【石村義忠の章】=迫りくる狂気=

 実家を出ると早速鈴花に電話した。そして船橋まで出向いて、駅近くのカラオケボックスで待ち合わせた。曲を流さなければ、防音施設が整っている立派な密室となる部屋である。話をするだけなら喫茶店より便利なのである。

 先に着いていたのは鈴花だった。二人で受付を済ませると、小さな小部屋に案内された。鈴花の隣に座った私は神妙に話しを始めた。

「よく聞いておくれ。今回の話は父の会社が新しい事業を展開する計画が発端らしい。とある会社と提携するためだが、互いに裏切らぬよう、縁戚関係を作って、同族会社にすることが目的みたいなんだ。そのためにボクを人身御供に出そうとしているのが父の魂胆のようだ」

「それって、よっくんと誰かが結婚するってこと?」

「もちろんボクはそんな理不尽な道具に使われるつもりはない。それに、先方のお嬢さんもストライキを起こしているみたいだ。それで、双方の首謀者が困っているらしいが、いつまでもこのままの状態が続くとは限らない。現に父は、この提携ができなかった場合、関連会社のいくつかを切ることになるといっていた。その中にキミのお父さんの会社の取引先があるらしいんだ」

「えっ?お父さんの?」

「切り捨てるのがどこの会社かわからないけど、キミのお父さんが勤めてる会社は小林物産っていうんだって?その切り捨てられる会社との取引がなくなると、小林物産が大きな打撃を受けるらしい。それでもいいかと脅されてきたんだ」

「ねえ、どうすらの?」

「それを相談しに来たんじゃないか。ボクはキミとなら駆け落ちしてもいいと思ってる。だけどキミのお父さんに迷惑がかかるなら、ボクの一存で行動するわけにはいかない」

「だったらどうするの?」

「キミのお父さんに会って話をしよう。ちゃんと状況を説明する必要がある思う」

「わかった。いつ?」

「今すぐ。早い方がいい」

 鈴花は黙って頷いて、彼女の母に連絡した。


 十分後、私は鈴花の両親の前に座っていた。二人ともただならぬ私の気配を感じているのか、緊張した面持ちで私の言葉を待っていた。

「申し訳ありません」

 私は頭を下げて、謝罪する事を第一とした。

「どうしたって言うんだ。ちゃんと話しておくれ」

 鈴花父は不安な感覚を覚えながらも、私に話をすることを促した。

「実は・・・」

 私の父が帝国石油の重役である事、現社長が仕事で失敗した事、父とその取り巻きが時期社長の座を狙っている事、そのために菱蔵商事との業務提携を画策している事、同族関係にしておくための縁戚関係を作っておきたい事などを説明し、さらに提携がうまくいかなかった場合、いくつかの関連会社を倒産させることになり、小林物産に多大な影響が出ると聞かされていることを伝えると、鈴花父の顔色は一気に青ざめた。

「それは痛いな。帝都グループはウチの取引には欠かせない会社だ。なくなると路頭に迷う人も出てくるだろう。ウチだけじゃなくね」

「私は鈴花さんを愛しています。今すぐにでも二人で駆け落ちでも何でもしたい気持ちで一杯なんですが、父のいうことが本当かどうかわかりませんが、最悪の話が大き過ぎるだけに、こうして相談に伺ったまでです」

 鈴花父は、鈴花母と顔を見合わせた。

「私はキミと鈴花が幸せになってくれるのが一番だと思っている。しかし、キミの置かれている立場を考えると、一概にそうとも言えなくなってくるのが現実だな」

 するとその時、奥の電話が鳴った。鈴花母が電話に駆け寄り受話器を取った。

 二言三言受け答えをしていたようだが、やがて戻ってくると、鈴花父の耳元で何やらヒソヒソと話している。

「ちょっとすまんな」

 鈴花父はそう言って席を立った。残された鈴花母は、その場に居づらかったのだろう、台所へ逃げるように去っていった。

 私も鈴花にも不安感しか残らない。鈴花は震えながら私の腕にしがみつく。

「大丈夫よね?」

 目に涙を一杯ためて、懇願するような眼差しで私を見つめる。

「ああ、大丈夫だとも」

 やがて電話を終えた鈴花父が戻ってきた。

「石村くん悪いが、今日のところは帰ってくれないか。少し鈴花と話がしたい。キミの気持ちは充分に理解している。感謝している。相談してくれたこと、鈴花のことを愛していると言ってくれたこと。わかっている。ちゃんと鈴花と話したい」

