第8話 あなたの前世は大物です
下町のふきだまりともいうべきこのエリアは、実際に足を踏み入れてみると、圧倒されるような迫力があるなとヴィッキーは思った。建物と建物のあいだに棒を渡して洗濯物を干してあったり、薄着の子供がそこらを駆け回っていたり、なんというか漠然と生命力が強い。
――これぞ下町って感じねぇ。ヴィッキーは密集する建築群を見上げて、妙に感じ入ってしまった。
地図を確認しながら立ち止まり、黄色味がかった石造りの建物を見上げる。――ここだ。狭くて急な階段を上がって行き、最上階の三階を目指す。二階を越えたあたりで、上から若い女の声が響いてきた。
「ちょっとおじさん、ここ雨漏りがひどいのよ。直してくれないなら、家賃払わないからね」
どうやら上の階で揉めているらしい。――踊り場でひょっこり首を伸ばすと、ムキムキマッチョな強面のおじさんが、上腕二頭筋を強調しながら腕組みをしているのが見えた。頭がテカテカ光っていて、男性ホルモン強めな感じだ。
女の人と、このホルモン強烈おじさんが、喧嘩しているのかな。おじさんが低めの渋い声で言い返す。
「あんた、もう三月も家賃を滞納してるじゃねぇか。滞納分を払わないなら、いい加減出て行ってもらうぞ」
「問題のある物件を平気で貸しつける、悪徳大家に対抗しているだけです」
「あんたが家賃を滞納し始めたの、雨漏りする前からだろうが。いい加減にしろ。本気で追い出すからな。『雨漏りしていたって、ここを借りたい』って人間はほかにもいるんだ」
なんだか長くなりそうだなとヴィッキーは思った。手すりに肘をついてだらしなくそれに寄りかかり、少し様子を見ることにする。
――ていうかさ。何か月も家賃滞納したあげく、雨漏り直せって、言ってること相当図々しくない? 払ってから、言うこと言いなよ。盗人猛々しいな。
ヴィッキーはマッチョなおじさんを若干応援したい気持ちになった。――しかし家賃の滞納を責められた店子(たなこ)さんは、まるでひるむ様子がない。
「冗談じゃないわよ。家賃を払って欲しければ、オンボロ屋根を即刻直して頂戴。じゃなきゃ私はビタ一文払いませんからね」
なんて女だ、厚かましいにもほどがある。ヴィッキーがさらに首を伸ばして見上げると、ドアの陰に立つ若い女の姿が見えた。
意外にも、どことなく愛嬌がある顔立ちだ。目鼻立ちが上品である上に、健康的な色気がある。好奇心の強そうな瞳は、黒目がちでパッチリしているせいか、なんとなくフクロウを思わせた。
ヴィッキーは今日も小汚い少年の扮装をしていたので、お姉さんの顔をもっとよく見ようとして、かぶっていたハンチング帽をグイと持ち上げた。
すると視線を感じたのか、向こうもこちらを見た。目が合った途端、女の顔に驚きと強い好奇の色が浮かぶ。
「――あなた! ねぇ、いらっしゃい! こっち!」
女が『あとで家賃払うから、帰って』とぞんざいにおじさんを追い返したので、狭い階段で苦労して大男とすれ違い、ヴィッキーはなんとか三階まで上がった。
「占い師のパメラ・フレンドよ。よろしく」
目をキラキラ輝かせながら、扉を大きく開き、早く入ってとばかりに促してくる。
――この人、なんでこんなにウェルカムなの? 胡散臭さを感じてしまい、ヴィッキーは二の足を踏む。
「入る前に一つ訊きたいんだけどさ。ここが雨漏りする物件だって、占いで分からなかったの?」
つい詐欺師を見る目つきになってしまうのも、仕方のないことだろう。
これにパメラはびっくりしたように目を丸くした。瞳孔がくわっと開いた気がして、こういうところがやはりフクロウみたいだなと思った。
「いやあのね、何言ってんの? いくら私でも、なんでも見えるわけじゃないから」
なんだか今のって、そこそこ実力のあるやつが言うような台詞だよね。『いくら私でも』って言われたところで、君がいかほどの者なのか、こっちは知らんしね。
「……帰ろうかな」
