第14話 たっぷりリンゴの三年殺しパイ


 王宮西棟の奥まったエリアにある階段室。その入口横には小さなデスクがあり、備品などが無造作に積まれている。


 ベイジルはそこから日誌を挟むボードと、白紙一枚を拝借した。それからポケットに手を入れ、折り畳んであった謎の紙を引っ張り出す。二枚の紙を纏めて、白紙のほうが上にくるように重ねると、ボードに挟んで小脇に抱える。


 ――以上で、準備完了らしい。ベイジルが先頭を切り、さびれた石階段を下りて行く。


 地階に着くと、大きな鉄格子が通路を遮っていた。そこから先へは進めないようになっている。


 格子手前の椅子に腰かけていた見張り番が、ベイジルの顔を認め、驚いた様子で立ち上がった。ベイジルは微かに頷いてみせてから、口を開いた。


「お疲れさま。――収監者の治療の時間だ。看護師を連れてきた」


 ベイジルは堂々とした態度で、傍らに控えるメイド姿のヴィクトリアを紹介する。


 見張りは看護師だという娘が、大きな革カバンを提げているのを眺めた。一拍置き、看守の顔に戸惑いの色が広がる。


「そのような引き継ぎ事項は、なかったかと」


「指示変更の書類は、俺が直接持ってきた」


 そう言ってボードを持ち上げたベイジルは、上の白紙を半分ほどめくって、二枚目の下部にあるサイン欄を、ペン先で叩いてみせた。


「ここにサインをくれ」


「ええと、あの?」


「早くしてくれ。予定が立て込んでいる」


 ベイジルが苛立った様子で急かせば、相手は反射的にペンを受け取り、身を乗り出した。ほとんど条件反射だろう。


 ――ヴィッキーはそっと背伸びをして、くだんの書類を覗き込んだ。四角い枠に囲われて、何やら細かい文字がびっしり書き込んである、謎の書類。あれはベイジルがポケットから取り出したものだ。――中身はなんなのだろう? 上の白紙が邪魔をして、全貌がよく分からない。


 おまけにベイジルの圧にビビったのか、見張り番はひどく焦っていて、サインしているボードが激しく揺れているので、目視は不可能な状態である。


 書き終えた見張りはやっと少しだけ落ち着きを取り戻したのか、


「一応、そちらの看護師さんの手荷物を拝見できますか? すみませんが、決まりごとなので」


 ベイジルの顔色を窺うように、確認してきた。


 ヴィッキーは澄まし顔でススッと前に進み出ると、カバンを横倒しにして下を手で支え、開けやすいように、留め金を看守のほうに向けてやった。


 看守が蓋を開けると、数種類の注射器だの、仰々しい鉗子(かんし)だの、メスだの、ノコギリだのといった禍々しい器具の数々が、灯りの下に晒された。


 一瞬、ベイジルがものすごく怖い顔でヴィッキーを睨んだ。これは完全に素のリアクションだった。『お前、何考えてんだ!』とでも言いたげである。


 ベイジルは当然、これらが治療のために持ち込まれたのではないことを知っている。ヴィッキーが何に使うつもりなのかを察したから、彼は怒っているのだ。


 ――まぁね。注射器の中の薬液、おかしな色だからね。ヴィッキーはポーカーフェイスを保つべく、瞳を細める。


 中身を見た牢番は、言葉も出ない様子である。――いや、これ、本当に? と疑っているのが、引き攣った彼の表情によく表れていた。違和感を覚えているようだが、一応、注射器だったりメスだったりするから、正規目的でないとも言い出せないようだ。


「――あとはこちらでやるから、君はさがっていい」


 ベイジルが事務的にそう告げれば、牢番が目を丸くした。


「ウェイン殿、しかし私の持ち時間は、まだ半分以上残っております」


 この流れでの交代はありえないのだろう。それはまぁ考えてみれば、当然の話だ。状況に応じてシフトが変わることはあっても、変更の通達は、監督者からのトップダウン方式であるのが普通である。


 ましてや牢番とベイジルは所属が違う。ベイジルは出世株とはいえまだ年若いし、指揮系統を捻じ曲げられるほどの地位にはまだ就いていないから、この横入はどう考えてもおかしな話だった。


