第23話 乗船直前
ヴィッキーはデズモンドまで手ぶらで来ており、侍女のペギーとは船で待ち合わせという段取りになっていた。
うちの侍女はどこにいるのだろうか。視線を巡らせると、乗船口の手前に佇んでいるノーマン・フィルトンを見つけた。
相変わらず大柄で精悍な男だ。腕っぷしが強そうで、かなりの強面であるのに、こちらに気づいて微かに瞳を和ませるところなんかは、なんとも人懐こい仕草だとヴィッキーは思った。
――ところで、待ち受けるノーマンは銀の盆を持っていて、その上には瑞々しい白百合の花が一輪置かれている。彼のもとに辿り着いたクリストファーは、その花を手に取り、傍らにいるヴィッキーの髪に挿してやりながら、こんなことを言った。
「――君にぴったりの花だ」
「白百合の花言葉って、なんだったかしら?」
ヴィッキーは耳の上に挿された花の香りに気を取られながら尋ねた。
「純潔」
なんとまぁ気障な男だろう。――私をどうしたいんだ、とヴィッキーは思わず半目になってしまう。今夜一晩、船室に監禁して洗脳し、高額な壺とか買わせる気なんじゃあるまいな。
あと、白百合の花言葉って、『純潔』のほかにも、別の怖い意味があったような気がする。眉を顰めて考えを巡らせるヴィッキーであったが、それについてはどうしても思い出せなかった。
「綺麗だよ、ヴィッキー」
「そうでしょうとも」
さっと表情を消し、無心でクリストファーの言葉を受け入れる。否定するのも面倒だったし、そもそもの話、ヴィッキーが『綺麗』なのは純然たる事実である。
彼女が受け入れれば、クリストファーはすぐに調子に乗る。
「今夜は新婚旅行を楽しもう」
ヴィッキーの髪を撫でながら悪ふざけを仕かけてきたので、惰性で『ええ、そうね』と流しかけた彼女は、ふと我に返り、クリストファーの手をピシャリと叩き落とした。
「新婚旅行じゃない!」
「意外と流されないな」
「あんたは一体何がしたいのよ」
やれやれ、どっと疲れたわ。投げやりな気分で視線を逸らしたところで、ヴィッキーはピタリと動きを止めた。人混みの中に、気になるものを見つけたためだ。
――見間違い? でも、やはり気になる。
「クリストファー、悪いけど先に行っていて」
「どうかしたのか?」
「知り合いが向こうにいたから、ちょっと挨拶してくる! すぐ戻るから」
おざなりにそう告げてから、クリストファーの返事を待たずに、乗船口から離れて走り出した。彼女の華奢な身体は、見送りに集まった人々の影に埋もれて、すぐに見えなくなってしまった。
――人と人の隙間を縫うように進みながら、ヴィッキーは船上と岸辺に視線を走らせる。岸辺も見送りの人々で混み合っているが、船のほうもデッキ上に乗客が多く集まっている。
客船の行先は近海の孤島ケネスであるから、見送るほどの距離でもないと思うのだが、ケネスを経由して、もっと遠くまで行く旅人もいるのだろうか。
ところでヴィッキーのお目当ては、デッキ上に佇む一人の少女だった。船上から船着き場を見おろしている、赤髪の娘。煌めくような瞳は新緑の色で、生命力に満ち溢れている。
――あれは聖女だ、間違いない。ヴィッキーには確信があった。聖女は癖のない黒髪のはずなので、あの赤毛は変装用のウィッグだろうか。確かに上手い化け方だと思った。髪型を変えるだけで、清楚で神秘的な彼女の特徴が薄まり、どこにでもいる普通の女の子に見える。
聖女は岸に向かって手を振っていた。――彼女の視線の先には、線の細い一人の男がいる。明るい茶と金が混ざった柔らかそうな髪に、繊細そうな灰色の瞳。鋭さと柔らかさが混在したような、不思議な雰囲気の男だった。
男が一歩後ずさり、口元に笑みを浮かべてみせると、聖女も別れの気配を察したのか、さらに大きく手を振ってみせてから、デッキを離れる。見送りはこれにて終了らしい。
男が背を向けて歩き出したので、ヴィッキーは走りながら慌てて呼び止めた。
「――ちょっと待って! そこの人!」
男はまさか自分のことだと思っていないらしく、足を止めようとしない。ヴィッキーは腹の底から声を張り上げた。
「ちょっと、そこの茶金の髪をしたお兄さーん! 赤髪美女の見送りをしていた、あなたのことですよー!」
周辺の人がなんだ? というように好奇の視線を寄越すが、ヴィッキーは他人からジロジロ見られようとも意にも介さない性質である。彼女は基本的に『見たいなら見れば?』の人だった。
男がピタリと足を止め、半身振り返って、怪訝そうな顔をこちらに向けた。――訳が分からない、プラス、目立つことが嫌い。そんな心の声が漏れ聞こえてくるような顔つきである。つまりどことなし迷惑そう。
