第6話 幸運のマッチは彼の手に
ヴィッキーが去ったあと、クリストファーとノーマンもすぐにその場から離れた。足を進めながら、退屈そうに肩を竦めたクリストファーが、思わずといった様子で呟きを漏らす。
「あれが例の公爵令嬢か。――ただの馬鹿娘だったな」
ノーマンは生真面目にあるじに尋ねた。
「警戒対象から外しますか?」
「あの娘は端からどうでもいい。父親のほうが問題だ」
今回の『イフリートの卵』強奪事件。実行犯である武器商人のデンチは、このところ裏社会で幅を利かせている謎多き人物である。
変装の名人であるとも伝わっていて、正体は『女』ではないかという未確認の情報もあった。――というのも以前、取引現場に女の姿で現れたことがあり、見た目や振舞いになんの違和感も抱かせなかったらしいのだ。いくら上手に変装したとしても、筋骨隆々の大男が女に化ければ、こうはいかないはずなので、実際に女なのではないかという噂が流れたらしい。
性別さえ不明という状況なので、馬鹿正直にデンチを追っても、空振りになる可能性が高い。それならば、デンチに依頼した黒幕を特定したほうが早い、というのがクリストファーの考えだった。
今回の卵強奪事件では、極秘裏に進められていたはずの運搬途上で、警護が最も手薄になった瞬間を叩かれた。このことからクリストファーは、関係者の関与を疑っていた。その容疑者の一人が、ヴィクトリア・コンスタムの父である、コンスタム公爵である。
「イフリートの卵は公爵家を経由する可能性が高い。――コンスタム卿の、『病弱』な娘ね。あの家もなんだか訳有りなのかと思っていたら、じゃじゃ馬娘を扱いかねて、表に出せなかっただけか」
クリストファーの言葉は冷たく、先程対面したヴィクトリア・コンスタムに対して、露ほどの興味も抱いていないらしいのが伝わってきた。彼の本心を知ることはできないので、あくまでも聞き手のノーマンが受けた印象であるが。
ノーマンは精悍な顔をふっと緩め、
「殿下はお気に召しませんでしたか。しかし、安酒場でクダを巻いている令嬢って、相当面白いと思うんですがね」
と呟きを漏らした。
「お前、医者にかかったほうがいいぞ」
クリストファーはそんなノーマンを見て、微かに瞳を細めた。
ノーマンはできた男であったから、これにあからさまに反発することはなかったが、こっそりとこんなことを考えていた。――そりゃあねぇ。殿下は国中のありとあらゆるタイプの美女を見尽くしてきているから、彼女を見てもなんとも思わないんでしょうが、少年の扮装をしていたって、よくよく見れば綺麗な娘でしたけどね。
しかし考えてみれば、殿下自身がとびきり美しい顔の造形をしているので、ヴィクトリア・コンスタムに限らず、相手の見た目がどうであったとしても、それで心を動かされることはないのかもしれなかった。彼の心を動かすには、プラスアルファ、何かが必要なのだろう。――そしてそのプラスアルファは、もしかすると退屈し切っているクリストファー自身にも、よく分かっていないのかもしれなかった。
「それにしても殿下。相変わらず、常軌を逸した能力ですね」
――店は満員、飛び交う雑音。あの混沌とした店内で、こそこそ密談するゴロツキ二人の悪だくみに気づくというのは、神がかっている。
「自分でも、耳が良いのか勘が良いのか、よく分からん」
クリストファーは頓着なく言い放つが、彼の言うその勘の良さとやらが、何度となく彼自身を救って来た。陰謀渦巻く王宮で、彼がこれまで生き抜いてこれたのが、その証だ。――ただ、その勘とやらもムラがあり、万能なわけではないらしい。
「それに殿下、オーラを消すのも、どうやっているのですか? 魔法?」
殿下の人並外れたゴージャスさは、あの安酒場では浮きまくると思っていたのだが、誰もクリストファーの異質さに気づいた様子がなかった。それも変装らしいことを何もしていないにも関わらず、だ。それがノーマンには信じられない。
「――魔法なんて使えるわけがないだろう。普通の人間が」
魔法が絶えて、すでに三百年がたつ。人がふたたび魔法を使えるようになるのは、魔王が復活する時だと言われている。真偽は定かではない。
――とはいえ三百年前の乱世においても、魔法を使うことができたのは、勇者一行など数少ない選ばれし者だけだったらしい。そのため時が来たとしても、誰もが平等にそれを使えるということにはならないだろう。力を手にすることができるのは、選ばれた一握りの人間だけ。
「しかしそうやって気配を自在に消せるのも、特殊能力に違いありません。あなたが素であの安酒場にいたら、店中の人間が注目していたはずですからね。それも神様からのギフトですかね。殿下にそういった不思議な能力があるのは、なんらかの意味があるのかも」
「興味ないな」
言葉のとおり、まるで関心がなさそうな口ぶりである。――彼はいつだって、何に対しても温度が低い。
しかしこの時の彼は、いつもと少しだけ違っていた。クリストファーが気まぐれのようにノーマンに視線をやり、
「マッチを寄越せ」
と言ったのだ。ノーマンは訳が分からず、軽く顔を顰めてしまう。
「――あなたは煙草も葉巻もやらないでしょう?」
