第25話 君だって王だった
メインダイニングに行けば、聖女もそこに来ているのでは? そう考えていたのに、あてが外れた。乗船時の格好からして、向こうもお忍びのようだったし、このぶんでは今夜接触するのは無理だろう。
――けれどまぁ、どうしても会っておかなければならない相手でもない。ただ、よりにもよってこのタイミングで聖女が船に乗り合わせているのが不思議だったので、どうせ食事を取るなら、ついでに動向でも探ろうかと考えていただけだ。
クリストファーのエスコートで席に導かれ、彼に椅子を引いて貰って着席する。驚いたことに、クリストファーの態度は紳士的だった。
しつこいようだが、この男は黙ってさえいれば、女性に親切そうな好男子で通るのだ。神様はまったく酷なことをなさる。クリストファーのためを思えば、神様は『本心が絶対に喋れなくなる呪い』をかけてやるべきだった。
たとえば相手のことを『馬鹿だ』と思っても『伸びしろがある』とか心にもない言葉が口を突いて出る、自動変換呪い(いや、この場合は、祝福といっていいかもしれない)をかけてやればよかったのだ。
そうすれば誰も他人の心の中なんて覗けないのだから、彼は外面に見合った紳士中の紳士として、後世に語り継がれたかもしれないのに。ああ、残念だ。
食前酒で空気が和らいだタイミングで、クリストファーがベルベットの小さなジュエリーケースを、白いテーブルクロスの上に置いた。
「これは君へのプレゼントだ」
手に取ってケースを開いてみると、中にはイヤリングが入っていた。ターコイズなので高額なものではないが、石が含む不純物が、空色の中に独特の文様を刻んでいて、なんともいえぬ味わいがある。楕円形の石を飾る周囲の加工も精緻で、呪術的な文様に近いような、完成された美しさがそこにあった。
ヴィッキーは一目でこれを気に入った。
「ありがとう。とても綺麗」
瞬きして、そのままじっと見入ってしまう。やがて顔を上げたヴィッキーは、真顔で彼の端正な顔を見つめ返した。
「――どうしてターコイズなの?」
「僕らはある意味、『イフリートの卵』で繋がった縁だろう? だからそれを想起させるものを」
なるほど。確かにこのターコイズの神秘的な文様は、イフリートの卵の謎めいた成り立ちを想起させる。形も丸くて、その点でも卵っぽい。
ヴィッキーは早速イヤリングをつけてみた。男性から宝飾品をプレゼントして貰ったことがないので、少し照れくさい。けれど素直に嬉しかったから、なんとなく笑顔になる。
クリストファーは何かを考え込んでいる様子で、しばらくのあいだヴィッキーの顔を眺めていた。
やがてコース料理が始まり、自然と会話をする時間が作られる。今夜は意外なことが続いた。
クリストファーが家族の話を始めた時などは、ヴィッキーはこれまでで一番驚いたかもしれない。ある意味、銃をぶっ放された時より驚いた。
――母は病弱でほとんど話したこともなく、父とは折り合いがよくない。特別つらそうに語ったわけでもないのだが、素直に身の上を話すクリストファーの姿は、これまでのイメージを一変させるほど新鮮だった。
「意外だわ。あなたは自分のことを話さないタイプだと思っていた」
「そう特別な話でもない。今のは誰でも知っている内容だし」
クリストファーがそう言うので、なるほどそれもそうかと思う。確かに父親である国王陛下から嫌われているというのは、侍女のペギーでさえ知っているゴシップネタだ。
彼からするとそれは単なる一事実でしかなく、親しくなったから打ち明けたというわけでもない。むしろ隠そうとすればそれが弱みになるから、あえてオープンにしているのかもしれなかった。
そんなふうに納得していると、クリストファーが小さく息を吐く気配がしたので、対面に視線を戻す。
「――いや、君の言うとおりかも。今夜は喋りすぎている」
「それって悪いこと?」
「良いことだとは思えない」
「そうかしら」
ヴィッキーが小首を傾げると、ターコイズのイヤリングが微かに揺れる。
「沈黙は場を緊張させるわ。会話を続けるのは、別に悪いことじゃないでしょう?」
「おかしなことを白状するようだが、僕は女性とこんなに長い時間会話したことがない」
クリストファーが真顔でとんでもないことを言い出したので、ヴィッキーはきょとんとしてしまった。
――もしかしてこれはとびきりのジョークなのでは? 探るようにクリストファーを見つめると、彼が苦笑いを浮かべる。
「ほかの女性――いや女性に限らず男性相手でもそうだが、普通の会話が成立しないことが多い」
「まさか」
笑い飛ばしかけて、すぐに本当のことなんだと悟った。だって彼の纏う空気がとても空虚だったから。なんでもないことのように語っているけれど、だからこそ尚更空虚に感じられた。
もっとしんどそうに言えばいいのに。そのほうがもっと滑稽で、どこかに救いがある。何一つ周囲に対して期待していないから、こんなふうにどうでもよさそうに突き放せるんじゃない?
