4 花姫のお茶会

 エドガー・ジベールがアリーシャの部屋へ訪れた。その後、ジベールは王の元へ足しげく通い話し合いをしているという。


 噂は瞬く間に広まった。


「きっとついにあの泥姫を追い出すことにしたのよ」


 使用人たちの間で嬉しそうに交わされた噂は、少し遅れてアリーシャの耳にも届いてきた。

 アリーシャは深くため息をついた。


 そうであればどんなにいいのだろうか。


 ここ数日の花姫の授業はペーパーテストであった。長時間机に座り文章を書き続けて疲れてしまった。

 テストの内容にはまだ教えられていない箇所もあり、アリーシャは腹を立てた。


 ジベールが突然やる気に満ちて何をするかと思えばこれなのか。


 アリーシャはひどく落胆した。

 とはいえ、与えられた問題は何かしら書かないと落ち着かない。白紙で出すのも癪だったのでわかる範囲を書き続けた。

 本で読んだ内容を覚えているままなを書いたので、正解かどうかはわからない。ただ大きく外れていないと確信していた。


 まぁ、頑張ってもどうせ評価は低いのだろうけど。


 アリーシャは肩を撫でながらソファへ近づき、寝そべった。そのまま眠るつもりであったが、誰かが訪ねて来た。

 ノック音がしてアリーシャはむくりと起き上がった。どうぞと声をかけると侍女が手紙を持ち部屋へ入ってきた。


「アリーシャ様、ローズマリー様から招待状を持ってきました」


 侍女は流麗な所作で礼をし、アリーシャに手紙を手渡した。

 アリーシャは寝ぼけ眼で手紙の封を切り、中身を確認した。

 明日アリーシャと一緒にお茶を楽しみたいという内容であった。

 疲れていたのでしばらくのんびり過ごしたいのだが、断るとまた影で悪く言われてしまう。


「わかったわ。ありがたく参加させていただきます」


 その答えを聞き、侍女は頭を下げて部屋を出ていった。

 ローズマリーの侍女はアリーシャに対して良い感情は抱いていないだろう。それでも最低限の礼儀は示す為、使用人としての質は良いとアリーシャは感心していた。


 約束の時間に合わせてアリーシャは青をベースにしたドレスを身に着けた。他の花姫同様に侍女を連れて行った方がいいが、アリーシャにはお供をやりたがる侍女は存在しない。お願いするのも面倒であり一人で向かうことにした。


 ローズマリーが招待したお茶会の会場は王宮内の3つある薔薇園のひとつである。さまざまな色の薔薇が咲いていてローズマリーは好んでお茶会の会場に選んでいた。

 アリーシャは通りがかりにふと淡い色のピンクの薔薇を見つけた。何となくローズマリーの姿が多い浮かぶ。


 近くにいた庭師に対しこの薔薇をもらいたいと伝えた。彼は無言で一輪の薔薇を切りアリーシャに手渡した。ぶっきらぼうな男であるが、棘がないのを確認してからアリーシャに渡してくれた。アリーシャは庭師にお礼を言いその場を後にした。


