【高田美也子の章】=黎明期=

 ワタシの予感は的中した。しかも思いもよらぬ方向で。

 帰京して三日のち、ワタシは帝都石油のご子息とお見合いをした。彼は石村義忠さんといい、とても優しい感じの人だった。それに頼ったわけではないが、ひと通りの紹介が終わり、ワタシと彼との二人だけになったとき、ありのままを打ち明けることにした。

 彼はワタシの境遇に大いなる同情を注いでくれた。なぜならば、彼もやはりワタシと同じように婚約者と無理やり別れさせられているからであった。そのことを詳しく話をしてくれた。

 しかし、それはそれ、これはこれであることはわかっている。わかっているにもかかわらず、「一つだけのお願い」として、お腹の子のことを話した。

 彼は一瞬考えたようだが、次の瞬間には、

「容認します。でも表面上は私とあなたの子として育てましょう」

 とまで言ってくれた。これでもうワタシはどうなっても構わない。彼の言う通りに従おう。そう思った。

 ところが、彼は彼で思うところがあったらしく、結婚後もワタシには優しく接しながらも、愛情を注ぐことはなかった。そんな彼を憎むことなど一度もなく、かえって同情さえ覚えたものである。


 お見合いから三日後、ワタシたちは急ぎ足で渡米することとなった。早急にアメリカで結婚式を行うためである。婚約の公表は渡米の二日後に行われたらしい。

 結婚を急ぐ理由。一つには会社の提携をいち早くスムーズに進めるためであったが、お互いの気持ちが変わらぬうちにという親同士の考えもあったらしい。

 逆にワタシたちとしては妊娠の件もあるので、早めに夫婦の形を作っておく方が怪しまれないという理由があった。従って、ことがスムーズに進むことに異論はなかった。結果的に懐妊の話については、ワタシの両親から石村さんのご両親に伝達されることはなく、石村家では義忠さんのみが知る事実となっていた。

 アメリカでの生活は何不自由ない生活だった。義忠さんはめったに帰ってこないし、帰ってきても普通に友達のように接してくれた。

 渡米から十ヶ月後、二八○○グラムの男の子が生まれた。少し小さく産まれてきたことで、石村家では「早産気味だから仕方がない」などということになっている。

 子供にその父親の名前をつけることだけは絶対にダメだと言われたので(その理由は後で知ることになるのだが)、あの人から一文字だけ引用して悠也と名付けた。これによりワタシの両親には悠人の子であると認識させたことになる。父は石村家にことの真相がバレないかオドオドしていたらしいが、それはそれで良い気味である。

 義忠さんは悠也をよく可愛がってくれた。まさしく我が子のように。

「お前はオレの希望だ。元気に大きく育てよ」

 とも言ってくれた。彼の真意は最後までわからなかったが、今にして思えば、必要以上に愛情を注ぐことが無いように自制するため、若しくは自分の代わりに幸せになれよといった意味もあったのかもしれない。

 余談ではあるが、悠也が生まれるまで、義忠さんがワタシの身体を求めたことは一度もなく、ワタシが心配したことがあった程だが、彼は笑って、

「大丈夫。キミのことを嫌いなわけじゃない。キミの過去や悠人さんのことも気にしていない。ただ、ボクにもやらなきゃいけないことがある。それだけだから」

 と、言って躱すのである。時折りキスをしてくることはあるが、いつも軽く唇を合わせるだけで、濃厚なラブシーンにはならずにいた。

 なぜだろう。不思議だった。悠人さんもかなり気遣ってくれたが、義忠さんのような男の人は初めてだった。

 それとも、まだ以前の婚約者のことが忘れられないのだろうか。



 悠也が生まれてから二年が経過していた。その間、一度も日本へ帰国することなく、ずっとアメリカで過ごしていた。

 ある日、二週間ほどテキサスに出張していた義忠さんが、何の前触れもなく突然帰宅してきた。彼曰く、

「日本に帰るぞ。やっとその日が来た」

 と、言って大層喜んでいた。

「何かお祝いしましょうか?」

 と、ワタシが尋ねると、

「いや、特別なことはいい。それよりも帰国する前にちゃんと話しておきたい。ちゃんと整理してから話す。今日は普通でいいよ」

 ワタシは何かしら不安な気持ちになった。自我の強い人だけに、あからさまに感情を表に出したことなどなかった人だけに・・・。


 その翌日。帰国の準備が整って、明後日がフライトという夜のこと。義忠さんがワタシを前に今回の顛末を話し出した。

 自分が父に対して復讐を考えていたこと。それがコンコンと実行に移されていたこと。間もなく、帝都石油が崩壊すること。特にこのことについては、ワタシの父に早急に極秘裏に連絡をすること。

 このタイミングが絶妙だったのである。

 これ以上早いと父の動きで帝都石油が察知し、崩壊を回避することができる。これより遅いと菱蔵商事も危うくなる。菱蔵商事も多少の損害は免れないが、帝都石油だけが崩壊する絶妙なタイミングだったのである。

