第36話 破滅の使者


「何?」


 思わず呟きを漏らしていた。得体の知れない違和感に襲われる。――ヴィクトリア・コンスタムと剣を交えて初めて、硬い石にぶつかったかのような、押し返される感覚を味わわされた。


 戸惑いながら二撃目を受ける。驚いたことに、ふたたび押し返された。


 何、なんなの? 戸惑う聖女の動きは、バラバラとまとまりがなく、まるで統制が取れていなかった。


 対し、ヴィクトリアのほうは深く集中していた。握っている剣が身体の一部になったように感じられる。


 軽い。まだ動ける。


 対面にいる聖女の眼球が動く。右――でも遅い。ヴィッキーは彼女の攻撃が始まる前に、鋭い突きを放ちそれを防いだ。互いの鍔(つば)と鍔がかち合い、知恵の輪みたいにガチリと絡み合う。


 点と点だった対面の二人が、この瞬間、線で繋がる。呼吸と間合いを読みながらの押し引き――これらの小技を駆使した駆け引きは、ヴィクトリアの得意とするところである。彼女の重心の移動は滑らかで、ダンスを踊っているように軽やかだった。


 押されれば引く、引かれれば強く押す。もう一段階、速く――ヴィッキーが一呼吸分詰めれば、聖女の剣が押されて上半身が泳ぐ。


 今だ――ヴィッキーは予備動作なしで蹴りを放った。右膝が聖女の左腕に当たり、そのまま脇腹に刺さる。ミシリと骨が軋む音。


 聖女が吹っ飛ばされ、白壁に激突する。その途端、壁に亀裂が入り粉砕した。


 ――ピシリ――


 物理的な破壊が、この空間にも影響を与えつつある。息苦しいほどの圧力が場に満ちている。


 しかし先程と違うのは、これを生み出している原因が、聖女単体ではないということだ。ヴィクトリアは手繰り寄せるように、空間の切れ目を認識していた。


 ……なるほど、コツがつかめてきた。


 聖女がやっていたのは、端的にいえばズルだ。抜け道といってもいい。今現在、この世界に魔法は存在しない。しかし周囲の調和を犠牲にすることで、無理やり疑似的にそれを再現することはできる。それは強奪行為そのもので、他者から奪い、自らが独断で行使するという反則技だった。


 ――他者というのは、この土地が有するエネルギーであったり、人が生きるために持つエネルギーだったりする。本来余っていないものから、無理にかき集めてくるのだから、その量は高が知れていて、大火炎を放つとかは無理。しかしそれをもってして、誰かを蹂躙するくらいなら十分だろう。その集めた微かな魔力を、魔法もどきに変換して身体にまとえば、それだけでかなり増強される。


 しかしズルしてブーストしている分、空間には強い負荷がかかってくる。――ややこしい話だが、魔法の威力は大したことないのに、それを行使した結果により、とんでもない揺り返しがやってくるのだ。それはイフリートの卵が孵化するのと、似たような効果をもたらすかもしれない。


 ――これは推定になるのだが、ここに私がいなければ、ここまでの事態にはなっていなかったのではないか。ヴィクトリアはそんなことを思った。元魔王という存在が特異点となり、聖女の力を、皮肉にも最大限に引き出してしまった。ヴィクトリア・コンスタムが存在するだけで、理(ことわり)を歪ませる。


 いずれにせよヴィクトリアの置かれているこの状況は崖っぷちだった。ただでさえ危険。何をしても危険。しかし彼女はあえて、自らもっとも危険な領域に進むことにした。聖女のやり方を真似て、同調したのだ。


 ヴィクトリアも魔法は使えない。しかし当然かつては使えていた。だから学ばずとも、コツは魂に染みついている。聖女が開けた亀裂から、少しだけエネルギーを借りる。それには媒介があったほうがいくらか扱いやすい。だから魔力を剣に纏わせて使うことにした。


 これにより初めて聖女との力が拮抗した。――力勝負で五分ならば、あとは実力がものを言う。そうなればヴィクトリアの技に聖女は遠く及ばない。


 しかしこれは危険極まりない賭けだった。ヴィクトリア・コンスタムの人間の身体は、すでに悲鳴を上げている。


 その点では、存在を天から祝福された聖女とは違う。――メリンダ・グリーンの場合は理を曲げたとて、ツケを払うのは周囲なのだ。負債を誰かに押しつけることができる、それが聖女最大の才能だと言い換えてもよいだろう。彼女が馬鹿をすれば、ただ世界が壊れるだけ。


