道中
地図
宿屋の寝台に、地図が広げられていく。大きさは手のひら四つ分程度。普段は四つ折りにされているようで、十字に深い折り目が入っている。
右側には獣の足跡のような形をした大きな陸地。左側には大口を開けた鰐を思わせる陸地。二つの土地は、二つの湾に挟まれて細くくびれた土地で、辛うじて繋がっていた。
地図をあまり見ないカラノには、この地図がどの程度の範囲までを記しているのかはよく分からなかった。物珍しく、しげしげと見ていると、リアの指が右上を指した。獣の足で言うところの指と指の間、深くえぐれた湾のどん詰まりだ。
「今いるのは、大体この辺り。で、ここから、こう……」
白い指は曲線を描きながら、少し下へずれる。街の名前が記されていた。カラノも知る大きな街だ。配達や行商人の護衛の依頼で、両手で足りる程度の回数だが、行ったことがある。
指はその街を通り越し、さらに下りて行った。小さな街らしき名前をいくつか過ぎて、大きな山の横を通る辺りで、左に曲がる。二つの湾に挟まれた土地を少し過ぎた先で、指が止まった。
折り目の中心の、僅かに左下。鰐の上顎だ。
「ここがガフミ。前も言ったけど、私の足だとおよそ一ヶ月くらいかかる。ただ、この数字も、順調に行けばの試算。天候や地図の入手なんかで足止めを食ったら、さらにかかる」
ガフミについては、カラノはよく知らなかった。この辺りで最も力を持つ、王のいる街。この辺りの土地を統治しているマカリオスに対しても、大きな影響力を持っている、というくらいだ。
地図を軽く眺めてから、リアをにらんだ。
「天候より先に、上げるべき問題があるだろう」
初めて会った時の追跡者たち、マカリオスとぐるになって待ち伏せしていた五人の刺客。
楽師は人気商売だから、強い感情を向けられることはあるのだろう。それこそカラノのように。だが、リアの狙われ方は、それとは様子が違う。
「全て話せとは言わない。だが、関係がありそうなところは誤魔化さずに話してもらわなければ、仕事に差し障る」
「うん、ごめん」
力を入れたのか、地図が微かに歪んだ。指を浮かすと、少し間を置いてから、リアは口を開いた。
「お察しの通り、私は多くの人から恨みを買っている。正直、どれくらいの人に恨まれているかは分からないけれど、道中はそいつらに襲われることを覚悟しておいてほしい。……中には軍人もいるかも知れない」
「軍? どこの」
言いながら自分で察した。自警団ならばどこの街にも存在しているが、軍と呼称されるような規模の兵を持っているのは、示された道程の中には、一箇所しかない。
「ガフミの軍がお前を狙っているのか。もしかして、マカリオス邸のあいつらも」
「かも、ね。あくまで推測と言うか、それくらいの恨みは買っているってこと。マカリオス邸のは、ガフミの貴族の私兵とも考えられる」
思っていたよりもややこしく、大きい話らしかった。思わず顔をしかめて確かめる。
「襲って来る奴の素性は、確認してからの方がいいか」
きちんとやれと言われれば把握する努力はするが、単純な方が好ましくはあった。幸い、リアは首を振る。
「……いいえ。大きく分けると、私を殺したい人たちと、捕まえたい人たちがいるけれど、私は、誰の思い通りにもならず、自分の意志でガフミに辿り着きたい。それ以外の条件はない」
「分かった」
余計なものが削ぎ落とされた、明快な依頼内容に、そっと胸を撫で下ろす。
今はリアを無事にガフミまで送り届けることを、第一に考えればいい。
何故そこまでしてガフミを目指すのかなど、考え出すと疑問は尽きない。襲撃者の素性を知ることで、自然と分かることもあることを考えると、惜しくもある。
だが、リアの場合、深く知る程に、知らなければ良かったと後悔しそうだった。また、一度泣いたからと言って、あの災厄が自分の中から取り除かれた訳ではなく、依然として、悲しみの要因を増やすことへの危惧はある。
