置かれている。ちらと見上げると、軽蔑の目で見返された。


「ここは奢ってやる。俺の分も食っていい。その分、お前もしっかり働け」


 見下されるのは慣れている。返事はしなかった。

 ルースが立ち去って少ししてから、横から視線を感じた。卓に頬杖をつく音がする。


「退屈だった?」


 答えずに、問いかけで返した。


「こういうことは、しない方がいいか」

「いいえ、私は何とも――むしろ好ましいくらい。でも退屈だったら、その場で言ってくれてもいい。カラノさんのことだって、大切にしたいと思っているから」


 ルースの残した皿を引き寄せつつ応えた。


「どうしても我慢ならなかったら言うが。ああいう好き勝手している時のアンタは、魅力的にも見える。邪魔はしたくはない」


 気持ちの二割程度ではあるが、嘘ではなかった。持っている性質を抑えつけられることなく、自由に、したいように振る舞っている姿は、見ていて小気味いいものがある。


「それはそれとして、面白くはないから、やけ食いくらいは許してくれ」

「……やけ食いでも何でも、カラノさんがそうしたいと思った時は、いくらでもそうして。私が好き勝手するみたいに、カラノさんも」


 何気なく横目に見ると、居心地が悪くなるくらいに幸福そうな笑みがあった。

 何か琴線に触れるものがあったらしいことを、認めざるを得ない顔だった。


「どうかした?」


 無意識のようで、不思議そうにする。自分から指摘するのも憚られて、カラノは軽く首を振り、飲み物に手を伸ばした。


「追加注文していいか」

「どうぞ、好きなだけ」


 追加注文を負えて料理が届くと、リアは背もたれに寄りかかった。膝の上で手を重ねる。


「ちなみに、ルース様との話は、どこまで聞いていた?」

「ほとんど聞いていない。そもそも、あの迂遠な話し合いから、具体的にアンタが何をするつもりか察するのは、俺には難しい」

「そう? カラノさんになら、分かると思うけど」

「……全くあいつの指示を聞く気がないことくらいしか、分からない」

「大当たり」

「アンタと三日一緒にいれば、誰にでも分かる」

「分かるんだか、分からないんだか」


 軽やかな笑い声が胸をくすぐる。


「それで結局、今回は俺に、何をさせるつもりなんだ」


 膝の上で重ねられていた手が、指を交差させた。


「その前に、聞きたいのだけど。カラノさんはどうしたい?」


 悪巧みをしている時のような声に、笑み混じりの問いかけだ。軽口で応えても構わないような調子だった。

 だが、カラノは咄嗟に、何も言えなかった。

 沈黙が降りる。取り繕うような「まあ」という呟きで、料理が不味くなった。

 指が組み替えられる。


「たまにはカラノさんの意向も聞いてみようかと思って。愛想を尽かされたら困るし。カラノさんが進むべきだと言うのなら、無視してもいいかなと」


 直接尋ねることを避けていても、一緒にいるうちに、自然と分かるようになることもある。そもそもが隣にあるのは渦潮だ。近づかないように注意を払っていても、僅かでも気を抜いている時間があれば、引き寄せられていく。

 違和感に気づいてしまい、いつも通りに返せなかったことを、少し後悔した。だが、それで良かったような気もした。先に進むべきだと言うよりも、この方が、きっとリアを喜ばせられる。


「アンタ、何故、あいつの頼みを聞くことにしたんだ」


 気づかれないように、細く息を吐いた。


「それは……まずは、ルース様を助けたいから。伯父様の目をかいくぐってまで、お館様の強権から逃れようとする姿勢は、良い。あの態度を差し引いても」

「他は?」

「自分の目では檻を見ていないことを思い出した」


 一瞬何のことか分からなかったが、すぐに昨晩、小鬼たちが閉じ込められていた檻を思い出した。

 檻を見たいという顔ではない。魔物を救出するために、次なる被害をなくすために、という使命感のある顔でもない。

 リアのその顔を、カラノは初めて見た。


「……何故、そこまで。本当に魔物を助けるために?」


 既に食事の手は止まっていたが、改めて食器を置いた。


「どうしてそう、皆、私が人助けすることを不思議がるのかしら。確かに、私って人助けしそうに見えないけれど」

「見えないと言うより、動機が分からない。魔物を助けようとすることも、例えば、檻から出した後は、生死はどうでもいい、というのも」


 悪いことをしているかのように、鼓動がうるさく響く。


「アンタが――何を大切にしているのかが、分からない」


 知ってすぐに何かが変わる訳ではない。だが、この先、リアの行動を紐解こうとする時に、リア自身の言葉は何度でも思い返されるだろう。そして思い返す度に、その言葉は自分自身も巻き込みながら、自分の内部により深く落とし込まれる。

