第28話 枕営業問題


 どうやらクリストファーが下手を打ったらしい。やつの手落ちでこうしてリンレー公爵に絡まれていることが、ヴィクトリアとしては不快で仕方ない。これはあくまでもクリストファーが解決すべき問題だった。


 それから厄介なのが、目の前のリンレー公爵は、ヴィッキーの父であるコンスタム公爵と折り合いが悪いという点である。まさに水と油という関係性。


 ――パパって顔はそうでもないんだけど、トータルで見ると、まぁまぁの色男だからねぇ。父のことを思い浮かべながら、ヴィッキーは小さくため息を吐く。


 エネルギッシュで悪知恵が働く男はどうやらモテるようで、昔からコンスタム公爵の周辺には、女性の影が絶えなかった。確かに彼には男の色気のようなものがある。


 だからリンレー公爵が父のことを嫌いな最大の理由は、つまるところそういうところなのだろうと、ヴィッキーは思うのだ。――政治的な背景だとか、過去のいざこざだとか、もっともらしい理由はいくつでも挙げられるだろうけれど、結局のところ仲が悪い原因なんて、もっとずっとシンプルだったりするのだ。


 彼らは互いに互いを馬鹿にしているところがあった。どちらも群れのボスになりたいタイプであるから、顔を突き合わせて上手くいくわけもない。


 身内贔屓になるかもしれないが、父は確かに下衆いところがあるものの、女性に対しては紳士的に振舞える人である。たとえばどんなに腹を立てたとしても、彼は決して女性を殴らないし、相手を尊重する。


 しかしリンレー公爵に関しては、女子供の扱いについて、あまり良い噂を聞かない。社会の枠組みからして、男尊女卑の気があるのは多少仕方がないにしても、自分より弱い相手を殴ってウサを晴らすような人間は、正真正銘のクズだと思うし、体罰を平気で行うこの手の男が、ヴィッキーは昔から大嫌いだった。


「ヴィクトリアさん、時間もないので早速本題に入りたいのですが、よろしいですかな?」


「なんでしょう?」


「この船にはクリストファー殿下と一緒に?」


「つまらない事実確認をされるのは、嫌いだわ」


 ヴィッキーは軽く手を振っていなす。彼女が従順な態度を取らないので、これにリンレー公爵はいささか気分を害したらしかった。


 彼の次の台詞は幾分語気が強まり、まくしたてるような調子に変わっていたからだ。


「身のほど知らずのお嬢さん! 君はまさか、クリストファー殿下が自分に夢中だと勘違いしていないだろうね?」


 いきなりこれか。初っ端から全開で中々に驚かされる。嘲笑的で侮蔑的なリンレー公爵の言い草は、ただただ不快だった。


 ヴィッキーとしては、クリストファーが自分に夢中だなんて、もちろん考えてはいない。彼とのあいだに何がしかの繋がりがあるとするなら、それはひとえに前世の因縁によるもので、それ以上でも以下でもない。


 クリストファーが過去を思い出しているのか、そしてヴィッキーが元魔王だと知ってるのか、それは分からない。しかしどのみち、彼が気づいていようがいまいが、やはり因縁というものが消えることはないのだろう。


 互いのあいだに確かに存在する衝動めいた何か――この関係を言葉では上手く表現できない。しかしそれはあくまでもヴィクトリアとクリストファー、二人の問題であり、このデリケートな問題を、目の前の凡庸極まりない中年男に、外から不躾にかき混ぜられる筋合いはないのだ。


 それに彼女は他人から侮られるのが大嫌いだった。ヴィッキーは眉をクイッと持ち上げると、彼女の美貌がもっとも効果的に働く高慢ちきな態度でもって、リンレー公爵に堂々と切り返した。


「彼が私に夢中なのかどうか。それがあなたに関係あります?」


 関係あるとは到底思えなかった。それは隣家の飼い犬が今朝くしゃみしたかどうかを、わざわざ気にするようなものだ。大きなお世話。


 しかしリンレー公爵の考えは違うようだった。


「呆れたお嬢さんだ。こうも状況が見えていないとはね。君は確かに若くて美しい。だが言ってみれば、ただそれだけのことなんだよ。もっとずっと美しく賢い娘が現れれば、教養のない君は、途端に輝きを失う」


 美しいが、ただそれだけ? それのどこに問題があるのか、さっぱり分からない。


 ――頭が良い。見た目が良い。どちらも人間の一要素であって、どちらが勝り、どちらが劣る、ということはないはずだ。


 ヴィッキーは手抜き主義者なので、いつもこう思って生きていた。――『私は生まれつき顔が良いから、中身を磨く努力を堂々とサボれるわ! なんてラッキーなのかしら! 神様、どうもありがとう!』と。


