第26話 国一番の嫌われ者


 アストリュック国第四王子との縁談が進められていることを、パトリシアはまだ知らない。パトリシアどころか、この件はグレース王太后殿下が強引に進めていたために、アレック殿下も把握していないのだった。


 彼女の周辺はこのところ目まぐるしく変化していた。


 アレック殿下が(隣国との縁談とは無関係に)パトリシアを本格的に排除しようと動き始めたため、カミングス侯爵もその妻も、娘である彼女をますます厄介者扱いするようになっていた。


 ――そんなある日、従妹のロザリーが養子に迎え入れられた。


 彼女の生家は子爵家であるが、カミングス侯爵家の養子となったため、侯爵令嬢となる。


 このことで、パトリシアは自らの終わりを悟った。――私は見限られたのだ――


 家族も、婚約者も、赤の他人も、皆が呆れ顔でこちらを見る。そして苦言を呈されることが増えた。以前も厳しい言葉をかけられることが時折あったが、ここ最近のそれは、過去の比ではなかった。


『あなたは常識がなく、優しさがなく、どうしようもない人間であるけれど、周囲にいる自分たちはこのとおり、大人として振舞い、あなたを指導して差し上げますからね。だからいい加減、ご自身で至らぬ点を恥じ、直していってくださいね』


 彼らの長々としたお説教を要約すると、おおむねこのような内容になるのだった。



***



 このところ下町ではある劇が人気を博しているらしい。それはロマンスも含んだ勧善懲悪の物語となっており、大衆に受け入れられやすい構成になっていた。


 ――ロージーという気立ての良い可愛い娘が、義姉のパティに苛められている。ロージーが物語のヒロインである。


 パティは底意地が悪く、陰気な女だ。関わる者全員に嫌味を言い、気に食わなければ、しつこくその者を苛め続ける。


 パティは策略を巡らせ、王太子の婚約者となり、聖泉礼拝を仕切り始める。しかしその性根の醜さから、儀式は失敗続き。それをいつもロージーにフォローさせて、威張り散らしていた。


 ロージーの可憐さを妬んだパティは、彼女を殴りつける。転倒し、意識を失うロージー。その日、聖泉礼拝をロージーがフォローできなかったので、災厄が町を襲う。


 孤児院が火事になり、子供が九人亡くなってしまった。けれどパティはまるで反省していない。気の毒な犠牲者の死を悼むこともなく、悪態をつく始末である。


 それに対し、心を痛め、『私が儀式をフォローしなかったせいだわ』と涙を流す、心優しいロージー。


(※一月ほど前、孤児院の火災が現実に起きており、その際に子供が三名亡くなっている。観劇した人々は、現実と劇とをリンクさせ、パティに対し憎しみを募らせることとなった。聖泉礼拝の性質上、儀式の失敗が火災を引き起こすことはありえないのだが、庶民にはそのあたりがよく分かっていない)


 ――王太子とロージーは恋に落ちる。そして王太子は悪女パティに制裁を下し、国から追放し、ロージーと結ばれる。平和を取り戻す王国。ハッピーエンド。


 こうしてパトリシアは国一番の嫌われ者となった。現実にパトリシアが使用している馬車が(パティの乗りものとして)劇中で正確に再現されたため、彼女は移動中、存在を特定され、脅威にさらされることとなった。


 ある日、聖泉礼拝を終えてカミングス侯爵邸に戻る途上でのこと。


 馬車のすぐ外から複数人の怒鳴り声が響いてきて、ガン、と扉を蹴られた。


 パトリシアは震えながら身を乗り出し、少し開いていた窓を閉めようとした。しかしそれよりも、外から石を投げ込まれるほうが早かった。小石はパトリシアの華奢な指に当たり、どこかに撥ねていった。パトリシアは小さく悲鳴を上げ、痛む指を引っ込めた。


 ――まだ窓は開いている――


 涙ぐみながら再度それを閉めようと試みたのだが、閉める直前、誰かが投げた馬糞が中に飛び込んで来た。そしてその一部がパトリシアの頬やドレスにかかった。――ひどい臭いだ。


 ハンカチで顔を拭うが、余計に悪臭がひどくなっただけである。


 御者が慌てて速度を上げ、ことなきを得たのだが、パトリシアはしばし放心状態のまま立ち直ることができなかった。


 ……この人たちのために、私は身を削って、聖泉礼拝をしているのか……胸をよぎったのは、消しようもない虚しさ。もちろん彼らの中には善人もいるのだろう。パトリシアが知らないだけで。王国のどこかには、きっと。


 けれどパトリシアはその善人を直接知らない。――関わる人、関わる人、みんながみんな意地悪だ。みんながパトリシアに悪意をぶつけてくる。


 こうした仕打ちを繰り返されると、彼らに対して愛情を抱くのはとても難しくなってくる。彼らを護りたいという気持ちがどんどん減っていき、今ではほとんど空っぽになっていた。


 聖泉礼拝は王妃となる者が行う決まりであるから、そのうちに婚約破棄されるであろうパトリシアは、その時点で権利を失う。


 仮定の話として、それでも陰ながら儀式を手助けしたいと願った場合――たとえば王宮で下働きをしながら、住み込みでサポートをする覚悟があったとしても、『悪女がケイレブ聖泉に毒を撒こうとしている』などと言いがかりをつけられかねないから、それは現実的に不可能であろう。心情的にやるつもりもないけれど、どのみち聖泉礼拝をパトリシアが続けることは不可能なのだ。


 いずれやめることが分かっていることだし、誰もパトリシアが儀式を続けることを望んでいないのだから、早く聖泉礼拝の任を解かれたいと願っていた。


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