 仮に、手に取るようにリアの考えが分かるようになったとしたら、その時の自分は、今の自分と同じ考え方をしないだろう。リアに沿った、リアのための考えをするようになるはずだ。


「……檻が嫌いだから」


 明るい口調だった。


「檻に囚われたり、鎖に繋がれたり。そういうのは、自分ごとでなくても腹が立つ。大嫌い。生死なんてどうでもよくなるくらいに。生まれつきの性質もあるけれど……昔、監禁されたことを思い出す」


 卓の上の飲み物に手を伸ばしながら、飲まずに、手元に置く。爪が軽く器を叩いた。


「……穏やかではないな」

「いえ。あんなに穏やかだったのは、生涯でも、あの一年くらいでした」


 空色の瞳が瞼の下に隠される。まるで夢を見ているようだった。


「食事には困らないし、服もたくさん用意されて、豪華な部屋で。愛情も注いでもらえて。お姫様みたいな暮らしだった。詩を歌うことだけ許されなくて、けれどそれ以外は、何でも叶う暮らし」


 魔物は無論のこと、人間ですら望んでも得られない暮らしだ。羨ましいと感想を持つものが大半だろう。

 実際、リアの話しぶりは、ずっと明るいままだ。

 だが、息苦しさが伝わって来る。これまでに見て来た姿との差異。いつになく、本音で話している。同時にその生々しい感情で、カラノを怯えさせないように、慎重に柔らかな言葉で本音を包んでいる。

 やっとリアは飲み物に口をつけた。


「どれだけ良い暮らしでも、歌えないのなら、アンタにとっては地獄だろう」

「……そう」


 思わず言うと、空色の瞳がカラノを見据えた。


「やっぱり、分かってくれている」


 身を任せるような笑みだ。


「地獄だった。だから、不自由だけは許せない。憎悪している。全ての魔物を救おうなんて気はないけれど……中々詩が作れなくて苛立って、憂さ晴らしをしたいような時には、ちょうどいい。動機は、そんなところかしら」


 憎悪と言う時の声にすら、人を魅了する甘さが含まれている。

 その声を奪ってまで、リアを一箇所に縫い止めようとした人物のことを、考えかけて、止めた。

 理由を聞いたことで、リアの今の思いについて、知ることが出来た。自分自身がどうしたいかは、それで決まった。


「分かった。では、檻を壊しに行こう」

「寄り道だけど、いいの?」

「ガフミまでの護衛を、仕事として請け負った身としては、良いとは言えない。だが……」


 言いかけた言葉を飲み込んだ。それを口にしてしまえば、いよいよ終わりだと感じた。

 代わりに、別の本心を口にする。


「俺個人の意向を言わせてもらうなら、俺は、アンタが自由にやっている姿を見たい。ずっと、時間のある限り。アンタの望むことをしてほしい」

「……そうか。カラノさん、仕事で私といるんだった」


 うっすら耳が熱くなる。


「そうだ。だから、俺の意向は聞くな。いつまでもガフミに辿り着けなくなる。それに愛想を尽かすなんていう心配も、しなくていい」


 食事を再開するが、どれもこれも味が分からない。


「カラノさん」


 そこでリアは言葉を切った。しばらく続きを待っていたが、何もない。聞き返しながら振り向くと、偶然しっかりと目が合い、そして露骨に目を逸らされた。


「何?」


 再度問いかけるが、リアは首を振る。


「いえ、何でもない」

「悪い。色々と聞いて。嫌なことまで話させて」

「それは本当に気にしないで。話したくなかったら、カラノさんの耳千切ってでも話さないから」

「気をつける」

「……」


 再び目が合った。既にそこには得体の知れない微笑しかない。内心を見通されるような心地がして、今度はカラノの方から目を逸らしてしまう。


「それで、どうするつもりだ、ルースの件は」

「私の好きにする」


 無邪気そうな明るい宣言が個室に響く。


「食べながらでいいから、聞いて。私、楽しい遊びを思いついた」


 薄ら寒さを覚えながらも、その表情の鮮やかさに、カラノは笑みを返してしまった。

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