 義忠さんはワタシと悠也に莫大な財産を残してくれた。たとえ万が一、菱蔵商事が倒産したとしても、絶対にワタシと悠也の生活が困らないように。

 そして最後だからと、その夜、義忠さんは初めてワタシを求めた。

「キミと夫婦であった思い出が欲しい」

 と、言う申し出だったが、にべもない。悠也を寝かしつけた後、ワタシは彼を迎えるべく、気持ちを整理した。まるで初夜の如くの気持ちである。

 彼は終始優しく、時折り激しくワタシを愛してくれた。本当に夫婦であることの証を探っているようだった。

 そして、終わりが近づいたころ(ワタシは覚悟していたのだが)、彼は最後の憤りをワタシの中に留め残すことなく最後を終えた。

 その理由がわかったのは後日のことだった。



 帰国後、その足でワタシたちは石村の実家に行った。結婚後に初めて訪れる家である。義母にはかなり嫌味を言われたが、義忠さんがしっかりとフォローしてくれた。

「あなた方が仕組んだ結婚だ。美也子に罪はない。孫に会いたければ、自分達がアメリカに来ればいいだけだろ。オレが行かないのに妻だけを実家に行かせることなどできるわけがない」

 いとも簡単にそう言い放ったのである。

 そして義忠さんは十日間の休暇をとった。実家には居たくないらしい。さらには旅に出ようということになり、この際、誰にも干渉されたくないからと、自分のだけでなく、ワタシのケータイも新しい物に買い替えた。番号もアドレスも全て変更して。

 義忠さんはクルマを借りて三人で旅に出かけた。親子水入らずでの旅行なんて初めてのことである。そして結果的にこれが最後の旅行となった。行き先は長野だった。宿に着いてゆっくり温泉につかったあと、義忠さんはワタシを大いに労った。確かに、ここ二年間というもの、異国の地で、常に何かを警戒しながら過ごしてきた。

 最初の夜、食事を済ませた義忠さんは、

「ボクは少し出かけるから、キミは先に寝ていたまえ。ボクの帰りを待つことはないから。でも、必ず帰ってくるから心配しないで」

 そう言い残して出かけてしまった。後には悠也が天使のような笑顔でワタシを迎えてくれるだけだった。

 義忠さんがいなくなると、何もすることがなくなり、所在なく雑誌を読んだりしていたが、夜も更けて、悠也を寝かせつけている間に自分もウトウトして寝てしまっていた。

 ふと気がついて時計を見ると、深夜の零時になろうとしていた。まだ義忠さんは帰っていなかった。

 手持ち無沙汰だったので何気にテレビをつけると、夜中にもかかわらず派手にニュースが流れていた。

『帝都石油グループの崩壊については、ただいま石村社長並びに重役たちが全て入院するという緊急事態となっており、さらには、時期社長と目されていた義忠氏も、帰国後はもっか行方不明とのことで、本社ではてんてこまいの状態になっております』

 このニュースを見て、義忠さんが仕掛けた爆弾が爆発したんだなと思った。

 それと今、彼が出かけていることと何か関係があるのかしら。などと思っていたところに彼は帰ってきた。

「おかえりなさい。今、ニュースでやってましたよ。東京はパニックになってるみたいですよ」

「待ってなくてもよかったのに」

「いいえ、今ちょうど目が覚めたとこなので」

「そうか、ならいいんだ。これも全てはボクが仕掛けたことさ。キミが気にすることはない。それよりもお義父さんのところは大丈夫か?」

「気を遣ってくれてありがとうございます。早めに連絡できたので、何とか持ち堪えたみたいです」

 義忠さんはワタシを抱きしめた。そのまま、帰国前の夜のようにワタシを求めるのかと思いきや、

「これで第三楽章終了。あとは大団円、最終楽章だけだな。さあ、今日はもう遅い。寝ようか」

 と、言って高いびきをかきながら、本当に寝てしまった。少し拍子抜けした感じだったが、ワタシも別に期待していたわけでもなかったので、ホッとした気持ちで、悠也の隣に身体を横たえた。

 そしていつの間にか眠りのしじまに・・・。



 翌朝、温泉宿の朝ご飯を食べたあと、義忠さんがテーブルを挟んだ正面にワタシを座らせた。そして一枚の書面を取り出した。それは離婚届だった。すでに彼の署名と捺印がなされている。

「父の野望のためにキミは二度も恋を不意にした。本当にすまないと思っている。これからは今までの分も幸せに生きて欲しい」

 義忠さんは左手のくすり指から指輪を抜き、離婚届の上に置いた。

 彼があの日、ワタシの中に憤りを残さなかったのは、あの時すでに離婚することを予定していたからであろう。

「今日からキミは自由だ」

 彼は笑ってそう言った。

 電撃の婚約から二年。彼にとっては激動の二年だったろう。私にとっては悠也を育てるためだけの沈黙の二年だった。お互いにそれぞれの目的を育みながら過ごしてきた。それもようやくピリオドを打つ日が来たのである。

 彼はクルマで、ワタシは新幹線で東京へ向かい、それぞれ新たな次の道を進み始めるのである。


 かくしてワタシたちの仮面夫婦の関係は円満に終わりを告げたのだった。

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