 先程の電話は、おそらくは鈴花父の会社からであったろう。何か脅迫めいた事を言われたのかも知れない。しかし、今はそれを追求することはできない。

「わかりました。また何かわかったら連絡します」

 そう言って部屋を出た。鈴花と鈴花母が玄関まで見送りに来たが、最後に鈴花母に自らの決心を伝えた。

「私はいつでも父と戦います。鈴花さんを守って見せます」

「ありがとう。鈴花、駅まで送って差し上げて」

 そういって鈴花の背中を押した。

「はい」

 鈴花も素直に私と一緒に玄関を出た。

「さっきの電話、キミのお父さんの会社からだと思う。父が色々と手を回しているに違いない。先に会っておいてよかったよ」

「うん。ねえ、このまま・・・」

 何かを訴えかける鈴花の目はすでに潤んでいた。私も鈴花を求めたい。そう思った。

 船橋駅の裏手にある繁華街の奥に怪しげな建物がある。もちろんそのための施設だった。私は鈴花の手を引いて、その怪しげな建物の中に入っていった。

 二人の肌は激しく燃え、求め合った。崖っぷちに立たされていることも理解していた。離れたくない!二人の本音はそれだったに違いなかった。

 最後の息遣いとともに猛烈な孤独感に襲われる私たち。鈴花はずっと私の腕の中で泣いていた。

 こんな運命ってあるか。私は天を自分の人生を恨んだ。

 情事の時間は終わった。私は自宅に、鈴花は両親と暮らす家に帰らねばならない。特に今宵は鈴花にとって忘れられない日になるかも知れない。

 いつもなら気軽な会話で済ませる別れの時が、今日はやけに重過ぎる。時が止まればいいのに、このときほどそう思ったことはなかった。

「そろそろお帰り。きっと明日も会えるから。そうだ、明日はウチにおいで。もう誰の目も気にすることはないんだから」

「うん」

 目を真っ赤に染めながら震える唇で「明日」とだけか細い声で絞り出した言葉。そのときの目と声がずっと頭の中で木霊していた。


 マンションに帰ってからも、別れ際の鈴花の目と声が脳裏から、そして耳から離れなかった。ベッドに入っても中々眠れず、たまらず酒を煽ったが、それでも眠れなかった。少し身体を動かそうと外に出てストレッチなどしてみたが、ますます目が冴えるだけだった。

 何気なくテレビのスイッチを入れると、深夜のニュース番組が流れていた。

 はじめは所在なく聞いていた程度だったが、次のニュースに切り替わったとき、私は金縛りにあったように動けなくなった。

『只今入りました情報によりますと、帝国石油と菱蔵商事が業務提携に向けて検討に入ったということです。帝都石油は今年の二月、小池興業との共同運営によるレジャーランドの開発に着手しておりましたが、最終的に折り合いが合わず、多額の負債を抱える結果となりました。帝国石油側はこれを挽回すべく新しい事業展開を菱蔵商事とともに考えていると言うことです』

 もう動き出している・・・。早くなんとかしなければ。気ばかりか焦っていた。


 なかなか眠れない夜を過ごし、気の晴れない日曜日の朝を迎えた。

 私の気分とは裏腹に秋晴れの良い天気だ。涼しい風も心地よい。

 テレビをつけると、朝から例のニュースを報道していた。刻一刻と迫る決断の日。もうこれ以上待てない。今日は鈴花が来る予定だ。鈴花父の意志を持って。それによっては、今夜にもここを立つことになるだろう。そう思った私は身の回りの整理を始めた。

 マンションの管理人への連絡、手持ち金の整理、売却できるものの整理など。元々荷物の少ない部屋だったが、テレビ、冷蔵庫、ソファーなどの処分は管理会社に任せるしかなかった。

