第10話 いざ王宮へ!


「え?」


 勇者も転生しているの? 前世の因縁がここでも続くってこと? 背筋がぞくりとした。


「そんな馬鹿な」


「残念だけれど、本当なのよ」


「だけど、そう――死にかけの爺かもしれないじゃない?」


 すぐ死んでくれりゃ、安泰だ。なんて願ってみたけれど、人生そう甘くはなかった。


「はずれ、同い年。ていうかあなたたち、ほぼ同時に死んだんだから、そんなに転生時期はズレないんじゃないかしら? 互いに強い因縁があるし」


「そいつ、私のこと恨んでいるかなぁ?」


 我ながらこれは愚問だなと思った。――というのも先程パメラに見せられた場面の中で、勇者は憎悪という憎悪を煮詰めたような目をしていたからだ。あれは宵闇のような仄暗さだった。勇者の佇まいのほうが、よほど魔王らしいと思ったほどだ。


 ――ていうか、対決までの道程で何があったんだ、勇者よ。地獄をくぐり抜けてきたみたいな顔をしていたぞ。覚えていなくて申し訳ないけれど、もしかして魔王が勇者の仲間を惨殺したとか? その殺された仲間と、恋仲だったりして。……うわ、どうしよう? もしそうだったら、絶対に許してくれないじゃん!


 ――パメラが可哀そうな子を見る目で、ヴィッキーを眺める。


「たぶん元勇者にあなたの正体がバレたら、殺られると思う。気をつけてね」


 ありがたくない、ご託宣!


「勇者って誰なの?」


「王子」


「は?」


「第一王子」


 ヴィッキーはポカーンとした。――まじか。国の最高権力者の息子じゃん。こりゃ詰んだな。


「一応訊くけど、そいつ魔法使える?」


「使えない。今世ではまだ聖剣を手に入れてないからね」


 ほっ。ちょっと安心。でもな。


「聖剣を手に入れたら、使えるようになるってこと?」


「理屈的には。でも、まだ大丈夫だから」


 まだ、ってなんだよ! ふざけんなよ! 王宮方面がずっと怖かったわけだわ!


「私、一生王子と会わないように、コソコソ隠れて暮らしていくわ」


 ヴィッキーは敬虔な信者のように両手の指を組み合わせて、祈りのポーズを取った。しかしパメラは残念そうに首を横に振る。


「それはどうかなー。もう手遅れじゃない?」


「何?」


「なんでもない」


 パメラはショールを肩にかけなおして、にっこり笑った。


 ――なんだかよく分からないけれど、ヴィッキーはこの日から、『王子に見つかったら殺られる』というのを肝に銘じて生きていくことにした。




***




「……一生、ここには来ないはずだったんだけど」


 ヴィッキーは荘厳な王宮を見上げ、『やれやれ』と口をへの字に曲げた。


 ――ああ、気が進まない。本当に気が進まない。


「でも仕方ない、行くか」


 乗り気ではなくても、やるしかない。ヴィッキーは覚悟を決めて足を前に踏み出した。


 なぜ彼女があんなに嫌がっていた王宮にやって来たかというと、ちゃんと理由があるのだ。




***




「――魔王だった時のことを思い出せば、悪夢も止まるのね?」


 パメラ・フレンドの安アパートにて、前世だの転生だの聞かされたあとで、そもそもの問題に話題を移した。ヴィッキーが悪夢の件を尋ねると、パメラは難しい顔つきになった。


「そうとも言えないかな」


「なんで?」


「――たぶんだけれど、あなたの悪夢には『イフリートの卵』が絡んでいそう」


「魔王とイフリートって、何か関係あるの?」


 従姉弟同士とか? ――『私ね、イフ坊やがこんな小さい頃から知ってますねん』的な。


「関係ないわけがないでしょう。あなたは魔族を束ねていたんだから」


「そう言われてもね」


「歴史上、イフリートが卵だったことはないのよ。三百年前から異変続きね。おそらくアレ――今、武器商人が持っている卵だけど、危うい状況だと思う」


「どう危ういの?」


「正しい手順で卵をかえすには、魔王がそれをする必要があるの。なぜなら卵になったきっかけが、魔王の消失にあるから。でも転生したあなたは魔力を失っているから、卵をかえす能力がない」


