第24話 ドSのくせに気前がいい


 ドSのくせに、クリストファーは気前がいいという事実が判明した。


 というのもやつは、この豪華客船の中でも最上級のスイートを二つ押さえており、そのうちの一室を好きに使えとヴィッキーに言ってきたからだ。


 ――『この男のことだからきっと』と勝手に不名誉な疑いをかけていたことを、謝りたい気分だった。『どうせ自分だけ上等な部屋に泊まって、ヴィッキーのことは、クルーが寝泊まりするエリアにでも放り込む気に違いない』だなんて、とんでもなく失礼な妄想だった。


 個室だけでもありがたいのに、スイートとは! あまりに感動したので、感情の昂りをそのまま言葉に出してみた。


「あなたドSのくせに、気前がいいじゃない!」


 コーンドッグを盗られた恨みは、これでチャラにしてやってもいい。そのくらいヴィッキーとしては、寛大な許しの境地に達していた。


 しかしクリストファーときたら、青い瞳を冬の海のように凍てつかせて、ヴィッキーを静かに見おろしてくるのだった。


「――今の台詞、『ドSのくせに』という前置きは、果たして必要なのか?」


「必要よ、馬鹿ね。『ドSのくせに』という表現が、次にくる『気前がいい』の部分を、効果的に強調しているの。ほら、こういうことよ――『貧乏なくせに、見栄っ張り』『ブ男のくせに、ナルシスト』『皆に嫌われているくせに、寂しがり屋』――どう?」


 ヴィッキーがキラキラした瞳で熱を込めて語ると、クリストファーが綺麗な顔でにっこり微笑んだ。これはあまりよくない兆候であるのだが、当のヴィクトリアはまるで気づいていなかった。


「なるほど。じゃあ僕も君のやり方を倣ってみよう。――『貴族令嬢のくせに、お猿さん』『美人との自己評価だが、正直十人並み』『偉そうだが、誰にも慕われていない』『可哀想に、こいつ一生一人だな』――さぁどうだろう? 慣れていないから、君のように上手くできたかどうか」


 わざとらしい困り顔をするんじゃないよ。ほぼ最初からルール無視の悪口になっているからね。しかもなんか、こちらを絶妙に当てこすってないか?


 ――美人というのはただの自己評価で、クリストファーは十人並みと評価しているってこと? はぁ? 視力大丈夫?


 一生一人で可哀想だぁ? お生憎様、人生には選択の自由ってものがあるのよ。


 それからね。偉そうだが、誰にも慕われていないってどういうことよ。あんたが知らないだけでしょうが。――いるから。そりゃもう、わんさかいるから。ヴィクトリア・コンスタムを崇拝する人間は、整理券渡さないとさばききれないほど、そこらに溢れ返っているから。


 全体的に言い負かされた形のヴィクトリアは、一瞬イーッとなったものの、このまま喧嘩を続けた結果、ボイラー室に放り込まれるのも嫌だったので、こちらが大人になって引いてあげることにした。


 引ったくるようにキーを奪い取り、クリストファーを睨みつける。


「ふん! あなたったら全然駄目駄目だけれど、今日のところはこのくらいで勘弁してあげるわ」


 クリストファーは口元に笑みを浮かべ、


「――ではまたディナーで」


 そうスマートに告げると、自室に引き上げていった。




***




 正餐までの時間はあっという間に過ぎ去った。貴族女性の支度は、気が遠くなるほどの労力がかかる。


 今回はお忍びで来ているわけだが、スイートを押さえてあることを考えると、あまりみっともない格好もできない。


 鏡の前で自身の姿を確認し、『私ってやっぱり美人だわぁ』と改めて実感したヴィクトリアは、得意気に片眉を上げた。


 深い青の生地に、銀糸で精緻な刺繍をあしらったドレスは、形自体がシンプルであるので、夜会向きな派手さはない。しかしものが上等なので、改まった晩餐の席で身に着けるには、ちょうどよい一品だった。


 このドレスは今シーズン、ママが人気のデザイナーに作らせたものだったわね。ヴィッキーはドレスのスカートを摘まんで見おろしながら、当時の馬鹿馬鹿しいやり取りを思い出していた。


 新しいドレスはいらないと言い張ったのに、『一着も作らないと言うなら、ママは大声で泣くから』と殺し屋みたいな目つきで睨まれ、これは従わないと殺られると察して、新調に同意したのだった。