「アリーシャ様、ようこそいらっしゃいました」


 ローズマリーは明るい声で迎え入れてくれた。

 薄い金色の髪に美しい薄紫の瞳をしていた。王族と血縁の為、彼らと同じ特徴を持つ少女であった。

 先ほどのピンクの薔薇のようがよく似合う可愛らしさを兼ね備えていた。

 すでにテーブルにはほかの花姫2人が座っている。彼女たちは一瞬眉をひそめたが、すぐに愛想よく笑った。


「招待いただきありがとうございます」


 アリーシャの手にあるピンク色の薔薇にローズマリーは首をかしげる。

「その薔薇は」

「薔薇園の花です。ふとこの花をみてローズマリー様を思い浮かべたので」

「まぁ……」

 ローズマリーは頬を朱に染めた。

「その薔薇をいただいてもよいのですか?」

「どうぞ」

 彼女は嬉しそうに薔薇を手のひらでかざして眺めた。

「ありがとうございます。アリーシャ様」

「薔薇園の花ですよ」

 アリーシャの用意したものではない。感謝なら庭師とこの薔薇園の持ち主である王族にすべきであろう。


「ごきげんよう。アリーシャ様。薔薇園の花をわざわざ摘まれるなど」

「でも、今まで手ぶらでやってくるあなたにしては成長したのではなくて」


 嫌みを言わなければ挨拶もできないのだろうか。


 亜麻色の髪に緑の瞳の花姫はコレット・ウェルノヴァ。伯爵家令嬢である。

 金髪に蒼い瞳の花姫はクリス・ホワイトベリー。侯爵家令嬢である。


 この3人の花姫を改めて確認する。

 アリーシャ以外、本家本筋の令嬢でありアリーシャのように田舎からやってきた元平民ではない。

 以前のアリーシャは彼女たちと出会う度に劣等感を強くさせ、嫌みを言われ嘲笑される度に怒りを募らせた。


 自分だって母は傍系とはいえ侯爵家の血筋である。どうして酷いことを言われなければならないと。


 実際彼女らを黙らせるだけの教養も、作法も身に着けていなかったのが一番の敗因だった。

 あっと言わせたことは、テーブルをひっくり返したり、ものを投げつけたりする荒っぽさだ。

 我ながら幼稚で子供っぽかった。奇異な行為をすればするだけ周りから見下されるだけだったというのに。

 それでもどうしていいかわからなかった。感情に振り回されアリーシャは衝動的な行動を制御できなかった。


 処刑された後だからか、今はもう彼女らに何を言われてもどうにも思わなくなってしまった。


 花姫に相応しくないのはわかった。だから、王様に頼んで私を追い出してくれないかしら。


 無理でしょうけど。


 お茶会の会話の内容はここ数日のペーパーテストのことである。それぞれ同じ内容だったようだ。

 一体何でテストなんてしたのだろうか。

 しばらく考えたが、ここで考えても無駄なことだとアリーシャはお茶を楽しむことにした。

 ローズマリーがいるお茶会は比較的安全だからお茶を味わうことができる。


 ティーカップを手に取り、口にする。こくりと飲み、ゆっくりとティーカップをソーサーに置いた。音はわずかに鳴ったのみである。

 さすがに回帰前ローズマリーのお茶会へ何度も招待され、練習しているうちに上達したと思う。

 三人の花姫はじっとアリーシャの所作を見つめた。


「何か?」


 嘲笑されるのはいちいち反応しなくなったが、何も言われずじろじろと見られるのは慣れない。

 アリーシャが尋ねると、クリスは何といえばいいだろうかと首を傾げた。


「いえ、随分と様になった様子で」

 この前まで茶器の音を大きく響かせて、ずずっと下品な音を立てていたとは思えない。

 そういいたいのであろう。

「今まで猿を招き入れたのではと思っていましたが、今日は人らしくおふるまいで」

 クリスの馬鹿にするような嘲笑を聞きアリーシャはうんざりとした。

「クリス様、その言い方はあまりに無礼ですよ」

 お茶会のホストのローズマリーはきっとクリスを睨んだ。

「まぁ、申し訳ありません。そのようなつもりでは……」

 ローズマリーには強く出られないクリスはすぐに謝罪を示した。

「いえ。無作法であったのは事実です。これからも至らぬ点ございますがご教授いただければ幸いです」

 アリーシャは感情に示さず定型的な文章をすらすらと流した。

「本当にどうしたのかしら、アリーシャ様」

 コレットはまるで別人のようと言いかけた時にぶーんと虫の音がした。黄色い小さな虫、お尻の方に鋭い針を持っている蜂であった。


「きゃぁっ!!」


 花姫たちは青ざめて立ち上がりテーブルから逃げ出した。


「いやっ、あっちへいって」


 蜂はローズマリーの近くを飛び続け、ローズマリーは必死に手を振り回し追い出そうとした。


「ローズマリー様、落ち着いてください」


 アリーシャは興奮する彼女の手を握り落ち着かせた。

「あの蜂は基本おとなしいので、静かに刺激を与えなければ自然と遠くへ飛んでいきます」

 ローズマリーはかたかたと震えてアリーシャの胸にしがみついた。

 アリーシャはふうとため息をついて、小さく呟く。東の方からふと風がなびき、同時に甘い匂いがした。

 蜂は風の吹いた元へとふよふよと飛んで行ってしまった。東の庭園には蜂の好みの蜜の花が咲いているのだ。

 これがアリーシャの能力である。風を少しだけ操ることができるのだ。


「行きましたよ。アリーシャ様」

「アリーシャ様、怖かったです」


 ローズマリーは涙を浮かべていた。美しい顔が台無しである。

 ぐいっと後ろからローズマリーの腕を引っ張るものがいた。痛いと叫んでローズマリーはすっぽりと突然現れた男の腕の中に納まった。

 男の顔をみてアリーシャは姿勢を正した。


「これは殿下、ご機嫌うるわ」


 挨拶を述べようとすると熱い感触が顔にかかった。

 何が起きたのだろうと思うとじわりと熱く痛い感触がする。

 テーブルの上にあったティーポットを手にしたヴィクターがアリーシャに中のお湯を浴びせかけたのだ。


「で、殿下っ。なんということを」


 ローズマリーの表情が怒りに変わる。


 今、何をされたのだろうか。


 お湯をかけられた。顔から首にかけて。

 この国の王太子、ヴィクター殿下に。


 情報を整理するとどうしてと頭に疑問が浮かび上がってくる。


「アリーシャ、ローズマリーに蜂をけしかけていじめるとは卑劣な奴だ」


 ヴィクターから出た言葉にアリーシャは声を失った。

 今の蜂騒動はアリーシャが仕掛けたものだと彼は言うのだ。

 誤解ですと言いかけたが、ヴィクターの後ろでくすくすと笑う花姫二人をみてアリーシャはやめた。

 アリーシャは深くため息をついた。

 クリスとコレットがヴィクターに何を言ったか想像できた。

 ここで必死に自分の名誉を守ろうとしても無駄だ。淑女の顔に熱いお湯をかける男に何を言っても疲れるだけだ。


「殿下、違います。アリーシャ様は」

「アリーシャに脅されてしまったのだな。かわいそうなマリ」


 愛称で呼ぶ男の甘い声に苛立ちを覚えた。ここにいても楽しくないことしか起きない。


「ドレスが汚れてしまいました。私はこの辺で失礼いたします」


 謝罪すれば負けだと思い、アリーシャはただ今の場に自分の姿はそぐわないため退場するとだけ言った。

「アリーシャ様」

 呼び止めるローズマリーを無視してアリーシャはお茶会を後にした。

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