35話 アンチ殺しで無双する


「おい、ババァ! 飯食べたぞ! かたづけろよ!」


 閑静な住宅街に響いたのは、30過ぎの男の声だ。

 普通住宅の2階から発せられた怒鳴り声は、周辺の家々が寝静まった深夜では異様に聞き取りやすかった。


「まさひろ……あんた……そろそろ外に出たりした方が健康にいいんじゃないかい?」


 55歳を過ぎた女性は階段を上り、自分を呼びつけた息子の部屋の前まで来ると不安げに語り掛ける。しかし、そんな言葉は息子にとって不機嫌の種にしかならない。


「うっせえつってんだよ! おまえは俺に飯と金を用意してればいいんだよ! ババアが!」


「まさひろ……」


 恫喝する息子に対し、母親は暗い表情で立ちすくむ。

 息子がヒキコモリになって5年、彼女はあの手この手で息子を部屋から出そうとした。けれど、息子は頑として自室の扉を開くことはなかった。


「久しぶりにお母さんと顔を合わせて話でもしないかい?」

「おい、静かにしてろよ」

「誰かいるのかい?」

「ネットで知り合った友達と通話してんだよ! あー! うぜええな!」


 30代の息子は扉の前に立つ母親に構うことなく、力任せに扉を開ける。すると当然、母親は扉にガツンと顔をぶつけよろけてしまう。


「てめえが! いちいち! うるせえから! 外に出る気も! 働く気も失せるんだよ!」


 息子は一言一言を区切りながら、母親を殴る蹴るの暴挙に出る。

 初老といってもいい女性は為す術もなく、鼻から血を流す。そして息子の暴行が止めば、むせび泣きながら一階へと逃げだした。

 彼の父親が死去してから、これがこの家での日常風景になりつつある。


「ちぃっ。うぜえ。おい、てめえも何見てんだよ、奴隷」


 男が自室に戻ると、手足しを縛られた13歳の女子が首を何度も横に振りながら怯えていた。彼女は瞳に涙をいっぱいに浮かべ、必死にフルフルと全身を震わす。男はそんな彼女を見て下卑た笑みニヤリを浮かべる。


「奴隷はご主人様に視線を合せちゃいけないって教えなかったか? おら! 飯抜きにすんぞ?」


 そう言って女子の腹をボゴッと殴り、痛みでうずくまる彼女をさらに何度も蹴りつける男。

 4年前、隣の市で9歳の少女が行方不明になり、多くの人が捜索に協力したにも拘わらずその結果は虚しいものに終わった。

 その惨状がまさにここにある。


 少女は拉致監禁されて4年の歳月を刻み、身体にも無数の傷が刻まれていた。

彼女が地獄の日々を送っているのを、もちろん母親は全く気付いていない。

 時折、息子の部屋から聞こえる音もネットの友達と何かゲームでもやっていると思っていたのだ。


「どうして女ってやつはこうも生意気なんだろうなあ……うぜえ。うぜえと言えば、あのキモい喋り方の妹だ」


 男はおもむろにPCの電源をつけ、とあるゲーム配信者のチェックをする。まずはツブヤイッターで『死ね、ゴミクズ』と粘着リプをするのが彼の日課になりつつある。更に、某掲示板サイトでその配信者のあることないことを書き込み、果てはその配信者たちが死ぬ様を妄想して物語まで書く。

 そして配信が始まれば必ず視聴しに行き、自分の思いの丈をぶちまける。



「ふぃー今日も『おっさんと妹』の配信を荒らしてやった。ざまあ」


 一息ついた男は、隣で寝転ぶことしかできない少女を抱き寄せ、彼女の意思とは関係なしにその身体を弄ぶ。少女は心を殺され、肉体を支配され、そして痛みと苦しみだけが連鎖する行いに耐え続ける。



「ふああ……眠いわ。さっさと寝て、またあいつらが配信した瞬間に凸ってやるか。おら、逃げんじゃねえぞ奴隷」


 最後に奴隷と呼ばれた女子の顔を殴り、彼は寝息を立てた。





 言葉の捉え方は人それぞれだ。

 だからこそ、言葉の暴力や悪意は見えづらく深刻だ。


『キモい』と暴言を吐かれ、『別に自分はそんなにキモくない』と気にしない人もいれば、『そっか、自分はキモいんだ』と意気消沈し自信をなくす人もいる。

 中傷の刃に心を抉られ、事ある毎に『キモい』と言われた瞬間を思い出し……自分を肯定できなくなる人もいる。一生の傷を負い、尊厳を奪われる人だっている。


 肉体的な傷より、心の傷を癒やす方が遥かに時間を要するケースも多い。


 時に単純な暴力よりよっぽど破壊力のある悪口は人の心を殺す。これは部分的に、殺人に等しい所業ではないのだろうか?