 派手好きパーティ好きな母は、娘のヴィッキーが社交の場に出たがらないことを、常に苦々しく思っているようだ。


 色々諸事情があるので、舞踏会などの大かかりなものに引っ張り出すのは、さすがに無理だと悟っているようだが、『個人間のつき合いで、ひょっとすると晩餐に呼ばれることくらいはあるかも』というしょぼい期待を捨てきれずにいるようである。


 そんなこんなで作らされた、このドレス。偶然クリストファーの瞳と同じ色になってしまっており、なんだかいたたまれない気分になった。旅行の準備をペギーに一任してしまったから、持参するドレスの種類を事前にチェックしていなかった。


 ――時間になり部屋まで迎えに来たクリストファーは、着飾ったヴィッキーを見て、微かに瞳を細めた。


「とても綺麗だよ、ヴィクトリア」


 すんなり誉め言葉が出てくるあたり、社交辞令感がビシバシ前面に出ている。ヴィッキーはこの上っ面だけの台詞に、早速げんなりしてしまった。


 しかし改まった正餐に向かう前とあっては、気の抜けた山猿みたいな態度を取るのも、あまりよろしくない。ヴィッキーは貴族令嬢のプライドを総動員して、なんとか気合を入れ直した。


 否定的な感情は顔には出さず、ツンとお澄ましして、


「ありがとう。あなたもなかなかよ」


 と答えておいた。


 ――とはいえまぁ、これはあながちお世辞でもない。クリストファーの正装は『さすが』の一言で、本当にこの男は口を開かなければいい男だわと、平素彼に否定的なヴィッキーでさえ、感服したくらいだった。


 前髪を上げたクリストファーは、品が良く大人びて見えた。整えた黒髪と禁欲的な礼服の組み合わせは、彼の素材の良さをよく引き立てている。


 すらりと背格好が美しいので、目の前に立たれると、『おおっ』という、感動めいた衝撃を見た者に与える。――黄金色の穂、水面に沈む夕日、荘厳な建築物、細工の込んだ宝飾品――問答無用に美しいものは、数は多くなくとも、確かにこの世界に存在するのだ。


 奥まった場所にある階段を使って下階に向かいながら、ヴィッキーはちらりとクリストファーを観察した。――お忍びとはいえこの容姿。これじゃ忍ぶのは無理じゃないかしら?


 彼はお家事情のせいか、あまり表立った活動はしていないようだが、それにしても上流階級のあいだでは顔は売れているだろう。豪華客船ともなれば、乗客もそこそこの身分の者が集まっているから、いくら偽名を用いたとしても、第一王子だとすぐに見破られてしまうのではないか。


 そうなると一緒にいるヴィッキーも注目されることになる。幸いこちらは社交界で顔が売れていないから、すぐに『コンスタム家の娘』と身元を特定されることもないと思うが、それでもこれまで一切誰とも関わらずに生きてきたわけでもなかったので、安心してもいられない。


 ヴィッキーの不安が伝わったのか、クリストファーが静かに語りかけてくる。


「この階段を使えば、メインダイニングの半個室へ直接出られるから、他人の目は気にしなくてもいい」


「そうなの?」


 意味はよく分からなかったが、彼がそう言うなら、きっと大丈夫なのだろう。


 実際下階に下りてみると、クリストファーの言った意味が分かった。――天井から下がる茶金の房飾りの連なりが、向こう側からの不特定多数の視線を遮っていたためだ。


 不思議なオブジェのようなそれは、場所を隔離する役割を果たすと共に、重くなりすぎないよう、デザインを上手く工夫してあった。そのため開放的な空間は維持されている。


 そして二階吹き抜けのメインダイニングは豪華絢爛、これに尽きた。天井、柱、オブジェ――大きな枠組みから小さな細工まで、要所要所に上手く円の丸みを取り入れてあるので、優美で華麗な仕上がりになっている。


 金がかかっているのに、高級感がゴリ押しされているでもなく、どこかリラックスできるような抜けの部分があるのは、曲線が品よく視界に入るせいかもしれない。


 よくできているわ。感心しきりのヴィッキーであったが、ふとあることを思い出して視線を彷徨わせてしまった。


 ――困った。半個室(これ)では、聖女がどこにいるか探すことができない。


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