第5話 下手で外したの? どっち?


 ヴィッキーはクリスの胸倉を掴みながら、ゴロツキたちに媚びるような流し目を送った。


「あのー旦那方、少しお待ちくださいね。こちらの兄さんがお金を渡します。それで許してくださいな」


 こちらがなんとか丸く収めようと努力しているのに、すぐさまそれを台なしにするやつがいる。


「金はもうない」


 クリスがケロリとそんなことを言うので、さすがにこれはぶち殺してもいいのではないだろうかと思うヴィッキーである。


「嘘つくな! さっきテーブルに金を置いた時、まだたんまり持っているのを、こっちは見とんじゃ! いいから出せ、お前」


 魂の叫びと共に揺さぶってみても、相手は子犬にジャレつかれている程度にしか感じていないようである。


「絶対嫌だ」


 二人が不毛な言い争いをしていると、しびれを切らしたゴロツキがいきなり銃をぶっ放してきた。どうやら堪忍袋の緒が切れたらしい。


 銃声と同時に、肩に軽い衝撃――ヴィクトリアはびくりと身体を震わせた。恐る恐る視線を下げていくと、シャツの左肩に穴が開いているのが確認できた。痛みはないので、身体に穴は開いていないようだ。


 ブカブカのシャツを着ていて、よかった! ピチピチのシャツだったら、今頃きっと、なで肩になっていたところだわぁ。思わず安堵の息を漏らすヴィッキー。――しかし彼女がピチピチのシャツを着ていたなら、そもそも弾が服を掠めることさえなかったはずである。


 ゴロツキは忌々しそうに舌打ちをして、


「次は頭を狙うぞ」


 と脅しをかけてきた。


 ヴィッキーはもう一度裂けたシャツを見おろし、次いで大男の顔に視線を戻した。


「……え? 今のって下手で外したの? わざと外したの? どっち?」


 訊いてはみたものの、なんとなく前者のような気がした。


 傍らにいたクリスがはぁとため息を吐き、心底呆れ果てたというような視線でヴィッキーを見おろす。


「お前、それを知ってどうするんだ。筋金入りの馬鹿だな」


「馬鹿はどっちだ! そもそもの話、こんなことになったのは、空気を読まないお前のせいだからな」


 クリス改めアンポンタンに改名しろ。


 いっそこの男に銃弾が当たっていればよかったんだ。片側だけ、なで肩になってしまえばいい。金には困っていなそうだから、右だけなで肩の服をオーダーメイドで仕立ててもらえ。


 クリスに対して悪口雑言を並べているうちに、ふとあることに気づいた。――あのゴロツキが、まるで脅威になりそうにないヴィッキーを先に狙ったのは、隣にいるクリスにプレッシャーをかけるためだろう。薄汚いガキの一人や二人殺したって、男たちにとってはなんでもないことなのだ。蟻一匹踏み潰すような感覚なのだろう。そんな威嚇射撃みたいな感じで、いの一番に狙われたのではたまったもんじゃない。


 ――くそう、当てる気だったんだな、やっぱり。絶対、射撃が下手で外れたんだ。 そうなってくると、別の重大な問題が持ち上がってくるぞ。


 ――『下手なやつに銃を持たせることほど、世の中に怖いものはない』問題だ。銃を持った赤ん坊の前に立たされているのと、同じ状況。どこにぶっ放すか予測できないから、逆に怖い。


「どうするんだよ! 私の手足に穴が開いたら、困るんだけど!」


 ヴィッキーの怒りは全て、目の前のクリスに向かった。ふたたび胸倉を掴み直して怒鳴りつけてやったのだが、


「どう切り抜けるかは、ちゃんと考えてある」


 などといけしゃあしゃあと返してくるもので、頭が沸騰しそうになった。――それを信用しろというのか? そもそも、お前な。


「――人と話す時は、ポケットから手を出せ! 人としてどうかと思うぞ、お前」


 誠意がなさすぎる。こっちはまだ文句を言い足りないのに、ゴロツキが『もういい加減にしろ』とばかりに銃口を揺らしながら、頭部に照準を向けてきたので、慌てて口を閉じる。


