家路

 家を構成していたものたちの多くは、海に攫われていったようだった。

 周辺には、呪物かがらくたか分からないものが点々と落ち、重いものや、押し潰されて砂の中に埋もれていたものだけが、家の輪郭をうっすらと残している。

 そんな浜を、軽やかな藤色が歩いていく。

 風になびく白髪を耳にかけて、あらわになった目には、面白がるような光があった。

 その背中を視界に収めながら、カラノは立ち尽くしていた。


「どう、するか」


 声に出してみて、やっと、先のことを考えなければならないという気が湧いて来た。

 呪物には、乱暴に扱っても動じないものから、軽々に世界を滅ぼしかねないものまで、様々なものがある。サラサは出来る限り、世界に対する脅威度が高く、発動の容易なものから処分や対処をしていたようだったが、どうにも出来ないものもあると、カラノを見ながらいつかぼやいていた。

 ここにはまだ、人の手には負えない脅威が残されていたはずだった。

 今のところ近辺に呪物由来の異常はないようだが、いつ、どうなるのか、カラノにはまるで分からない。

 サラサが生きていたなら、野放しになった呪物を、またかき集めに行くだろう。

 カラノにはそんな力はない。ただ巨大な災いに愛されているだけで、能力は人間の枠を出ない。

 前提を確認したところで、あらためて最初の問いが脳内にこだました。


「どうしましょうか」


 荒涼とした景色の中に佇む姿に、何故かはっとして、少しの間見つめてしまった。何が琴線に引っかかったのか自分でも分からなかったが、それは覚えておくべき光景のように感じた。


「カーラノさん。また茫然自失? 気つけした方がいいかな」

「いい、大丈夫だ。……何でもない」

「見惚れてたとかって言ってくれると気分が上がるから、次からそうするように。それで、どうするか、って聞いたんだけど。港の方も見に行く?」

「どさくさ紛れに」


 妙な教育をしようとするな、と文句を言いかけた矢先だった。


「ちょっと、リアさん!」


 海の方から、知らない声が割って入った。

 反射的に体がリアを守るために動いた。手を引きそばに置いて、正体を見極めるため、声の主を探す。

 海の中に、人間の男のように見える姿が、胸まで沈んでいた。

 人物はこちらに向かって、地上とほぼ変わらない速度で歩いて来る。その体が少しも濡れていないのを見て、人間という予測に二重線を引いた。髪色が違うくらいなら、染色したなどと言えば人間と誤魔化せるが、海に浸っても濡れていないという状態は、人間からは逸脱し過ぎている。魔術を使うことが出来なければ、実現出来ない業のはずだ。

 しかし、その人物はどう見ても、やはり人間としか思えない。


「あぁ、来ちゃったかぁ。戻る前に退けって言ったのに」

「リア?」


 肩越しに振り返ると、すれた笑みがあった。


「サイコスっていう……名前なんてどうでもいいか。端的に言います。あなたを連れ出している間に、ここから呪物を盗むように、私が頼んだ人」


 カラノの背から抜け出ていく。

 傍らを通り過ぎていく時、微かに果実のような匂いが香った。

 その匂いを追いかけるように、一歩進んだ。

 距離が近づくに連れて、サイコスという人物の、ちぐはぐな印象は増して行った。魔術を使うならば魔物でしか有り得ないのに、あれは人間だという妙な直感が、紗のように認識の邪魔をする。

