第32話 キャットファイト ――ヴィッキーVS聖女――


 聖女が訳知り顔で続ける。


「リンレー公爵から聞いたのでしょう? あなたはクリストファー殿下に利用されて、こうして船旅につき合わされただけなのよ。――女の子だもの、彼みたいな素敵な人に誘われたら、自分は特別だって舞い上がってしまうわよね? 分かるわ。勘違いしたとしても、あなたは悪くない」


「では、完全にクリストファーが悪い――それでいいのね?」


 眠くなってきた。メリンダは親切ぶって 『あなたの味方よ』というスタンスを取りながらも、あからさまにこちらを見下しているようなのは、この際置いておくとして。とにかく話の着地点が分からない。


 ――こちらに同情して『クリストファーをぶっ殺そうの会』にでも入ってくれるのかしら。


 そうしたら確かに勝率は上がりそうであるが、ヴィクトリアとしては、この女の面倒臭さにこれから先も耐えねばならないというデメリットが生じる。こちらが気持ちを語っていないのに、『分かるわ』とか言ってくる女は、ひたすら気持ちが悪い。


 しかしその心配は無用なのかもしれなかった。なぜならメリンダから『クリストファー好き好き光線』が相当な熱量で出ているので、この女が味方になりそうにないことは、ひしひしと伝わってきたからだ。


 予想したとおり、メリンダはキョトンと瞳を瞬かせてから、一転してその端正な顔立ちに苛立ちを滲ませた。こちらの理解力がとんでもなく低いとでも言いたげである。


「いいえ、クリストファー殿下は悪くない。あなたが舞い上がってしまっただけだもの」


「それで、あなたは何がしたいの? そもそもあなたはクリストファーと面識があるの?」


「まだお会いしていないわ。でも殿下はあなたよりも私を気に入ると思う。あなたには悪いけれど」


 これを勝ち誇った顔で言ったのなら、まだよかったのだ。しかしメリンダは本心からそう思っているらしい。そしてヴィッキーに同情を寄せている。――王子に恋をして、ボロ雑巾のように捨てられた憐れな貴族令嬢――そんなふうにヴィクトリア・コンスタムを侮っている。


 ヴィッキーはこれにかなり驚かさた。――いや、別に、自分がクリストファーから寵愛を受けているとは思っていない。しかしメリンダがこうしてマウントを取って来たことに関しては、衝撃を受けた。


 クリストファーの様子からして、ヴィッキーが駄目でメリンダなら良いということは、絶対にないように思えたからだ。あの腐れ外道にとっては、全人類、それは彼自身も含め、塵芥(ちりあくた)に等しい、価値のないものなのだ。


 ――塵(ちり)が芥(あくた)を憐れんでいる。なんとまぁ、滑稽な構図だろう。


 別に楽しくもなかったが、ヴィッキーはさもおかしそうに口角を上げて、聖女を見据えた。瞳は爛々と輝き、魚の干物を発見した猫のような目つきになっている。


 彼女のこんな様子を目の当たりにしたのが幼馴染のベイジル・ウェインだったなら、これから起こる災厄を予想して、血の気を引かせていたことだろう。


 しかしここに仲裁役は誰もいない。存在するのは、血の気の多い、負けず嫌いの女が二人。女豹同士が顔を合わせれば、どうなるかは決まっている。戦いのゴングはすでに打ち鳴らされた。


 ヴィッキーは瞳を眇めて、喉の奥で小さく笑った。


「やだもう、嘘みたい。このクソダサイ芋女が、私に勝った気でいるだなんて!」


「い、芋女ですって? 何よ、私が可愛いからって、嫉妬しているの?」


「あなたのどこに嫉妬できる要素があるのよ! 泥野菜みたいにエグ味のある女が、いけしゃあしゃあとよく言うわ」


「なんですってー! 捨てられ女め、可哀想に! と思って優しくしてあげたのに、つけあがらないでよ!」


「別に捨てられてないし」


 ヴィッキーはふんと鼻で笑ってこれをあしらった。そもそもやつとは捨てる捨てられるというような関係ではない。互いを手に入れていないのだから、捨てるもないのだ。


 しかしメリンダはこれを違う意味に取ったらしかった。


「呆れたわ。まだ自分が殿下に相応しいと思っているのね」


「釣り合いという点で考えれば、私がやつに劣っている点は特に思い至らないわね。――逆に、クリストファーが私に釣り合うのかどうかは、はなはだ疑問だけど」


 主に性格面が。あの暗黒サイコパス気質は、全ての長所をマイナスしてしまうからね。どれだけほかで頑張っても、取り返しようがないのよ。


 その点ヴィクトリア・コンスタムときたら、容姿、家柄、財産、ともにパーフェクト。おまけに性格も問題ないわけだから(※注・ヴィクトリア私見)、総合的にはこちらが上ってことになる。