ぽそりと呟きを漏らす。大体さ、そんなに当たる占いなら、この閑古鳥ぶりっておかしくないか? もっと国の中枢とかから声がかかっていてもいいはずだよね。そして権力者に御贔屓(ごひいき)にされているなら、パメラはここの家賃くらい簡単に払えているはずだ。
「――今あなた、権力者がパトロンになっていないから、ここは外れだなと思ったでしょ」
少しドキっとする。しかし今のは単に、会話の流れから相手の考えを推測しただけだろう。詐欺師がよく使う手口だ。
口元をへの字に曲げる客(ヴィッキー)を眺めながら、パメラが腰に手を当てる。
「こんなところで占い屋をしているのは、私なりに理由があるのよ」
「どんな?」
「つまりは、ちょっとした息抜きってやつよ。大物に目をつけられたら、面倒しかないでしょ。こういうことは趣味で十分。――まぁ、あなたが帰るっていうなら、止めはしないけどね。だけど帰ってしまったら、悪夢はやまないわよ」
半分帰りかけていたヴィッキーの足がピタリと止まる。一拍置いて、驚きが込み上げてきた。
「どうして私の悩みが分かるの?」
「先に言っておくけれど、私のこの能力はね、別に魔法とかじゃないのよ。体質みたいなものって言ったらいいのかな。ただ繋がってしまうの」
繋がる?
「どこに?」
「出来事が記録されている場所。なんていうか、うーん……脳天に穴が開いていて、そこから真っ直ぐ突き抜けてリンクしている感じ」
脳天に穴が開いているんじゃ大変だね。ヴィッキーも時折、口の減らない妹から『お姉ちゃんはきっと、耳から脳味噌が溶け出しちゃったんだね。普通の人の半分以下しか残っていないもの』と言われたりする。
それはまぁともかくとして。
「何言っているのか分かんない」
「まぁそうでしょうね。私もよく分かんないもの。だけどそうね――あなたが今、目が見えているのと一緒なのよ。それって『どうして見えているのか』、あなたは原理をちゃんと理解している? していないでしょう? どうしてできているのか原理が分かっていなくても、実際に見える。ただそれだけのことよ」
なるほど。――考えるな、感じろってことね。
「さっき、なんでも見えるわけじゃないって言ったよね。それはなんで?」
繋がっているなら、常時開放状態じゃないの? ヴィッキーはまだ疑ってかかっていたが、パメラは口が達者だった。
「目を開けていても、辺りが暗ければ、何も見えないでしょう? でも明るいとよく見える。辺りが暗いってのは、もちろんたとえで、調子が悪いと見通しが悪くなるってこと。目の前にちゃんと答えはあるけれど、見えづらくなる」
「パメラの調子によって、イケるかイケないか決まるわけね」
それはなんとなく分かる。ヴィッキーもわりと勘頼りなところがあり、かなりムラっ気があるからだ。
「そうね。あとは調子に関係なく、どこに視点を据えるかにもよるわね。――南を向いていたら、北の景色は見えない。あなたの記録を見ている時に、まるで関係ないことは視界に入らないわ」
「ふぅん……じゃあ私がここに来たから、パメラは私の記録を探し出したの?」
皆の記録がそれぞれどこかに残されているんだろうか? 貸本屋みたいなもので、『この人の記録を出してくださいな』とパメラが頼んだら、誰か――妖精みたいなもの?――が『お任せあれ』と探し出してきて、ご親切にも見せてくれるの? でも全員分となると、それって膨大な量ではないかしら。動物も合わせたら、相当な数だよね。しかも蟻ん子一匹ずつの記録とか残っていても、全部同じに見えない? だって同じ顔じゃん。
ヴィッキーは眩暈がしてきた。その記録の管理人にだけはなりたくないなと思う。多分発狂してしまう。
ヴィッキーが阿呆なことを考えているのを超感覚で悟ったのか、パメラが瞳をすがめて、冷ややかに見つめてきた。しかし『お馬鹿さんをとっちめても意味がない』と気づいたらしく、軽く肩を竦めてから口を開いた。
