【9/3書籍発売】悪役令嬢のはずなのに、氷帝が怖いくらいに溺愛してくる

山田露子☆12/27モコくま小説1巻発売

第1話 それじゃあ重婚ですわ、お父様


 大人のたしなみとして、予想外の出来事が起こった時こそ、落ち着いたスマートな切り返しをしたいものである。


 たとえば「君を愛せない」と言われたら、「そうでしょうね――あなたは脇役タイプだから、私の隣に並ぶのは無理そうだわ」と気の毒そうに相手の肩を叩いてやるとか。


 ソフィア・ブラックトン侯爵令嬢の場合はどうだったのだろう? 婚約者がぶっ飛んだ発言をした際、彼女は余裕たっぷりな態度で小粋な言葉を返せたのだろうか?


 どうやら違うようである。彼女は婚約者から、


「君との婚約を破棄させてもらう!」


 と言われたことに仰天し、


「はぁ?」


 と返すのがやっとであったからだ。




   * * *




 そもそもどうして彼女は婚約破棄を突きつけられることになったのか?


 それを説明するには、二日ばかり時を遡る必要がある。




   * * *




 ――二日前、ブラックトン侯爵邸。


「――はぁい、元気? あなたが私のお父様?」


 エントランスに迎えに出て来た四十代半ばの洒落た紳士に向かって、ソフィアは邪気の欠片もない笑みを浮かべてみせた。


 これはずいぶん奇妙な台詞である。普段から顔を合わせている親子なら、『あなたが私のお父様?』などといちいち確認をする必要はない。


 というのも実はソフィア、子供の時に家を出て、長いあいだ外国のマルツで暮らしていたのだ。彼女がこうして実家に足を踏み入れるのは、なんと七年ぶりのことであった。


 ブラックトン侯爵はすっかり大きくなった娘を前にして、戸惑いを隠せない。それはまるで、地面に落ちている毛玉を眺めて、『これは丸まったハムスターの背中なのか? それとも別の何かなのか』と考えているような顔つきだった。


「……七年前まで同居していただろ。父親の顔を覚えていないのか」


 七年前といえば、当時ソフィアは十二歳。子供の時に家を出て、長いあいだ外国のマルツで暮らしていたとはいえ、親の顔を忘れてしまうほど幼齢のうちに別れたわけではない。


 ブラックトン侯爵の皮肉を、ソフィアはおおらかに受け流す。


「もちろんお父様のお顔は覚えていますけれど、結構老けちゃったから、一応確認しておこうかな、って」


「そりゃ七年もたてばな!」


「あと、背が縮んだ?」


「お前の背が伸びたんだ!」


 ソフィアは『なるほどぉ』と納得し、ふたたび満面の笑みを浮かべた。そしてさっと両手を広げ、『さぁほら!』のアピール。


「……なんだ、そのポーズは」


 警戒するブラックトン侯爵。


「再会を喜ぶハグをしましょう、お父様」


 ブラックトン侯爵の顔つきがさらに微妙になった。とはいえ拒否するのも大人げないような気がしたため、彼はぎこちなくこれに応えた。


 親愛の欠片もない、よそよそしい触れ合い。ブラックトン侯爵は娘の背をポンポンと軽く叩き、さっと身を引いた。


 一方、ソフィアのほうも『なんか違う』感を醸し出していた。ハグのマナーは『親愛』の気持ちを示すことであるから、父のやり方では落第点だ。ソフィアは愛想笑いを浮かべたまま、微かに右の口角を下げ、『しっくりこないわ~』みたいな目でブラックトン侯爵を眺める。


「あー……歩きながら話そう」


 ブラックトン侯爵が気まずそうにそう促し、ソフィアはこくこく頷いて、それに従った。


「お前を呼び戻した理由だが、婚約者との顔合わせのためだ」


「へぇ! お父様の婚約者? とうとう再婚なさるの?」


「馬鹿、そもそも離婚しとらんわ! お前の母親は今もまだ私の妻だ」


「だけど私、お母様とまだお会いしていないわ」


「今は不在にしているだけだ。そのうち会える」


「じゃあ本当に離婚していないのね?」


「そう言っとるだろ」


「それじゃあ重婚ですわ、お父様――妻子持ちのくせに『俺に可愛い婚約者ができた』じゃないですよぉ」


「だから私の婚約者ではない! お前の婚約者だ」


 ソフィアは目を丸くして父の顔を見つめた。


「え! 私に婚約者がいるなんて、聞いていませんけどぉ!」


「今、聞いただろ」


「乱暴!」


 人でなしを見るような視線を向けてくるので、ブラックトン侯爵は娘からの抗議をさらりと無視した。


「相手はテオドール・カーヴァー、公爵令息だ――分かるな? うちは侯爵家、向こうはお偉い公爵家様様。越えられない爵位の差。そしてお前自身の問題」


「私、何か問題がありましたっけ?」


「魔法の才能がないだろ」


 確かにソフィアには魔法の才能がない。彼女が子供時代に家を出ることになったのは、このことが原因だった。落ちこぼれの彼女は邪魔者扱いされ、ブラックトン侯爵家を追い出されてしまったのだ。


 しかしソフィアは陽気なお馬鹿娘であるので、父親に嫌味を言われても、ちっとも凹まない。


「だけどそのぶん可愛いでしょ。イエイ!」


「だからなんだ」


 ブラックトン侯爵はイラっとした。


「とにかくお前は、ただただ婚約者に媚びるしかない立場だからな」


「えー……」


「えーじゃない」


「やーん」


「やーんじゃない。いいからしっかりやれ」


 書斎に辿り着き、ブラックトン侯爵は娘の鼻先に指を突きつけ、一言一句区切りながら言い聞かせた。


「顔合わせは、二日後――夜会があり、そこで会える。頑張って気に入られるんだぞ」


 扉がパタンと閉じられ、ソフィアは廊下に取り残された。


 一拍置き、ドアがふたたび開く。


 ブラックトン侯爵が隙間から顔だけ出して、


「……部屋の場所、分かるよな?」


「お父様」ソフィアが不満げに頬を膨らませる。「私、七年前までこの家に住んでいたんですよ? 自室の場所くらい覚えていますぅ」


「そうか……分からなかったら、家令に訊け」


 言いたいことだけ言って、今度こそ扉が閉ざされた。


 ソフィアは瞬きをひとつしてから踵を返し、しばらく進んでから大声で家令を呼び。


 恥ずかしげもなく尋ねたのだった。


「私の部屋ってどこー?」


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