10 行き場のない怒り

 パーティーを後にしたアリーシャはこつこつと足音を立てながら廊下を歩いていた。渡り廊下を通り自分の宮へと戻る途中にピタリと彼女は立ち止まった。

 静かな廊下である。誰も通らない閑散とした通り道。

 後ろの方は華やかな音楽と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 あまりに対照的な雰囲気にアリーシャは嫌気がさした。しばらくして逃げるように走り出す。渡り廊下から出て庭へと飛び出した。


 何で今まで考えなかったのだろうか。


 もう一度終わった人生なのだから試してみればよかった。


 会場から離れたアリーシャは走りだして思い描いた場所へと向かった。

 パーティー会場で、みんな会場の方に集中している。王宮の敷地から一番外れた場所に誰も来るはずがない。


 途中でヒールが折れてアリーシャは靴を脱いで走った。


 アリーシャは記憶をたどり湖の庭園へと向かった。本物の湖ではなく、人工的に作られた場所。


 深くて冷たい湖である。


 このドレスが水を吸収すれば身動き取れずに簡単に底へ沈める。


 桟橋の上をゆっくりと歩く。

 夏でも湖の近くは涼しい。いや、寒いかもしれない。


 アリーシャは端の方までたどり着き、勢いよく水の中へと飛び込んだ。

 思った以上に湖の中は冷たい。このままなら体温を奪われてしまう。

 予想した通り水を吸ったドレスは重く、彼女の体をじわじわと底へと沈めていく。


 さぁ、これで終わりにしてちょうだい。

 処刑されるあの時からもう疲れてしまったんだから。


 目を開けたら美しい星の河がみえた。会場よりもずっと灯りがなくて綺麗にみえる。

 あの世というのは綺麗な星空が見える場所なのか。

 ぼんやりと考えてしまった。


「目を、覚ましましたか?」


 聞き覚えのある男の声にアリーシャは目を見開いた。


「シオン・シャーリーストーン?」


 アリーシャよりもずっと綺麗な白い肌をもった美丈夫。

 空色の瞳がじぃっとアリーシャの姿を映していた。


「どうしてっ!」


 アリーシャは起き上がって自分の今の状況を確認した。


「どうしてではありません」


 聞きたいのはこちらの方であるとシオンは怒った表情をみせた。


「突然走り出して、湖まで行ったと思えば水の中に飛び込んで」


 死ぬつもりだったのですか?と尋ねる言葉にアリーシャはこくりと頷いた。


「そうよ。死ぬつもりだった」

「それはロマ神の教えに背きます。ロマ神からいただいた命を自ら奪うのは冒涜です」

「いいのよ。もうとっくに死んでいるのだから」


 アリーシャは苛立ちシオンの頭を叩いた。


「私はね、半年後あなたに殺されたの。首をばっくり切られてね」

「何を言っているのです?」

 冗談にしても笑えないと言うシオンにアリーシャはきゃははと笑った。

「私もうわからない。起きたら過去に戻って同じことの繰り返し。処刑されたくないから花姫をやめますって言ってもやめさせてもらえないし、ヴィクター王太子は相変わらず人の話を聞かないし私を嫌っているし」


 とめどない感情があふれてくる。


「私、何をしたんだっけ。確かにそうね。侍女を殴ったり、ものを投げたり人を傷つけたわ。自分でも悪かったと思うけど、でも、処刑される程のことじゃないわよ。毒殺なんてしていないし、呪詛だってしていない。それに……私だって頑張っていたのよ。必要な教育を受けないまま花姫になって、周りから馬鹿にされて、わからないと言えば笑われる。泥姫と呼ばれて、泥のスープを飲まされて、何かもめごとが起きれば王太子は私のせいだと決めつけて……もう嫌になる」


 この男に何を言っているのか自分でもわからない。処刑されたことも、花姫になった後アリーシャが受けた境遇も今のこの男には関係ないことなのに。


「ここを、出たいのですか?」


「出たいわ。今は少しでも夢みていた自分が馬鹿らしくて仕方ない……ここにいて処刑される未来が待っているなら出たい。メデア村に帰りたい」


「処刑される未来はわかりませんが、あなたがここを出たいというのであれば」


 彼はいったん息をのみ込みながらも言葉にする。


「一緒に出ますか?」


 その言葉だけ静かにアリーシャの耳に届けられる。それ以外の風の音も水の音も聞こえなかった気がする。

 アリーシャは大きく動作して顔を上げた。突然の彼女の真顔にシオンはそれ以上の言葉を飲み込んだ。


「必要ないわ。取り乱してごめんなさい。忘れて」


 そう口にしてアリーシャは立ち上がった。少しふらつくが部屋まで戻る気力は戻ったと思う。

 肩に上着がかかる。よくみたらシオンの体は自分と同じくびしょぬれだった。

 アリーシャを水底から引き揚げてくれたんだ。

 外套は水に入る前脱いだから無事だったようで少し暖かく感じる。

 処刑されるあの時と同じね。


「部屋の近くまで送ります」


 かさりと音がする。フードを来た少年がじっとこちらを眺めていた。


 まさか幽霊?


 一度死んだ身だが、幽霊の存在にはびびってしまう。


「彼女を送ります。帰るのを待っていただいても良いですか?」


 フードの少年はこくりと頷き、シオンの傍に走り寄った。


「あなたの子?」


「違います。陛下の恩情で王宮の庭から星の河を眺める許可を頂いたので一緒に来ていました」

「そうなの。パーティーに参加したらよかったのに」

「処刑人は王族・貴族の宴に上がれません。皆様恐れてパーティーを楽しめなくなりますし……この方はまだ人の目が怖いみたいで」


 一族の子供だろうか。それなら人の視線が怖いのもうなずける。


 シオンはアリーシャの手をとり、もう反対の手は少年の手をとり庭の中を歩いて行った。

 歩きにくいはずなのに彼は何ともないと言わんばかりに二人を支えて建物へと向かっていく。


「ここまでくれば大丈夫よ。上着は返すわ」

「まだ部屋まで距離があります。どうぞお使いになってください」


 自分も冷えて寒いはずなのにシオンはアリーシャの為に外套を譲った。


「ありがとう。後で返しに行くわ。前の軟膏のお礼もしたいし……あなたのお屋敷に行けばいいかしら」


「花姫が来るような場所ではありません。返したいのであれば……ジュノー教会へ預けに来てください。教会の者が預かってくれます」


 そう言い残し彼は少年の手を取り、アリーシャの前から消えた。暗闇の中に消えたと同時に小さな男のくしゃみが聞こえた。

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