 あとは鈴花からの連絡を待つだけになった・・・。

 しかし、なかなか連絡はこなかった。一度電話を入れてみたがつながらない。

「もしや・・・」

 私は居ても立ってもいられず、すぐさま船橋の鈴花の家に向かった。


 駅を降りて、鈴花の家まで一直線。ただひたすら走った。ぜいぜいと息が切れる。それでも構わず足を動かした。

「はあ、はあ、はあ」

 肺が破裂しそうなくらい走りに走って鈴花の家の前に着いた時、聞き覚えのある犬の鳴き声が聞こえた。

 犬は私に向かって吠えている。何かを知らせようとしているのか。

 私は呼び鈴を鳴らした。しかし、家の中は静まり返ったままだった。探るように中を覗き込んでみたが、誰かがいる気配もなく、木魂も帰ってこない。

「何かあったに違いない」

 私はその場で鈴花のケータイをコールした。何度も、何度も。

 しかし、やはり応答する気配はなく、呆然と佇むしかなかった。


 私は怒りを感じていた。もちろんその矛先は父である。何としても鈴花を取り戻さねば、その想いだけで田園調布を目指していた。

 家の前に到着すると、猛り狂うように呼び鈴を鳴らす。すぐさま山口がすっ飛んでくる。

「これはお坊っちやま、いったい何事で?」

「石村忠信は在宅か!義忠が参上したと伝えよ!」

 そのときの私の形相は鬼のようだったに違いない。怒りに任せて自分を抑えきれなくなっていたことは確かだ。

 私は山口の返答を待つまでもなく玄関まで歩を進め、荒々しく扉を開け放った。

 玄関先では母が待ち受けていた。まるで私が訪れる事をわかっていたかのような表情だった。

「来るだろうと思ったよ。お入り」

 私は先日同様応接室に通された。しばらく待たされた後、父が現れた。

「なんだ、この忙しい時に。それとも、ようやくあきらめてウチに帰ってくる決心でもついたか?」

 しかし父の言葉は私の耳には入らず、

「佐々木親子をどこへ隠した!おおよそどんな脅しをかけたのか知らんが、卑怯な真似はよせ!」

 すると父は首を傾げながら、

「何のことだ?ワシの方では知らぬことよ。圧力をかけたのだとしたら、小林物産ではないのか?」

「その小林物産に圧力をかけたのはあなたでしょう」

 私の声は必然的に唸りをあげていた。

「ワシは知らん。たといそうだとしても今更どうしようもあるまい!」

 今度は父も声を荒げた。そして、目の前でワナワナと震えている私にこう言った。

「もはやワシがどうこうできる問題ではない。現実を見よ、未来を見よ、そして儚き女を見よ。貴様がなすべきこと、すでに選択肢は一つしかないものと思え」

 突然目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちた。私は負けたのだ。



 途方に暮れた。愕然とした。父の力はそんなにも強大なのか。

 残された可能性は、明日、会社で鈴花に会い、そのまま出奔してしまうことである。それ以外に方法はない。

 そのことを、そのことだけを胸に秘めて出社したが、そこでも私は再び悪夢を体験することとなる。

 始業時刻少し前、加藤専務と原田設計部長が皆を呼びつけた。

「佐々木くんだが、今日付けで退職することとなった。何でもお爺さんの介護が必要で長野に家族総出で引越しするらしい。お爺さんは地元では相当な資産家らしいから、後継事情もあるのかも知れないね」

 私は愕然とせざるを得なかった。かなり大掛かりな仕掛けを仕組んでいる。それほどまでに父の野望は凄まじいのか。

「それから石村くん」

 加藤専務が私を名指しで呼んだ。今までさほど面識のなかった私を。

「ちょっと役員室まで来てくれんか」

 私だけでなく、周りにいる社員全員が摩訶不思議な表情で私を見ている。何をやらかしたのだろう、そんな懐疑的な視線であった。


 加藤専務が部屋を出た後、私はいったん自分のデスクに戻ったが、すぐに原田部長が寄ってきて、

「石村くん、いいから早く役員室へ行っといで。急ぎの仕事はないんだろ?」

 なぜか急かすように私を追い立てた。まるで、この部屋から追い出すかのように。

「はい」

 私は力無く、その命令に従うしかなかった。もはや途方に暮れるだけの抜け殻となっている自分を感じた。

 鈴花のことが心配ではあるが、まずは目の前の困難を解決せねばなるまい。私は階上にある役員室を訪ねた。部屋に入ると、加藤専務をはじめ、菅井常務に長濱本部長、さらには渡邊社長まで並んで座っていた。緊張のあまり、随分と顔がこわばっているのがわかった。すでに私の思考回路は破壊された後である。

「石村です。お呼びでしょうか」

「そこへ座りたまえ。キミを呼んだのは他でもない。役員全員一致の決定事項だが、本日付けを持ってキミを解雇処分とする」

 再び私の脳天は打ち砕かれる。突拍子もない話に頭が真っ白になる。これも父の差し金か。

「理由は私文書偽造による職務違反だ。キミは入社時に『自己身辺リポート』というのを書いたのを覚えているか?その中でキミの両親についての設問があっただろう」

 確かにあった。私は家を出ていた身である。その設問については『無し』と回答したはずだ。

「キミは帝都石油の時期社長の御子息ではないか。このような重要なことを正確に伝達されていないとは。もはや間違いでしたでは済まされん。よって私文書偽造により解雇処分とするものである。懲戒ではないので退職手当金は出してやるが、明日からは出社しなくても良い。原田部長にもそのように伝えてある」

 私はその場に膝から崩れ落ちた。そして地団駄踏んで歯を食いしばるしかなかった。父はすでに用意周到といえる完璧な作戦を実行していたのである。

「これも父の差し金ですか?」

 私の問いかけに加藤専務が答えた。

「ウチも帝都石油さんと喧嘩する気はないのでな。すまん。しかし、キミはウチなんかで燻っているより、お父様のあとを継いだ方がいいのではないのかね?」

 すでに加藤専務の言葉も耳には入ってこない。私は肩を落として役員室を後にするしかなかった。

 設計部に戻ると、原田部長が待ち受けており、

「キミのことはすでに皆んなには話した。気の毒だが、重役会の決定だ。身辺整理を済ませて、今日中に退社してくれたまえ」

 部長をはじめ、みんなの目線が痛い。どのように知らされたのかはわからないが、解雇されたことは確実に伝達されたようだ。すでに部署内で私を擁護する者はいない。そんな感じだった。




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