第2話 婚約破棄


 ――二日後、婚約者との顔合わせの日。


 今宵ソフィア・ブラックトンが選んだのは、色鮮やかなグリーンのドレス。


 これは侍女のルースから、「テオドール・カーヴァーの瞳は緑色です。ですから緑のドレスがいいのでは?」と提案され、ソフィアは「私ってなんでも似合うから、緑もいいわね!」とすぐにこれを採用した結果だった。


 ちなみに父のブラックトン侯爵から、「夜会に着て行くドレスの色を、テオドール・カーヴァーから質問されている」と言われたので、「キュートなグリーンよ!」と得意げに答えるという一幕もあった。そして「エスコートはないの?」と尋ねると、ブラックトン侯爵からは「婚約者殿曰く、現地集合とのことだ」という答えが返ってきた。


 ――そんなわけで、ひとり夜会へやって来たソフィア。


 彼女が会場に現れると、背筋を伸ばして颯爽と歩くその姿があまりに鮮烈であったせいか、口をポカンと開けたまま見惚れている人が何人もいた。


 事前にテオドール・カーヴァーから『入り口付近で待つように』と手紙で指示されていたので、それに従うことに。


 そう待たされることもなく、


「君がソフィアか? 俺はテオドール・カーヴァーだ」


 と後ろから声をかけられ、ソフィアはくるりと振り返った。どうやら緑のドレスが目印になったらしい。


 テオドールは見上げるような長身の、がっちりした体格の青年だった。年齢は二十代半ば。キャラメルブロンドの髪を綺麗になびかせている。


「そうよ」


 ソフィアはこくりと頷いてみせたあとに、彼女らしい人懐こい笑みを浮かべた。


 すると対面したテオドールはそれで打ち解けるどころか、真逆の反応を見せた。微かに顎を引き、戸惑ったような表情を浮かべたのだ。


 ――ソフィアの艶やかなハニーブロンド、きらめくような菫色の瞳を前にして、テオドールは少々まごついていた。ソフィアのドレスはビスチェタイプで、袖も肩紐もなく、布地があるのは脇から下の部分。滑らかな体のラインがよく分かるデザインになっており、彼女はどこもかしこも――そう、鎖骨までもが美しいのだった。


 テオドールが口を開きかけ、閉じ……ということを繰り返していると、彼の背後にぴったりと張りついていた小柄な女性が、焦れたようにテオドールの背を突いた。


 それによりテオドールは、あらかじめ練習してきた台詞を思い出したという様子で、なんの前置きもなく喋り始めたのだった。


「――ソフィア・ブラックトン、君との婚約を破棄させてもらう!」


「はぁ?」


 ソフィアは目を丸くした。なんというかもう、ただただ理解不能の事態である。


 そもそもソフィアはつい先日、自分に婚約者がいると聞かされたばかりなのだ。その事実すらまだ受け入れられていないのに、もう婚約破棄とは!


 彼のやり口は、まるで手品師のそれだった。突然コインが出現したり、消失したり、というのを見せられているみたいな気分。


 こんなことをされたら目を丸くして固まるしかない。ソフィアはお行儀よくその場に佇んだまま、じっとテオドールを見つめ返した。


 テオドールは婚約破棄宣言をしたあと、それ以上詳しく説明することもなく、どういうわけかソフィアの胸の膨らみを凝視し始めた。ソフィアが『なんなの?』と微かに眉根を寄せる中、テオドールの背後にいた女性が先に、彼の軽薄な態度に腹を立て始めた。


「ちょっと、テオ! 早く彼女にガツンと言ってやって!」


「あ、ああ」


 テオドールは振り返り、カーリーなダークヘアの女性を慌てて引き寄せる。


「ええと、こちらは俺の子猫ちゃん――ゾーイ・テニソンだ」


 ゾーイは勝気そうな瞳をソフィアに向け、これ見よがしにテオドールにしなだれかかった。


「ソフィアさん、悪く思わないでね。私たち愛し合っているの。将来、結婚するつもりなのよ。だからあなたの出る幕はないから。ちなみにね、ソフィアさん――あなたって魔力なしの落ちこぼれらしいけれど、今回あなたがフラれたのは、それとは関係ないことなのよ? 単に女として、私より劣っているというのが理由なの」


「そうなんだ。俺は愛しいゾーイと結婚する。だから君とは結婚できない。愛のない結婚はできないんだ」


「えー……」


 ソフィアは眉尻を下げ、元気のない声を出した。


 七年ぶりに故郷の土を踏み、こうして着飾って皇宮のパーティーにやって来た。楽しい会になるかと思っていたのに、出席してみたら、婚約者がほかの女性の肩を抱いて、それを見せつけてきたのだ。


 それならあらかじめ父に話を通しておいてよぉ、と言いたい。せっかくお洒落したのに、何これぇ……。


 しょんぼりするソフィアを眺め、なぜか勝ち誇るテオドール。


「俺と結婚したかったから、そりゃあがっかりしたよな」


「そういう意味で、がっかりしたわけじゃないけれどぉ」


「え、俺にフラれて、がっかりしたんじゃないのか? こんなイケメンにフラれてショックだろう? なんで?」


 という間の抜けたやり取りをしていたら、突然横手から屈強な男性がふたり進み出て来て、テオドール・カーヴァーに体当たりをかました。そしてあれよあれよという間に、軽薄なテオドールの口を塞いでしまうと、羽交い絞めにするようにして彼をどこかに運んで行く。


 そしてかたわらにいたテオドールの子猫ちゃんことゾーイ・テニソンも、『彼を離しなさいよ!』と喚きながら一緒に退場して行った。


 あとで侍女のルースが調べてくれたところによると、あの乱入してきた男性たちは、テオドールの父親があらかじめ手配しておいた人らしい。カーヴァー公爵は息子の浮ついたところを問題視していて、夜会で好き勝手をしないようにと策を講じておいたのだろう。……とはいえまぁ、止めるのが遅すぎたきらいはあるのだが。


 広間の入口付近とはいえ、テオドールのしたことはみっともないことであったので、かなり人目を引いてしまった。


 ソフィアは人垣の向こうのほうで、父が額を押さえていることに気づいた。


 そばに来てこの空気をどうにかしてくれるかと期待したのだが、ブラックトン侯爵は薄情にもこちらに背を向け、『私は関係ありません』とばかりに会場の奥に消えてしまった。


 ひとりその場に残されたソフィアは、上っツラだけの笑みを浮かべて見せ、優雅に肩を入れてキレのあるターンをしたあと、見事なウォーキングを披露して広間から出て行った。


 そうして人目のない廊下に出たあとは、コソ泥のように爪先立ちになり、『ひぇー』と呟きを漏らしながら、その場から退散したのだった。


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