第17話 遅かったな
「クリストファー殿下!!!」
思わずベイジルが声を荒げる。
クリストファーはゆっくりと振り返り、騎士団所属のベイジル・ウェインが、我を忘れて瞳を揺らすさまを流し見た。クリストファーの瞳が微かにすがめられ、表情そのものは大きく変わらないものの、相手をいたぶるような悪戯な気配が強まる。
「ベイジル、何を慌てている。ちゃんと外した」
「外し――それはそうです、が」
ベイジルは言葉を失った。――外したといっても、ベッド上にいるゴロツキの身体は、だろう。下に隠れているヴィッキーが無事かどうかは分からない。
ベイジルは怒鳴り出したくなる衝動をなんとか抑え込んだ。――落ち着け。ここで取り乱せば、全てが終わる。着弾していれば、いかに肝の据わったヴィッキーといえども、叫び声の一つも上げたはずだ。だからきっと上手く外れたのだろう。
石床に視線を走らせる。ベッド下からは血が染み出していない。その事実に安堵のため息が漏れた。
――それにしてもいきなり銃をぶっ放すなんて、この人は一体何を考えているのだろう?
「当てたほうがよかったか?」
クリストファーの青い瞳に嗜虐的な色が混ざる。それはトロリと、とろけるように甘やかだった。
悪い夢を見ているみたいだ。ベイジルがペースを掴めずにいるあいだに、事態はどんどん悪くなっていく。
あっという間もなかった。クリストファーがふたたびトリガーに指をかけ、なんの躊躇いも見せずにまた引き金を引いたのだ。
二度目の発砲――とてつもない音の圧だった。破裂音が残響し、狭い牢内に余韻を残す。
――イカれている! この王子はどうかしている! ベイジルは歯を食いしばり、叫び出しそうになるのをなんとか堪えた。
――ところでこの時、ベッド下に潜んでいたヴィッキーは。
上で交わされる会話に注意を払い、とにかく耳を澄ませていた。おかげでクリストファー改めドS王子殿下が、引き金に指をかける気配に気づけたのだった。
そこで溺れる船から慌てて逃げ出すネズミのように、身体を捻りながら壁際に逃げようとしたわけである。視線だけはクリストファーのいる方角から離せないので、自然上半身がねじれて、ツイストする形になった。身体は壁際に向いているのに、顔は背後を気にして振り返っている。あちこちねじれた挙句に、足も曲げているので、大層おかしなポーズになっていた。
この体勢苦しいなと顔を顰めた瞬間、二度目の凄まじい発砲音が響き渡った。
音が鼓膜を揺らすと同時に、背中のすぐ真後ろの石床に、弾丸が当たって撥ねたのが感覚で分かった。入射角が悪かったらしく、はじかれた弾は無軌道に凶悪に撥ねて、どこかへ吹っ飛んで行く。
つぅ……と冷や汗がこめかみを伝った。――ひ、ひぃぃぃぃぃ! あいつイカれてるよ! なんなんだ、あいつは! アレもう、悪魔の生まれ変わりだろう!
人間界では『勇者VS魔王』の構図を、『正義VS悪』と捉えているようだが、本質は単なる勢力争いで、『悪VS悪』の頂上決戦、究極のヒール対決だったのではないか?
ヴィッキーはふたたび涙目になる。この流れだと、どうやら三発目もありえるぞ。悪運もそろそろ尽きそうな気がしてきた。ふと気づけばベッド下で、飛び立つ瞬間の白鳥みたいなポーズを取っている。
――次の流れ弾に当たって死んだら、この白鳥みたいなポーズで棺に入れられるのか? えー、参ったな、これじゃ寸法的に、縦長の棺に入りきらないんじゃないの? 美意識にうるさいママがめちゃ怒りそうだわぁ。正方形の棺なんて不細工だわと駄々をこねそうだ。
――ああだけど、考えてみれば、気の強いママは先日パパと口喧嘩をしたきり、家出中なのだった。
てことは、何よ? 久方ぶりにママが家に帰って来るその理由が、娘(ヴィッキー)の獄中死ってことになるの? そんなことになったら、なんとも悲しすぎる展開である。
ヴィッキーが現実逃避しているあいだに、ゴロツキは自らが崖っぷちに立たされていることを十分に理解したらしかった。というのも、二発目の弾丸が、彼の左腕をばっちり掠めていたからだ。
表皮を軽く傷つけた程度であるものの、昨夜足を撃たれた時の生々しい痛みが蘇ってきて、男は顔からすっかり血の気を引かせている。今は痛み止めがきいているが、また撃たれたらどうなるのか。
先程のヴィッキーとの小競り合いにより、傷口が開きかけていたこともあって、ふたたび身体に穴が開く事態はなんとしてでも避けたいと考えていた。
駆け引きを持ちかける余裕すらない。知っていることを洗いざらいぶちまけてしまわないことには、人生が終わってしまうと、ただただ焦りが込み上げてくる。それゆえ男はまくしたてるように喋り始めた。
「イフリートの卵がどこにあるかは知らない! だけど取引の日時と場所は知っている」
「どういうことだ?」
「教会を襲撃した実行犯は、武器商人のデンチが雇った下請けなんだ。――つまり俺が所属している組織が、下請けとして仕事を請け負った。卵は今、うちのボスが持っていて、後日、雇い人であるデンチに引き渡す手筈になっている」
「聖女を狙った理由は?」
「あの夜、あの酒場に現れるというタレコミがあった。聖女を取っ捕まえることができれば、デンチが報酬を上乗せしてくれるかもしれないと、うちのボスは考えたんだ」
「デンチとの取引について、日時と場所、詳細を詳しく話せ」
