現実
世界中の漂着物を集めて作ったような家に、一夜の夢だったはずの人が立っている。
「必然だとしたら、私、逃げなきゃならないんだけど」
「――違う。何で……。アンタ、何故、ここに……」
反射的に問いかけたが、理由は分かるはずだった。この家を訪れる人も、訪れる理由も、限られている。だが今は頭が回らない。
考え事をするような間延びした声と、足元にある無骨な背嚢を拾い上げるだけの、何てことない仕草に、慄いた。夢が現実に侵食して来るようだった。
「とりあえず、私の名前、リア。人の多い場所では呼ばないで」
「リア……」
「サラサに会いたくて来たんだけど、あなたはサラサとはどういう関係?」
今痛む箇所とは別の角度から、胸を刺されたようだった。混乱もやや静まって、重たい塊が喉を塞ぐ。
すぐに、こんな反応をしてはいけなかったと後悔したが、後の祭りだ。
「……何かあったの?」
案の定悟られる。ため息を飲み込んで、この後の対応を考えようとするが、思考が上手く定まらない。
サラサが遺したものを、守らなければならなかった。
そのためには、相手の思惑を探り、企みや悪意はないと確信してからでなければ、本当のことは何一つ打ち明けてはならない。この一年でそう学んだ。
その経験と照らし合わせると、カラノがリアに対して取るべき行動は、黙るか、嘘をつくかの二択だ。思惑を探る必要は最早ない──悪魔に企みがない訳がない。
「サラサは……死んだ。一年くらい前だ。死因は正確には分からないが、恐らく寿命のようなものだろう。朝、起きて来なかった」
そう思いながら、本当のことを喋っていた。
無意識に海に目を向けた。
遺言に従って、遺体は海に流した。魚の餌になって、今はもう骨だけになっていることだろう。
「魔法使いにも寿命ってあるんだ」
意外そうな声に目を戻すと、一瞬きょとんと見返された。すぐに、うっすらと「しまった」と言いたげな表情が浮かぶ。
「まさか、サラサと親しかったの? あぁいや、ごめん。私も悲しいのだけど、それより意外で。長く会っていなくて、昔はそんな奴じゃなかったから……。死ぬとも思ってなかったし……。違うな。ごめんなさい。黙った方が良さそう」
「いい。珍しい反応でもない」
サラサの死は、どうやらサラサの正体を知る者にとっては、あまりにも非現実的であるらしい。
「遺体は海に流したから、もし悼む気持ちがあるのなら、海に偲んでくれ。――それ以外の用事なら、俺は何も知らないし、何も出来ない」
先手を打ったが、聞いていたかは分からない。
「――本当に……?」
海に向けられた顔は、頭巾に隠れてよく見えない。話している時の雰囲気では、死を単に悲しむだけの間柄にはなかったように感じられる。頭巾の中でほくそ笑んでいても、意外ではない。
実はサラサと生前親しい関係にあったのだと、カラノを騙すつもりもなさそうなのが幸いだった。そういう相手には強く出にくい。
さらに言えば、殺しやすい。
「恋人だったりした?」
「え?」
空色の瞳が、いつの間にかカラノを見ている。
「サラサと。もしそうなら、昨日はごめんなさい」
「……育て親だ」
「そう。じゃあ、良かった」
花の綻ぶような笑みだった。
体の内にじわりと喜びが湧いて、昨晩感じた恐怖を思い出した。
昨晩は一時のことだと思っていたから、笑みも受け止められた。
今は、致死の毒のようだ。
リアはふと「あ」と何か思いついたような声を上げて、カラノに向き直った。
「よく考えたら、私の方が怪しいか。昨日カラノさんに声をかけたのは、本当に偶然だから。追いかけて来た人たちとぐるってこともない。知ってたら、さすがに手を出そうとなんてしない。魔法使いの縁者なんかに手を出したら、冥界からでも手が伸びて来そうだし」
「あ、あぁ、分かった」
「その上で言うけれど、私がサラサを訪ねた目的は呪物です」
柔らかな言い方ではあったが、自然と空気が張り詰める。
知っていた、と心の中で答える。この家に来る人のほとんどは、サラサの集めた呪物を目当てにやって来る。