 そりゃまぁ、どちらも良いに越したことはないわけだが、人のチャームポイントというのは計算どおりにいかないもので、ちょっとした欠点があったほうが、かえって魅力が増したりするものなのである。全てが揃いすぎていると、なぜだか一周して長所同士が打ち消し合い、誰からも顧みられない、どうでもいい存在に成り下がってしまうことすらあるくらいだ。


 とにかく彼女からすれば、『美貌』とはすなわち、天から与えられたギフトなのである。だからそれすら持っていないおっさんに、どうこう揶揄される筋合いなんてない。


 さらにいえばこのリンレー公爵――前かがみになって顔を近づけて来るので、こうして対面で会話を交わしていると、加齢臭をダイレクトに浴びせられて、結構な苦痛なのだった。ヴィッキーがたまらず眉を顰めて一歩下がると、それを怖気づいたと取ったのか、リンレー公爵の顔に勝ち誇った笑みが浮かんだ。


「君よりも美人というのは、例を挙げるとするなら、聖女メリンダ・グリーンかな。――さて、困ったね。君が彼女に勝てる部分が、何かあるのかな?」


 ここでメリンダ・グリーンが出てくるのか。やはりあまりにできすぎている。メリンダとリンレー公爵は組んでいるに違いない。


 しかしリンレー公爵は第二王子派のはず。ヴィッキーは違和感を覚えた。今をトキめく聖女(メリンダ)と第一王子(クリストファー)をくっつけるメリットが、リンレー公爵に何かあるのだろうか?


 ――いや、もしかすると。リンレー公爵はメリンダ・グリーンを対抗馬に立ててでも、ヴィクトリアとクリストファーをくっつけたくないのかもしれない。それだけコンスタム公爵が脅威だということだろうか。


 政治的な駆け引きは正直知ったこっちゃないのだが、喧嘩を売りたいなら、父相手に堂々と吹っかけて欲しかった。半分世捨て人のような生活をしている娘のほうを狙い撃ちするんじゃないよ。


 それにそもそもの話ね。――なぜにヴィクトリア・コンスタムが、聖女に美しさで負けたことになっているのだ。冗談じゃないわよ。


 ヴィッキーは仁王立ちになり、肩にかかった髪を払いのけながら、リンレーを睨み据える。


「逆に訊くけれど、彼女がわたくしに勝てる部分が、何か一つでもあるというの? ――あのダサイ芋女が、美人ですって? あなた視力いくつ?」


「なんと無礼な」


「無礼なのはあなたのほうでしょう。ポッと出のモサい女を、この場で話題に出すだなんてね。正直わたくし、業腹でしてよ。いいからどいてくださらない?」


「生意気な小娘が! 聖女様への暴言を撤回しろ!」


 死んでもするもんですか! むしろ全然言い足りないくらいよ。


 聖女のことはそんなに嫌いではなかったのだが、彼女に対する評価が急降下しつつある。それはヴィッキーが嫌うこの手の胡散臭い人間が、メリンダ・グリーンを誉めそやしたせいかもしれない。――ていうか、そもそもね。


「あなたは彼女のなんなの? そういえばメリンダ・グリーンはこの船に乗っているわね」


「どうしてそれを知っているんだ」


「わたくしはなんでも知っているのよ、お馬鹿さん。――もしかして彼女、昨夜はあなたのお部屋にお泊りになったとか?」


「なんという下品な娘だ!」


 リンレーは瞳を揺らし奥歯を噛みしめていたのだが、やがて反撃の糸口を掴んだとみえ、唇の端を意地悪く引き上げながら、嘲笑混じりに口を開いた。


「昨夜聖女様は、クリストファー殿下のスイートにお泊りになったとは考えないのか? 君は部屋に入れてもらえなかったのだろう? こうして別の部屋から彼の部屋にいそいそと通おうとしているわけだからな」


「あら、メリンダ・グリーンは昨晩、殿下をお喜ばせになったの? ――ということは、ちょっと待って。わたくし今のお話に大変な衝撃を受けましてよ」


「殿下を盗られたからか?」


「いいえ、違います。わたくしメリンダ様のガッツに感服致しましたの。だって彼女ときたら、『聖女』という誰もがひれ伏す立派な肩書をお持ちですのに、それにあぐらをかいたりせずに、泥臭くも『枕営業』までなさっているわけですもの! なんとも見上げた雑草根性ですわ」


 下衆な噂好きの伯母様を真似て高笑いをしてやったら、リンレー公爵の顔がさっと朱に染まった。


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