第19話 彼らにとっては、ただのゲーム
踊り終えたアレック殿下が、側近であるマックスを相手に小芝居を始めたので、これに気づいたパトリシアは、心臓を握り潰されたような心地になった。
殿下はパトリシアのほうをあえて見ずに、はっきりと通る声でこう言った。
「マックス、パトリシアをダンスに誘ってもらえないだろうか? こんなことを頼んで、君には申し訳ないと思っている。負担をかけさせてしまって。ただ、私はこう思うのだ――あちらが礼儀を尽くさないからといって、こちらも同じようにするのは、良くないことだと。それは大人のすることではないから、誰かが彼女をダンスに誘うべきだろう?」
この国では、未婚の令嬢が舞踏会に出席した場合、少なくとも一曲は踊るのがマナーとされている。誰とも、一曲も踊らないというのは、恥ずべき事態なのだ。――社交の場に参加しているのに、誰にも誘ってもらえない、存在価値のない女なのだな、と思われてしまう。
既婚女性であれば、踊らなくても問題ないのだが、結婚していればしていたで、子のあるなし、社交力、夫の地位、実家の財力、ありとあらゆることで批判の目に晒されるわけなので、どのみち厳しい状況は変わらないのかもしれなかった。
――アレック殿下がマックスに『パトリシアをダンスに誘ってくれ』と頼んだことで、殿下自身は誘うつもりがないということが周囲にも伝わった。もちろん、パトリシア自身にも。
パトリシアは情けなさからじわりと瞳が潤み、泣いてしまいそうになったけれど、あえて姿勢を正し、前を向いた。――自分が話題に上げられている今は、俯いてはだめ――もっとみじめになるわ。
さて、小芝居の相手方に選ばれたマックスは、体を鍛えているおかげか、こうして礼装していると、普通に立っているだけで絵になった。黒豹のようにしなやかな彼の佇まいを眺め、頬を染めているご婦人方がチラホラ散見される。
「殿下の誠意が通じる相手でしょうか?」
マックスも芝居がかった調子で応じながら、真面目な顔を取り繕っていた。しかし内心では、彼はこの状況を楽しんでいた。――ゲームが始まろうとしている――どう転んでも、自分に損はないだろう。
アレック殿下が大袈裟に肩を竦めてみせる。
「まったく、常識のない人間の相手をするのは、疲れるよね……でも仕方ない。君も言いたいことがあったら、この際だから、言ってくれていいんだよ。愚痴くらいは聞くから」
「私が我慢してそれで済むのなら、それは別に構わないのです。――しかし彼女がいつまでも自分の立場をわきまえず、殿下を悩ませていることに、怒りを感じてしまいました。差し出がましいことでした、申し訳ありません」
マックスが瞳を伏せると、遠目でそれを眺めていた令嬢が扇で口元を隠し、隣の令嬢に囁きかけた。『彼って素敵ね。一度、お誘いいただけないものかしら』『でも彼、婚約者がいらっしゃるわ。公爵家の三女の……』『だけど愛はないでしょ』――漏れ出る忍び笑い。
マックスの婚約者は厳格で取っつきづらい雰囲気の女性であるが、実際のところは大人しく、不満を一切口に出さないタイプだった。性的な魅力には欠けるものの、パートナーが浮気したとしても咎めることもなさそうだし、空気のように相手に負担を与えない。それでいて実家は有力であるから、婚姻により、そちらと繋がりができる。マックスは良い相手と縁組を結んだと、男友達は羨ましく思っていた。
今夜も、マックスが婚約者に割いた時間は必要最低限のものであり、彼はすぐにアレック殿下とロザリー嬢のそばに戻ってしまった。婚約者は文句も言わずに黙って彼を行かせ、自身は姉のそばに行って、大人しく過ごしている。
「いいんだ。分かっている」アレック殿下はマックスをいたわった。「君は悪くない。謝らないで欲しい」
「しかし……」
「優しい君は、私のことを気遣ってくれたわけだろう? ありがたいことだよ」
ここでヒロイン役のロザリーが二者のあいだにグイと入り込んだ。
「パトリシアお姉様が申し訳ありません……」
瞳はウルウル、ポーズはどこか古めかしく、見ようによっては滑稽でもある。――見物人の皮肉紳士は、『おっと、大根女優のお出ましだ』と考えていた。『頑張っているようだから、おひねりをあげるようかな?』
「君が謝ることではないよ、ロザリー」
「でも、私、私……」
皮肉紳士は、『ほら、楽団――ここでドラマチックな音楽を流すべきだぞ。彼女の見せ場だ』と内心で皮肉りながら、小さく鼻を鳴らす。軽蔑しているようでいて、彼は彼で、この安っぽい芝居を楽しんでいた。
それからしばらくのあいだつまらない応酬を繰り返し、マックスが殿下に辞去の礼をとった。
――パトリシアはマックスが真っ直ぐにこちらに向かって来るのを見つめ、緊張のあまり顔を強張らせていた。
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