 芽瑠めるは気丈にも『大丈夫』と言っていたけど、ひどい暴言が胸に刻まれたのは確かだ。

 リスナーはごまかせても兄の俺はごまかせない。



「————【復讐の執黒官しっこうかん】」



【復讐の執黒官しっこうかん】を発動すると俺の視界はぶれ、散らかった一室へと様変わりした。


「なんだ……この匂い……」


 すえた匂いが充満する部屋に顔をしかめる。

 ただでさえ芽瑠を侮辱した奴の部屋にいるというだけでも嫌悪感が募るのに、不快に感じる要素がプラスされるのは精神衛生上よろしくなかった。



「あ……」


 小さく上がった声に反応し、俺はふと足元を見れば匂いの正体に気付く。

 そこにはガリガリにやせ細った十代前半と思われる女子が手足を縛られていた。彼女は身体の至る所に青あざをつくり、軽い裂傷まで見受けられる。

 

「は……?」


 俺は一瞬何が起きたか理解できず、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 まさかこの少女が芽瑠を傷つけた張本人なのか?


 いやいや待て。

 冷静になるんだ、俺。


 手足を縛られていてどうやってあんなアンチ活動ができる?

 そう、考えられるのは……その少女の隣で惰眠をむさぼる30代前半の男性に目星をつけ、俺はそっと彼に近づいて首を掴む。



「ごっ……ごぉぉーっごっ……ごっ」


 そいつのかくいびきが不規則な音を刻む頃、彼は息苦しさから目をパチリと覚ます。


「ぐっ、ごっ!? 誰だ……!?」


 首を絞められているから、彼は必死に声を絞り出すように俺を見る。続いて、首を掴む俺の手を振りほどこうと暴れだすが俺はビクともしない。

 何せ今の俺の筋力的に、人間の首なんて簡単に握り潰せるからだ。



「俺が誰か、声を聞いてわからないか?」


「……!? その声、まさか……おっさんと妹の、おっさん!?」


「ああ」


「ぜっ、ぜんぜんおっさん、じゃねえ……イ、ケメン、かよ……」


「お前はおっさんだな」


 それからそっと彼の首を離してやる。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……はー!? おまえ、自分が何したかわかってんのか!? 不法侵入だぞ!?」


「この少女は?」


「てめえには関係ねえよボケが!」


「……」


「ってかこわ! 最近のガキはすぐリア凸かよ! 警察呼ぶぞ!」


「呼ばれて困るのはどっちだ?」


 少女に視線を向けると男は一旦黙り込むが、俺が学生だと知ってか高圧的に喋り出す。



「ガキィ……てめえ、なんでここにいる?」


「おまえが芽瑠の心を傷つけたからだ」


「はぁー? 俺が傷つけた証拠は? お前の妹が心に傷を負った? そんな傷なんて見えやしないだろ? 見えない傷にガチになるとか草wwwキモすぎwww」


 小馬鹿にしながら俺の肩をどついてくるが、やはり今の俺にとってそよ風がなでたぐらいにしか感じられない。



「証拠が残らず、見えない傷なら何したっていいんだな? じゃあ体感してみよう」


 俺は彼に触れ、【拷問王の悪夢】を発動する。

 彼も俺も即座に夢の中に堕ちるが、シチュエーションは現実と寸分も違わない。だからこそ、彼はまだここが現実だと思い込んでいるだろう。

 

「さっきから何言ってんだよガキ。さっさとここから出てい————ぶはぁッッ!?」


 軽く腹パン。次に耳を掴み、引きちぎる。


「ぎゃああああああああああああああああああ!?」


 夢の中とはいえ実際に痛覚を感じる【拷問王の悪夢】。

 その効果は本当みたいだ。


「はぁっはぁっはあああ……て、てめえっ! よくも見ず知らずの人間相手に! こんな外道な事をしてくれたなあ! てめえはクズだ!」


「見ず知らずの人間相手だからできるんだろ? ああ、あんたも、見ず知らずの俺たち相手だから、心を削れる誹謗中傷ができたんだなあ」


「……!」


 俺の反論に黙ったのか、痛みに耐えかねて口をつぐんだのか定かじゃないけど、かまわず淡々と喋り続けさせてもらう。


「芽瑠が日頃からどんなに頑張ってるか、どんなに優しい子なのかなんてあんたは知らない。だから心無い言葉で突き刺しまくったんだよな? 動画だけ見て、判断して、あんたは自由に罵詈雑言を飛ばしたわけだ」


