第31話 あざといサスペンダー女め


 客船が近海の孤島ケネスに辿り着いた。しかしヴィッキーにはここで下船する理由がない。こうなってはもうクリストファーにつき合う義理もないからだ。


 しばらく船室で時間を潰していたヴィッキーであるが、船体が静けさを取り戻した頃を見計らって、ソファから腰を上げた。


「お嬢様。お出かけされるのですか?」


 侍女のペギーが微かに目を細めて、こちらの様子を窺ってくる。


「せっかくですもの。ちょっとブラブラしようかなと思って」


 凝りをほぐすように肩を軽く回しながらヴィッキーが答える。


 船は夕刻に離岸して元のデズモンドへと引き返すのだが、それまでずっと船に籠っていても、暇を持て余してしまう。カジノや音楽ホールなど、船の中で時間を潰す場所もあるのだが、ヴィッキーは賭けごとをする際は、下町の胡散臭い賭博場でと決めていたので、ここにいてもやることがないのだった。


 閉じこもっているよりも、ケネス観光でもしたほうが有意義だろう。――幸い外は良い天気である。お日様をたっぷり浴びて、街を散策し、美味いものをたらふく食べたい。


 確かケネスには、海老と、貝と、数種類の魚介を米と一緒に炊き込んだ、豪快な名物料理があったはず。『名物に美味いものなし』という言葉もあるが、それでもヴィッキーは、海鮮を使った名物料理でマズいものに当たった経験がなかった。


 新鮮な海老と貝さえ入れておけば、幼子が調理したとしても、そこそこの味に仕上げられるのではないか? これはヴィッキーが日頃から考えていることである。


「町でクリストファー殿下と顔を合わせることになるかもしれませんね」


 ペギーにしてはしみったれた心配を口にするものだ。


 ケネスはそこまで大きな島ではないし、観光場所は限られているから、確かにそれはそうかもしれないけれど。


 クリストファーどころか、リンレー公爵、聖女メリンダ・グリーンとの遭遇の可能性だってある。


 ――だけどねぇ。ヴィッキーは腰に手を当てて、不機嫌そうに眉根を寄せた。


「別にこちらが悪いことしたわけじゃないし。謝るべきなのは、向こうでしょ」


「あちらは謝る気がないと思いますが」


 クリストファーにされた仕打ちについて、ペギーにはざっくりと説明してあった。その上でペギーは、クリストファーは反省していないという考えらしい。


 これについてはヴィッキーも同様の見解ではあるのだ。――悪いと思うくらいなら、はなからあんなことはしないだろう。それは分かっているのだが。


 けれどやはり、クリストファーは謝るべきだと思った。詫びられたとしても許す気にはなれないが、だからといって、向こうが謝らなくてもよいという理屈にはならない。


「だけど安心して頂戴、ペギー。どのみち上流階級の人間が行くようなエリアには、近寄らないわ。生活感丸出しの山の手を散策しようと思っているの。気取った場所はどうせ性に合わないし」


「なるほど。そうでした。お嬢様は野生児であらせられましたね」


 ……どういう意味だ。なんだかんだペギーだって、そういう気取らない場所のほうが好きなくせにさ。


「じゃあ出かけるわよ。歩いて、お腹空かせて、たらふく食べる。これ旅の醍醐味」


 なぜか片言になりつつ、ヴィッキーとペギーの凸凹コンビは船をあとにした。




***




 ケネスは階段状に構成された、起伏に富んだ町である。白で統一された家々は調和が取れており、町全体が一つの要塞のように見える。街路は直線ではなく、曲がりくねって迷路のようになっていた。


 そしてなぜか猫が多い。


 観光地として開かれているのは海岸沿いの辺りで、高地になるほど地元色が濃くなっていく。ヴィッキーとペギーはそちらを目指しながら、現地の子供を大人げなくからかったり、猫に喧嘩を吹っかけて逆襲されたりしながら、町歩きを楽しんだ。


「――つけられている」


 ヴィッキーがぼそりと呟くと、ペギーがさっと表情を強張らせた。


「助けを求めますか?」


 ペギーの視線が周囲の民家のほうへと向く。


「いいえ、大丈夫。相手に心当たりがあるわ」


 あーあ、面倒臭い。角を曲がったところで、ペギーを先に行かせて、物陰に隠れているように指示した。


 駆け足の音が響いてきて、姿を現したのは赤髪の若い女だった。――ヴィッキーは白壁に背を預けて、彼女を待っていた。しっかりと目を合わせてから、口の端を片方だけ皮肉気に持ち上げる。


「何か用?」


 ヴィッキーが尋ねると、女ははっとした様子で瞳を彷徨わせ、とぼけようかどうしようか迷うような素振りをしたあとで、やっと腹を括ったらしい。幾つか深呼吸をしたあとで、意志の強そうな瞳をこちらに据える。


「あなたと話がしたくて。彼のことについて」


 ヴィッキーはすっと目を細める。――いや、『彼』って誰よ。もっと単刀直入に言って欲しいわ。


「彼って誰? リンレーのおっさんのこと?」


「はぁ? 違うわよ! あなた、とぼけているの?」


 とぼけるも何も、だ。その言いがかり、そっくりそのまま返したいんだけど。


 ――そもそもの話ね。あなたの枕営業疑惑はまだ晴れていないからね。などと少々お門違いな疑いをかけつつ、ヴィッキーは半目になり、赤毛女に流し目をくれた。


「勝手にあとをつけてきてさ、訳の分からないことを言って絡んできて、自己紹介もしないつもり? あなた聖女よね? メリンダ・グリーン」


 変装を見破られたことに驚いたのか、メリンダの緑の瞳がさっと見開かれた。日差しが虹彩に反射して、濡れたような輝きを放つ。目の中に複数の星(スター)が瞬いているようで、文句なく可憐な美少女であると、ヴィッキーも認めざるをえなかった。


 これは確かに男にモテるタイプね。ヴィッキーは内心ため息を漏らす。しかし可憐なのは見た目だけで、聖女は案外気が強かった。


「あなたはヴィクトリア・コンスタムね」


 なぜに呼び捨てなのよ。公爵令嬢なんだけど、こちらは。眉をしかめながら、改めてメリンダ・グリーンの佇まいを眺める。


 彼女はなぜか中途半端に男装していた。庶民が着るような麻のシャツにズボンといった格好をしているのだが、女性らしい体つきを隠す気はないようだ。――というのも、ちゃんと自身の体型を魅力的に見せることを計算し、ピチピチのズボンをはいていたからだ。


 なのに解せないのは、あざとくサスペンダーを合わせている点。――いや、あなたそれ、オーダーメイド? ってくらいサイズぴったりなんだから、サスペンダーいらないでしょうよ。


 こういうところが嫌いだわぁと、ヴィッキーは顔を顰める。男装するならちゃんとしなさいっての。首にチャラチャラと華奢なネックレスを下げているし、『男装していても滲み出ちゃう、私の可愛いさ』みたいな考えが透けて見えて、どうにもこれはいただけない。


 なんというかこういうところが、彼女の根源的なダサさの原因だと思うのだ。などとつらつら考え込んでいたら、メリンダがとんでもないことを言い出した。


「私、あなたのことはお気の毒に思っているのよ。殿下も酷なことをなさるわ」


「話がさっぱり見えてこないわ」


 酷なことをなさるというか、あいつは確かに血も涙もないクソ野郎だが、聖女に同情されるような筋合いの話ではない。あくまでもヴィクトリアとクリストファーのあいだで完結すべき因縁なのだから。


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