 メリンダ・グリーンは怒りのあまりプルプルと震え出した。やがて恨みがましい視線でこちらを睨みつけながら、こんな馬鹿げた提案をしてきたのだった。


「ヴィクトリア・コンスタム、手合わせ願います。顔とスタイルはほぼ互角――まぁでも私のほうが若干可愛いと思うのだけれど、そこはもうオマケでトントンてことでいいわ。でも頭脳では私のほうが勝ち。昔から私、頭が良かったもの」


「ちょっと! 私を馬鹿認定するのはやめてよね」


「でもあなたって馬鹿でしょう? これまでのやり取りで確信したもの。あなた絶対馬鹿よ!」


 百歩譲って、こちらが馬鹿だとするなら、メリンダ・グリーン、お前もだからな。しかも現実が見えていないだけに、末期じゃない? 聖女なのにド級の馬鹿って、最悪じゃない?


 ――公爵令嬢だけど、ちょっと馬鹿。


 ――聖女のくせに、破滅的な馬鹿。


 どちらが罪深いかと問われれば、答えは明白なわけよ。これもうさ、聖なる金のトンカチとかで、頭かち割ってやるしかないのかしら。それでこの末期的馬鹿が治るといいのだけれど。


 天才詩人のごとく、聖女に対する悪口が、次から次へと泉のように湧き出てくるヴィッキー。これはある境地に達してしまったかもしれない。今ならばこの溢れ出る情熱に身を任せて、戯曲の一つや二つくらい書き上げられそうだ。


 ヴィッキーが内なる衝動に打ち震えていると、聖女がいそいそと背負っていた荷袋を下ろし、そこから何かを取り出した。取り出したそれは、鞘に収まった剣のようである。聖女は無造作にそれを掴み、こちらに投げて寄越した。


 ヴィッキーは地面に落ちた剣を眺めおろし、眉を顰めてしまう。


「これで思い切りぶん殴って欲しいの? あまり気は進まないなぁ。だってあなたって、殴って更生できるような、伸びしろのある馬鹿じゃないと思うし」


「失礼ねっ! あなたが私を殴る気でいるのが、信じられない! 私があなたを殴る側だから! というか正々堂々とした決闘よ」


 確かに聖女のほうも剣を手にしている。――荷物に武器を二つも入れてきたの? どういう精神状態なのよ?


 ――と、それよりもまず、言っておきたいことがあるわ。


「そもそもあなたって強いの? 私、サスペンダーつけているのに強いやつって、これまでに会ったことがないんだけど」


「サスペンダー関係ないでしょー!? もうやだ、なんなのこいつー!」


 イーッとなって地団太を踏む聖女。シュールな絵面だな。聖女の仮面が外れて、ただのアバズレに成り下がってますけど、大丈夫ですかね?


 しかしさすが腐っても聖女様だ。すぐに仮面をつけ直し、先の醜態はまるでなかったことにして、キリッとした顔で決め台詞を告げてきた。


「私はあなたとは違う。聖女として日々鍛えているのよ。世界を救うために」


「うわー、実在するんだ。世界を救うとか、しらふで言えちゃう人」


「ぐだぐだ言っていないで、剣を取りなさい。刃を潰した模造剣だから、当たっても死にはしない。殿下の隣に並ぶには、強さも必要なの。あなたは自分に足りていない部分を、私に打たれることで自覚すべきよ」


 おいー。何言っちゃってんだ、こいつ。幸いこちらは腕に覚えがあるからいいけれども、普通の貴族令嬢なんて、剣を握ったこともないはずよ?


 自分がちょっと腕に覚えがあるからって、得意分野で相手をボコボコにのしてやろうって、どこの山賊に育てられたんだお前は。思考回路がカタギのそれじゃない。イカレてんのか。


 模造剣だから死にはしないって、普通の令嬢をそんな硬いもので殴ったら、普通に死ぬから。死にはしないとしても、骨は砕けるわよ。鼻が折れて曲がったりしたら、その子の将来を奪ってしまうっていう自覚ある?


 ヴィクトリアは善人ではなかったが、かといって悪人でもなかった。だから平常時ならば、女子相手に手を上げるなんて、とんでもないと考えたはずだ。しかし今回に関しては、相手が殴る気満々でいるわけだから、遠慮するのもおかしな話だった。この状況で退いてやるほど、お人良しでもない。


 ヴィッキーはゆっくりとかがんで、その剣を手に取った。


「――よし、分かった。やろうか」


 鞘からすらりと剣を引き抜き、半身で構える。ヴィクトリアが瞳を細めて剣先をメリンダに向けると、その場の空気が一変した。


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