 ついでに足を踏み抜いてやればゴキャアッと鈍い音が響き、彼は嗚咽おえつする。



「俺もそうだ。あんたは友達想いな奴かもしれないし、親孝行なのかもしれない」


 次に指を掴み、バキリとへし折ってやる。


「でも、俺はあんたを知らない」


 そっと耳打ちするように語り掛ける。



「ぎゃああああっ、ふっ、ふっ、はあっ、くううう」


「ただ、あんたと同じで、あんたが吐いた誹謗中傷コメントだけを見て、あんたを傷つけにきたよ。同じだな?」


「ぐぎゃああああああああああああああああ!? やめっやめてっ、やめてぐれ!」


「俺はアンチコメを打つのはもうやめてくれって、配信に来ないでくれって言ったよな? あんたはやめたか?」


 小指、薬指、中指と順番にボキリ、ボキリと折っては相手の耳元で囁いてやる。



「他人を傷つけ侵害するってことは、敵対するってことだ。もちろん、やり返される覚悟があって芽瑠を傷つけたんだろ?」


「ぎゃああああっぐううううう、くそがっ!」


 彼はどうにか俺を殴ろうとするも、とっさに指が折れた手の方を使ってしまったため、かえって彼の手は悲惨なことになった。

 鉄のように頑丈な俺の頬を殴りつけ、逆にゴチャリと拳が潰れてしまったようだ。


「ぎいいいいいいい!? いだあああああ!」


「じゃあやり返すさ。俺を敵に回したのはあんた自身だ。大切な存在を侵害されたら誰でも報復ぐらいはするさ」


 顔を掴み、身動きできないほどに締め上げて髪の毛をブチブチブチブチっと引き抜いてやる。

 引き抜く、引き抜く、引き抜く、引き抜き続ける。



「がああああああ!? てめえええ、治療費はどうしてくれんだよ!? 賠償問題だ! 傷害罪だぞおおおおおお!?」


「うちの妹が、あんたの罵詈雑言でふさぎ込み、精神科に通院するはめになったとして。その医療費をお前は出してくれるのか?」


「があああっ!?」


「なあ、痛いだろ? お前の心が折れるまで、心が死ぬまで傷つけてやるよ」


 人の心を折るのに一番手っ取り早い方法は、痛みや苦しみだ。

 だから俺は黙々と彼をなぶり続ける。

 そうしてわかった真実は一つ。



「……嫌な気分だな……」


どうしてお前らアンチは、平然と、簡単に、人の心を殺そうとできるんだ?

『自分が悪口を言ったってバレないだろう』なんて匿名性を傘に着せ、一方的に安全圏から誰かを中傷する卑怯者。


 ……なんて、なんて嫌な気分なんだ。

 最初は怒りに任せて振るっていた拳も、今となっては苦痛に感じ始めていた。


 こいつは自分の欲望のために中傷した。

 なら俺がやり返さない道理はない。

 俺も俺のためにこいつを……そう自分に言い聞かせても、次第に振り下ろされた拳は止まっていた。



「はあ……また何かやらかしたら、何度でもお前のそばに来てやる。何度でも、だ」


「わがっ、わがったがらあああ……助け、だすげでえええくだざいいい」


【拷問王の悪夢】を解除すれば、痛みで気を失った彼がどうっと倒れ込む。もちろん、ある程度の傷は現実に残してあるけど、致死には及ばないよう調整してある。

 両手両足の粉砕骨折に加え、秘部潰しキンテキだ。



権能スキル『アンチ殺し』……『変態ニートの心』を折ったので権能スキルポイント1取得】


 ああ、リアルでもアンチ殺しのボーナスは健在だったっけ。




「アンチ殺しで無双する、か……」



 納得した俺は両手足を縛られた少女を解放し、彼女自身に警察へと電話を入れさせる。警察が突入するその瞬間まで見届け、俺は【復讐の執黒官しっこうかん】を発動させて自宅に戻る。





 後日、ニュースで4年前に拉致された少女が発見されたと話題になり、犯人である無職の男から少女を救ったのが正体不明の不法侵入者だと報じられた。

 これには世間も驚きを隠せなかった。


 不法侵入者には空き巣や強盗などの疑いもあったが、一部の層では『断罪人だんざいにん』、『救世主』などと称える声も上がっている。


 それは解放された少女が『助けてくれた』と強く証言しており、犯人の男が恐慌状態で誰にやられたのか頑なに口を閉ざしているのもあり、数多の憶測がネット上で飛び交う。

 正体が謎に包まれている『断罪人』はダークヒーローなのか?

 ツブヤイッターなどでちょっとした盛り上がりを見せ、トレンドにも一瞬だけ乗っってしまう。


『#少女救済』

『#断罪人は誰?』



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