第24話 クロード②
視線を彷徨わせていたクロード殿下が、見られていることに気づいたのか、ミラーのほうに顔を戻した。新緑のような瞳が、陽光を反射したように柔らかく輝きを放つ。そこには少し悪戯な色も混ざっていた。
「なんだ。柄にもなく心配しているのか、ミラー」
「そりゃあ、まぁ。しちゃいけませんか」
「そう危うい状況ではないよ」
「本当ですか?」
「あくまでも主導権はこちらにある」
「向こうはそう考えていないかもしれませんよ」
こう言っちゃあなんだが、ブレデル国の連中は身の丈を知らない。互いの力関係が客観的に明らかであったとしても、先方がそれをわきまえてくれるかはまた別の話である。常識が通じない相手というのは、どこにでもいるものなのだ。
「大国の王族とはいえ、パッとしない第四王子ごときなら、どうとでも扱えると?」
クロード殿下がくすりと笑みを漏らす。自虐というよりも、彼自身は周囲の浅はかな評価を面白がっているようだ。しかしミラーとしてはちっとも面白くない。
美形ぞろいの兄妹の中で、確かにクロード殿下は地味に感じられる。しかし彼には隠しきれない知性の輝きがあるし、見た目も派手さこそ欠くものの、端正で清潔感がある。クロード殿下本人は目立つのが嫌いらしく、いつも表舞台には上がりたがらないのだが、近くにいるミラーにはクロード殿下の価値がよく分かっていた。だからこの非凡なあるじが、誰かに侮られる筋合いはないと、部下のミラーはいつも不満に思うのだった。
「殿下。そういう軽口は、ブレデル国ではお控えくださいね」
「なぜ?」
「ジョークというのは、本質を理解するのに、ある程度の知性とセンスを必要とするからです。馬鹿はそのままストレートに受け取り、下に見てきますよ」
あるいは枝葉のどうでもよいところに固執して、曲解し、青筋を立てて喧嘩を売ってくるかもしれない。どちらにせよ厄介だが、どうしようもない。まともではない相手と関わる時は、正常な意思疎通は叶わぬものと、はなから割り切っておいたほうがいい。
「別に構わない」クロード殿下はミラーの忠告をさらりと流してしまう。「侮られたからといって、痛くもかゆくもないしな」
眼中にもないのだな、とミラーは少し呆れてしまった。クロード殿下は周囲の評価などまるで気にしていないのだ。
「それよりも僕は、パトリシア嬢に付随してくるもののほうが気になっている」
話が本題に入った。
「彼女が持参するというダウリング荘園ですね」
「あの肥沃な土地を気前良く持たせるだなんて、彼らはイカレているのかな?」
クロード殿下の言葉は冗談めかしてはいたが、ブレデル国の正気を疑っているのは本心のようだ。表情に警戒の色が浮かんでいる。
ミラーは小脇に抱えていた資料を、彼のデスクの上に置いた。
「――こちらがブレデル国の地図です。ブレデル国最大規模の河川であるヘナベリー川が、国を縦断する形で流れています」
「ブレデルはかんがい農業が主流だったな」
クロード殿下がヘナベリー川を指でなぞりながら呟きを漏らす。降雨に頼った天水農業ではなく、河川から水を引きそれを利用するかんがい農業を行っている。『降雨量に左右されず、安定して生産できるように』という合理性から選択したというよりも、宗教・信条的なものが絡んでいるらしい。
「……結果的に賢いことをしているわけだが、それも計画があってのことではないんだよな。国としての在り方が、とても変わっている」
「そうですね。あの国は変わっています」
二人は複雑な表情で視線を交わした。ミラーが情報を補足した。
「ブレデル国は北に王都があり、そこに宗教上重要な拠点として『ケイレブ聖泉』があります。――ケイレブ聖泉から湧き出た水が、ヘナベリー川の上流に流れ込むため、南に下って行くそれが『聖なる川』と呼ばれていますね。聖なる川から恩恵を受けたいため、かんがい農業という方法を意図的に選択しているのでしょう」
「――ところがダウリング荘園だけが、かんがい農業を行っていない」
ダウリング荘園はブレデル国の西の外れ、当国との境に位置している。立地的にヘナベリー川から水を引いてくるのが難しかったため、独自のやり方になってしまったのだろう。しかしそれはそれで、かえって良かったように思われる。
ダウリング荘園は、雨も適度に降り、穏やかな気候で、土壌も良く、農業には適した土地であるからだ。そして当国との境に川も流れているので、必要とあれば、そちらから水を得られるだろう。
ブレデル国は、パトリシアの嫁入りに際し、この肥沃な土地を持参財として持たせるつもりであるという。クロードからすると、この重要拠点を隣国にポンと手渡してしまおうという思考回路がもう、正気とは思えないのだった。
「当国はかんがい農業と天水農業の両方を行っていますから、ダウリング荘園のやり方が天水農業だからといって、どうとも思わないんですがね」
「しかしブレデル国からすると、悪魔の所業、という感覚なのかな」
「おそらくは」
ミラーが頷いてみせると、クロード殿下は微かに瞳を細め、考え込んでしまった。記憶の引き出しを開けているようだ。
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