26 狩猟祭のはじまり

 狩猟祭は3日間執り行われる。参加者はそれぞれ所属されている天幕を拠点にして、森の中獲物を探し回る。


 アリーシャに用意された天幕がまともなもので内心助かる。回帰前はボロボロのものが用意され、雨露が垂れる有様であったのを覆いだした。


 一応アルバートが参加する効果かしら。


 アルバートの見ている中、粗末な天幕を用意されれば自分の将来が危ういと。

 アルバートは将来有望な貴族令息であった。

 魔法の知識は王宮魔術師が認める程の腕前で、魔法塔に推薦される程だ。父侯爵から事業をいくつか委ねられており、彼の指導により好転したものが多くクロックベル侯爵家の利益に繋がった。

 かつては花姫候補を求めて「女であれば良かった」と口にしていた侯爵は上機嫌にアルバートを正当な後継者に指名している。


 そのアルバートがアリーシャのエスコートを務め、今回の狩猟も参加しているとなるとアリーシャの後見となっているように見えるだろう。

 侯爵家にすら見捨てられた哀れな泥姫と馬鹿にしていた者は大慌てである。


 呪いの効果もあったとはいえ、アリーシャとしてはこの人の変わりようは面白くないと感じた。

 その程度であれば何故つまらない影口を叩いていたのかと。


 不満気にしているアリーシャに対してアルバートはため息をついていった。


「だから回帰前に言っただろう。公の行事があった時は何故連絡をしてこなかったんだと」


 アリーシャが相談してこなかったからアルバートは特に動く必要がないと判断していたようだ。

 花姫になったばかりの頃アルバートは王都から離れて交易の勉強をしていた。戻ってみるとアリーシャの花姫としての立場の危うさに驚いて、例の手紙を送ったのだ。何故連絡しなかったと。


 王太子や、他の花姫、侍女たちから馬鹿にされる日々を過ごしたアリーシャからすればさらに馬鹿にされたと感じて捨ててしまった。


「侯爵様も私を突き放したから、不貞腐れていたのよ」


 そう答えるとアルバートはそれ以上何も言わなかった。


「だから言ったんだ。山村で育った娘を花姫として送るのは反対だと」


 送るのであれば、きちんと教育を施すべきだとも父に言った。しかし、時間がなく簡単な説明のみでアリーシャを花姫に送り出してしまった。


「現当主の杜撰さを考えれば、クロックベル侯爵家はおしまいだな」


 父に対して辛らつな評価を下すアルバートにアリーシャは首を傾げた。


「あなたが侯爵を継ぐのだから大丈夫じゃないの?」

「……祖母が呪いをばらまいたんだ。何も素知らぬ形で侯爵家を続けられると思うのか?」


 アルバートは自身が侯爵を継いだ後は祖父母、父が残した負債を処理して王族への誠意を示すつもりだという。

 この時は一部の爵位を返上する気持ちでいたというのをアリーシャは知らなかった。

 口は悪いが、頭が固い真面目な性格だ。

 アリーシャが記憶している貴族は狡猾な者が多い。

 アリーシャが花姫になることを反対したのは、彼女が苦労することを予測したためだと今はわかる。


 でも、言葉の選び方がもうちょっと気を付けてくれればよかったのに。

 彼の意図がわかればわかっていれば私だってアルバートを頼っていたのよ。


 そうすれば少し違ったのだろうか。



 式典が開かれる前に淑女が参加者にハンカチを渡すことになる。アリーシャは他の花姫と同じ時に王太子へ手渡した。花姫が贈るハンカチの刺繍はそれぞれの宮の名から選ばれているのが多い。アリーシャはカメリア、椿の刺繍を施したハンカチを手渡した。