神が設計図通りに創るのに失敗し、人を、国を、世界を壊せる力を得たものが、この世にはある。その中でも、実際に人間や世界を破壊したものに対して、神は罰を与える。その罰が呪いであり、呪いを受けたものを、呪物と呼ぶ。
使い方に骨はいるが、上手く使うことが出来れば、神業を発現させることが出来る代物だ。
「これからガフミに向かうのだけれど、道中で昨日のようなことがあるかも知れないから、何か身を守ることの出来る呪物を頂きたくて。輪廻の蛇、叶えずの花種、魂を分ける槍。いっそ、知らないものでも、使えないものでもいい。お守り代わりだから」
偶然と言われても、やはり、最初から計画されていたことではないのかと、疑念が消し切れない。皆、呪物を得るためならば、手段を選ばなかった。
何にせよ答えは決まっていた。浮ついた気持ちを切り替えて、リアに正対する。
「話が早くて有り難い。ここにある物は、どんな事情があったとしても、どれだけの金を積まれても、何一つ渡せない。帰ってくれ」
「「何も知らないし、何も出来ない」って、やっぱりそういうことかぁ。たくさん来たんでしょう、私みたいな人が」
耳には届いていたらしい。リアの言う通り、どこかでサラサが死んだと聞きつけた人物が、サラサの遺した呪物や知識を狙って、幾人も訪れた。だが、カラノは魔術についても、呪物についても、最低限のことしか知らない。
空色の瞳が逸らされた。家の方へ顔が向く。釣られてカラノも見た。こちらは家の裏側にあたる。がらくたが大量に積み重なっていて、家と知らなければ、家と気づくこともないだろう。
一口にがらくたと言えど、置いてある物は、粗末な物ばかりではない。輝きを放つ宝飾品や、見たことのない形の武器、巨大な拷問器具もある。その内のどれが呪物なのかも、カラノは知らない。
不意にリアがその場で屈み、何かを拾い上げた。小さな亀の甲羅だ。
「この辺りの物に、軽率に触らない方がいい。うちの物ではないかも知れないが、何が起こるか分からない」
「あぁ……昔、サラサにも怒られた。無闇に触るな、雷に打たれても知らないよ、って」
寂しげに言いながら亀の甲羅を置いて、そのまま屈み込んだ。疲れたように、固まる。
外套の裾が地面の上で折り重なっていた。
日の下で見ると、外套のすり切れ具合がよく分かる。
楽師の旅を思った。具体的な想像はつかないが、昨晩に聞いた詩と印象が混ざって、妙に眩く感じられた。だが同時に、襲われることを当然のこととして想定している口ぶりが、想像した光景を揺らめかせる。
悪魔と呼ばれ、夜の街を逃げる。単なる楽師であればそうはならない。娼婦だったとしても、ずいぶんと激しい生き方だ。
「そうだ。カラノさんが護衛してくれればいいんじゃない?」
突然、目の前に朗らかな笑みが迫った。
「もちろん対価は払いますよ。いかが?」
「待ってくれ」
顔の前に腕を被せて、なおかつ距離を取る。
「仕事なら……条件次第で引き受ける」
答えながら、本気で言っているのかと自問した。
「ガフミまで。どこに息がかかっているか分からないから、下手な人に護衛が頼めなくて困っていたのだけれど、カラノさんなら安心」
「距離があるな。日数はどれくらいかかる」
「馬なら一週間くらいなんだけど、私は馬に乗れないし、瞬間移動魔術の伝手もないし、ついでに体力もない。休み休みで一ヶ月以上かかる見込み」
「加えて、昨日のように追われることがある?」
悪戯っぽい笑みで返された。
途中で揉め事などに巻き込まれたり、それによって道を逸れるようなことがあれば、さらに時間がかかる。
リアと、少しでも長くいたいとは思う。もしカラノが単なる人間であったなら、報酬などなくても受けていた。
だが、首を振らざるを得なかった。
「……長過ぎる。そんなに長くは家を空けられない。呪物が盗まれでもしたら、大事になる」
「この家、結界が張られているんじゃなかった? 魔法使いの十八番なのに」
「張られているはずだが、何か穴があるらしい」