 ――だからさぁ、下手クソなくせに、イキってそんなことするんじゃないよ。暴発しそうで怖いわ。


「早く金を出しな。そのあとに跪け」


 ゴロツキのこの要求に、ヴィッキーの顔はすっかり引き攣ってしまった。――金を出させた上に、跪けってさ。こっちが金払っても、殺す気満々じゃん。処刑する気じゃん。


「いや、ちょっと待ってくれよ。あんたね」


 ヴィッキーが必死でゴロツキを説得しようとしている時に、それは突然起きた。いきなりなんの警告もなく、銃声が響いたのだ。ものすごく大きな破裂音だった。神経がピリピリしていたから、余計に大きく聞こえたのかもしれない。


 じぃん……と鼓膜が痺れる。まるで側頭部を強く叩かれたような感じだった。脳が揺れる。


 無意識のうちに身体を強張らせていたのだろう。首を動かそうとして、初めは上手くできなかった。息を止めたまま、恐る恐る自身の身体を眺めおろしてみた。しかしどこかに穴が開いている様子はない。


 ――では、外れたのか? しかし何かがおかしい。ゴロツキが構えている銃からは煙も出ていないし、暗がりから発射した割には、銃口が火を噴くのが目視確認できなかった。


 ……ということは、撃ったのはこいつじゃない? では誰が撃ったのだろう? などと考えているうちにドサリと音がして、銃を持っていた男が突然前のめりに倒れた。崩れるような落ち方だった。うつ伏せに倒れた男の身体の下から、赤い血が流れ出てくる。


 反射的にクリスのほうに視線を向けると、焦げた匂いがふわりと漂ってきた。


 ――ああ、なんてこった! ヴィッキーは頭を抱えたくなる。クリスが撃ったのだ!


 ――ああ、なんてこった! ヴィッキーはもう一度心の中で呟いた。クリスが撃った!


 身を乗り出してよくよく確認してみれば、彼の上着のポケットには穴が開いている。クリスはポケットに手を入れたまま、中に忍ばせていた銃で暴漢を撃ち殺したのだ。なんの躊躇いもなく、緊張した素振りすら見せずに、この男はやってのけた。


 ヴィッキーは恐れおののいた。混乱のあまり、一周して素に近い状態に戻った彼女は、衝動のままクリスを揺さぶっていた。


「おーい! 何やってんのお前!」


「やかましい」


「このイカれクソ野郎が!」


「僕の倫理観は至ってまともだ。ちゃんと足を撃った」


 こんなあからさまな嘘をつくやつっているんだな。クリスの主張どおり、本当に足に当たったのなら、あの男は痛みのあまり絶叫しているはずである。現状、男が静かなのは、叫べる状態にないからだ。


 血の流れ出し方からして、胸もしくは腹を撃たれている。


 さらにつけ加えるならば、クリスは『足を狙ったのにヘマをして、心臓に当ててしまった』というミスを犯すタイプではなかった。


「嘘つけ! 確実に死んでるだろこれ。ねぇ、お前、サイコパスなの?」


 思わずそう尋ねると、クリスが面倒そうに答えた。


「サイコパスの胸倉を掴むな」


 もっともな忠告であるが、こうして普通の受け答えができていること自体が、ヴィッキーからするともう信じられない。切羽詰まって追い詰められ、自衛のために反撃に出たというのなら分かる。


 けれど彼は冷静そのものなのである。殺してしまったことに、動揺している素振りもない。――では、殺人を楽しんでいる異常者なのか? いいや、それも違う。


 彼は快楽を感じていない。目を見れば分かる。どちらかといえば『無』の状態に近いのかもしれない。クリスはただ、彼にとって必要なことをしただけなのだ。


 まったくどうかしている。ヴィッキーが困ったような顔つきになると、クリスは深海を思わせる美しい瞳を、気まぐれのように彼女のほうに向けた。


「この男たちは、女を攫う計画を立てていた」


 悪人だから撃ってもいいだろう、って? そう言われてもね。 


 善悪の境界がよく分からなくなってくる。段々と『それじゃあ、仕方がないのか?』というほうに流されてしまいそうな、変な感じ。


 クリスの瞳は情感豊かで、覗き込んでいると、思考が引っ張られてしまいそうで怖い。


「だからって」


 ……ん、でも、あれ? ヴィッキーは小首を傾げる。


 あの雑然とした店内で、そんな込み入った会話を聞き取ることが、果たして可能だったのか? 経緯からして、クリスたちは店内でその計画を耳にして、裏口まで追って行ったんだよな?


