第14話 皇宮に住んで欲しい


「――あなたの瞳、色味が淡く変化しているわ」


 ノアの膝上に乗せられているソフィアは驚きのあまり身を乗り出し、思わず彼の頬に指を触れていた。そのままキスをする気なのではないか? というくらい親密な距離まで近づいてしまっている。


 室内にいたほかの人間――傍観にしていたイーノクとルースは、『さすがにこれだけ顔にペタペタ触れられたら、氷帝は許さないだろう』と考えていた。


 ところが。


 ノアはソフィアに触れられても怒るでもないし、不快な表情を浮かべるでもなかった。


「澱が洗い流されたから、虹彩にもそれが表れたのかもしれない」


 ソフィアに説明する彼の口調は穏やかで優しい。


 だからソフィアもリラックスしきっている。


「じゃあ、あなたの瞳は元々水色だったってことなのね」


「そうだね」


「うーん」ソフィアはほんの少しだけ首を傾げた。「濃い青も良かったけれど、今の淡い色も素敵ね! 春先の爽やかな日に、早起きして見上げた空みたいだわ」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 ソフィアはにこにこ笑い、ふとあることに気づいて笑みを引っ込めた。


「あ、でも――そのうちにまた色が濃くなってくる?」


「たぶん」


「どのくらいで?」


「ここまで体の状態がクリアになったことがないから、よく分からない。おそらく半月か、ひと月?」


「じゃあ私たち別に恋人同士のふりをしなくてもよくないかしら? 瞳の色でリミットが分かるなら、濃くなってきたら浄化すればいいんだもの。あなたにはお手間かけて申し訳ないけれど、私をキュンとさせてくれれば、浄化は二度成功したのだから、またできると思うわ」


 ソフィアが『いいことを思いついた』というようにそう指摘をすると、陛下は喜ぶどころか、物思う顔つきになった。いつの間にか彼の表情から柔らかみが消えている。


「……ソフィアは嫌なのか?」


「え?」


 意味がよく分からなかった。戸惑っていると、彼が乞うようにこちらを見つめてくる。


「俺は君にそばにいてもらいたい」


「う……そうなの?」


「ああ、そうなんだ」


「じゃあ時々あなたに会いに行く」


「時々ではなく、ずっといてほしい。突然、限界が来た時に、怖いから」


「そうね、確かに。急に具合が悪くなるかもしれないものね」


「君がそばにいない時に、終わりを迎えるのは嫌だ」


 ん……? ソフィアは彼の言い回しに、ちょっとした引っかかりを覚えた。意味はよく分からないものの、胸がザワつき、かぁっと頬が熱くなる。


 ――彼は『突然終わりを迎えるリスクがあるから、君がそばに張りついて、それを防いでくれないと困る』という利己的な言い回しをしなかった。むしろ『浄化はどうでもよく、最期はそばにいてほしい』という懇願に聞こえなくもなかった。


 でも……そんなわけはない。ソフィアは『自分はとても頼りにされているのだ。そこまで彼が不安ならば、助けてあげなくちゃ』と考えを改めた。


「えーと、ずっとというのは、皇宮に住んでほしいということかしら?」


「そうだ」


「んー……別にいいっていえば、いいけどぉ」


「気前がいいな」


「もうすでに分かってると思うけど、私ってとっても優しいのよ」


 ソフィアが至近距離で可愛い笑みを浮かべたので、ノアは自分の脈拍が少し速まったことに気づいた。


 けれど彼の表情はそう大きく揺らがなかったものだから、ソフィアがそれに気づくこともなかったのだが……。


「それに考えてみたら私、あなたと恋人同士のふりをしないと、テオドール・カーヴァーと縁が切れないんだった」


「……そういえばテオドールはなぜ婚約破棄しないんだ? 自分から夜会で騒ぎを起こしたくせに、その後考えを改めて、君に復縁を迫っているのか?」


「そうなの」


「どうして?」


「親から勝手なことをするなと怒られたみたい」


「それなら私がテオドールの父親――カーヴァー公爵と話をつけよう」


「いえいえ、そんな! そこまでおおごとにすると、私と陛下が結婚するみたいな流れになっちゃう」


「そうなるとまずいのか?」


 ソフィアは『陛下は変なことを言うわ』と考えていた。


 ついさっき彼自身が、『こちらの都合で付き合わせるのに、結婚まで強要するのは忍びない』と言っていたのに。それに彼のほうだって、ソフィアと結婚させられて一生縛られるのは嫌なはず。


「まずいわ、結婚はだめよ――とにかくカーヴァー公爵の説得はしなくて大丈夫。陛下と恋人同士っていう設定をチラつかせるだけで、公爵は息子の結婚相手は別で探すと思う」


「……君がそうしたいなら、それでいいが」


「カーヴァー公爵はあなたを敵に回したくないはずよ? 私があなたのものだと分かれば、すんなり破談ということになると思うの。私にこだわる理由がないもの」


「そうかもな」


「ああ、よかったぁ、ほっとしたわ! 私、テオドールがとにかく苦手だったの」


「彼は女癖が悪いようだ」


「そうなの。彼ったらね、可愛い子猫ちゃんを囲い込んでいて、すでにそちらに手をつけているくせに、私にも手を出すと言ってきたのよ」


「え?」


「顔を会わせると胸ばかりジロジロ見るし、しっかり抱いて夜は満足させるとか、気持ち悪いことばかり言うの。すごく嫌だった」


 あの時抱いた怒りを思い出し、下を向いて膨れツラになっていたソフィアは、ふと周囲の温度が数度ほど下がったような気がした。ヒヤリとした気配を感じ顔を上げると、陛下がなんともいえない表情でこちらを眺めている。


 パッと見は平静なのだけれど、含みがあるというか、何かの限界を突破した人の顔にも見えた。あらゆる感情を経由したあとで、一周して元に戻り、今は危うい均衡をなんとか保っている状態、というふうな……気のせいだろうか?


「あの……陛下?」


「テオドールとはもう会わせない」


「そ、そう? ええと、ありがとう」


「その代わり君は、ずっと私の目の届くところにいてくれ」


「ええと、そうね。いいわ」


 この時ソフィアは絵に描いたような見事な安請け合いを披露した。


 まるで深く考えずに了承し、そしてそれを守らなかったがゆえに、後日あんなことになろうとは――……いや、それは長くなるので、おいおい語っていくとしよう。


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