許可なしに結界をくぐり抜けられる人物の条件はサラサから聞いていたが、情報が漏れては困るので、あえてぼかした。
「だから、ガフミまでの護衛の依頼は、受けられない」
あらためて言うと、自分でも情けなくなるような声が出た。噴き出すような笑い声が聞こえて、顔が熱くなった。
「どうして断ったあなたの方が、残念そうなのかしら」
「……アンタと共にいられる時間を逃して、惜しいと思わない奴がいるのか?」
「アハハハハッ! そうね、いるはずもない」
しかし、この予期せぬ邂逅で、絡まった糸のようにわだかまっていた未練は、断ち切れたような気もしていた。心から惜しくはあるが、別れることは出来る。
これ以上この声を聞いていたら、引き返せなくなる予感もあった。
大切な人はサラサだけでいい。
「それなら、明日だけでもお願い出来ない? 丘の上の貴族様の家で、聖詩を歌うことになっているのだけど、これがちょっときな臭い」
「……魔物が聖詩を歌うのか? 聖は、人間が神に捧げるもの、だろう。魔物が歌っては聖詩とは呼べないのでは」
「私、基本的に人間のふりをしているから。……ん、もしかして、神様を信じてた? 魔物が聖詩を歌うなんてけしからんって言ってる?」
「いや、どうでもいい。少し気になっただけだ」
単なる時間稼ぎ、あるいは、話を吟味する精神の余裕を得るための緩衝材でしかない。
ゆっくりと頼み事の内容を咀嚼していく。
丘の上の貴族と言えば、マカリオスしかいない。この街の領主である。ちょうど昨日カラノは、何か重要な客人が来るとかで、マカリオス邸の警備の増援として雇われていた。おかげで周辺の地理は頭に入っている。聖詩を奉納するのは、庭にある小さな聖廟だろう。
荒事は珍しくはない。呪物を守るためにサラサに躾けられた。昨日の輩程度であれば勝てる。それ以上の相手でも、護衛対象を逃がすくらいの力はあるはずだ。
そして期間は、明日一日だけ。
可能かどうかで言えば、可能だった。
あとはやるかどうかだ。
警報が鳴り続けている。別れの悲しみに耐えられる今の内に、早く別れるべきだ。
しかし、惹かれている。
その迷いを見計らったように、抱き締められた。服の上からでも分かる柔らかな曲線が、言葉を失わせた。
「頼むのならあなたがいい」
声が直接、耳に吹き込まれた。
「私、私のことを好きな人が好き。だからあなたがいい。うなずいて」
体中の感覚が、彼方に遠ざかる。
話しかけられている。しかし、その言葉を認識することが出来ない。耳より奥に、流れ込んで来る。これは単なる声ではない。
まるで夢のような景色の中に、問いかけにうなずく自分がいた。
「ありがとう。大好き」
指先で軽く胸を押されただけで、足がよろめいた。砂混じりの土に膝を落とす。
「リア……くそ」
「この後も予定が入ってるから、行きますね」
足をつかもうとするが、蝶のように躱された。足音が背後に遠ざかっていくのを、為す術なく聞くしかなかった。
魅了系の魔術だろう。立てないこともないが、立つ気力がなくなっていた。魂に直接筆で文字を書き込まれたような瘙痒感があった。魔術を受ける「下地」が十全だったせいか、覿面に効いている。
加えて、寝不足、二日酔いであることも思い出した。
足を崩して、そのまま横向きに地面に倒れ込んだ。草が同じ目線にある。どうせここは既に結界内で、人は滅多にやって来ない。このまま寝てしまおうかと考え始めた。
すると、足音が戻って来た。
心配そうな声が降る。
「よ、弱くしたつもりなんだけど、死ぬ?」
「死なない……」
「良かった。じゃあ……そこで寝るの? 毛布とかいる?」
無言でいると、隣で背嚢を漁り始めた。少しして体に布がかけられる。
「また明日。風邪を引かないように」
周辺から人の気配がしなくなってから、寝転がったまま空を仰いだ。
本当に、よく晴れている。
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