 しかしベイジルの物腰は堂々としていて、後ろ暗い雰囲気は皆無であったので、牢番はどうしてよいのか分からない様子だった。


 ここで駄目押しするかのような、ベイジルの厳しい叱責。


「奥に収容されているのは、王子殿下預かりの重要な容疑者だ。看護師の治療のあとに、私が尋問を行う手筈となっていて、その際、部外者は退席するようにと、王子殿下から直接指示を受けている。――看護人の受け入れと合わせて、それについてもこの紙に書いてあったのだが。今、自分でサインをしたのに、中身を見ていなかったのか?」


 牢番はビクリとして背筋を伸ばした。


「は、いえ、申し訳ありません」


 脅しがきいたのだろう。これにて牢鍵を受け取ることに成功したベイジルは、見張りを追い払ってから、やれやれと息を吐いた。


 ヴィッキーは傍らのベイジルを見上げた。


「あんた、真面目なだけが取り柄なのかと思っていたけれど、意外と詐欺師に向いているんじゃない?」


 感心した様子でヴィッキーがそう褒める(?)と、ベイジルは喜ぶどころか、忌々しそうに彼女を睨み据えた。――協力してやっているのに、こいつにだけは茶化されたくない。彼はそう考えていた。


「誰のせいで、あんな嘘をつく破目になったと思っているんだ」


「だけど堂に入っていたわよ。大体、その紙はなんなの?」


 ボードと無地の上紙は、先程デスクから調達したのを見ているのだが、二枚目のサイン欄があった表は、彼がポケットから取り出したものだ。


 ボードをかっさらって紙をめくってみると、四角く囲った中に書かれていたのは、なんと食事のメニューだった。スープだの軽食だのの料理名が、みっちりと列記されている。


「え、何これ?」


「テイクアウトの注文書だ。ここから四ブロック離れたところにある、マクドネルって店の。――うちの団では夜食を当番で買いに行く決まりがあるんだが、団長がグルメなせいで、クソ遠いこの店まで行かなければならなくてな。ほかの団ではあんな場所まで行くわけないから、この注文書を見たことがないのだろう」


 注文書だから、注文者のサイン欄があったのか。


 ――ベイジルはなんだか嫌そうだが、団長がグルメというのは、悪いことではないと思う。買い出しは面倒でも、結果的に満足感を得られるからだ。


 それにグルメな団長一押しの店と聞くと、ヴィッキーは俄然興味を惹かれた。今ざっとメニューを見ただけでも、『鳥の地獄直行焼き』だとか『牛肉と根野菜の鬼嫁泣かせ』だとか『たっぷりリンゴの三年殺しパイ』だとか、奇妙に心躍るメニュー名が並んでいた。


 三年殺しパイを騎士団員が食べているって、シュールすぎる。それに根野菜で鬼嫁泣かすって、どんなコンセプトなんだろう。興味あるわー、今度行ってみようかな。ヴィッキーはにんまりしてしまった。


 ところでこれ、メニューが豊富なのか紙にびっしりと料理名が列記されているので、一文字一文字がえらく小さい。これではサインを急かされていた牢番は、とてもじゃないが書かれている内容に気づけなかっただろう。


 ベイジルの苛ついた演技もなかなかのものだった。――いや? 本当に苛ついていたのかもしれないな。牢番ではなく、ヴィッキーに対して。




***




 鉄格子を抜けて先に進むと、右手に牢がいくつか並んでいた。その真ん中の牢に、昨日酒場の裏手で遭遇した若い男が収監されていた。ベッドに横になっている。


 男は足音に反応して、身体を硬直させた。険しい顔をしているので、これからどんな目に遭うのかを警戒しているのだろう。


「――鍵」


 ほら出して、とヴィッキーが手の平を上に向ければ、ベイジルは渋り顔だ。


「俺が中に入るから、お前は外で話せ――て言っても、どうせ聞かないんだろうな」


「当たり前でしょ。あんたの生温い責めを見させられたら、あくびが出ちゃうわ」


 からかうようなその物言いに、ベイジルはむっとした様子で眉を顰めた。仕事ぶりが生温いみたいに言われるのは心外だ。


 しかし本気を出したヴィッキーに比べたら、確かにそうなのかもしれない。この能天気娘は時折、海の底より昏い目をする瞬間がある。――淀んでいるのではなく、ただ純粋に透き通っていて、深い。そこにあるのは底知れぬ闇だ。狂気を宿しているというよりは、もっと根源的な何かだった。不思議と神聖な感じすら受ける。


 ――もしかすると、彼女と最も近しい距離にいたのに、恋仲にならなかった理由は、この辺りに原因があるのかもしれなかった。あまりに異質である存在とは、混ざり合うのが難しいからだ。


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