話が一番良いところにさしかかった。緊張して耳を澄ませていたのに、ヴィッキーは続きを聞くことができなかった。
というのも、前に進み出たノーマンが、ベッド上に覆いかぶさってしまったからだ。彼はゴロツキに向かって小声で囁きを落とし、相手もまた囁き声で取引場所を耳打ちして返した。これではノーマンにしか伝わらない。
ベッドマットを隔てているヴィッキーが聞き取れるはずもなかったし、それは離れた場所に佇むベイジルも同様だった。
クリストファーもそうだろう。しかし彼の場合はあとでノーマンから聞き出せる。
思わず舌打ちが出そうになるヴィッキーであったが、あとでじっくり聞き出せばいいかと思い直して、そのまま待つことにした。
囚人との対話を追えると、ノーマンは懐から小振りな注射器を取り出して、用済みになった男の首筋に垂直に針を突き刺した。そのまま薬液を注入された男は、身体を弛緩させ、トロリと瞳を濁らせながら瞼を閉じる。
これを眺めていたベイジルは呆気に取られた。
「……殺したのか、ノーマン」
「意識を奪っただけだ」
ノーマンが振り返り、淡々とした調子で答える。
「強めの薬を打ったから、耳元でシンバルを鳴らしたとしても起きないぞ。もう用は済んだことだし、この男がこれからどれだけ寝続けようが、どうでもいいがね」
――なんてことだ。これでははまるで意味がない。視線をベッド上に走らせてみても、男は完落ちしていて、どうにもなりそうになかった。
「ベイジル。次の夜会の警備体制について、お前に確認したいことがあったんだ。一緒に来てくれ」
人の気も知らず、ノーマンがそんなことを言い出すので、
「ここの施錠や引き継ぎを終えてから、あとでうかがう」
とやんわり時間稼ぎをしてみたのだが、それも王子に阻まれてしまう。
「施錠のあいだくらい待つ。引き継ぎは省いてもいいだろう。もう用は済んだことだし」
聞くことは聞いた、収監者も寝ている。そうクリストファーに促されてしまえば、立場上断ることはできなかった。
「承知しました」
こうなっては仕方ない。この場にヴィッキーを放置して去るのは気が引けたが、考えてみれば、王子を早くこの場から連れ出したほうが、彼女の身は安全なのだと気づいた。あとでベイジルの違反行為が咎められることになっても、今ヴィッキーが現行犯で取り押さえられなければ、彼女だけは罪を逃れられる。
クリストファー殿下とノーマンが先に通路に出て、姿が見えなくなったその瞬間、ベイジルは急ぎ鍵束に指をかけた。
鍵を束ねる金属のリングはバネ式の開閉部がついているタイプで、すぐに着脱できる。全ての牢は鍵が共通になっているので、リングに束ねてあるものは溝の形がみんな同じになっていた。スペアキーを一本、手早く束から引き抜き、それをベッド上にポンと放り投げる。
キーがシーツの上に落ちる微かな音がした。隠れているヴィッキーも気づいただろう。
早足に牢を出たベイジルは、二人の目の前できっちり牢鍵を閉め、彼らに続いた。
――ふぅ、やれやれ。もう行ったかな? 石床に転がり息を殺していたヴィッキーは、三人が階段を上がっていく足音に注意深く耳を傾けていた。しばらくたってから、深く息を吐いて脱力する。
……た、助かったよぉ。緊張と緩和の落差がすごい。惨めな気分でベッド下から這い出し、のろのろと立ち上がる。二本の足で床を踏みしめた途端、生まれたての小鹿のように足がプルプルと震え出した。長時間、冷たい床の上で縮こまっていたせいだ。
「――あのクソ勇者め!」
まったくなんて憎たらしいやつだろう。やつの放った弾が脳天に当たっていたら、脳味噌がとろりと溢れ出していたところだぞ。変なポーズで固まっていたせいで体中が痛いし。
ベッド脇に佇んだまま腰に手を当てて、ついへの字口になるヴィッキーである。視線の先で眠るゴロツキはスヤスヤというよりも、昏倒に近い意識の飛ばし方をしているので、起こすことも不可能だろう。
この状態の何もかもが腹に据えかねていた。これこそまさに、骨折り損のくたびれ儲けではないか。苦労して危ない橋を渡った結果がこれか。単に薄汚い石床に寝そべっただけだ。
しかし今日のところは退散するしかなさそうだった。ツキが逃げている時に粘っても、ロクなことにならない。
ベイジルが残して行ってくれたスペアキーをシーツの上から拾い上げると、ヴィッキーはため息を吐きつつ、牢の内側から解錠し、通路に滑り出た。それから牢扉と、階段室に出る前の大扉、二か所をきっちり施錠して、鍵をメイド服のポケットにしまってから、階段を上がって行く。
大きな眼鏡がグラグラと揺れてなんだか邪魔なので、折りたたんで襟元につるを引っかける。やれやれ、と何度目かのため息を吐いて、階段を上り切ったところで、
「――遅かったな」
不意に横手から声をかけられた。
驚きに目を見張ったヴィッキーは、なんの備えもなく、反射的に振り返った。声がしたのは彼女から見て左手の後方、死角に当たる。振り返ったその先に佇んでいたのは。
親しみを込めたような流し目に、口元に浮かぶ鮮やかな笑み。草木を揺らすそよ風のように軽やかな気配を纏わせながら、クリストファー王子が利き手に銃を構えて、壁に寄りかかっていた。
――そしてその銃口は、寸分の狂いもなく、ヴィッキーの心臓(ハート)に狙いが定められていたのだった。
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