「そうね、あなたがここへ来たから、あなたの存在が浮き上がって見えるようになった。そこから繋がる。――でもね。ちゃんと繋がらない時もあるの。簡単に言うと、対象がモブだと繋がりにくい」
「なんで?」
「そうね、こっち来て」
パメラは身を引いて、家の中にヴィッキーを招き入れた。外観からして安ぶしんだと思っていたが、中もやはり狭い。入るとすぐに台所という間取りで、全体的に妙に細長かった。
隅っこに置かれた小さなテーブルには、赤と白のチェック柄のテーブルクロスがかけられていた。その前に置かれた椅子を勧められ、素直に腰を下ろす。
「見ていて」
パメラはひょいと背伸びをして、脇の棚から、細長い容器を取り出した。入れものを懐に抱えたまま、片手で蓋を開け、中から乾燥麺を一つかみ引っ張り出す。
パメラがそれをテーブルの上に放り出すと、シャラリと音を立てて麺がバラけた。
「これだとバラバラで、とりとめがない。この中から目当ての一本を探すのって、大変よね? だけど、こうすると――」
パメラは麺の端っこを寄り集めて、握り込んだ。片側が絞られたことで、先端部分はピョンピョンと放射状に飛び出してしまっているが、握っている部分はタイトに固まっている。
パメラは空いている左手の人差し指で、握り込んだ部分を差して説明した。
「この塊部分は太いから、見つけやすい。――つまりね。歴史の転換点になるような出来事は、とても目立つから拾いやすいの。この塊から始まって、枝分かれして行く。全世界の人間が、進む方向を変えるほどの大きな転換点――起点となる部分は、とても目立つ」
しかしそれは結果論ではないのかなぁとヴィッキーは思った。なんてことないようなつまらない出来事――たとえば農家の末っ子が、その日林檎をもいだか、もいでいないかで、戦争が起こるかどうか決まるかもしれないよ。
世界は繋がっている。大きな事件の起点になる出来事なんて、あとで辿ってみないことには分からないし、本当の意味で辿れるかなんて分からないんじゃないかな。
――いや? あるいは、逆なのか?
転換点はあらかじめ座標みたいに『ここだ』と決まっていて、そこに吸い寄せられるように、重要な役割を担う人間が集まっていくのだろうか。
ヴィッキーは腕組みをしながら眉を顰めて考え込んだ。――とにかくまぁ、難しいことは一旦横に置いておくとして、パメラに何ができるのかが気になる。
「そういう特別な地点しか見えないの? たとえばさ、飼っている犬がいなくなったから探してとかは、可能?」
パメラのことは完全に信じたわけじゃないけれど、信じたつもりで話を進めてみるのは建設的だろう。だって誰も損しないからね。
パメラは面白そうに瞳を動かしながら答えた。
「そういう些細なことも見えるわよ。でも、どうでもいい出来事ほど、ランダムにしか見えないわね」
なるほど。世界的に重要な出来事なら、ストーリー仕立てでしっかり見えたりするけれど、どこにでもあるような日常風景はランダムに出るわけだ。
たとえばパメラの目の前に誰かが立って、その人物に関する記録にアクセスしたとしても、昨日お腹冷やしただとか、そんなどうでもいい映像ばかりが見えたりするってことかな。肝心なこと――たとえば恋人が浮気しているか知りたくても、それは見えない可能性もある。
ヴィッキーははぁとため息を吐いた。
「じゃあやっぱり、私は帰ったほうがよさそう。私の悪夢ごときでは、転換点にはなりえない」
ここでパメラがさも可笑しそうに噴き出した。
「うけるんですけど」
「何がうけるの?」
「あなたは私の話をもっと聞くべきよ。――だってあなた、前世は相当な大物ですからね」
「へぇ、そいつはすごい。前世は女王様とか?」
片眉を上げ、ヴィッキーはフンと鼻で笑った。ヴィッキーとしては大きく出たわけだが、パメラから提示された答えは、まるで想定を超えたものだった。
「いいえ、もっとすごいわ。――あなたの前世は『魔王』よ」
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