第45話 クロードの考察


 パトリシアと共に自室に戻ったクロードは、彼女に少し気分転換をさせたいと考え、バルコニーへ出てみることにした。


 窓を開けると、爽やかな風が吹き抜けていく。


 眼下には素晴らしい眺めの庭があり、その先にはひっそりとした森が続いていた。


 ――そっと包み込むように彼女を抱き寄せる。


 パトリシアはクロードに抱きしめられると、体から力を抜き、安心した様子で寄りかかってきた。


 言葉は要らなかった。彼の愛は、彼女に回した腕から、そして全身から、余すことなく伝わっていることだろう。


 パトリシアが腕の中にいると安心できる。――どこにもやらない――君は僕の全てだ。


 これで本当の意味でブレデルと決別できた。内心ではハラハラしながら見守っていたけれど、パトリシアはよく頑張ったと思う。感情的にならず、きちんと思いを伝えていた。


 聖泉礼拝ね……クロードは庭を眺めおろしながら考える。


 役割を押しつけられた王妃は笑顔をなくし、粛々と務めを果たしていたと聞いている。――けれど、おかしくないだろうか? 聖なるものに触れているのに、どうして不幸な顔つきになる?


 ケイレブ聖泉というけれど、他国の人間からすると、あの光景はただ異様なだけだった。あれが聖なる泉? 本当に? 祝福とは程遠い存在ではないか? 初めて見た時から、良い気持ちにはならなかった。


 まず、泉の周辺が石碑で囲われていたことへの違和感。聖なる泉がなぜ歴代王妃の墓で囲まれているのだ? ――あの陰鬱な眺め。禍々しく、呪術めいてはいなかったか。


 そして奇妙極まりない、『嘘をついてはいけない』という、あのルール。


 ――これは推測になるのだが、おそらく初めは、『聖なる儀式を行うのですから、日頃から正直でいましょう。心を清く保って』くらいのものだったのではないか。年月がたつ内に、それが歪められて伝わっていった。


 より厳格に、強制力を伴って。


 儀式を担当する者たちは、相当窮屈な思いをしてきたはずだ。


 ――とはいえ、『嘘をついてはいけない』という縛りがあるだけで、あそこまで周囲との関係がこじれるものなのだろうか、という疑問は残る。それにより人間関係が多少ギクシャクすることがあっても、周囲が優しさを持って接していれば、当人はありのまま無理をせずにすごせたはずではないか、と。


 現にパトリシアは、クロードと一緒にいる時、嘘がなく、自然体で、よく笑っていた。クロードは彼女のことを魅力的な女性だと思った。ところが国にいた時の彼女は、不運に不運が重なって、誤解を深めていったようである。


 たとえば運命に何とおりかのパターンがあるとして、彼女はその中から一番悪いルートを選ばされていた――そんな気がしてならない。


 それこそが歴代王妃たちが残した、怨嗟の呪いなのではないか?


 もちろん、儀式を担当してきた歴代王妃たち、全員が全員、不幸だったはずもない。そこは伴侶の人間力次第という面もあったのかもしれない。


 それでも嘘を禁じられるのは、生きづらいことには違いないから、不幸になる王妃が何人も出てくる。――何人も、何人も。歴史は繰り返し、数は増え続ける。


 怨念は積もりに積もり、時を経るごとに強まっていったのでは? 現役時代に苦労すればするほど、後任が自分よりも楽をすることが許せなくなった、王妃たちの情念が。


 『愛想笑いを禁ずる』というあの独自ルールなどは、そのことをよく表している気がする。あんなことを強要されるのが、神事だとでも? 底意地の悪い人間が考えた、嫌がらせだとしか思えない。


 長い年月をかけ、負の空気が醸成されていった。それがケイレブ聖泉に超常的な何かを与えた。


 破滅の流れを作ったのは歴代の王妃たちで、とどめを刺す役目になったのが、グレース王太后なのだろう。


 ――彼女は今、安らかな気持ちでいるのだろうか。滅びゆく国を眺め、何を思うのか。


 グレース王太后は早くに夫を亡くし、儀式を一人で担当してきたと聞いている。


 最期の時が迫り、グレース王太后は、虐げられているパトリシアの姿に、自身の若かりし頃の苦労を投影してしまったのではないか?


 若くして夫を亡くした寂しさ、つらさ。そして長年の患いにより、体は耐えがたい苦痛を訴えている。――幸か不幸か、生命維持に必要な内臓だけは健康だったのかもしれない。だから起きて出歩くことは叶わないのに、死ぬこともなく、あの年まで生き続けた。楽しみもなく、苦しいばかりで、寝床でただ息をしているだけの生活。


 彼女を追い詰めるには十分だっただろう。おそらくグレース王太后は心の病でもあったのではないか。


 彼女は国と共に死ぬことにした。自分だけ病気で死んでいくことに耐えきれず、全てを巻き添えにしたかった――グレース王太后の無軌道な行動はそのように見えてしまう。


 けれど可愛がっていたパトリシアだけは、特別だった。大切な彼女だけは、滅びゆく国から逃してやることにしたのだろう。


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