「そうね」


「では武器商人たちがそれで諦めるか? 私はそうは思わない。正しい手順を踏まずに、卵をかえそうとするかもしれない。そうなるととても危険。町一つくらいは軽く消し飛ぶでしょうね」


 そういえば、酒場で相席したクリスも『人が大勢死ぬ』とか言っていたな。――だけど、とヴィッキーは視線を彷徨わせる。


「いや、あのさぁ。他人事みたいな言い方で申し訳ないんだけど、魔王って邪悪な存在のはずでしょう? 人が大勢死にそうなのと、私が悪夢を見続けていることに、因果関係あるの? 魔王ってそんなに繊細なわけ?」


 人民の命が危険に晒されているから、追い詰められて悪夢見ちゃうとか、もう何気取りなのよ。ほとんど正義の味方じゃん。国民のお母さんじゃん。


「善意で悪夢を見ているわけではない。これはあなたにとってもマズい状況なのよ」


「私もピンチなの?」


「孵化により世界のバランスが崩れると、あなたの肉体は崩壊する」


「えー! なんで!」


 フローチャートの、どの選択肢を選んでも、むごい死に方に行き着くわけ? ――魔法使っても死ぬし、卵がかえっても死ぬし、勇者に見つかっても死ぬし。もうどうすりゃいいのよ。


「今、世界は魔力が枯渇している状態なの。――その証拠に魔族はどこかにいるはずだけれど、活動していない。動力源がないから動けないのね。冬眠している感じ」


「――イフリートの孵化で、停滞していたものが、一気に活性化される?」


 一種の起爆剤なのだろうか。パメラの言いたいことが、なんとなく分かってきた。


「そう。それは風船に穴を開けるようなもの」


 パメラの黒い虹彩が妖しく煌めいた。


「一瞬で弾けると、揺り返しの力はとんでもないわよ。元魔王のあなたの身体に、莫大な量の魔力が逆流してくる。だけど人間の身体では、その凄まじい衝撃に耐えられない。あなたは自身が生き残るために、イフリートの卵を、誰よりも先に見つけなければならないわ」


「ちょっと待って」


 ここでヴィッキーは閃いた。瞳がピコンと輝く。


「別に、卵探しをやりたくないっていうんじゃないのよ? これはあくまで仮定の話ね? ――元勇者である第一王子も、イフリートの卵を追っているわよね? だって正義の味方だもの」


「正義……? うーん。……まぁ、でも、探してはいるでしょうね」


「元勇者がキッチリ仕事すればさぁ、孵化は阻止されるじゃない? そうしたら私は、何もしないで寝ていても助かるよね?」


 ――サボリ癖のひどい子ね、みたいな目でパメラが見てきた。


 何よ。卵を捜し回るのが面倒臭いとか、思ってないからね。ヴィッキーが本当に嫌なのは、卵を追うことで、勇者と鉢合わせてしまうことなのである。寝た子を起こしちゃいけないと思うのだ。


 パメラは苦いものでも食べたような顔になった。


「……だけどたぶん、勇者はイフリートの卵を破壊するわよ」


「それって何かまずいの? 別にイフちゃんは私の生んだ子じゃないし」


 ごめんよ、イフちゃん。卵のまま、安らかに旅立ってくれ。――こっちはね、さっき見せられた過去場面の、あの殺し屋みたいな勇者の目に、すっかり縮み上がっているのだよ。


「でも、壊し方によっては、やはり魔力の逆流は起こるから」


「逆流で勇者が死ぬことはないの?」


「勇者は元々人間だからね。別に関係ないわ」


 そんなのずるい! ヴィッキーはこの日何度目かの膨れっ面になった。なんか不公平じゃない? こっちは元魔王の旨味ゼロで、それどころかマイナス要素ばかりが多いのに、向こうはハンデなしなのか。


