第32話 クロード×パトリシア③


「クロード殿下は、こちらのほうに来られるご用があって、ついでにお寄りくださったのではないですか?」


 この方がダウリング荘園を目当てにやって来ただなんて、到底信じられない。確かに人間、思ってもみないことは、口から飛び出しはしないものだ。――パトリシアは逆さにして振られたとしても、先のアレック殿下のような物言いはできそうにない。


「実はそうなのです。旅程がタイトなので、あなたの都合に合わせることができなかった。――こんなふうに朝も早い時間を指定してしまって、申し訳なかったと思ったのは本心です。部下にも、女性の身支度にかかる時間を分かっているのかと、あとで注意されました」


「まぁ」


 パトリシアはクロード殿下には驚かされっぱなしだった。


 はっきりとあるじに意見する部下は気骨があるし、それを許しているクロード殿下はそれ以上に豪胆だと思う。


 アレック殿下のことで落ち込みかけたパトリシアであったが、クロード殿下と向き合っていると、深刻な空気に浸ることは不可能であるらしい。


 パトリシアはふたたび笑い出してしまった。だって面白いんだもの。


「あなたはずっと楽しそうですね」


 クロード殿下に呆れられてしまったかしら? でも……


「ごめんなさい。クロード殿下がしきりに時間のことを気遣ってくださっていた、その理由が――なんと、私のメイク時間を考慮してのことだったとは! その発想が面白くて」


 笑いが治まらずに、眉根を寄せ、口元を両手で押さえてなんとかこらえる。クロード殿下はといえば、瞳を優しく和らげてこちらを眺めていた。


「笑い上戸ですか?」


「いいえ、まさか! 私、普段は本当に笑わないのです。お聞きになっていませんか?」


「ああ、聞いていますよ」


 彼があっさり認めたので、本当に率直な方だわ、と感心してしまう。


「事情があって、私、長いあいだ嘘がつけなかったのです。愛想笑いも禁じられていました。それに慣れてしまって……」


 今は儀式担当から外されたので、嘘をついても愛想笑いをしても問題はないのだが、長い年月をかけて身についた癖は急に変えられるものでもない。


「それは聖泉礼拝を行う関係で?」


「ええ」


「儀式についてもう少し詳しくお伺いできますか? でも神事の内容だと、極秘扱いなのかな」


「いえ、問題はないと思います。口止めはされていないので」


 アレック殿下からは、聖泉礼拝について、周囲に隠しごとをするなとしつこく念押しされている。――隠すことで自らを立派に見せようとするな、卑怯だ、と。


 パトリシアとしては隠すつもりもなかったし、自分を立派に見せようというつもりもなかったから、隠し立てするなという指示に従うことに異論はなかった。


 それでクロード殿下に、儀式の流れをかいつまんで説明することにした。


 ――聖歌を歌ってから、聖書の朗読、そして『感謝』と『交流』のメインパートへ進むことなど。


 クロード殿下はあまり口を挟まず、興味深げにそれを聞いていた。やがて説明が一段落すると、


「ケイレブ聖泉を見ることはできますか? 遠目でもいいのですが」


「ええ。――外に出なくても、この部屋から眺めることができると思います」


 パトリシアは彼を北窓のほうへいざなった。先程クロード殿下がやって来るのを覗き見していたのとは違う窓だ。方角的には反対側になる。


 窓のところに並んで立つと、クロード殿下の存在をとても近くに感じた。自分の肩が彼の二の腕のあたりに触れたことで、ドキドキしてしまう。


 体が彼に触れても、嫌な気持ちにならないわ……パトリシアはこのことを少し不思議に思った。


 アレック殿下とは少し距離が近づいただけで、胃がズシンと重くなり、すぐに身を引きたい衝動に駆られたものだった。それで『自分は男性恐怖症なのだろうか?』と実は心配していたのだ。けれどそんなこともなかったみたい。


「……遺跡のようだね」


 クロード殿下が瞳を細めるようにして、窓の外、百メートルほど先にあるケイレブ聖泉のほうを眺めて呟きを漏らした。


 ケイレブ聖泉の周囲、上座にあたる部分の半円を、巨大な石碑がずらりと立ち並び、取り囲んでいる。


 明るい窓辺に立つと、彼のグリーンアイが色合いを変えたように感じられた。クリアで、宝石のように綺麗だった。特別な輝きを秘めているのに、彼本来の特性はそのまま残っていて、新緑のように物柔らかでもある。


「あれらは聖泉礼拝を行ってきた歴代の王妃たちの墓石なのです」


「墓なのですか?」


 クロード殿下は虚を衝かれた様子だ。彼の驚きを目の当たりにして、パトリシアは『今まで普通に思っていたことでも、外部の人からすると、変だったりするのね』ということに気づかされた。それでなんとなく改まった気持ちになり、自分もケイレブ聖泉を眺めてみた。


 そういえば、パトリシアも違う角度からケイレブ聖泉を見るのは初めてのことである。こうして離れた場所から俯瞰してみると、こんなだったかしら? と違和感を覚えた。


 いつも現地に足を運び、近くで接してきた。――聖なる泉と崇めてきたけれど、なんだか……


 クロード殿下と並んだ状態で眺めてみると、泉の水は暗く、寒々として感じられる。なぜかしら。


「ブレデル国はかんがい農業が主流ですね」


「そうですね。ケイレブ聖泉から湧き出た水がヘナベリー川に流れ込み、国を縦断する形で、南へと下っていく。その聖なる水を利用し、作物を育てるのが、正しい在り方だと教えられています」


「ところがダウリング荘園は雨水を利用した天水農業を行っている」


「ええ」


「ブレデル国からすると、ヘナベリー川の恩恵を受けていないから、価値がない?」


「国としてはそういう考えです。でも私……」


 パトリシアは躊躇ってから、思い切って続けた。


「聖泉礼拝を行ってきた身で、こんなことを言うのはおかしいのかもしれませんが……ダウリング荘園は素晴らしい土地だと思っています。もしかすると、ブレデル国の中で一番……」


「ちっともおかしくありませんよ。僕もそう思います」


 二人とも、自分たちの縁談に絡んだ土地の価値を話し合っているのに、別段それを欲している口調ではなかった。褒めてはいても、他人事のような熱量である。ただ客観的に語るだけで、根本に欲がないからこそ、ブレデルの異常性に得体の知れない恐れを抱いている。


 互いの視線がしっかりと絡んだ。パトリシアの瞳は不安げに揺れていた。クロードはそれを眺めおろし、聖泉礼拝は彼女にとって、実にデリケートな話題なのだと悟った。


 たとえばこれが過去の色恋沙汰か何かだったら、彼女の気が重くなったことについて、深く掘り下げはしない。けれどクロードはこれについてもっと知っておくべきだと感じた。


「二百年前、ブレデル国で大飢饉が起きたらしいのですが、それについて何か知っていますか?」


「いいえ」


 自国のことなのに、パトリシアはそれを知らなかった。――妃教育を受けていて感じたことだが、ブレデル国は過去の栄光を学ばせるのは積極的だけれど、負の歴史については厳重に蓋をして隠そうとする。


「その飢饉について、気になる記述がありました。『聖泉礼拝で失敗が続き、そこから良くないことが次々起こった』とブレデルの王族が語ったという内容です。――私には意味がよく分からなかったのですが、あなたの見解では、それは起こりえることですか?」


 パトリシアは少し考え、やがてゆっくりと頷いてみせた。


「起こりえることだと思います」


 具体的に説明しないと、クロード殿下には伝わらないだろう。そこでパトリシアは、儀式が失敗した時どうなったかを話して聞かせることにした。


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