第12話 命を賭してでも返さなければならぬ大恩


 婚約相手の見た目が地味だから、運命を感じなかったんでしょう――そう責められても、ベイジルからすると『知らん』としか言いようがない。


 だってベイジルは相手がとびきりの美女であったとしても、ピンとこなかった自信があるからだ。


 それほど『結婚』というものは、彼にとって現実味がなかった。遠い未来の話だと思っていたし、騎士団員としてやらなければならないことが山積みであったから、愛だの恋だの言っていられるような余裕などなかったのだ。


 ――そもそも出会ってすぐ、それもまだ二回しか顔を合わせていないのにも関わらず、『好き好き大好き、この子しかいない』と盲目的にのめり込めるものなのだろうか?


 それこそ欺瞞じゃないかとベイジルは思う。初っ端からその状態だとするなら、何かおかしな薬でも盛られたのか? と疑いたくなるレベルだ。


 しかしベイジルは本件に関して多くを語るつもりはなかった。――この辺の引き際のよさが、彼がモテるゆえんであるかもしれない。そしてヴィッキーに『むっつり』と言われてしまうゆえんでもある。


「何を言っても、言い訳にしかならなそうだから、もうこの話はやめだ。――それで? コードレッドって、何があったんだ?」


 彼が仕切り直したので、ヴィッキーも先程までの膿んだような空気からあっさり切り替えて、腰に手を当てた。


「昨夜ここへ連れ込まれた特別な罪人について、何か知っている?」


「ああ、あいつか。政治犯を捕らえておく西棟の地下牢に入っている。つまらないゴロツキに見えたが、ずいぶん厳重に隔離するものだと思った」


「尋問は始まっているの?」


「まだだと思うが。なぜ?」


 ――ふぅん、まだなんだ。もうとっくにあんなことやこんなこと――阿鼻叫喚の強烈拷問を受けているものだと、ヴィッキーは考えていたのだが。そういえばあの時、男は足を撃たれたんだっけ。そのせいで、しばらく話を聞ける状態じゃなかったのかな?


「それなら好都合だわ。牢屋まで私を連れて行って」


 ポンと手を打って『決まり、決まり』みたいに告げるヴィッキーに、まるでついていけないベイジル。


「はぁ? お前は何を言っているんだ」


「私、そいつに訊かなきゃならないことがあるのよ」


 ベイジルは呆れ返ってしまった。――なるほど、そうか、了解、ってトントン拍子に話が進むとでも思っているのか? この撥ねっかえりめ。


「部外者を連れて行けるわけないだろうが」


「命に係わる一大事なのよ。あんたに迷惑はかけないから」


 梃子(てこ)でも動かないって顔である。冗談抜きで言っているのだと察して、ベイジルは顔を顰めた。


「絶対に駄目だ! あの罪人は第一王子殿下預かりになっている。下手に手を出したら、お前も、俺も、首が飛ぶんだぞ」


 もう、そんなことは百も承知なのよ! ヴィッキーは髪をかきむしたい気分だった。――むしろね、何も手を打たないでいると、こっちは首が飛んでしまうんだよ! そして首が飛ぶどころか、爆発粉砕しちゃうんだってば! 身体がドカンと破裂したら、お前に後片づけさせるからな!


「もう、手前まで案内してくれればいいわ。いざとなったら公爵家の令嬢だから、あたしはなんとかなるし」


 もちろん本気でそんなお気楽なことを考えているわけではなかったのだが、今だけベイジルを言いくるめられればいい。


 軽く丸め込めると思っていたのに、意外にもベイジルは強硬に反対してきた。


「なんとかなるとは到底思えない。王子殿下は甘くないぞ」


「やばいやつ?」


「やばいとかの次元じゃない。うーん。……とにかくあの方は、絶対に逆らっちゃいけない人だ」


「王族だから?」


「もちろん王族だというのもそうなんだが、それだけじゃなくて」


 ええい、歯切れ悪いな!