「むしろ、それで」


 パメラが何かに気づいた様子でハッとする。


「――ああ、なるほど。そのどさくさで、彼は目当てのものを手に入れることができるかも」


「何?」


「細かいことはどうでもいいわ。とにかく武器商人 VS 元勇者 VS 元魔王(あなた)の三つどもえになるわね。皆がイフリートの卵を巡って争う。けれど最終的に力を手に入れられるのは、たった一人よ」


 三つどもえねぇ。ヴィッキーは斜に構えた笑みを唇の端に乗せた。


「もう一人忘れてない? 聖女よ」


「ああ、あのおせっかい女ね」


 パメラが舌打ちするもんで、ヴィッキーは瞳を瞬いた。


「聖女と知り合いなの?」


「個人的な繋がりはないけれどね、なんだかいけ好かない女よ。美人で特別扱いされていて、なんでもあの子の思いどおり。しかもお優しくて、正義の味方で、間違ったことなど、ただの一度もしたことありません、て図々しく宣言できちゃう女。――そんな人間、正直、気持ち悪くない?」


 パメラの悪口の熱量に、ドン引きしてしまった。――過去、そういう女に痛い目に遭わされたトラウマでもあるのかしら?


「あなたの性根がちょっと心配だわぁ」


 こちらはそこまでの敵意は持っていない。ヴィッキーとしては、いい子ちゃんは別に好きじゃないけれど、邪魔をしてこないなら、勝手に人生エンジョイしてくださいってスタンスだ。


「つーか、勇者より聖女のがちょろそうだしね」


 いい子ちゃんの弱点は、思い切った手を打てないところだ。正義は勝つというのはお伽噺の中だけで、実際は、すべきことを冷徹に実行できる人間のほうが、欲しいものを手に入れられる。綺麗事で問題が片づいたためしがない。


「そうかしら。案外女のほうが厄介かもよ」


 パメラの言葉には妙に実感がこもっていた。


 ――ああ、もう、どんどん難度が上がってきている。結局、四つどもえか。場合によっては、もっと敵も増えてくるだろうし、行き着く先は地獄だな。


「じゃあ、私も死ぬ気で卵を追うわ」


 ヴィッキーとしては、できれば老衰で死にたい。身体が爆発粉砕して死ぬとか、縦に裂けて死ぬとか、そんなのは絶対ごめんだ。ヴィッキーが覚悟を決めると、パメラは『うむ』と偉そうに頷いてみせ、次のような助言をくれた。


「――それなら、とっかかりとして、ゴロツキを拷問するといいわ」


「なんですって?」


 耳を疑う。『肉を焼く時は、塩胡椒をきかせるといいわよ』みたいなワンポイントアドバイス的に、どえらい猟奇的なこと言うわね、この人。


「今ね、王宮にゴロツキが一人捕らえられているの。あなたも知っているんじゃないかしら? 昨日、酒場でほら、色々と」


「あー!!」


 思い出した。そもそもあのゴロツキは、聖女をさらおうとしていたんだ。――あれもイフリート絡みだったの? もしかして昨日の酒場でのゴタゴタも、ある種の歴史の転換点だったなのかな。


 ここでヴィッキーはあることに気づき、思わず背筋を伸ばした。


「え、ちょっと待って――あのゴロツキ、今王宮にいるの?」


「だから、そうよ」


「私、勇者に会いたくないから、『一生、王宮には行きません』って誓ったばかりなんですけども」


「元勇者とのエンカウントを恐れていると、卵をゲットし損ねるわよ。――大丈夫、大丈夫。そうそう王子と遭遇なんかしないって。だって、王子よ? 王宮の奥の奥の奥のほうにいるわけだから。あなたが裸踊りでもしない限り、出てこないわよ」


 ――逆に、裸踊りしたら出てくるのか? むしろ出てこないんじゃないか?


「ねぇ、もう、全てが適当すぎない? 王宮に行っても、勇者と鉢合わせしないですむタイミングとか、占いで分からないの?」


「私は記録にアクセスできるだけ。超能力者でも魔法使いでもない。未来なんて分からないわ」


 じゃあ仕方ない。気が進まないけれど、『あいつ』を頼るか。




***




 ――そんな訳で、現在。


 ヴィッキーは王宮に来ている。これは『飛んで火に入る』というやつなのかもしれなかった。


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