 ヴィッキーが戸惑っているあいだに、クリスはやっとポケットから手を出し、握っていた銃を外に引っ張り出した。


 そうして生き残ったもう一人の男に照準を据えながら、


「――そうだろう?」


 と尋ねた。


 問われた男は顔色を失い、棒立ちになっている。あまりに間の抜けた有様であったので、もしかすると二人のうち、リーダーシップを取っていたのは死んだ男のほうだったのかもしれない。


 ――男は何も答えない。声の出し方を忘れてしまったのかもしれなかった。


 するとなんの前触れもなしに、ふたたび近くで銃声が響いた。クリスが男の足を容赦なく撃ち抜いたのだ。


「だよな?」


 恐ろしいほどに静かな声で重ねて問う。しかし今度の問いは、男の絶叫でかき消された。これじゃもう尋問どころじゃない。痛みでいっぱいだろうし、頭の中で言葉を組み立てる余裕もないはず。


 ――地獄絵図だ。飲み屋のさびれた裏通りで、男が一人即死。もう一人は血塗れで転げ回っている。


 ヴィッキーはすっかり血の気を引かせていた。クリスの胸倉を掴んでいた手はそのままの形で固まり、身体は硬直している。


 そんな様子を見かねたのか、クリスの従者のノーマンがヴィッキーを流し見て口を開く。


「――酒場のカウンターにいた女性客だが、あれは『聖女』だよ。この男どもは聖女をさらって辱める相談をしていたんだ」


 ヴィッキーは虚ろな目でノーマンの顔を眺め返した。酒場で酒を酌み交わしていた時は、彼は人の好いお兄さんに見えた。しかしクリスにつき従っているだけあって、やはり彼も異質な存在なのだ。ノーマンはあるじのクリスに対して真摯なだけで、柄の悪い男が死んだことに対しては、まるで感情を揺らしていない。


 そりゃあヴィッキーだって、『本当に悪いやつなら、死んだほうが世のためかも』と思うこともある。けれどそれは『相手の死』と『自分の居場所』が離れている場合に限るのだと思う。重罪人に死刑を望むのと、刑の執行に立ち会うのとでは、意味が変わってくる。目の前で人が死ねば、当然のことながら動揺するし、『まぁ、いいか』と割り切ることなんてできない。


「……え、聖女?」


 一拍遅れて、ノーマンの話を理解したヴィッキーは訝しげな顔つきになった。


「聖女がなんでこんなところにいるの?」


 ノーマンはこれに無言を貫き通し、クリスのほうは頓着なく『さぁね』と軽くあしらった。


 そうこうするうちに表のあたりが騒がしくなってきた。下町では喧嘩騒ぎは珍しくもないが、銃声がすればさすがに人の関心を引く。まだ野次馬は駆けつけていないが、表のほうで何もないとなれば、裏手に回り込んで来る輩も出てくるだろう。このままここに留まっても、何もいいことはなさそうだ。


「ええと、じゃあ、私はこれで」


 ヴィッキーはそそくさと踵を返した。そのまま闇に紛れる。


 ――なんというか、クリスは強い酒みたいな男だったな。深みがあるけれど、そのぶん苦みも強い。癖がある。なのに甘くて香り高い。あとに強烈な余韻を残す。はまったら危ない。


 ヴィッキーは酔いを醒ますように、夜空を仰ぎ見た。


 だからこれ以上関わりたくないと思ったのだ。――まぁ、だけどさ。二度と関わることもないだろうけれど。


 しかし残念なことに、彼女のこの見通しは大きく間違っていた。


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