「それって、顔のせいかしら」
「なんだって?」
クリストファーの端正な顔に驚きが浮かぶ。――こうして見ると、なんだかあどけないというか、クリストファーもまだ十八、ただの十八歳なんだなぁ、なんて妙にしんみりしてしまった。
「あなたの顔が良すぎるから、周囲は緊張するのかしら? ってこと」
「さぁね」
ヴィッキーの言わんとしていることを理解したらしいクリストファーは、途端にからかうような笑みをそのおもてに浮かべる。少し悪戯な笑みだった。
「顔というよりは、むしろ地位のほうじゃないのか? 皆、第一王子という肩書に夢中だ」
「それって夢中になれるようなものなの? 荷物が重いと、それだけ厄介なことが増えるだけだと思うわ」
少なくともヴィクトリアは、その肩書に魅力を感じない。役職と責任は少ないほど楽に生きられる、それが彼女の持論だったから。
しかし同時にこうも思う。人はおそらく楽ばかりしていては駄目なのだ。
毒にも薬にもならない生き方をしていていれば、本人は楽かもしれないけれど、誰からも顧みられることがなくなる。結果、他人から軽く扱われてしまうかもしれない。
どこにいようと、どんな立場であろうと、適切な自己主張は必要だ。『私はどちらでも』が口癖の人間がいたとして、その人の内面がどんなに素晴らしかろうが、どんなに深い考察を巡らせていようが、ほかの誰もそれに気づくことはできない。『言わなくても、どうか分かって』は幻想にすぎないのだ。
だからヴィッキーは自己主張をするし、意見が対立した場合には、それがどうしても譲れないことならば真剣に戦う。でなければ今ここに自分が存在している意味がない。
――けれど別に、常に勝ち続けなくたっていいのだと思う。勝ち続けることよりも、大事なことはきっとほかにあるのだから。
結局のところ、肩書と責任はないに越したことはなく、ないほうがずっと楽に生きられるのだが、その反面、ないからといって楽をしすぎるのは駄目ということなのかもしれなかった。
「君みたいな人ばかりではない」
クリストファーの言い方には、相手を突き放すような気配があって、ヴィッキーのことを手放しで褒めているわけではないことが伝わってきた。かといって積極的な反発がそこに込められているわけでもない。
だからこそ、明確に線を引かれた感じがした。――こちら側と、向こう側。決して交ざり合えない二者として。
「……かもね。でも私は、気楽なほうがいいから」
それで話を打ち切ろうとしたら、クリストファーが考え込むような顔つきになった。感情の澱が込み上げて来て、持て余しているかのように、瞳を揺らしてヴィッキーの顔をただぼんやりと眺める。
そのまま時間がうんとたったような気がした。――まるで過ぎ去りし日々を惜しむような、不思議な時間。
クリストファーは心ここにあらずという顔をしていて、それでいて濃い青の瞳には、縋るような光が見え隠れしている。それが彼女を戸惑わせた。
「クリストファー?」
「気楽が好きと言いながら、実際のところ楽をしているわけではない。――君はどうなんだろう。孤独ではなかったのか?」
「なぜ私が孤独だったと思うの?」
「君だって、王だった――ずっと」
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