第21話 照れちゃって可愛いね
下町のエリアに入った。南北に走る一本の通りを挟み、出店が軒を並べてごった返している。
ここは昔から何も変わらない。変わらないことが良いのか、そうではないのか、ヴィッキーにはよく分からなかった。
ただ、なんとなくデズモンドへ来ると、ここへ足を向けてしまう。ノスタルジーに浸っているわけでもなく、単に舌の記憶が、下町に彼女を引き寄せるのかもしれない。
思い出の中でも『食べもの』に関するものが、一番大事に仕舞われている気がするのは、ヴィッキーが食いしん坊のせいなのか。
――緑と、白と、赤の縞模様が特徴的な、趣味の悪い日除け。目当ての店はすぐに見つかった。
店先で番をしていた猫背な老婆が、人の気配に気づいたらしく、のっそりと顔を上げる。目尻が垂れた福福しいおばあさんで、ひっつめ髪にも年季が入っていた。
「ばあさん、まだくたばっていなかったのね。――相変わらず小汚い店ね。しみったれたばあさんには、ぴったりだけど」
開口一番、ヴィッキーが得意の高慢ちきぶりを発揮する。
一年ぶりの来店なのに、ずいぶんな物言いである。二人は単なる客と店主の間柄なのだが、平常運転でここまで口が悪い客も珍しいのか、老婆のほうもヴィッキーのことを覚えていた。
「こんの悪たれ娘め。あんたみたいなどうしようもない娘が、男を連れて来るなんてね。季節外れの雪が降るさね」
人の好さそうな顔をして、店主のほうも口が悪い。ジロジロと値踏みするように客を眺め回す仕草は下品だし、癒し系の見てくれでなければ、クソ店主と言われても仕方ないような、棘のある物言いだった。
「はぁ? 何を言っているの? 私の美貌をもってすれば、下僕の一人や二人、簡単に手に入るんですからね」
単細胞のヴィッキーはこの挑発にすぐに乗っかり、阿呆丸出しで食ってかかった。――とはいえこれは単に、挑発されたことに対して腹を立てただけで、言われた内容については一切胸を痛めていなかった。
本人が常に自信満々なので、嫌味を言われたとて、それで落ち込むことはない。ヴィッキーは面と向かって『ブス』と言われたとしても『うけるー、ブスじゃないから。眼医者に診てもらえば?』と鼻で笑ってあしらえるメンタルの強さを持っていた。
――ところで、下僕扱いされたクリストファーは、帽子のつばに手をかけながらにっこり笑って口を開いた。
「彼女の妄言は流してください、マダム。実際の上下関係は逆ですので」
「じゃあ、この娘が下女なのかい?」
「ヴィッキーは僕の性奴隷です」
こ、言葉のチョイス……! クリストファーのワードセンスのイカレ具合に、ヴィッキーは意識がふっ飛びかけた。
なんなの、殺す気なの? 善良なご婦人だったら、ショックで卒中を起こしてもおかしくないからね。
眩暈を覚えたヴィッキーはなんとか踏み止まり、カッと目を見開いてクリストファーに食ってかかる。
「せ、性――とか、変なこと言わないでよ!」
「照れちゃって、可愛いね」
クリストファーが隣に並び、腰を抱いて見おろしてきた。――相変わらず、胡散臭い笑顔だな。ヴィッキーの鼻のつけ根にじんわりと皴が寄る。
「いやはや、長生きはするもんだねぇ。こりゃあいい男だ」
店主は下品なやり取りに引くどころか、なぜか感心している様子。目を丸くして、しげしげとクリストファーの顔を見つめている。――先程まではクリストファーがヴィッキーの後ろにいて、さらに逆光気味だったこともあり、あまり顔が見えなかったのだ。
普段は糸のように細く垂れ下がった目をしているくせに、今ではそれをまぁるくしてキラキラ輝かせているものだから、ヴィッキーはドン引きしてしまった。すでに枯れていると思い込んでいたこのばあさんが、『女』を出してくる瞬間に立ち会ってしまうとは。これはなんの罰ゲームなのかしら。
少しのけ反って顔を顰めていると、店主がヴィッキーのほうに視線を移した。
「おい、この馬鹿娘、この男を逃すんじゃないよ! お前さんは度を超した粗忽者なんだから、性奴隷にしてもらえる機会なんて、金輪際ないものと思いな。これ以上の男があんたの前に現れることは二度とないよ」
性奴隷を名誉職みたいに言うんじゃないよ。誰もなりたくないわよ、そんなもの。ヴィッキーの顔が引き攣る。
けれどまぁ、『これ以上の男があんたの前に現れることは二度とない』の部分だけは、おおむね同意だけれども。
「確かにこれ以上ヤバい男は、この世に二人と存在しないでしょうね」
この男はマイナス面で振り切れているからね。これほどのサイコな逸材は王都中を探したって二人とおるまい。
しかし目の前のばあさんは『上等なイケている男』という意味でそう言ったのだろうから、『あんたはもう一回、人生学び直してこい』と厳し目に説教をしてやりたい気分だった。これだけ長生きして、まだ人を見る目が養えていないのか。すっかすかな人生だな!