 鬱陶しくなって、判断のために巡る思考回路を打ち切った。今は他に考えるべきことがたくさんある。


「おい……リア!」


 弁解を求めていた。

 盗みを働こうとした。裏切りだと、心が叫ぶ。

 本人が言ったのだから、誤解の余地はない。

 だが、それ以外の答えを求めていた。

 波打ち際に辿り着く。リアは濡れることを気にするでもなく、波を足で蹴る。


「……好きに」


 息を詰めて声を聞く。


「好きにして」


 ふつりと言葉は途切れた。

 謝るつもりも言い訳をするつもりもないと、背中が語っていた。


「好きにって……」


 海から上がって来たサイコスに、怪訝そうな目で見られる。「カラノさん。私の護衛で、サラサと親しかった人」と説明を受けると、神経質そうな顔は、罰が悪そうに歪んだ。

 最悪の空気が漂い始めた。


「使えそうな呪物は手に入った?」


 カラノからは背中しか見えないが、元凶であるリアだけが、特に変わらないように見えた。


「そんな場合ではないでしょう……。彼の人への謝罪が先ではないですか」

「口だけの謝罪になってしまうから」

「……はあ。誠意のつもりですか?」


 何度かリアとカラノを見比べるように、サイコスの視線が動く。


「面倒な呪いを受けましたね、あなた」


 しみじみと、リアに向かって言うのが聞こえた。呪い、と耳を疑い、当惑している間にも、サイコスはリアとすれ違い、カラノの方へ歩いて来る。

 何の心構えも出来ていないのに、相対してしまった。

 盗みの助けをした人物。どういう感情で向き合うのか、まだ自分の中で定まっていない。苛立ちはあったが、他の色々な感情も混じっている。

 間合いを探るような一瞬の後、サイコスの方から口を開いた。


「初めまして、サイコスと申します。リアさんから話は聞いているようですね」

「……サラサの呪物を盗むよう、頼まれたと」


 リアは背を向けたままだった。


「はい。大変申し訳ございませんでした。二度とあなたの前には現れないようにするので、ご容赦くださいませ」


 謝られるとかえって苛立ちが増した。過失ならばまだしも、計画的に事を進めていたのなら、罪悪感を覚えるような機会は既にあったはずだ。尽くその機会を素通りして来た人物が、今更、被害者と対面したくらいで反省するとは思えない。この態度は、責を受けないようにするための自己保身に過ぎない。

 だが、同じことがリアにも言えるのだと、思った。


「……最悪だ」


 自己保身をしたかどうかの違いはあるが、その違いがあっても吐瀉物と汚物を比べるようなもので、意味のない差だった。

 リアは悪いとは毛程も思っていない。呪物を盗もうとしたことも、カラノを騙したことも。


「一応言っておきますが……あたしは何一つ盗んでおりません。その前に津波が来ましたから。ただ、呪いによって津波が引き起こされた可能性は、正直、否定出来ません」

「津波の原因は分かってる。……俺のせいだ」

「ほう。それは興味深いですね」

「反省してるのか、お前。もういい。お前にかかずらってる暇はない。帰れ」


 むしゃくしゃして言ったが、言った後に、まだ利用価値があると思い直し、呼び止めた。


「待て、帰るな。詫びる気持ちがあるなら、知っていることを話せ」

「はあ。あたしの知ることであれば、お答えしますが、何を聞きたいんです?」


 馬鹿げたことに、いの先に思いついたのは、リアのことだった。

 呪物を必要とする理由、そこまでしてガフミに行く理由を聞きたかった。リアの過去、悪魔と呼ばれるようになった所以も知りたかった。

 だが、聞く前に、悪い予感がした。辛うじて口にする前に踏みとどまり、しばし沈黙する。

 それを聞いて、何になる。

 苛立ちでかすんでいた目をこらすと、自分の中に、何か恐ろしいものがあるのが見えた。


「質問はよろしいんですか? 一つに限らず、気が済むまでお答えしますよ」

「黙って待ってろ。今……考えてる」

「はあ。構いませんけど」


 気だるげに視線が逸れる。


「聞くのを迷うということは、本当は聞きたくないと、思っているのではないですか」


 言われなくても、自分で気がついている。

 無意識に求めていたのは、盗みをしても仕方ないと同情出来る過去や、協力したいと思える動機だった。

 ──この期に及んで、自分はリアを許したがっている。

 だが、むしろ醜悪で自分勝手な、同情の余地のない話を聞かされるだけかも知れない。

 それを聞いて、いよいよ許せなくなった時のことを考えると、胸に冷たい風が吹き込む。

 頑ななまでに振り返らない背をちらと見てから、サイコスに向き直った。


「確かに、そうだ。アンタ、泥棒なんかする割に、人の気持ちに詳しいな」

「嫌味言ってくださったとこ申し訳ありませんが、あたしに人の気持ちを教えたのは、そこの詐欺師です。……それで、質問はしないということで?」

「いや、聞くべきことは、ある」


 胸を満たすのは、諦念に近い。

 だが、不思議と体は軽い。


「お前、リアと付き合いは長いのか?」

「え、まあ。かれこれ三十年程になります」

「こいつと上手く付き合うこつは?」


 リアが一瞬、振り返ろうとしたように見えた。願望が見せた幻だったかも知れない。


「……付き合わない、というのが、一番良い付き合い方だとは思います」

「もう遅い」

「それなら、あたしに言えるのは、自分を見失わないようにする、ということくらいです。この人は悪魔ですから。人生全部台無しにされますよ」


 かえって疑問符の増えるような助言だったが、悪意はなさそうに見えた。

 手のひらを見下ろす。

 サラサを失い、街を壊し、守るべき遺物は海に流れ、自分以外に持っているものはない。


「分かった。覚えておく」

「これで終わりですか?」

「ついでにあと一つ。アンタは何だ?」

「要領を得ない質問ですね……。まあ、聞きたいことは何となく分かります」


 サイコスは落ち着かなさげに、自分の体を出した。


「あたしは後天的に魔力器官を得た、元人間です。海素も得たので、俗に言うところの海のものでもあります。受け取る側にも個人差はあるようですが、その、本来有り得ない形が、違和感を与えたのでしょう。……つまり、呪いを受ける前の呪物と似た、神の規格外品です」


