【石村義忠の章】=親密な=
それから数カ月後の初秋の頃、私たちは富士山の八合目にいた。
私たちの交際は順調で、口の硬い先輩方のお陰で、社内でも知られざる事項となっていた。鈴花に言い寄る男どもも後を絶たなかったが、私にモーションをかけてくる女性も皆無ではなかった。そんなお互いを見ながら、デートを重ねていた。
初秋の連休は、誰に気兼ねする事なく堂々と密に会える数少ない期間である。この期間を利用して今回の旅行を計画したのであった。
今日の目的はもちろん頂上にあったが、急な天候の変化で停滞を余儀なくされていた。霧と靄がかかって、前方の視界がままならないのである。
本当ならば、頂上へ到達した時にプロポーズをしようと思っていた。しかし、この天候が続くようだと、今日の決行は困難になりそうだ。
思えばこれが私たちの運命の兆しだったのかもしれない。
私たちを含めた登山隊一行は、これより先の登山をあきらめ、日の暮れないうちに下山する決断のやむなきとなった。
五合目にクルマをパークさせていた私たちは、わずかな間だけの仲間たちと別れを告げ、一路東京へと向かった。
「残念だったね。一度、日本一の景色を見たかったわ」
鈴花はいかにも残念がった。もちろん私とて初めての挑戦だったので、是非とも成功させたかった。いや、プロポーズのためにも。
「また今度、夏に来てみようよ」
「そうね。七月がいいかしら。それとも八月かな」
「今度、一番いい時期を調べておくよ」
私にとっては山登りの時期よりもプロポーズのタイミングの方が大事である。頭の中はそのことでいっぱいだった。
ゆとりある計画ならば明日に再チャレンジでも良かったのだが、明日には明日の計画があり、やり直すわけにはいかなかった。
計画が白紙になった今、今宵の宿での過ごし方を再考しなければならなかった。本来ならば、プロポーズを受け入れてもらって、晴れて婚約者としての夜になるはずだった。最初から祝いの席は東京に戻ってからと思っていたので、特に晩餐に困ることはなかったが、私のモチベーションは上がらなかった。
その事が気になってため息が増えていたようで、鈴花が心配したくらいだった。
「どうかした?頂上まで行けなかったのがそんなに悔しかった?また行けばいいじゃない」
などと慰めてくれる。
「ああそうだね。計画通りにならないものだね」
この頃から、私の計画には少しずつ歪みが生じていたのかもしれない。
「明日はどこへ行くんだっけ?」
鈴花は無邪気な様子で明日の話をして来る。そうだ。もう明日のことを考えなければいけないのだ。
「明日は伊豆の動物園だよ。ボクが一度行きたかったところ」
「ふーん。そんなとこに動物園があるんだ。動物園なんて、上野や多摩でもよかったんじゃないの?」
「いや、伊豆じゃなきゃダメなんだ。群馬でも良かったんだけど、そっちはいつでも行けそうだから」
鈴花には内緒にしているが、伊豆の動物園というのは普通の動物園ではない。私が大学時代、少し変わったサークルに入っていたことを覚えておいでだろうか。そう、伊豆の動物園は爬虫類専門の動物園なのである。
ここは今回の旅行の中でも私が最も楽しみにしていた場所の一つでもあった。
もちろん、鈴花の行きたいところのリクエストだってプランに入っている。それは富士急ハイランドであり、最終日の予定に組み込んでいる。と言う具合に、全ての日程ごとに行き先を決めてある旅行なのだ。
プロポーズは次の機会をプランするしかなさそうだ。
心機一転、伊豆に向かった私たちは、途中にあるシャボテン公園で軽く観光を済ませ、いざ爬虫類動物園へと向かった。
そこは入口にしてすでに蛇のキャラクターがデカデカと掲げられており、それを見た瞬間、鈴花の足が怯んだ。
「ねえ、もしかしてこれって蛇の動物園?」
「そんなことないよ。カメやトカゲもいるよ」
私は涼しい顔をしてスタスタと入場門に向かって歩いて行く。
「ボクが大学で入っていたサークルの話をしなかったっけ?」
「聞いたわ。まさか本当だとは思わなかった。わたしもいかなきゃダメ?」
本当ならば、プロポーズのあと、
「ボクの奥さんになるなら、これぐらいは慣れてくれないと」
なんてセリフを言いたかったのだが、残念ながらそれはフイになっている。
「いずれ、蛇を飼いたいと思ってるんだけど。大丈夫。よく見れば、可愛い顔してるから」
私はそう言い聞かせて鈴花の手を引っ張った。
「ううう」
ここまで来て帰るわけにもいかない鈴花は、多少ぐずりながらも私の腕にしがみついて入場門をくぐる。
最初の出演者は大トカゲであった。いきなりの大物にたじろぐ鈴花。私はその肩を抱いて引き寄せる。次のスターは蛙たちであった。色とりどりの毒ガエルたちがフロアを賑やかせていた。そこからしばらくはスネークゾーンだった。よく見かける日本由来の種類がラインナップされている。そして一旦ワニ広場になり、次いで亀の楽園となり、やがて再びスネークゾーンに入る。ここでは外国でしか見かけない蛇が集結している。中でもキングコブラが間近に観察できるのは嬉しかった。
私は私なりに、鈴花は鈴花なりに興奮し、ある程度見慣れた頃には、鈴花も前のめりでショーケースの中を観察していた。館内のレストランではワニのカレーを食べたり、土産物屋では蛇のアクセサリーを買ったりもした。
これで少しは私の趣味も理解してくれたかな。そう思える一日だった。
翌日は鈴花のリクエストによる富士急ハイランドに行ったが、ここは遊園地なので、ごく普通のカップルのデートになったとさ。
慌ただしく過ぎたシルバーウィークも、私にとってはやや心残りがある旅行となってしまったが、二人にとってはかけがえのない思い出の旅行となった。
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