第19話 僕の言う事を聞くだろう?


「それで、父の疑いは晴れたの?」


 娘が言うのもおかしな話だけど、パパは怪しいっちゃ怪しいからね。ヴィッキーはそんなことを考えつつも、単刀直入にクリストファーに尋ねてみた。


 すると、


「いいや」


 という実にありがたくない答えが返って来た。


 ――疑い、晴れてないんかーい。半目になってしまったヴィッキーであるが、これに関してはもうどうにもならない。『ヴィッキーが元勇者である王子と関わらないようにする』というのは、努力次第でなんとかなる。けれど『父親が捕まらないようにする』というのは、努力次第でどうにかできる問題ではない。


 ヴィッキーはなんだかどっと疲れてしまって、眠そうに瞳を細めた。


「ええと、じゃあ、まぁ、何か動きがあったら、知らせて頂戴よ」


 少々投げやりな態度で右手を上げてみせ、暇を乞う。なんとなくであるが、このまま上手くフェードアウトできそうな気がしていた。


 元々ヴィッキーの中でクリストファーの印象は最悪だったものだから、もっとこうなんていうか、口の中に銃口でも突っ込まれて、『老いた犬の鳴き真似をしてみな』くらいのことは言われるものと思っていたのだ。しかしどうやらそこまでではない。


 やつのメンタルの危うさは一旦横に置いておくとして、ここで対面してからの会話は意外と普通に成立しているというか、即血塗れ肉片スプラッタみたいな展開にはなっていないのだ。


 この分だと、すぐに殺されることもなさそうじゃない? ビビることなかったな。などとヴィッキー本来の能天気さが顔を出す。


 ――じゃあな、あばよイカレ王子。視線を逸らして右足を一歩踏み出した瞬間、銃弾を撃ち込まれた。


 ――ところで、ここはまだ屋内。西棟は王宮内でも、殊更堅牢に造られているエリアである。重厚な石造りの建築物は、発砲と非常に相性が悪い。


 響き渡る、とてつもない轟音。そしてもたらされる混沌。――チュインと石を削るような音がヴィッキーの足元で鳴り、目にも止まらぬ速さで弾丸が壁に当たって跳ね返った。ヴィッキーを中心にして、灼熱の軌跡が火花のように弾ける。


 踏み出しかけていた足も止まった。そりゃあ止まるさ、ってなもんだった。口を微かに開けたまま、視線をゆっくりとクリストファーのほうに戻す。


 ――目が合うと、彼はにこりと微笑んだ。それは風格とユーモアがちょうど半々に混ざったような、絶妙な笑みだった。このような暴挙のあとでなければ、味があって素敵な表情だなと思ったかもしれない。あくまでも、このような暴挙のあとでなければね!


 こうなるともうヴィッキーは、どんなふうに精神状態を保っていいのか分からなくなっていた。頭が混乱しているし、訳が分からない。怒鳴ればいいのか、怯えればいいのか、いっそ笑えばいいのか。


