3 要望失敗

 花姫の責任者であるエドガー・ジベールはほとんど花姫の教育には関わっていなかった。

 彼の勤務時間で花姫にあてらた時間はわずかである。花姫に関して全て一任していた女官長のまとめた報告書に目を通し、社交界に顔を出した時に花姫たちの立ち居振る舞いを評価する。直接彼が花姫に関与することは少ない。

 理由に関しては一番は王の補佐、王城執事の仕事が多忙であるためだ。

 ジルベールのような花姫責任者は珍しくなかった。

 彼自身女官長に任せているから大丈夫だと気に留めていなかったのだが、本日アリーシャの来訪により改めて考えるようになった。

 突然アリーシャは花姫を辞退したいという言葉を聞いてしまった。

 今までどんな問題を抱えた花姫がいようと、そのような発言をした花姫はいなかった。慌てて時間を作り彼女の部屋へ訪れる。

 午後3時を少し超えたところであった。


「ようこそいらっしゃいました。ジベール様」


 ようやく来たかと思いながらアリーシャは本日の上客を招き入れた。お互いソファに腰をかけ様子を伺う。

 ジベールはおそるおそる口にした。それにアリーシャは何か問題でもあるのかと首を傾げた。

「今朝言っていた内容はどういう意味ですか?」

「どういう意味てそのままの意味よ。花姫をやめたいの」

 何故そんなことを口にするのだとジベールは理解できないようであった。アリーシャとしては理解してもらわなくても結構である。自分がやめた方が良いにきまっている。問題児をとっとと王宮から追い出して欲しい。


「家庭教師からの評価は散々、侍女たちからの信頼もなく満足な世話を受けられない。果たしてこんな女が妃になれるのでしょうか」


 侍女の話題に触れ、ジベールはちらりと部屋のすみをみやる。

 あちこちに埃や汚れが残っている。窓も汚れでくすんでおり、カーテンの端にはこぼした跡が残っていた。


「どうやらアリーシャ様の侍女は掃除が苦手なようですな」


 その言葉にアリーシャはきょとんとした。

 自分の花姫としての素質について話題を出したのに、何故ここで侍女の方を評価されているのだ。


 ガチャリと扉が開かれて、女の小さな悲鳴が聞こえた。

 扉の方には慌てた様子のエリーが立っていた。手にはお茶の乗せられた盆が置かれている。


「ジ、ジベール様。何故こちらに」

「大事なお話をしているところだったのよ。ああ、お茶は私の分は後でいいわ。先にジベールへお茶をついでちょうだい」

「いえ、改めて二人分のお茶を用意いたします」


 また嫌がらせでお茶に何かを入れていたのだろう。

 エリーは飲み物の中を悟られないように急いで部屋を出ていった。


「いつもああなのですか?」


「何のことですか」

「今の侍女、ノックもなしに入ってきました」

 今更ながらアリーシャは気づいた。そういえばエリーは今までノックしてアリーシャの部屋に入ることはしなかった。

 主人に対して礼儀を欠く有様にジベールは不快感をあらわにした。

 先ほどから会話が思うように進まない。とにかく本題へ戻そう。


「別にいいわよ」

「よくはありません。あなたは花姫ですよ」

「だからその花姫を辞めたいのよ」

「それはできません」


 何故だと問いたかった。

 泥姫、王宮の恥がいなくなることを誰もが望んでいるはずだ。この男もアリーシャの悪評はさんざん聞いただろう。


「私は噂の通り山奥の村に住んでいた平民です」

「あなたはクロックベル侯爵家の令嬢です」

「養女よ」

「あなたの母親はクロックベル侯爵家の遠縁の令嬢でした。間違いなく血筋は貴族です」


 彼の言葉で母の姿が一瞬ちらついてアリーシャは眉を顰めた。

 山奥の家で過去の生活を忘れられない愚かな女の姿など思い出したくもない。


「とにかくあなたは花姫を降りることは許されません」

「だから、私は勉強もできないしもめごとも起こしてばかりだし、現に侍女たちからも嫌われている泥姫よ」

「泥姫?」


 ジベールは今まで以上に険しい表情を浮かべた。

 今までアリーシャに対しては困った表情を浮かべてばかりであったが、はじめてこの男から自分に向けられた怒りを感じアリーシャはたじろいだ。


「自分自身をそのように呼ぶのはおやめください」


 意外だった。


 彼もアリーシャが使用人たちから何と呼ばれているか知っているだろうに。


「今回お招きくださり感謝しております。あなたの問題点を知ることができましたので」


 改めて礼をつくす男の姿にアリーシャは自分の希望を全く聞いてもらえていないと呼び止めた。ジルベールは部屋の至る場所を確認してぶつぶつと考えを呟いた。


「まずはその自分を簡単に卑下してしまう環境を整える必要があります」

「環境を整える? 今まで何もしていなかったのに」


 ぼそっと呟くアリーシャにジベールは否定しなかった。痛いことを改めて言われ心が痛むように彼の表情は苦し気であった。


「私は今まで多くの仕事があると言い訳をして、花姫のことは紙面上だけで片づけておりました。ここにきて昨日までの自分後悔しております。花姫のことは女官長たちに任せていましたが、それが間違いだったようです。あのように主人を軽んじる侍女、簡単に陰口をたたきやすい環境……もしかすると家庭教師も同様なのではありませんか」


 全くその通りである。


 アリーシャの家庭教師たちははじめから馬鹿にしておりアリーシャにまともなことを教えてこなかった。


「まずは侍女の配置を見直します。家庭教師の現状も把握して」

「ジベール様、そこまでしなくてもいいのですよ。私は花姫をやめ」

「させません」


 ぴしゃっとアリーシャの要望は切り捨てられた。

 何故だ。アリーシャがいなくなれば、王宮は平和だろう。

 自分を追い出してくれればそれでよかったのに、ジベールは変な意欲を燃やして出て行ってしまった。

 人選を誤ったような気がする。

 残されたアリーシャは額に手をあて深くため息をついた。

 ここはあの王太子に直訴するか。すごく会いたくはないが。

 しばらく考えて、王太子ですら花姫への権限は持ち合わせていない。持っているのは王と王より花姫の権限を与えられたジベールのみだった。

 もう少し様子をみて別の試みを模索していくしかない。

 まだ処刑までの日は6カ月あるのだからとアリーシャは一旦ジベールへの要望嘆願は中止することとした。

 そして、エリーが運んできた何も入っていない普通のお茶と茶菓子を久々に楽しみ読書を続けた。

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