第22話 波乱のクルーズ
プリプリ怒りながらコーンドッグをかじるヴィッキーであったが、二口、三口、と食べ進めるうちに機嫌も直ってきた。町並みを眺めながら、二人並んでのんびりと歩く。
「あんたのお上品な口には合わないんじゃない?」
この男は普段、一流シェフが作る、繊細な料理ばかり食べているはずだ。それとこれではクオリティがまるで違うし、新しい味に慣れるには反復が必要というか、一朝一夕で貧乏舌になるものではないと思うのだ。
――ちなみにヴィッキーは両方いける口である。チープで分かりやすい味つけのものも時折無性に食べたくなるし、単純に好きだ。反対に、上等で手の込んだ料理は、最初から最後まで感動する。これも大好き。
どちらかなんて選べない。なんだか浮気者の言い訳みたいだが、どちらも好きなヴィッキーは、どちらかを選ぶなんてできないのだ。
「……懐かしい味がする」
手に持った串揚げを見おろしながら、クリストファーが素朴な声音でそう呟いたので、これにヴィッキーはとても驚かされた。
――それって、前世で食べた記憶? 勇者だった時に、この男の身分がどれくらいだったのかは知らない。もしも平民出身だったとするなら、こうした食べものにも馴染みがあったかも。
現世は王子だから、こんなものを食べるわけがないものね。探るようにクリストファーの横顔を眺めているうちに、ヴィッキーはあることに気づいた。
「うん? そういやあんた、下町に来ていたことがあったっけね」
安酒場で出会った過去を、危うく忘れかけていた。
「――ていうか前に安酒場で会った時、毒味役とか関係なく、普通に飲み食いしていたじゃない!」
くそう、騙された! 先程コーンドッグを奪われた時、身を引き裂かれるほどつらかったのに、なんてこった! 王子だから『誰かが毒見してからでないと、食べられないのか。仕方ない』と渋々納得したのに!
このネコババ野郎! コーンドッグは結局もう一本注文したけれど、お前のネコババ行為は、それで帳消しになんかならないからな。
「今頃気づいたのか。やっぱり馬鹿だな」
ふふっと目を細めてこちらを見おろしてくるので、この開き直りにヴィッキーは呆れ返ってしまった。
――な、なんて嫌なやつなんだ! この男には、次の言葉を贈っておこう。
「馬鹿っていうほうが、馬鹿なんですー!」
***
そんなこんなで辿り着いた、デズモンドを横断するフィン川のほとり。夕刻近くの船着き場は、行き交う人々でごった返していた。
ヴィッキーは見上げるほどに大きな豪華客船が停泊しているのを眺め、黙り込んでしまった。
「さぁ行こうか」
背中に手を当てて平然とエスコートしようとするクリストファーを、胡乱な目で見上げる。
「――あの、こんなの聞いてないんだけど」
「船に乗ることは伝えておいたはずだが」
「いやだけど、ボートみたいなやつかと」
向こう岸に渡る移動手段の一環くらいに考えていたよ。これって、海に出て一月くらい余裕で過ごせる規模の船じゃない?
「そんなに心配しなくてもいい。取って食いやしない」
「私、本当に数日で帰れるの?」
ノーギャラで長期拘束とか、勘弁して欲しいのだが。
「デズモンドから河口に出て、海上の孤島ケネスに向かう。片道小半日の旅程だから、間違いなく数日後には帰れる」
――それって数日後も生きていればの話だよね? 海上に出たら石をくくりつけられて、水底に沈められないよね? そんな恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
「泊りの荷物は送ってあるだろう?」
次いでクリストファーが発したその問いかけは、事務的なはずなのに、どことなく甘さを含んでいるように感じられた。――ドSの分際で女慣れしているなと思う。
この男はひどい性格をしているのだが、悔しいことに、それを有耶無耶にできるくらいに物腰が優美なのだ。
ヴィッキーはクリストファーのことが苦手であったが、それでもふとした瞬間につい気を許してしまいそうになるのは、この絶妙な空気感のせいなのかもしれなかった。
「泊まりの荷物? ……ええと、たぶん」
ヴィッキーは歯切れ悪く返事をした。荷造りは侍女のペギーに任せていたので、正直なところよく分かっていないのだ。ペギーは今回の旅行に関して、事務的な指示をノーマンから受けている。何を準備するのか、どこに送るのかといった、細かい点について。
ヴィッキーからペギーに伝えたことは、ただ一点のみ。――『パパには内緒で』という、この一点。コンスタム公爵に内密でというのは、クリストファーから提示された条件の一つである。
――まぁそれはそうだよね、という指示だった。だって父がこれを知ったなら『楽しんできなさい』と送り出すはずもないからだ。
ヴィッキーはベイジルのキャリアを守るために、クリストファーの言うなりになっている。コンスタム公爵は娘(ヴィッキー)がクリストファーから脅されている経緯を知ったなら、ためらいなくベイジル・ウェインを切ろうとするに違いなかった。子分(ベイジル)に対して全面的に責任を持たなければならない親分(ヴィッキー)としては、父に隠しごとをするしかなかったのである。
――侍女には諸々手伝ってもらわねばならぬため、ことの経緯を正直に打ち明けたのが、二日前のこと。
するとだ。ペギーはただでさえ面長な顔をのっぺりと弛緩させ、かなり長い時間考え込んでいたのだが、やがてパチリと一つ瞬きをして、
「――お嬢様。妊娠のリスクについては、よぅく考えてくださいましね」
という、なんとも恐ろしい台詞を告げてきた。
――おい。どうなっているんだ、うちの侍女。頭の中で何がどうなったら、そんな心配に行き着くんだ。
ペギーは何かを懸念しているようだったが、ヴィッキーには忠実であるので、旅行の準備を内々に、そして完璧に整えてくれた。準備が整ってしまえば、ヴィッキーとしても、観念して出かけるしかなくなる。
そうして今日という日を迎えたのだった。
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