 言っていることの大半はよく分からなかったが、理屈はあるらしい。理屈があると分かっただけで充分なように思えたので、あえて聞き返しはしなかった。

 ただ、今の話の内容とはあまり関係のないところで、良いことを思いついた。

 少し考えていると、うっすら笑みを浮かべたサイコスが、問いかけて来た。


「それとも、リアさんとの関係の方でしたでしょうか」

「それも話せ」


 挑発して来たのは自分のくせに、サイコスは怯えたように目を逸らした。


「……最初の恋人です。お互いに」

「よし」


 特に遠慮しなくてもいい相手だと判断し、喉元に片剣を突きつけた。ひぇ、と喉から空気が漏れたような悲鳴を上げる。けったいな人物ではあるが、荒事慣れはしていないようだ。

 魔術にまつわる知識についても、カラノ以上にある。

 絶好の鴨である。


「お前にここの後片付けを任せる」

「は……はい?」

「浜に残っているものを出来る限り、世界に影響が出ないように、葬れ。サラサのしていたように」


 見る見る目が見開かれていく。


「無茶を仰る! これだから素人は!」

「その素人が片付けるよりは良いだろう。失敗しても咎めるつもりはない。見張りだけでも許してやる。とりあえず、知らないうちに世界が滅びるようなことにならないように、見ておけばいい。ただし、俺が帰って来た時、金儲けなど邪な形で利用していたら、お前の人相書き持って罪状を触れ回る」

「そんなぁ、見張りだけでも難しいんですよ。それに、あたしにだってやることがありますし……勘弁してください。と言うかリアさん、リアさんのせいでこんなことになってるんですけど、何とかしてくれませんか!」

「……うぅん、まあ、ちょっとかわいそうか」


 深くため息を吐き、リアは振り返った。無表情だ。カラノと目が合っても、表情は変わらなかった。


「今回は私の頼みを聞いてもらったけれど、基本的にサイコスは海藻の研究と私にしか興味のない、無害な人。脅すのは止めてやって」

「……」

「ただ、他の魔術師との繋がりがある。そちらを紹介してもらうのはどう? サイコスより余程適した人物がいるはず」

「弱みもない奴が言うことを聞くか? 先程も言ったが、悪用されては困る」

「報酬を出しましょう。もちろん、報酬自体は私が負担する。呪物の危険性は身を持って知ってるから。サイコスには、たまに様子を確認してもらう。どう?」

「報酬が出るとなったら、むしろ輩が寄って来るんじゃないか」

「この話の要は、後援に私がつくこと。カラノさんが私を監視して、契約違反に対しては、私が手ずから処罰を下す。自分の研究が出来なくなるようなこと、魔術師はしないだろうし、無用な心配だとは思うけど」


 後半の魔術師に関する話の真偽はカラノには分からなかったが、条件的には悪くない。

 剣を下ろし、「分かったな」とサイコスに告げる。物言いたげにしながらもうなずくのを見て、気がかりが消えた。


「お前との話は終わりだ。早く代わりの管理人を見つけて来い」

「三日以内によろしく、サイコス」

「何でリアさんまでそっち側に回ってるんですか。踏んだり蹴ったりだ……」


 当てつけがましくため息を吐いて、サイコスはカラノに背を向けた。その先には海しかない。どこに行くのか不思議に思って見ていると、サイコスは波の上に、足を置いた。


「あ、サイコス! 言い忘れてた」

「……何です?」

「久しぶりに直接会えて、嬉しかった」

「今言うことですか。そういうところが苦手です」


 海の上をせかせかと歩いて、逃げるようにサイコスは去った。

 ため息をつく。

 自分の中に気がかりがないことを再度確認してから、リアに向き直り、口に上って来た言葉を、飾らず口にした。


「リア。ガフミまでの護衛として、俺を雇え」


 無表情に笑みが戻った。盗みの告白をする前と、変わらない笑みだった。


「嬉しい! カラノさんと一緒なら、きっと旅がもっと楽しくなる。ありがとう」


 言葉を失ってしまい、まじまじとリアを見返すことしか出来なかった。

 リアはすっと明るい笑みを落として、皮肉っぽく唇の片端だけを上げた。


「白々しいと思っていらっしゃる」

「まあ」

「それでも一緒に来る、と」


 面白がるような目にうなずき返す。

 間違っていることは分かっているが、決意は不思議なくらいに微動だにしない。

 恋は知っている。

 だが、この静けさは、今までに感じたことがない。


「これは、何なんだろう」


 きょとんとした顔を見て、自分で軽く首を振った。リアが答えを知るはずもなく、そして、知りたいとも思っていない。出来れば分からないままで、早く終わらせたい。


「よろしく」


 どちらからともなく手を差し出し、握手する。軽く振った後、手はリアの方からあっさりと離された。

 気安くカラノの肩を叩きながら、リアは脇をすれ違っていく。


「聞きたいことはたくさんあるけれど、今は早く旅立ちの準備を済ませましょう。マカリオス様が探しているかも知れない」


 振り返って、その背中に従う。


「……嵐に巻き込まれた気分だ」


 軽い笑い声の後、話題は呆気なく、準備や報酬などの事務的な話へと移った。

 そうしてカラノの旅は始まった。

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