「もういいわ。コーンドッグを頂戴」
ヴィッキーは投げやりな口調で、この店の看板商品、もとい唯一の商品を注文した。当然、揚げたてを提供するという商売上のガッツを失った婆さんであるから、揚げ済のものが差し出される。
そして実物を前にすると顰め面を保てない残念娘のヴィッキーは、つい口元を緩ませながら串を受け取ったのだった。
すると横手から、
「これは何?」
とクリストファーが物珍しそうに尋ねてくるので、こういうところはお坊ちゃまだなぁとヴィッキーは思った。こんな庶民の食べものなど、見たことも聞いたこともないのだろう。
「魚の練りものを串に刺して、とうもろこし粉を溶いた衣をつけて、揚げたもの。ここのは、ほかと違って、衣がほんのり甘くて美味しいの」
「下町の味?」
「というより、貧乏人の食べものよ」
ヴィッキーは誰も得をしないであろう悪口を挟みつつ、
「身体に悪そうなものほど美味しいわよね。スパイシーなソースと、甘い衣の絶妙なハーモニー」
コーンドッグの甘く香ばしい匂いをかいで、ヴィッキーは上機嫌である。さっきまで怒っていたのに、食べものを前にするとコロリと天気が変わるのだから、子供と一緒だ。
「――あなたも食べれば?」
行儀悪く一口かじってから、クリストファーにも勧めてみた。
しかしまぁ王子がこんなものを食べるとは、はなから考えていない。自分だけ食べるのもなんだから、一応訊いただけのことだ。――ほら、私って気遣い上手だから。ヴィッキーは持ち前の対人スキルを、誰も褒めてくれないので、自ら褒め称えて悦に入った。
ところでこのコーンドッグ、相変わらず悪魔的な美味さである。カリッ、サクッ、フワッ。そして練りもののパートがジューシー。これはもはや天上の食べものだ。
――死ぬ前に何を食べたいかと訊かれたら、絶対にコーンドッグと答えるわ。ヴィッキーは目を細めてうっとりした。
ところで彼女の『死ぬ前に食べたいもの』は毎日変動している。気まぐれというよりも、それだけ日々食に感謝して生きているということかもしれない。
――あなたも食べれば? の誘い文句を受けて、クリストファーはヴィッキーの食べかけの串を、横からさっと奪い取ってしまった。
さっきの問いかけは彼女としては善意の勧めだった。しかしクリストファーは恩を仇で返すという、最低最悪な下衆野郎なのだ。
「あっ、ちょっと!」
「毒見は済んだな」
そう言って、頓着なくコーンドッグをかじる王子。
「こ、このクソ野郎!」
食べものの恨みは恐ろしい。ヴィッキーは令嬢として最低な台詞を吐いてもまだ気が済まず、忌々しそうにクリストファーを睨んでから、キレ気味に老婆に追加注文した。
「――もう一本頂戴!」
金はクリストファーが払ったのだが、それがちょっと多めだったので、『釣りを寄越せ』と手のひらを出したら、婆に引っ叩かれた。そうして『さっさと帰りな!』と追い出されてしまった。
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