「彼女が『幸運のマッチ』と言っていただろう。気まぐれにあの娘と接触を持ったら、聖女と手がかりが向こうから現れた。本物かもしれない」
クリストファーがこんなふうに『もの』にこだわるのはとても珍しい。しかしノーマンはあるじ特有の意味のない気まぐれとして、これについては深く考えないことにした。
懐から取り出したヴィッキーのマッチを、ポンと放り渡す。それは緩やかな放物線を描き、クリストファーの手の中に収まった。クリストファーは口元に淡い笑みを浮かべた。
「ノーマン。お前はここに残って、生き残った男の身柄を確保しろ。イフリートの卵の行方を知っているかもしれない」
「承知しました」
***
酒場の裏木戸の外で、ヴィッキーがとんだ不幸に見舞われていた頃、酒場のカウンターで酒を酌み交わしていた二人連れの客は、そろそろ引き上げ時だと考えていた。
若い男のほうは細面で繊細そうな面差しをしている。深い森の奥でひっそりと暮らす野鹿のような、濡れたような不思議な瞳をした男だった。彼は疲れたように右手で顔をこすると、近くを通りかかったグラマーなウェイトレスに、
「勘定を頼む」
と小声で告げた。ウェイトレスは意味ありげな視線で二人を眺めてから、さっと踵を返した。
男の傍らに寄り添っていた聖女メリンダ・グリーンは、美しい緑の瞳を瞬き、酔いも冷めた様子で、彼の顔を覗き込んだ。
「――ロートン、あなた、女性と喋れているわ!」
メリンダ・グリーンの零した呟きを耳にして、男は虚を衝かれたように一瞬動きを止めた。そうして一拍置いてから、呻くような声を漏らす。
「……ああ、なんだこれ、酔ってきたかな」
生真面目そうな青年が訝しげに目元を擦っているのを見て、メリンダはくすりと笑みを零す。
ちなみにメリンダは本来癖のない黒髪であるのだが、今夜はお忍びのため、赤髪のウィッグをかぶっていた。強くウェーブのかかった赤髪になるだけで、がらりと印象が変わる。メイクも意図的に派手にしているので、彼女が聖女であると気づく者はいないだろう。
――ああ、ロートン! 彼こそが
彼は内気な性分で、女性が苦手なのだそう。けれど不思議と、メリンダと話すことはできるらしい。二人は相棒という関係にあったから、仕事上のつき合いという感覚で、割り切れるのかもしれない。そんなふうにメリンダは考えていた。
彼は口元に手を当て、しばし考え込んでいたのだが、おもむろに彼女のほうに視線を戻した。
「――君の予見は本当にすごいな。神がかっている。本当にこの安酒場に、王子殿下が現れた。こんな場末の酒場にね」
彼の呟きは小さく、すぐそばに寄りそうメリンダにしか届かない。メリンダは『王子殿下』という言葉を耳にした途端、瞳をうっとりと潤ませた。
「彼、すっごく格好良かった!」
それは恋する乙女そのものといった感じで、それを間近で見た彼は微妙な顔つきになった。――王子と聖女、か。美男美女の取り合わせで、確かに二人はお似合いである。端から見れば、自分の役割はただの道化だろう。彼はどうでもよいことを考えていた。
「追わなくてよかったのか」
そう尋ねると、メリンダはきっぱりと答えた。
「今はまだ会う時じゃない。いずれ機会は訪れるわ」
聖女はいつだってこの勘の鋭さと、天を味方につけたかのような運の良さと、生まれ持った美貌でもって、全てを有利に運んできた。彼女は自信に満ち溢れていたし、挫折を知らない者特有の、直線的なところがあった。
――彼女が望めば道は開ける。彼女が困っていれば、信奉者が骨を折ってくれる。メリンダ・グリーンはそのぬるま湯のような環境に慣れきっていて、他者から好意を向けられることを、当たり前のように受け入れていた。
確かに彼女は選ばれし娘だった。だから彼女はなんでも自分で好きに決めることができるし、王子殿下と対面するタイミングですら、自分がコントロールできると信じていたのだ。
「ねぇ、ロートンこそ、殿下にお目通り願いたかったんじゃないの? だって新時代の勇者様ですもの。顔を売っておくに越したことない」
三百年前、果敢にも魔王に挑んだ、年若き勇者がいた。二者の激突を境に、魔法は途絶え、次代の勇者は長きにわたり現れなかった。――けれどロートンこそが、新時代の勇者よ。メリンダはいち早く彼を見つけ出した自らの功績を、とても誇らしく思っていた。
彼が生真面目な口調で語る。
「クリストファー殿下が尽くすに値する人間かどうかを、見極めなければ。まだ僕が新勇者であると名乗りを上げるのは早いよ」
そんなかたくなな彼を横目で眺め、メリンダは『男性と女性では、殿下を見る視点がずいぶん違うようだわ』と考えていた。
クリストファーのあの高貴な姿を見ただけで、メリンダはもう彼に首ったけだった。彼のためなら自分はなんだってするだろう。
そして彼のほうだって、きっと彼女に親切にしてくれるはずだ。ほかの男性が彼女にそうしてくれるように。
――さて。実はこの夜、元魔王――元勇者――武器商人――新勇者――現聖女という重要人物五名が、この小さな安酒場で奇跡的にニアミスしていたのだが、その事実を知る者は、今はまだ誰もいない。
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