第11話 コードレッド ――ネズミがチーズを平らげた――


 王宮を訪ねるにあたり、ヴィッキーは念入りに変装した。――大きな眼鏡をかけて顔の印象を変え、窮屈なメイド服に身を包む。


 凝り性のヴィッキーは演技でも手を抜かない。猫背を意識し、若干顎を突き出すようにしながら門衛に話しかける。


「騎士団所属のベイジル・ウェイン様をお呼びいただけますか? 私はウェイン様のお屋敷のメイドです。坊ちゃまには『コードレッド、ネズミがチーズを平らげた』とお伝えくださいませ」


 ――『見た目は冴えない娘なのに、妙に迫力のあるメイドだな』と門衛は思った。早口な上に抑揚のない話し方なので、一瞬、何を言っているのか頭に入ってこなかった。門衛が戸惑っていると、メイドが眼鏡をクイっと押し上げながら、グイグイ詰め寄って来る。


「早く、緊急事態ですよ!」


 門衛は慌てて面会の手続きを取った。するとすぐにベイジル・ウェインがやってきた。いやに来るのが早いなと思ったら、ダッシュしてきたようだ。


 駆けつけたベイジルは、慌てた様子でメイドの手を引き、門から十分に距離を取ると、彼女に向き直った。


「どういうつもりだ!」


 声は押さえているが、ほとんど怒鳴っている。


 ――ベイジル・ウェインは、いかにも生真面目そうな好男子である。濃い茶の髪は、短く整えてあり、清潔感がある。かっちりとした騎士服を身に纏っているので、禁欲的ではあるのだが、精悍に整った顔立ちとあいまって、かえって男の色気のようなものが滲み出ていた。


 女の子の多くが、彼を前にしただけでペースを乱されてしまい、ぽぅっと舞い上がってしまうようである。しかしヴィッキーは普通の女の子ではない。


 彼女はベイジルが苛立っていようがどうだろうが一切気にならない性質なので、この時も腕組みをしながら、偉そうにふんぞり返って言い放ったのだった。


「コードレッドよ。事態は非常に切迫している。あんたは私の一の子分として、誠心誠意尽くすべきでしょう」


「誰が一の子分だ」


 ベイジルが食い気味に突っ込みを入れてくる。


 ――おやぁ? しばらく見ぬあいだに、ずいぶんと生意気な口をきくようになったな、この三下(さんした)が。ヴィッキーは器用に片眉を顰めた。しかし苛立ちが一周した結果、口元に笑みが浮かんでしまった。


「ちょっとぉ、婚約者ができたからって、一丁前な口きいちゃってー。生意気よ!」


「お前」ベイジルが眉間の皴を揉みほぐしながら、脅しをかけてきた。「俺が家を継いで権力を持ったら、速攻で修道院にぶち込んでやるからな」


「馬っ鹿じゃない? 私は公爵家の令嬢よ? あんた、爵位継いでも伯爵じゃん。生言うんじゃないわよ。――この圧・倒・的・爵位の差! そしてオーラの差! 実力の差! 観念してひれ伏し、土下座するがいいわ」


「黙れ」


「いいや、黙らない! あんたはもっと謙虚に生きるべきね」


「お前に言われたくない」


「あんたみたいな甲斐性なしはね、そのうち路頭に迷うかもしれないわよ? 今のうちに媚びておきなさい、そうしたら靴磨きで雇ってあげる。なぜならあんたは、私の一の子分だから! 私は子分を見捨てない!」