 どうせ捨てられるのがわかっている。適当に椿の花をぽつんと1個つけただけの品であった。


「まぁ、アリーシャ様のハンカチはとても綺麗ね」


 1輪の椿のみ、それ以外はまっさらな状態を揶揄っているのだ。

 コレットとクリスの嫌みと笑い声は気にしなかった。


 今捨てられても驚かない。


 恥をかかされても覚悟の上だと王太子に渡してさっさと目の前から消えたかった。

 ヴィクター王太子は眉間に皺をよせ嫌そうにアリーシャのハンカチを受け取った。

 さすがにローズマリーが睨んでいる中捨てることはしなかったのだろう。


「ヴィクター王太子殿下にロマ神のご加護があらんことを」


 アリーシャは挨拶を終え、さっと王太子の前から去った。不必要な小言を受けないように先手を打ったのである。


「アルバート様」

「渡し終えたか」


 一応花姫の役目は果たしたとアリーシャは頷いた。そして彼にハンカチを手渡す。

 アルバートに渡したハンカチの刺繍には家紋と、一族の象徴である花を描いている。

 クロックベルの家紋はその名の通り時を意味する砂時計に鈴をつけた猫である。そして象徴の花は紫のプリムラ。


「思ったより悪くないな」


 相変わらず一言多い。アルバートは腰に履いていた剣の柄にハンカチを結び付けた。

 あなたに獲物を捧げるという意味である。


「アルバート様」


 後ろからどんとどつかれアリーシャはよろめく。それをドロシーがキャッチした。

 見学に来た貴族の令嬢がハンカチを持ちアルバートのもとへ突進したのだ。それが合図かのように次々と令嬢たちが彼の元へ訪れる。

「どうがご無事をお祈りしています」

 そういいながらハンカチを差し出そうとする。


「アルバート様はもてますね」

「そうですねぇ……有望株ですし」


 アリーシャの皮肉にドロシーは素直な言葉を述べる。

 ここにいても邪魔になるのでアリーシャはささっとそばを離れた。


「っち、恥知らずな奴だ。雰囲気を悪くしていると自覚しているのか」


 男の声にアリーシャはぴくりと反応して足を止める。自分のことを言われていると思ったが違った。

 つまらない言葉を吐いた男たちが見ている先には倒れた幹に腰を掛け、自分の装備を確認している黒髪の狩人であった。


「シオン様」


 アリーシャの呼び声に黒髪の狩人は顔をあげた。相変わらず端正な顔立ちである。

 普段と異なる勇ましい姿につい目を奪われそうになる。


 ヴィクター王太子も顔は良い。アルバートも顔がいい。

 彼らと並んでも全く遜色のない端正さを持ち合わせている。


「アリーシャ様、ご機嫌うるわしく」

「あなたも参加されるの?」

「ええ、光栄なことに国王陛下から招待していただきましたので」


 少し複雑な表情を浮かべている。

 彼は仕事の影響で周りから良い顔をされていない。本来であれば参加するのを避けていたが、国王に呼ばれれば無視するわけにはいかない。


「そう。ところであなたはハンカチを貰ったかしら」

「はい、ありがたいことに」


 照れたように剣の柄をみせてくれる。白いハンカチをみてアリーシャはむむっと唇を動かした。

 確かにシオンは顔がいい。もうすでに淑女からもらっても不思議はないだろう。


「そ、そうなの。どうか頑張って」


 残念な気分になるのは何故だろう。折角準備したものが無駄になってしまった。結構な自信作だったのに。

 頭の中で考える言葉をささっと払ってしまう。


「アリーシャ様、良かったのですか?」


 シオンの傍から離れた後、ドロシーは声をかける。


「何が?」

「ハンカチを渡したかったのですよね」


 何故わかったのだろうか。


「いいのよ。シオン様はもう誰かに貰っているのだから」


 必要ないことである。

 

 あちこちで淑女と参加者のやり取りが繰り返された後、開会式が始まった。

 国王の挨拶と激励の言葉がかけられる。

 合図とともに狩猟祭は始まった。淑女たちが一斉に参加者たちを応援して見送る。

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