 分からない。どうしたらいいのか分からなかった。


「――帰っていいとは、言っていない」


 そう告げたクリストファーの声に、怒りの感情は滲んでいないものの、逆らいがたい何かがそこにはあった。


「君がまだこの遊びを続けたいというなら、話は別だが」


「この遊びって何!」


 遊んでいるのはあんただけでしょうが! こっちはちっとも楽しくないっての。


「銃弾を足元に撃ち込んで欲しいんだろう?」


 自分がS属性だからって、勝手にこちらにM属性を割り振らないで欲しい。自慢じゃないが、こちらだってS寄りなのだ。


「私がそれを望んでいるように見えるの? あんた、おかしいんじゃない? 医者に診てもらいなさいよ」


「僕は至ってまともだ」


「どこが?」


 思わず顔を顰めてしまうが、こんな態度を取り続けるヴィッキーは、クリストファーからすれば、聞き分けのない女でしかないのかも。


 彼が表情を消し、微かに目を細める。


 まるで遊びに飽きた猫みたいだわ、とヴィッキーは思う。とにかくこれはよろしくない兆候だった。


「ねぇ、私、帰るタイミングは自分で決めたいんだけど」


「君にその権利があるとは思えないな」


「いやいやいや。決める権利くらいはあるでしょう?」


「目上の者と相対している時は、それなりの敬意を払うべきだ」


 そう告げたあとで、クリストファーが銃を下ろすのを、ヴィッキーはただ眺めていた。


 彼が壁に寄りかかっていた背を離す。それにより空気が少し変わった。


 ただそこに自然体で佇んでいるだけなのに、なんだか圧力が増したようだった。お遊びで銃を構えていた時よりも明確に、相手を支配する気配が強まっている。銃口を下げたのは『こんなものはなくても、君を屈服させられる』という意思表示なのだろうか。


 ヴィッキーが問うように見つめると、クリストファーは口元に笑みを浮かべた。――この男はこういう顔をしている時が、一番危険に感じられる。楽しそうでもあり、退屈しているようでもある。


「君は身分制度というものを、もう一度よく考えてみたほうがいい」


「ええと、つまり?」


「僕の名前を呼んでみろ」


 おかしな命令がきたなと、なんだか腰が引ける。――もちろん知ってはいるが、呼びたくない。ヴィッキーが無言の抵抗を続けていると、クリストファーが片眉を微かに持ち上げ、艶のある声で告げたのだった。彼自身のその名を。


「――クリストファー・ヴェンティミリア」


 この瞬間、全てが上書きされたように感じた。前世の因縁が塗り替えられていく。今ここに対峙しているのは、元勇者と元魔王ではない。


 ――クリストファー・ヴェンティミリアと、ヴィクトリア・コンスタム。


 二人のあいだには圧倒的な力の差があった。だからヴィッキーは観念し、彼の名前を呼んだ。


「――クリストファー殿下」


「お前は僕の言うことを聞くだろう? ヴィクトリア・コンスタム」


 悪魔めいた囁きだった。やはりクリストファーは曲者だと思う。こんなふうにヴィクトリアのほうから折れるように持っていくのだから。


「仰せのとおりに」


 スカートの裾を払い、礼をする。――ああ、やれやれ。なんてこった。


「それで私は何をすればよろしいのですか? クリストファー殿下」


 平坦な口調で問うヴィッキー。しかし返された答えは、想像の上をいっていた。


「イフリートの卵探しに同行しろ。友人として、地方視察を一緒にするというていで」


 いやもう、目ん玉が飛び出るかと思ったね。――このイカレ男は何を言っているのだろう?


「絶対、嫌ですけど!」


「聞き分けのない子は嫌いだ」


「いや、あの、殿下。いくらなんでも、聞けることことと聞けないことがありましてね」


 と続けるが、クリストファーのほうは、こちらの言い分を聞く気がない。


「分かっていないようだが、なぜ牢内でお前を拘束しなかったと思う?」


「ええと、ただの気まぐれ?」


 気圧されて一歩後ずさる。するとクリストファーが間合いをつめてきた。一歩退くたび、一歩詰められる。やがてヴィッキーの背が壁に当たってしまった。これ以上は退がれない。


 ――ふと気づけば、クリストファーがすぐ目の前まで来ていた。彼の青い瞳にヴィッキーが映り込んでいる。まるで虹彩の中に、閉じ込められているかのよう。


「チャンスをやるためだよ」


「チャンスって?」


「君をあの場で捕らえていれば、手引きしたベイジルのことも処分しなくてはいけないだろう? つまり僕は、最大限の慈悲を与えたことになると思うのだが――それに対する君の見解は?」


 ああ、くそう! ヴィッキーは思わず額に手を当てて顔を顰めていた。気づけば袋小路だ。子分の進退が、ヴィッキーの返答にかかっている。


「――ベイジル・ウェインを地獄に突き落としたいというのなら、それでいい。しかし君には彼を守る義務があると思うがね。前途有望な若者に犯罪の片棒を担がせておいて、あとは知らぬ存ぜぬというのは、筋が通らない」


 もはやぐうの音も出ないヴィッキーだった。


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