第25話 クロード③
「おぼろげな記憶なんだが……歴史書で読んだのかな……あの分厚い、臙脂色の……」
クロード殿下は机上の木目を眺めながら呟きを漏らす。
「なんでしょう?」
「二百年ほど前、ブレデル国で大飢饉が起こったと書かれていた」
「それは存じませんね」
「ブレデル国の歴史を学んでも、当国では益がないとされているからな」
クロード殿下が淡い笑みを浮かべて見せる。――確かに、風変りな小国の歴史を真面目に学んでおこうという物好きはいないものな、とミラーは思った。
「飢饉の原因はなんだったのでしょう? 同時期、当国ではそんなことはなかったはず」
「かんがい農業に問題があったのかもな」
「なんの問題があったのでしょうかね」
「記述は短いもので、そこに『聖泉礼拝』が関係していると書かれていたような気がするんだ」
「なんと書かれていたんです?」
「とにかく要領を得ない記述だったな。だから印象に残っていたのかも。確か……聖泉礼拝で失敗が続き、そこから良くないことが次々起こった……とブレデルの王族が語ったとかなんとか」
「そんな、オカルトじゃないですか」
ミラーの顔が引き攣る。なんとも気味の悪い話だ。
「まだ続きがある。――その大飢饉の時に、作物を安定して供給し、国を支えたのが、ダウリング荘園だったらしい」
「天水農業をしているそこは影響を受けなかったんですね」
そうなってくるとますます、ダウリング荘園が手に入るのは、こちらとしてはおいしい話だし、それを手放そうとしているブレデル国はどうかしているということになる。
ミラーは複雑な形に眉根を寄せ、クロード殿下を見遣った。
「ブレデル国は、パトリシア嬢の持参財としてダウリング荘園を持たせる代わりに、奇妙な条件を提示していますよね?」
「あれも何がなんだか……どういうつもりなのか、意図が読めない」
頭の良いクロード殿下に分からないのなら、ミラーからすればもうお手上げである。もしも先方がこちらを気味悪がらせようとしているのなら、それだけは成功していると言えた。
「――エブリン石を運ぶ時だけ、通行料を無料にして欲しいというものですよね」
エブリン石は青い宝石で、ブレデル国の貴重な収入源になっている。しかしブレデルで採れるエブリン石の価値は、一年もたたずに暴落するだろうという情報が入っていた。――というのも、南の新大陸の鉱山に、良質なエブリン石が大量に眠っていることが分かったからだ。そちらのほうが色も鮮やかで、高い値がつく。ブレデル国はまだその事実を知らぬようだが。
当国ではブレデルのエブリン石は大分前から買い控えている状況にある。そこでブレデルは、当国を通過して、西側諸国にそれを売っているのだが、その際にアストリュック国を通過する際の通行料を、無料にして欲しいと申し出てきた。
宝石なんてそうかさばるものでもないし、それを運ぶ際の通行料を無料にしてもらったところで、ブレデルの受けるメリットなどたかが知れているはず。そんなことを大真面目に要求してくるのが、なんというかもう狂気の沙汰だった。
「正直、よく分かりませんねぇ。ブレデル国は自滅に向かって突き進んでいるように感じられるのですが」
「この話を進めているのは、先代の聖女と呼ばれたグレース王太后らしい。……もしかすると状況を全て正確に把握した上で、国を亡ぼす気でいるのかもしれないな」
クロード殿下の冗談は、なんだか冗談に聞こえない。そして彼の端正な面差しは少し曇りがちでもあったので、半ば本気で口にしているのかもしれないとミラーは気づいた。
「グレース王太后はまともな状態にない、と?」
「さぁ、どうだろう。高齢になり、病気が原因で、精神の均衡を失ってしまうというのは、実際にありえることだから」
「今回の話に、誰もストップをかけていないのですか?」
「一線を退いても、グレース王太后はいまだに権力を失っていないようだな。――息子である国王陛下が、彼女のことを深く敬愛しているというのもあるだろうが」
「グレース王太后も『笑わぬ王妃』と呼ばれていましたよね」
「笑わぬパトリシアの姿を見ているうちに、自分が味わってきた苦しみが蘇ってきて、頭が混乱してしまったのか……。とにかく急ぎブレデルに行かなければならない」
ミラーは今度こそ呆気に取られた。
「は……あの、クロード殿下? 正気ですか?」
「この上なく頭はクリアだ」
「殿下自ら赴いたりしたら、足元を見られますよ。何しろ尊大な連中だから」
「ちょうど用もあったんだよ。ブレデルのほかに、寄るところもいくつかある。通り道だから、手間にも感じない」
「合理的な考えで、いかにも殿下らしいですが、ブレデル側は『縁談に目の色を変えて、ホイホイやって来たぞ。きっと第四王子は国に居場所がなくて、持参財であるダウリング荘園を、喉から手が出るほど欲しがっているのだ』と誤った解釈をするかも」
そんなものが手に入らなくても、クロード殿下は国王陛下からも一目置かれているわけだが、向こうはそれを知らないだろう。ミラーとしてはあるじが舐められるような事態になるのは、どうにも我慢がならなかった。
「まぁ、相手にどう思われたって、別にいいじゃないか。それより僕は、パトリシア嬢に早く会ってみたいんだ」
「冗談でしょう?」
クロード殿下のノリに、段々ついていけなくなっているミラーである。
――自身の評判よりも、ちょっとした好奇心のほうを優先するというのか? それって王族として、どうなんだ? もっともったいぶって、偉ぶって欲しいのだが。
「イカレた彼らが『陰気』と評する令嬢だぞ、気にならないか? 意外とあいだを取って、普通の人かもしれない」
全体的に、どういう言い回しなんだ。完全にブレデル国をおちょくっているじゃないか。
「またそんな、ギャンブルを楽しむみたいなことを……」
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