第20話 マックスの計画


「――踊っていただけますか?」


 マックスが取り澄ました顔で尋ね、こちらに手のひらを差し出して来る。表向きは紳士的な態度であったが、彼の瞳は凍えるように冷たいわ、とパトリシアは思った。怖気づいてしまい、小さく息を呑む。


 先日の聖泉礼拝での一件――アレック殿下、ロザリー、マックスが見学と称して押しかけて来たことで、パトリシアは色々と考えるようになった。


 ――自分の置かれている状況。聖泉礼拝について。グレース王太后の健康状態。典礼担当が自分一人しかいないのに、これから先、どうしていくのか? もしも自分が病気か何かで寝込んでしまったら?


 もっと早くに向き合うべきだったわ……あれこれ考えたあとで、パトリシアは過去の自分が間違っていたことに気づいた。重要なことなのに、あと回しにしてきてしまった。『グレース王太后が決めるべきことで、私には物申す権利もない』などと諦めたりせずに、当事者として、もっとしっかり発言すれば良かった。


 パトリシアは今夜頑張って、アレック殿下に気持ちを伝えてみるつもりだった。


 ――『一緒に聖泉礼拝を行いませんか?』『グレース王太后がなんとおっしゃろうと、やはり、アレック殿下はあれをすべきです』『私は自分では、上手にできているとは思っていません。だからアレック殿下が一緒にやってくださるなら、心強いです』『ずっと不安でした』と。


 パトリシアはここへ来るまで、二人は婚約者同士なのだから、アレック殿下からダンスには誘ってもらえるものだと、当たり前のように信じ込んでいた。そうして踊って、二人向き合えば、話をする機会もあるのではないか、と。


 けれど、どうやらだめらしい。アレック殿下はロザリーとは踊るけれど、パトリシアと踊る気はないようだ。こんなふうに公衆の面前で厄介者扱いされ、当てこすられ、パトリシアの心は折れてしまった。


 あれを言おう、こう言ったらどうか……何日も前から頭の中でシミュレーションを繰り返してきた。パトリシアは嘘をつくことができないから、口に出すことは、真実であることがまず前提となる。それでいて前向きな言葉を伝えなければならない。


 パトリシアは、『二人は婚約しているのだから、関係が上手く行くよう努力する義務がある』――そう認識を改め、過去の自分がいかにアレック殿下に無関心であったかを、深く反省したのだった。


 たくさん、たくさん、考えた。どうしたらアレック殿下に分かってもらえるだろう? どうしたら仲良くなれるだろう?


 たくさん考えた分――こうしてだめだったとなって、ガラガラと全てが崩れていくような気がした。パトリシアはすっかり混乱していた。


 ――ああ、もう、分からないわ! どうしよう、だめだった! ここから逃げ出してしまいたい!


 この娼婦のようなドレス――ああ――もう嫌――誰か助けて――……


 パトリシアは視線を彷徨わせる。けれど余計につらくなるばかりだった。


 皆の小馬鹿にした目つき。嘲笑の空気。耐えがたい。この空気の中、マックスと踊るの? 憐れまれて? 笑われながら? どうして? これはなんの罰なの? 私、こんなことをされるような、悪いことは何もしていないわ!


「――さぁ」


 マックスがこちらを窺うような視線を向ける。今の促しは、対面にいたパトリシアにしか聞こえなかっただろう。その声音は少し艶めいてもいたけれど、パトリシアは突発的な眩暈に襲われていて、マックスの相手をするどころではなかった。


 彼がさらに手を伸ばし、パトリシアの手を取る。その直接的な接触に、彼女の肩がピクリと揺れた。


 ハッとして正面に視線を戻すと、マックスがすぐ目の前にいた。気づかぬうちに一気に距離を詰められていたようだ。互いの距離は半歩も離れていない。


 ――パトリシアが大きく息を吸うと、彼女の胸が膨らむさまが、マックスにははっきりと目視できた。――滑らかな肌――シミ一つない。眩しいくらいに白いけれど、血の気のない不健康なものではない。張りがあって、瑞々しかった。


 マックスは彼女の肩を見遣った。ノースリーブで、ひどく心許ない。もしも……今手を伸ばして、この肩の部分を外側にずらしたら? 簡単に脱がすことができそうだ。フルーツの皮をむくより簡単だろう。貞淑なパトリシアの、アレック殿下もまだ見たことがない、秘められた部分。


 マックスは口元に酷薄な笑みが浮かびそうになるのを、必死でこらえねばならなかった。


 上手くすればこの女が手に入るかもしれない。パトリシアとそういう関係になることは、あまりに現実味を欠いていたので、これまでは意識に上がることもなかった。パトリシアに対しそこまで強い関心も抱いていなかったし。


 それが先日の聖泉礼拝を見学して以来、ガラリと変わった。あれ以降、マックスは何度かパトリシアの夢を見ている。目が覚めると温もりが消えてしまうので、乾きを覚えていた。


 確かに自分には婚約者がいて、政略的な意味合いで、このままあのつまらない公爵家の三女と家庭を築くことになる。


 けれどパトリシアを愛人として囲えるなら、ずっと楽しく暮らしていけそうだ。――この女は特別だ。たぶん飽きないと思う。一生閉じ込めて、外に出さない。パトリシアは世間知らずのところがあるから、全部、自分が教え込んでやろう。一から十まで。繰り返し、何度も。淫らに、ちゃんといやらしくできるように。


 体を強張らせているパトリシアを眺め、マックスは砕けた口調で、笑み交じりに告げた。


「おい、どうした? ダンスの仕方を忘れたのか?」


「ごめんなさい、私――」


「ごめんなさい?」


 何を詫びるんだ、とマックスは眉根を寄せる。……まさか断りはしないよな? そこまで馬鹿ではあるまいが……。


 けれどパトリシアはマックスが思うところの、正真正銘の馬鹿だったようだ。


「足を……痛めているのです」


 パトリシアの声は小さく、震えるようで、まるで五つの子供のように頼りなかった。


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