第44話 アレック、パトリシアと面会する②


「アレック殿下、私にお話があるのでしょうか」


 パトリシアから声をかけられ、アレックは舞い上がってしまった。彼がもう少し落ち着きを取り戻していれば、パトリシアの毅然とした態度や、一線を引いた声の調子に気づけたはずである。


 けれど彼はまだ夢を見ている状態だった。


「実は、とても困っている。その……分かるだろう?」


「何がでしょう?」


「聖泉礼拝のことさ。――ロザリーには無理だった。彼女には君の代わりは務まらなかったよ。当然の話だ」


 パトリシアはブレデル国の現状を知らされていなかったので、彼の訴えに戸惑いを覚えていた。(これはクロードがあえてそうしていたためである)


 完璧なグレース王太后殿下がついていながら、どういうことなのだろう。


「……グレース王太后殿下に相談されては?」


「祖母はロザリーへの教育を諦めてしまった」


「なんですって?」


さじを投げたんだ。健康状態も悪化していて、また寝室に引きこもってしまわれた」


 このことにパトリシアはショックを受けた。グレース王太后殿下のことが心配で仕方ない。


 けれど思い返してみれば、グレース王太后殿下はここ何年も寝室に籠りきりだった。――パトリシアがアレック殿下との婚約を破棄され、聖泉礼拝担当から外されたあと、グレース王太后殿下がロザリーの教育を買って出たけれど、ずっと臥せりがちだったのに、一時自由に出歩けていたことのほうが奇跡なのだ。だから元に戻っただけ、といえるのかもしれない。


 そして匙を投げられたというロザリー。


 パトリシアから見たロザリーという女性は、自分をしっかり持っている印象だった。誰かに否定的なことを『一』言われたとしたら、自分に非があったとしても、きっちり『十』返さないと気が済まないタイプ。どんなことでも感情的に処理する性分で、論理的であることを好むグレース王太后殿下とは相性が悪いかもしれない。


「――グレース王太后殿下に、お大事になさってくださいとお伝えください」


 パトリシアはグレース王太后殿下から、二度と会わないと申しつけられたことを思い出していた。


 だけどそう……お手紙を出すくらいなら、許されるかしら? 嫌なら捨ててしまわれるだろうし……お体を気遣う文面なら、大目に見ていただけるかも。


 そんなことを考えながら、一番気になったグレース王太后殿下のことに触れると、アレック殿下が『正気を疑う』とでも言いたげな顔つきでこちらを見てきた。


「はぁ? それだけ?」


「それだけ、とは?」


「聖泉礼拝に問題が出ているんだよ? 君は――それなのに君はなんとも思わないの?」


 パトリシアの眉根が寄る。


「何を思えとおっしゃるのです?」


「だって君が担当者なのに」


「私は前任者です。私を外すとおっしゃったのは、アレック殿下、あなたですよ」


「僕じゃない! グレース王太后殿下がそう決めたから――」


「いいえ、あなたです。アレック殿下」


 パトリシアは真っ直ぐにアレック殿下を見つめ返した。その瞳に怒りはなく、ただ静かだった。そして怒りが微塵もないことから、一切心が揺れていないことがうかがえた。


 アレックは正しく理解した。――彼女は欠片ほども、こちらに関心がないのだと。


 いつからだ? いつから彼女は、僕を愛さなくなったのだ? ――いや、そもそも愛していた時期があったのか?


 彼女との最後のダンス――あの場ではっきりと言われたではないか。――愛しておりません、と。――ああ、そうだ――どうしてあれを簡単に流してしまったのだろう? 嘘をつけない彼女が告げた、真実の台詞だったのに!


 アレックは結局、自分が信じたいことを、信じたのだ。――彼女の関心がこちらに向いていないことを認めたくなくて、向こうは意地を張っているだけだと、無理やり思い込もうとした。勝っているのはあくまでもこちらなのだと、自分に言い聞かせて。愛に勝ち負けなどないというのに。


「あなたはおっしゃいました。――私には二度とブレデルの地を踏ませない、と。私から故郷を奪ったのは、あなたです」


「それは撤回する、パトリシア」


「あの場で、会話は全て公的な記録として残すともおっしゃっていましたね。王族として、発言に責任を持つべきではないですか。……それに私、ブレデル国では皆から嫌われていました。あなたが発案した劇の影響で、国の安全を脅かした悪女だと罵られた。大勢から、よってたかって。汚物を投げつけられたこともありました。あなたの国の民は、私が行ったら迷惑すると思いますよ」


「許してくれ……」


 アレックはこの期に及んで、まだパトリシアの慈悲に縋ろうとしていた。彼はおそらく、パトリシアと今後も繋がりを持つことを望んでいる。


 けれどパトリシアから彼に返せるものはない。いや……心のこもっていないものなら、一つだけお渡しできるかもしれない。


「聖泉礼拝の件でどうしてもお困りでしたら、やり方を紙に書きましょうか? ――このあと別室でお待ちいただければ、作成してお渡しできますよ。グレース王太后殿下の体調が悪いとのことで、口頭で聞き出すのも難しいでしょうから」


「パトリシア……」


「それから、アレック殿下。私のことをパトリシアと気安く呼ぶのはやめていただけませんか。私をそう呼んでいいのは、夫であるクロード殿下だけです」


 アレックは呆気に取られた。――夫だと? つまり二人はもう結婚しているのか? いつしたんだ? 早すぎないか? 嘘だろう? 目が回り、耳鳴りがしてくる。


 そんなことも知らずに、のこのこ隣国までやって来た間抜けな自分。


 確かにこのところ自国のトラブルに対処することで手いっぱいで、他国の情勢に気を配っている余裕はなかった。けれどアストリュック国側から通知もなかったではないか。自分はその知らせすらも貰えない立場なのか?


 改めて二人を眺める。――クロード殿下に触れられても、自然な彼女。もう彼女は、あの男のものなのか。彼はアレックですら知らないパトリシアのことを、全部知っているのか。


 パトリシアから静かに告げられる。


「聖泉礼拝で大切なことは、嘘をつかないことです、アレック殿下。儀式の流れは、そう難しいものではない。嘘をつかない――それさえ守れば、誰にだってできるのですよ」


 国に彼女がいた頃、アレックが繰り返しパトリシアに告げてきた台詞だ。――難しいことをしているわけではないはず。誰にだってできるだろう。


「――あとは自力で頑張ってください」


 それがパトリシアから告げられた、決別の台詞だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る