 ヴィッキーの生家は公爵家でも、彼女自身が公爵なわけではないので、先の自信はまるで根拠のない馬鹿げたものである。しかし。


「……なんだろう。この女は人として最低なんだが、度を超したお馬鹿と分かっているせいか、本気で腹も立てられん」


 結局ベイジルは肩を落として白旗を上げてしまう。途中までそこそこムカついていたはずなのに、不思議なものである。


 相手が折れたので、ヴィッキーはテンションを少々落ち着けてから、ケロリと続けた。


「話は戻るけど、あんた婚約したのよね。おめでとー。言うの忘れてたわ」


「……ありがとう」


「嫁、どんな子?」


「まだ嫁じゃない」


「可愛い子?」


 聞けよ、人の話を。ベイジルは頭が痛くなってきた。


「普通だ。おっとりしている」


 ……おい、普通だと? ヴィッキーは口をへの字にして考え込んだ。婚約が調ったというのに、言うにこと欠いて『普通』ねぇ。


 少し視線を逸らすベイジルをガン見したヴィッキーは、なぜか突然『合点(がてん)がいった』という顔つきになった。


「ああ、そういえば、相手の子ってちょいdeb――」


 みなまで言わせないとばかりに、電光石火で額にチョップが飛んできた。これに不意を突かれたヴィッキーは、鼻ピンを食らった猫みたいに目を真ん丸くした。


「あ痛! 何よ、女の子に暴力振るうんじゃないわよ」


「お前こそ、女の子に対してそういうこと言うな。最低か」


 ベイジルがきっちりと怒るので、お前真面目か、とヴィッキーは心の中で突っ込みを入れた。そういうお育ちの良さをこちらが評価すると思っているなら、大間違いだからな。


「別に悪口じゃないし。だって健康的で可愛いじゃん。むしろそれを悪口だと思い込んでいる、あなたの心が穢れているってことでしょうよ。相手をさげすんでいるから、なんでも悪口に聞こえてしまうの。あんたはまず、自身の貧しい心根を恥じなさいよ」


 ヴィッキーがあまりに自身満々に言い放つので、まったく落ち度がないはずのベイジルは、気圧されて黙り込んでしまった。昔からこの調子で、ヴィッキーにはやり込められてばかり、連戦連敗の悲しき負け男、それがベイジル・ウェインなのである。


 ――けれどまぁ、よくよく考えてみると、口喧嘩で女子に圧勝してしまう男子というのも、生態的にちょっとアレな気はするので、男を上げるという意味においては、このくらいでちょうど良かったのかもしれない。


 試合に負けて、勝負に勝つ、というやつだ。おかげで彼は、『寡黙で、男気溢れる紳士』として、老若男女問わずから支持を集めているのだから。


 ヴィッキーは腰に手を当て、すっと瞳をすがめて、ベイジルの顔を観察した。


「なーんだ。嫁をもらう予定で、前途洋々、もっとキャッキャはしゃぎ倒しているかと思っていたのに、違うのね」


「どんなイメージだ」


「なんか、つまんない。――相手の子のこと、あまり好きじゃないの?」


 ヴィッキーの鮮やかな菫色の瞳に、子分を心配する色が混ざった。先程までとトーンが変わったのを察して、ベイジルは苦笑を漏らす。


「好きとか嫌いとかの問題じゃないだろう。――政略結婚、誰かに整えられた縁組だ。カゴに山盛りになった果物の中から、好きなものを選ぶわけじゃない。大体、彼女とは会ったばかりだし」


「でも、対面してみて、ピンと来なかったの?」


「特に」


 ベイジルが困ったように眉を顰めるのを見て、なんか煮え切らないわねと、ヴィッキーは思った。――これはもしかしすると、余程タイプじゃなかった、ということなの? 会ってみたらいまいち、のパターンだったということ?


「でも、悪い子じゃないのよね?」


「良い子だと思う」


「ふーん」ヴィッキーの声がワントーン低くなる。「……なんだか、がっかりね」


 どういう意味だろう? ベイジルは戸惑いを覚えた。


 ――『がっかり』というワードは、ここ最近、彼の周辺でよく囁かれていることである。一部の心ない者が、『婚約の件で、ベイジルはざぞかしがっかりしたことだろう。お相手のエイダ・ロッソンは、あまり美人ではないから』と陰口を叩いているようなのだ。


 おそらくこの背景には、やっかみもあるのだろう。ベイジルは文武両道、おまけに家柄も良く、将来も有望だということで、端的にいえばとてもモテた。完全無欠のベイジル・ウェイン――『しかし可哀想なことに、嫁になる予定の娘は、いまいちパッとしない』――そんなふうに優越感に浸りたい輩が、上流階級には少なからず存在したのだ。


 さすがにベイジル本人に、直接からかいの言葉をかける命知らずはいなかったが、彼は体育会系の割には目端が利く人間であったので、周囲に何を言われていても何も気づかないほどの朴念仁でもなかった。


 ――しかしヴィッキーの告げた『がっかり』は、それらの中傷とはまるで種類が違う気がした。にがっかりした、とベイジルには聞こえたからだ。


 問うように見つめ返すと、ヴィッキーが苛立った様子でこちらを睨み据えてくる。


「たぶんあんたは、圧倒的にスタイルが良くて、朗らかで、可憐で、美人な子が婚約者だと親から紹介されたなら、『政略結婚なんてそんなものだ』とか、もっともらしいことは言わなかったんじゃない? ――男って最低」


 それは完全に誤解だった。


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