 しかしヴィッキーの場合は、負荷が全て我が身に返る。それは大昔に超自然の存在だった頃の名残なのかもしれなかった。自然が追うべき債務は、一度は彼女の身体を通り抜けてから噴き出す。


 段々と右手の感覚がなくなってきた。冷たいようで熱い。熱いようで冷たい。


 ブシュリと熟れて腐ったたような音がして、右手の毛細血管が弾けたのが分かった。つぅ、と毛穴から噴き出した鮮血が、白い肌を伝って落ちる。ヴィクトリアはそれを億劫そうに見おろし、軽く笑った。


 視界の端に、立ち上がろうとしている聖女の姿が映った。――いいだろう。お望みどおり、最後までつき合ってやる。行けるところまで行くとしようか。


 ヴィクトリアは円を描くように剣先を動かし構えた。血が噴き出していようが、気にも留めていない。力の抜けた佇まいだった。隙だらけのようでいて、その実、まるで隙がない。


 瓦礫の中から立ち上がった聖女が息を吸い、ゆっくりと口を開いた。祝福のはずのその呪文は、禍々しい滅びの言葉となり、この地に破滅をもららすだろう。


 ヴィッキーは無心になり、ただそれを眺めていた。


「――アウト・インウェニアム・ウィアム――」


 重ねがけか。もう一度最初から。同じ言葉を繰り返す。


 さらに周囲の圧力が増した。軋む。体感だけではない。大地そのものが揺れている。


 視界が霞んできた。もう限界が近い。こちらが勝てるとするなら、チャンスは一度きり。逆流が起こった瞬間に、この女にとどめを刺す。


 あとのことはもう考えない。こちらは先が長くなさそうだが、この小憎らしいゴリラ女に、一撃くれてやるくらいの時間は残されているはずである。相打ちで力が相殺され、ほかに被害が出ないで収束することを、ただ祈るしかない。


 ちらりと背後の様子を窺う。飛び出して来たペギーは、あるじが反撃に出たのを見て、邪魔にならぬように道端に避けて忠実に控えている。せめてペギーくらいは助けたい。――あとは知らんぞ、もう。


「――ウィアム・アウト――」


 あと単語一つ。これで確実に鍵が壊れる。ヴィクトリアは来たるべき時に備えて、深く身体を沈めた。


 メリンダ・グリーンの薄い唇が蠢く。


『――ファキアム――』


 それが音声となって空間に垂れ流されるという、まさにその時、空に鐘の音が鳴り響いた。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴン、ゴンゴーン……


 こんなに汚い鐘の音は初めて聞くとヴィッキーは思った。狂ったような叩き方だ。


 緊張と緩和の効果か、戦闘中にも関わらず、ヴィッキーと聖女は揃って空を仰ぎ見た。ふ……と陽光が遮られ、天が幕で覆われたかのような錯覚を覚える。


 ――鳥だ。おびただしい数の白い鳩が、羽音をバサバサと響かせながら、真上を旋回するように横切って行く。


 群れが飛んできた方角に顔を向けると、三角に飛び出た尖塔が見えた。――あれは教会か。尖塔のてっぺんにある開口部で、大鐘が狂ったように揺れている。なぜかその下には複数の子供たちの姿があった。悪ふざけして鐘を打ち鳴らしているようだ。


 ――聖女は揺れる鐘と、その背景を彩る青い空を、しばしぼんやりと眺めていた。


 ざわざわと周囲に音が戻る。近くの家から、住人がおっかなびっくり外に出てきた。――大きな破壊音と喧嘩するような怒鳴り声がしていたので、彼らはしばらくのあいだは家の中で様子を窺っていたらしい。ところが打ち鳴らされた鐘の音により、空気が変わったようなので、これ以上よそ者に破壊行為を続けられてはたまらないと考え、表に出てきたのだろう。


 聖女はウィッグが外れた我が身の有様を、この時初めて意識した。狼狽したように周囲を見回す。


 ――気づけば、通りにいるのは彼女一人だった。


 少し前まで一緒に戦っていたヴィクトリア・コンスタムの姿は、いつの間にか消えていた。


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