ヴィッキーは人混みを縫って彼に近づくと、まるで後ろ暗いことはありませんというような、晴れやかな表情で話しかけた。
「――それで、あなた、誰?」
「あなたは僕のことをご存知で話しかけてきたのでは?」
「あなたのことは知らない。聖女と仲良さそうだったから、話しかけただけ」
ヴィッキーとしては不意打ちのつもりもなかったのだが、男はひどく動揺した様子で瞳を揺らしている。
「君、遠目でメリンダに気づいたのか? しかし、よく気づいたな。ええと、もしかして彼女の知り合い?」
元々よく知っている間柄だから、変装も見破れたのだろうと彼は考えたらしい。ヴィッキーは率直に答えた。
「いいえ、聖女とは話したこともないわ」
「じゃあ、ただのファン?」
「ファン、ですって?」
ヴィッキーは眉根を寄せつつ、口元に笑みを浮かべていた。――ありえない、と思ったからだ。
だって聖女の追っかけをしている女といえば、敬虔な信徒か、もしくはにわかフォロワーのどちらかに二分される。前者は壊滅的にダサイし、後者のフォロワーどもは、オシャレ女子気取りの割には、やはり絶妙にダサイ。言っちゃなんだが、あの聖女を目指している時点で、すでにセンスがないと思う。
どちらにせよ聖女の追っかけたちは、ヴィクトリア・コンスタムとは縁のない、しみったれた集団なのである。
「うけるー。なんでこの私が、聖女の追っかけなんかしないといけないのよ」
ヴィッキーはププッと噴き出してしまった。
「冗談はさておき、私、忙しいの。だから、とっとと名乗って」
グイグイ来るヴィッキーを、男は困ったように見つめた。
「ええと、僕の名前はロートン」
「ロートンは聖女の恋人?」
「まさか! 恐れ多いことだよ」
仰天したように見開いた瞳は、薄曇りの日の空みたいな、不思議な色合いをしていた。彼はどこもかしこも控え目で、繊細な十代を体現したような人物であった。――もしかするともっと年齢がいっているかもしれないが、童顔で若く見える。
卑下することないのにねと、ヴィッキーは小首を傾げてしまった。彼みたいなタイプは、気の強いイケてる女の子から、マスコット的に可愛がられると思うのだが。
「じゃあ、あなた神父?」
「どうして僕の身元を知りたいんだ?」
「どうしてかしら。気になるから」
ヴィッキーのほうにまるで悪意がないのは、十分に伝わっているのだろう。彼は敵意を浮かべてはいなかったが、ひたすら困惑しているように見えた。
なんせ、仲良くなるには出会ったばかりだし、話題がデリケートすぎる。
「気になると言われても」
「どうして言い渋るの?」
「言い渋っているわけでは。――僕はメリンダの友達だよ。ただの友達」
「聖女とつるんでいるのに、あなたがただの友達なわけないでしょう。まさか勇者とか?」
ヴィッキーとしては冗談のつもりだった。だって勇者といえばクリストファーという固定観念があったから。だからほかにも勇者と呼ばれる人間がいるかもしれないなんて、考えたこともなかった。
――ところが冗談のつもりで放ったその一言により、彼が狼狽したように瞳を揺らしたので、ヴィッキーは驚いてしまった。
「どうしたの?」
「なんで知って――ええと、誰かに訊いたの?」
「あなた、まさか、本当に勇者なの?」
「いや、あの」
足元に視線を落とし、困ったように口元を片手で覆う彼。ヴィッキーは彼の気まずそうな様子を見て、そこにリアリティを見出していた。――やだ、嘘、本当に?
「え、あなた新勇者なの?」
「新――とか、そういう言い方はちょっと。それで君は誰なの?」
「私はヴィクトリア」
名乗りながら、ヴィッキーは困ったように眉尻を下げた。
「もっと話したいけれど、もう時間がないから、今日はこれで。ねぇ今度会える?」
「会う? なんで?」
「私が話したいからよ! そうね、ええと――騎士団所属のベイジル・ウェインを訪ねてくれる? そうしたら私と会えるよう、彼がセッティングするから」
「ベイジル?」
「そうよ。ベイジル・ウェイン」
ヴィッキーは幼馴染を便利な秘書としてこき使うことにした。パメラ・フレンドを仲介役にしてもよかったのだが、あのアパートは場所が少しわかりづらい。その点、騎士団に所属しているベイジルはうってつけだった。
「それじゃあ、また会いましょう!」
ヴィッキーは自分勝手に話を打ち切り、さっさと彼に背中を向けて、乗船口へと引き返して行った。
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