第31話 クロード×パトリシア②


 二人は向かい合ってソファに腰かけた。


「お待たせしてしまいましたか」


 クロード殿下の話し方は、さらりとしていて自然なのに、どこか温かみがあるようにパトリシアには感じられた。


「いいえ」


 彼がやって来たのは、約束の時間ぴったりだ。


「お会いする日時を一方的に指定してしまい、申し訳なかった」


 さらにそんなふうに詫びを入れられ、パトリシアは驚いてしまった。


 二国間の力関係を考えれば、大国の王子であるクロード殿下が、パトリシアに対して何かを一方的に要求したからといって、謝罪するようなことではない。ところが彼は、当たり前のようにパトリシアを対等に扱っている。クロード殿下の物腰は真摯であり、上辺だけでなく、ちゃんと言葉に心がこもっているのが分かった。


 パトリシアは柔らかな視線で彼を見遣る。


「やはりクロード殿下はとてもご親切ですね」


「そうですか? 普通だと思いますよ」


 ざっくばらんな台詞。パトリシアはくすりと笑みを漏らしてしまう。


 ――クロードは彼女の笑顔を目の当たりにして、実はかなり驚いていたのだが、賢明にも表情には出さないようにした。野性の小動物がそろそろと近寄って来た時に、急に動くと驚かしてしまうから、じっと待つような要領で。


 そして彼は内心、『笑わぬ女と陰口を叩いたやつ、全員、無責任な発言の責任を取るべきだ』と考えていた。


「ですがクロード殿下は、時間指定の件で私を気遣ってくださいました」


「口先だけの言葉だとは考えないのですね」


 そう言われ、パトリシアは小首を傾げてしまう。


「クロード殿下が口先だけでものを言う方ならば、出会ってすぐに、歯の浮くような台詞で、私の容姿を褒め称えたのでは?」


「なるほど。――今の指摘で、自分の失態に気づきました。先にあなたの容姿を褒め称えておけばよかったな。無粋な男だと思われてしまう」


 彼の冗談めかした台詞に、パトリシアはとても楽しい気分になった。ニコニコと彼を見つめる。


「容姿は褒めなくて結構です」


「なぜ? 褒められるのは、嫌い?」


「たぶん好きですが……」


「たぶん?」


 今度は彼が楽しそうに笑う。


 パトリシアは『こんなに話しやすい人は初めてだわ』とこっそり感心していた。


 ――ならば今の自分は心底リラックスできているか? パトリシアは自問してみて、だけどそんなこともないのだわ、と自身の不可思議な状態を自覚するに至った。安らぎを覚え、彼に信頼を寄せ始めているのに、鼓動はいつになく速い。


 たぶん……普段の自分なら、もっと慎重に物事を進めているし、言葉ももっと選んでいるはず。彼と話していると、馬鹿げたことをつい口走ってしまいそう。


 落ち着きなさい――そう自分に言い聞かせてみるのだけれど、彼の瞳を見つめていると、引っ張られるように、素の自分が顔を出すのだった。


「ねぇ本当に、気を遣わなくても大丈夫なんです。……だってもしも容姿を褒められたとしたら、あなたのことも褒めるようだから」


「僕を褒めるのが嫌なの? なんだか気が進まないような口ぶりだ」


「だって、恥ずかしいわ」


 やっとおさまった赤面がまたぶり返してきた。


 彼は相変わらず楽しげに笑っている。クロード殿下が楽しそうなので、パトリシアは彼を眺めるうちに、やっぱり笑みがこぼれてしまうのだった。


 するとクロード殿下の纏う空気が少し変化したように感じられた。――パトリシアが彼から読み取ったのは、安らげる場所に辿り行き、一息ついている時のような、ひっそりとした静けさ。


「……君はよく笑う人だね」


 彼の瞳はとても優しい。パトリシアはそれに強く惹きつけられながらも、台詞のほうにも驚かされていた。


「私、そんなに笑っていますか?」


「自覚がないの?」


「ええと……どうかしら」


 パトリシアは困ったような顔つきになる。


「私の気が緩んでいるとするなら、それはたぶん、あなたがすごくいい人だから、かしら」


「僕のことは褒めないんじゃなかった?」


「そうだった。でも私……本当にそう思ったの。あなたは朗らかで、思い遣りがあるわ」


 心を込めて伝えた。本心からの台詞なのに、クロード殿下はさらりと流してしまう。


「そう判断するのは早計じゃないかな? 『いい人』だと思い込んでしまうと、後々がっかりすることになるかもしれない」


「そうかしら? そうは思わないけれど」


「なぜ?」


「だって……先程のクロード殿下の気遣いは、あなたにとって、なんの得にもならないものでした。殿下ほどの身分なら、面会日時を一方的に指定しても許されるし、私に詫びる必要なんてないのですから。あなたはたぶん本心から、私を振り回したと考えていて、それをなんだか申し訳ないと思える人なんだわ。傲慢な人なら、絶対に口から出てこない台詞です」


 浅慮な人が上辺だけ取り繕おうとしても、やはりそれなりの内容にしかならないものだとパトリシアは思うのだ。


「へぇ」


 クロード殿下が感心したようにこちらを見てきた。


「実はね、さっきアレック殿下からこう言われたのですよ。――『パトリシアについてくる持参財がよほど魅力的なのですね。こうして取るものもとりあえず駆けつけてくるくらいですから。クロード殿下を慌てさせてしまったのなら、申し訳なかった。そんなふうに必死にならなくても、ちゃんとダウリング荘園は差し上げます、焦らなくても大丈夫です、少し落ち着いてくださいとお伝えしてあげれば良かった』と。――確かに、はなから頭にない台詞は出てこないものだなと思いましたよ。相手に対して思い遣りがなければ、何を言っても、薄っぺらさが鼻につく」


 パトリシアは呆気に取られ、クロード殿下の端正な顔を見つめ返していた。


 アレック殿下が口にしたという、他国の王族に対する、正気を疑うような台詞の数々。ブレデル国の一員として恥ずかしくもあった。


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