あくまで、ガフミまでの旅だ。その先はまだ分からない。
気を引き締めていると、寝台のばねが軽く音を立てた。
地図の横に、リアが腰かけている。
胸の谷間の暗がりから太腿にかけて、思わず目が吸い寄せられた。そんな気はなくとも瞬間、組み伏せる時の容易さを想像してしまう。
不思議そうに見上げられ、内心を見透かされたのかと思ったが、違った。
「軍人がいると言ったのは、つまり、それくらいの手練が来る可能性がある、と言いたかったのだけど。そちらは気にならない?」
「あぁ……さすがに軍人を相手にしてどこまで出来るかは、俺にも分からないが。対処出来るように準備はしておく。何があっても、アンタはガフミまで送り届ける」
「頼もしいこと。でも、あなたも死なないでよ」
軽い調子で言われた言葉が、妙に重たく感じて、すぐに是と返すことが出来なかった。
「努力はする」
微妙に空いた間に、リアが何か言いかける。それを遮るようにカラノは地図に指を落とした。ガフミの手前にある、二つの湾に挟まれて、細くくびれた土地だ。地図上には目立つ表記は何もない。
「話を戻すが、アンタを探す勢力があるとして、狙いを定めて来るとしたら、範囲が狭く、通れる道が限られるここだと思うのだが」
「恐らくは。ガフミにも近いし、しかも、その手前にあるトウジ山には、多くの魔物が住んでいると聞いてる。進むも地獄、戻るも地獄。私を追い詰めるには最適でしょう」
地図に何も書かれていないのは、治安が悪いせいで調査が難しいからだろう。縮尺なども他より大きく違っている可能性が高い。
「この道を避けることは出来ないか?」
少し指を上にずらす。湾の中だ。
「それだけ治安が悪い地域なら、別の場所に、直接ガフミと繋ぐ船があるはずだ。海も危険は多いが……アンタは大丈夫なんだろう」
サラサの縄張りに、結界の存在にも気づかずに入って来たということは、リアは海のものだ。海はむしろ、本来の住処であるはずだった。海賊などに襲われても、一人ならば逃げられる。
だが、陸に上がって旅をしていることを鑑みると、何か事情があることも確実だ。問いかける声に、やや緊張感が滲んでしまう。
案の定、生返事が返って来た。曖昧に流すのは悪いとでも思ったのか、煮え切らない調子ではあったが、理由もついて来た。
「海路を取ること自体は良いんだけど、その辺りには、あまり近寄りたくない」
「分かった。それなら陸路だな。道すがら、同じ道を行く奴らを探しておく」
「……ありがとう。カラノさんが来てくれて良かった」
一瞬ぐっと来るが、あまり真に受けないように気を逸らす。
「これくらいは普通だろう。増してこの仕事の依頼人は、金払いも愛想も良い」
「ふふ。嬉しい。特別手当を出しましょうか」
「そんなつもりでは――冗談か。分かりにくい」
地図の両側に手をつき、道順を確認していると、不意に地図の上に指輪が落ちて来た。
顔を上げようとすると、頭を抑えられた。額に柔らかな感触が触れる。
少し近付けば触れられる距離に、微笑みがある。
「冗談だと思ったなら、少しくらい笑ったら?」
体勢的に咄嗟に距離を取ることが出来ない。惑っていると、リアの方から離れた。
「いえ、無理にでも笑えと言いたいのではなくて。つまり、真面目に考えてくれるのはありがたいのだけど、もう少しくつろいでもらっても構わないから」
迷った末に指輪を返そうとしたが、手をひらりと振られた。仕方なく受け取りながら、リアの言葉にそうではないと首を振る。
「初めての長旅で、緊張しているだけだ。放って置いてくれ」
「そうだったの。じゃあ……早く慣れて。これから寝食を共にするのだから、あまり堅苦しいと、疲れてしまう」
ささめくような笑い声に、恥ずかしさが込み上げた。やはり、何もかも見透かされていたのかも知れないが、聞けるはずもなかった。
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