「あのさ。私、あんたのお母さんの命を救ってあげたことあったよね。あの恩を今、返してもらいたい」


 ヴィッキーは手持ちのカードを全て切ることにした。


 彼女が本気で先の台詞を告げたのだと悟ったベイジルは、強い視線でヴィッキーを見据えた。


 ――彼女が母の命を救ったというのは、紛れもない事実である。子供の頃、自(ウェイン)邸の裏手にある森で、一緒に遊んでいた時のことだ。


 ヴィッキーが、


『お屋敷の窓に変な影が見えた』


 と言って、慌てて駆け出したことがあった。


 すばしっこかったヴィクトリアは弾丸のように突き進み、あっという間に母の部屋に辿り着いた。そこには今まさに強盗が押し入っていて、一人で編みものをしていた母は抵抗するすべも持たず、あわや賊の手にかかるところだった。


 ――普通、この状況で一体何ができるだろう? 室内には、荒事には無縁の淑女が一人と、駆けつけて来た子供が二人。


 しかし当時七歳だった幼いヴィクトリアは、駆けつけた勢いそのままに、果敢にも強盗に飛びかかったのだ。思い切り賊の腕にガブリと噛みついた彼女は、そのまま弾き飛ばされ、壁に頭を打って気絶してしまった。


 これを見たベイジルはカッと頭に血が上り、勝てるはずもないのに滅茶苦茶に強盗に殴りかかった。彼もまたあっさりノックダウンされたわけだが、ヴィッキーとベイジル、二人が放り投げられた際に派手な音を立てたおかげで、護衛が駆けつけてくれて、母の命は助かった。


 あとで分かったことだが、捕らえた賊は居直り強盗だった。家人に遭わなければ盗みだけして去るが、鉢合わせてしまった場合は、容赦なく殺し奪うという犯行を繰り返していた。


 あの時ヴィッキーが駆けつけなければ、そして果敢にも飛びかかってくれなければ、間違いなく母は死んでいたのだ。


 あの無謀なアタックのせいで、ヴィッキーは肋骨を二本も折ったし、ベイジルのほうも重度の全身打撲により一週間寝込むこととなった。これは名誉の負傷というやつだろう。


 しかし不思議だったのは、遊んでいた森からは、屋敷の窓が見えなかったことだ。当時一緒にいたベイジルは、彼女が『お屋敷の窓に変な影が見えた』と言い出したために、ひどく戸惑った記憶がある。昔からヴィッキーは変に勘が鋭いというか、なんとも謎めいたところがあった。


「……お前はこれまでに一度も、あのことを恩に着せたことはなかった」


 ベイジルが慎重にそう告げると、ヴィッキーが真顔で見返してきた。


「まぁ、そうね」


「今回はよほどのピンチなんだな」


「ちょっと洒落にならないくらいのピンチ」


 肩を竦めるようにしてさらりと言うのだが、彼女がこんなふうに弱音を吐くというのは相当なことである。つき合いの長いベイジルにはそれが分かった。


 ベイジルは国防を担う立場にあり、情に流されての判断ミスは、彼が一番犯してはならないことだった。自らの責務と友情――それらを天秤にかけなければならない、つらい選択を迫られている。


 ――けれど、母の一件を持ち出されては。


 ベイジルの佇まいにちょっとした変化が起きた。腹を括ったというように、肩の力を抜く。


「尋問には俺も立ち会う。――くそう、これがバレたら、俺のキャリアは終わりだ」


「そうしたら、私が一生面倒を見てやるわよ」


 最低最悪な決断を下したばかりだというのに、彼女の言い草にベイジルは思わず笑みを漏らしてしまった。ヴィッキーを前にして、しかつめらしい顔を保つのは、とても難しいのだ。


 ベイジルはやれやれと瞳を細める。


「靴磨きで雇ってくれるのか?」


「そう。靴磨きで雇ってあげる」


 ヴィッキーが拳を前に突き出してきた。ベイジルも拳を出し、彼女の拳に軽く突き合わせた。男同士の挨拶みたいなもんだ。


 ――相手は女の子のはずなんだけど、なんでだろうな。こいつとは不思議と艶っぽい感じにならない。それは昔からずっとそうなのだ。


 なんというか、ベイジルの中でヴィッキーは、ガキ大将そのものなのである。互いに幼い頃から色々知りすぎているので、家族同然になってしまったせいだろうか。


 あるいは彼女にぎったんぎったんにやっつけられてきた刷り込みがあるせいで、異性として見れなくなってしまったのかもしれない。


 近頃身体つきはめっきり女性らしくなったようだが、言ってみればただそれだけの話で、『この女は母親の胎内に、うっかり色気を忘れて出て来てしまったのではないだろうか』とベイジルは常々考えていたわけである。


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